ケン・パテラ

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ケン・パテラ
プロフィール
リングネーム ケン・パテラ
本名 ケネス・ウェイン・パテラ
ニックネーム 豪勇
五輪の怪力
身長 185cm - 187cm
体重 125kg - 135kg
誕生日 1943年11月6日(71歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オレゴン州の旗 オレゴン州ポートランド
スポーツ歴 ウエイトリフティング
トレーナー バーン・ガニア
ビル・ロビンソン
デビュー 1972年
引退 1990年代
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ケン・パテラKen Patera、本名:Kenneth Wayne Patera1943年11月6日[1] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーオレゴン州ポートランド出身。生年は1942年ともされる[2]

オリンピック重量挙げ出身のパワーファイターとして、NWAAWAWWE(WWWF / WWF)の各団体で活躍した。

来歴[編集]

1960年代から1970年代初頭にかけてウエイトリフティングの選手として活躍し、1972年ミュンヘンオリンピックにアメリカ代表で出場[3]レスリングの下地もあったことから、同じくオリンピック出身者であるAWAバーン・ガニアにスカウトされてプロレスラーに転向[2]。同期にはリック・フレアーコシロ・バジリらがいた。1973年1月には国際プロレスに初来日、ミスター珍稲妻二郎などの中堅・若手選手相手のハンディキャップ・マッチも行っている[4]

デビュー後しばらくはアスリート然としたベビーフェイスとして売り出されたがパッとせず、髪を金髪に染めてヒールに変身。NWAトライステート地区(後のMSWA)ではキラー・カール・コックスのパートナーとなり、1976年に同地区認定のUSタッグ王座を獲得した[5]。同年秋よりWWWFに進出、翌1977年1月17日と2月7日、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにて、ブルーノ・サンマルチノWWWF世界ヘビー級王座に連続挑戦している[6]

1977年10月、全日本プロレスに来日。WWWFでの実績を見込まれシリーズの注目外国人として迎えられ、10月21日に横浜文化体育館にてボボ・ブラジルと組み、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田インターナショナル・タッグ王座に挑戦、10月24日には岩手県営体育館にて馬場のPWFヘビー級王座にも挑んだ[7]

1978年からはジム・クロケット・ジュニアの管理するNWAミッドアトランティック地区ジム・バーネットの主宰するジョージア・チャンピオンシップ・レスリングエディ・グラハムの運営するチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダなど、NWAの南部テリトリーを転戦。フロリダでは1978年1月25日に開催されたスーパーボウル・オブ・レスリングのセミファイナルでダスティ・ローデスと対戦[8]、ミッドアトランティック地区ではリック・フレアー、マスクド・スーパースタービッグ・ジョン・スタッドらとタッグを組んで活躍した。

1980年に再度ニューヨークを襲撃、WWFヘビー級王者のボブ・バックランドに挑戦する一方、同年4月21日、MSGでパット・パターソンを破りWWFインターコンチネンタル王座を獲得。第2代の王者となる[9]。並行してNWA圏にも参戦し、4日後の4月25日にはセントルイスキール・オーディトリアムケビン・フォン・エリックからミズーリ・ヘビー級王座を奪取[10]。当時のNWAとWWFの実質的なナンバー2タイトルの「二冠王」となった[2](ミズーリ王座は11月21日にテッド・デビアス[10]、IC王座は12月8日にペドロ・モラレスに敗れるまで保持[9])。

1980年9月、WWFとの提携ルートで新日本プロレスへの来日が実現。9月30日に日本武道館で開催されたビッグイベントにおいて、新日本での初戦ながらアントニオ猪木NWFヘビー級王座に挑戦、怪力殺法で猪木を追い込んだ[2]。以降も新日本プロレスに度々参戦し、NWFタイトルには1981年2月4日にも大阪府立体育会館で再挑戦している[11]。同年10月23日にはセントルイスにてジャック・ブリスコを破り、ミズーリ・ヘビー級王座に返り咲いた[10]

1982年からは古巣のAWAに復帰し、WWFでも共闘していたボビー・ダンカンと「ブラック&ブルー・エクスプレス」なるタッグチームを結成。ボビー・