モンゴリアン・ストンパー

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モンゴリアン・ストンパー
プロフィール
リングネーム モンゴリアン・ストンパー
ザ・ストンパー
アーチー "ザ・ストンパー" ゴルディー
本名 アーチボルド・エドワード・ゴルディー(アーチー・ゴルディー)
ニックネーム 踏み潰し野郎
蒙古の禿鷹
身長 188cm - 190cm
体重 118kg - 120kg
誕生日 1944年11月2日(69歳)
出身地 カナダの旗 カナダ
アルバータ州カーボン
トレーナー スチュ・ハート
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ザ・モンゴリアン・ストンパーThe Mongolian Stomper1944年11月2日[1] - )は、カナダアルバータ州出身の元プロレスラー(生年は1936年ともされる[2])。本名はアーチボルド・エドワード・ゴルディーArchibald Edward Gouldie)、通称アーチー・ゴルディーArchie Gouldie)。

そのリングネーム通り、強烈なストンピング(踏みつけ・踏み蹴り)を攻撃の主体とするブルファイターとして活躍した。日本では「踏み潰し野郎」の異名を持つ。アントニオ猪木のアメリカ修行時代のタッグ・パートナーとしても知られる[3]

来歴[編集]

地元アルバータ州のカルガリースチュ・ハートのトレーニングを受け、1960年代初頭にプロレスラーとしてデビュー[4][5]。その後アメリカ合衆国に入り、ノースカロライナテキサスアマリロなどを転戦してキャリアを積む。1963年カンザスシティNWAセントラル・ステーツ地区に入り、同地区のブッカーだったパット・オコーナーのアイデアでモンゴリアン・ストンパーと改名[4]。翌1964年、日本から海外武者修行のために遠征してきたトーキョー・トムことアントニオ猪木との「(偽)アジア人コンビ」で売り出された[3]

猪木の帰国後もモンゴリアンギミックで活躍し、1966年4月と5月にはNWA世界ヘビー級王者ジン・キニスキーに連続挑戦[6]。同年12月31日には当時アメリカン・レスリング・アライアンスのテリトリーだったサンフランシスコにて、サイクロン・ネグロと組んでレイ・スティーブンス&パット・パターソンのブロンド・ボンバーズからサンフランシスコ版のAWA世界タッグ王座を奪取した[7]

その後カルガリーに戻り、1968年2月28日にトーナメントの決勝でパット・オコーナーを破り、後にダイナマイト・キッドブレット・ハートも載冠する同地区のフラッグシップ・タイトル、スタンピード北米ヘビー級王座の初代チャンピオンとなる[8]。同年7月にはキニスキーのNWA世界ヘビー級王座にも再挑戦した[9]。以降もカルガリーを主戦場に、北米ヘビー級王座を巡ってビル・ロビンソンアブドーラ・ザ・ブッチャーキラー・トーア・カマタオックス・ベーカースタン・スタージャックアンジェロ・モスカカール・フォン・ショッツらと抗争を展開、カナダを代表するトップ・レスラーとなった(以後、同王座には1983年まで計11回載冠)[8]

カナダではマリタイム地区のイースタン・スポーツ・アソシエーション(後のアトランティック・グランプリ・レスリング)でも活動し、1969年8月12日にノバスコシア州ハリファックスにて、同地区のフラッグシップ・タイトルであるESA北米ヘビー級王座をザ・ビーストから奪取[10]。以降もボボ・ブラジルキラー・カール・クラップボロ・モンゴルレオ・バークらと王座を争った。

1971年1月、日本プロレスに初来日。「アメリカ修行中に猪木とタッグを組んでいたが、そのあまりにも残虐な試合ぶりに猪木が激怒して仲間割れ、猪木への復讐のために日本に来襲」などというサイド・ストーリーも用意され注目を集める[2]。1月7日にはザ・ケンタッキアン(ルーク・ブラウン)と組んでジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲が保持するインターナショナル・タッグ王座に挑み、2月2日には馬場のインターナショナル・ヘビー級王座にも挑戦して引き分けるなどの活躍を見せた[1]。翌1972年11月の再来日ではキラー・カール・コックスとの凶悪コンビで猛威を振るった。

以降もカナダを本拠地に、テネシーアラバマフロリダなどアメリカ南部も転戦。各地のローカル・タイトルを奪取する一方、ドリー・ファンク・ジュニアジャック・ブリスコテリー・ファンクなど1970年代歴代NWA世界王者に再三に渡って挑戦。暴走の限りを尽くしての名誉の反則負けで「幻のNWA世界チャンピオン」とも呼ばれた[11]。カルガリーでは1974年ハーリー・レイスとも北米ヘビー級王座を争っている[8]

アメリカでは1975年よりテネシー州メンフィスのNWAミッドアメリカ地区を主戦場とし、1977年より発足したジェリー・ジャレットの新団体CWAにも継続参戦。ジェリー・ローラージャッキー・ファーゴボブ・アームストロングロッキー・ジョンソンビル・ダンディートミー・リッチらと抗争を繰り広げた。ローラーとはタッグも組み、1978年9月にジョー・ルダック&ジャン・ルイから南部タッグ王座を奪取している[12]1979年5月14日にはメンフィスのミッドサウス・コロシアムにて、当時テリー "ザ・ハルク" ボールダーと名乗っていた若手時代のハルク・ホーガンとも対戦した[13][14]

同年11月、同じくテネシーを主戦場としていたジプシー・ジョーの仲介で国際プロレスに来日、久々の日本マット登場を果たした。ジョー、アレックス・スミルノフ上田馬之助ら常連のエース級ヒールが顔を揃えたシリーズだったが、外国人陣営のエースとしての扱いを受け、ラッシャー木村IWA世界ヘビー級王座に挑戦した。国際には翌1980年2月にも来日し、木村に再挑戦している。同年9月には日本プロレスへの初来日時に一緒だったビル・ドロモや、後にミッドナイト・エクスプレスのオリジナル・メンバーとなるランディ・ローズノーベル・オースチンらを配下に「ストンパー軍団」を結成しての参戦が告知されたが、急性気管支炎を患い来日中止となった(代打には、ストンパー本人が自分に代わるリーダーに指名したという触れ込みでロン・バスが来日)[15]

その後、ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに参戦し、1980年12月12日にジャック・ブリスコからNWAナショナル・ヘビー級王座を奪取[16]。翌1981年5月29日にスティーブ・オルソノスキーに敗れるまで、アンドレ・ザ・ジャイアントダスティ・ローデスミスター・レスリング2号ロバート・フラーテッド・デビアスディック・スレータートニー・アトラスなどの強豪を相手に防衛戦を行った[17]

国際崩壊後の1982年3月にはNWAルートで全日本プロレスチャンピオン・カーニバルに出場。公式リーグ戦でジャイアント馬場と引き分けるなど初来日時のインター戦を再現したが、それ以外は目立った活躍は見られず、これが最後の来日となった。帰米後はテキサス州サンアントニオのSCW(サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング)に進出、7月にディック・スレーターを破りサウスウエスト・ヘビー級王座を獲得した[18]

1983年からは古巣のカルガリーに定着し、北米ヘビー級王座を巡ってバッドニュース・アレンと抗争。「息子」のストンパー・ジュニアことジェフ・ゴルディーとの親子タッグ[19]や、キラー・カーンとのモンゴリアン対決も実現した。翌1984年3月、カルガリーとの提携ルートで新日本プロレスへの参加が決定していたが急遽キャンセルしている。

1985年にはバーン・ガニア主宰のAWAシーク・アドナン・アル=ケイシー反米軍団に加入。ボリス・ズーコフノード・ザ・バーバリアンら若手ヒールと共闘し、サージェント・スロータージェリー・ブラックウェルロード・ウォリアーズらと抗争した。その後はテネシー州ノックスビルのCWF(コンチネンタル・レスリング・フェデレーション)を経て、1990年代初頭のSMW(スモーキー・マウンテン・レスリング / ジム・コルネット主宰)への登場を最後に引退。CWF参戦以来ノックスビルに居住し、近年は刑務所の守衛をしている[20]

エピソード[編集]

  • アメリカ修行時代のアントニオ猪木にとって、ストンパーは公使にわたっての良きパートナーだったようであり、移動用に購入した乗用車もストンパーの口利きで値切ってもらえたという。しかし、ストンパーの自宅に招かれて特製の人参ジュースをご馳走になった際は、飲みすぎて数日間は勃起状態が収まらなくなってしまったという[21]
  • カルガリーのスタンピード・レスリングでは1983年から1984年にかけて、ストンパーはベビーフェイスのポジションで北米ヘビー級王座をバッドニュース・アレンと争っていた。1983年12月19日、新日本プロレスのカナダ遠征時に行われた猪木vsケリー・ブラウン戦では、試合後に乱入したアレンらヒール勢に襲われるかつてのパートナー猪木を救出し、現地のファンの喝采を浴びるという一幕も見られた(翌年、新日本への初参加が発表されたが幻に終わっている)[3]
  • 1979年の国際プロレス初登場時に行われたラッシャー木村とのIWA世界ヘビー級タイトルマッチは、同じシリーズに参戦して仲間割れを起こしたアレックス・スミルノフの介入で王座奪取に失敗している。後年、ストンパーが参加した全日本プロレスのチャンピオン・カーニバル1982年大会にはスミルノフも来日していたが、スミルノフの棄権により公式リーグ戦での両者の対戦は行われなかった。

得意技[編集]

ストンピングをはじめ、分厚いブーツから繰り出すキック攻撃を得意とした。

獲得タイトル[編集]

アメリカン・レスリング・アライアンス
セントラル・ステーツ・レスリング
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAナショナル・ヘビー級王座:1回[16]
NWAミッドアメリカ / コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング / コンチネンタル・レスリング・フェデレーション
  • NWAブラスナックル王座(サウスイースタン版):3回
  • NWAサウスイースタンTV王座:1回
  • NWAサウスイースタン・ヘビー級王座:12回
  • NWAサウスイースタン・タッグ王座:2回(w / ジミー・ゴールデン、モンゴリアン・ストンパー・ジュニア)
  • CWFタッグ王座:1回(w / ジミー・ゴールデン)
スタンピード・レスリング
  • スタンピード北米ヘビー級王座:11回[8]
  • Stampede Wrestling Hall of Fame
イースタン・スポーツ・アソシエーション
  • ESA北米ヘビー級王座:5回[10]
ワールド・レスリング・カウンシル
  • WWCプエルトリコ・ヘビー級王座:1回
サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
  • SCWサウスウエスト・ヘビー級王座:1回[18]
インターナショナル・レスリング
  • IW北米ヘビー級王座:4回

脚注[編集]

  1. ^ a b 『THE WRESTLER BEST 1000』P62(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b 『THE WRESTLER BEST100』P216-217(1981年、日本スポーツ出版社)
  3. ^ a b c 『Gスピリッツ Vol.16』P64-65「カンジ・イノキのアメリカ武者修行」(2010年、辰巳出版ISBN 4777808017
  4. ^ a b Archie "The Stomper" Gouldie / Mongolian Stomper”. Canadian Pro Wrestling Page of Fame. 2011年10月15日閲覧。
  5. ^ Archie "The Stomper" Gouldie”. SLAM! Sports (May 11, 2008). 2011年10月15日閲覧。
  6. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1966”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月1日閲覧。
  7. ^ a b AWA World Tag Team Title: San Francisco version”. Wrestling-Titles.com. 2012年8月17日閲覧。
  8. ^ a b c d North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月7日閲覧。
  9. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1968”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月1日閲覧。
  10. ^ a b North American Heavyweight Title [Maritimes]”. Wrestling-Titles.com. 2014年7月27日閲覧。
  11. ^ 『ゴング』1976年10月号 P92「テリー完敗! ストンパーが新NWA世界王者に…?」(1976年、日本スポーツ出版社)
  12. ^ a b NWA-AWA Southern Tag Team Title: Mid-America version”. Wrestling-Titles.com. 2014年6月4日閲覧。
  13. ^ Memphis Wrestling History 1979”. Memphis Wrestling History. 2011年10月15日閲覧。
  14. ^ CWA @ Memphis 1979/05/14”. Wrestlingdata.com. 2014年6月4日閲覧。
  15. ^ 『国際プロレス クロニクル 下巻』特典付録CD-ROM 国際プロレス全パンフレット「1980年 ダイナマイト・シリーズ」(2011年、クエスト)
  16. ^ a b NWA National Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月7日閲覧。
  17. ^ The GCW matches fought by Archie Gouldie in 1981”. Wrestlingdata.com. 2014年5月29日閲覧。
  18. ^ a b SCW Southwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年10月15日閲覧。
  19. ^ 実際の親子ではなく、ギミック上の設定である。ジェフは後にマーティ・ジャネッティとの「アップタウン・ボーイズ」やマイク・デービスとの「ロックンロールRPMs」で活躍するトミー・リー・ジョーンズ(a.k.a. トミー・ロジャース、トミー・レーン)で、ストンパーの実質的な弟子であり、彼のブッキングでセントラル・ステーツ地区やテネシーCWAを主戦場としていたが、大成はできなかった(Online World of Wrestling)。
  20. ^ Wrestler Profiles: The Mongolian Stomper”. Online World of Wrestling. 2009年5月8日閲覧。
  21. ^ 『猪木寛至自伝』(1998年、新潮社ISBN 4104239011
  22. ^ NWA North American Tag Team Title: Central States version”. Wrestling-Titles.com. 2013年7月3日閲覧。
  23. ^ NWA Southern Heavyweight Title: Florida version”. Wrestling-Titles.com. 2014年6月4日閲覧。
  24. ^ a b NWA-AWA Southern Heavyweight Title: Mid-America version”. Wrestling-Titles.com. 2014年6月4日閲覧。

外部リンク[編集]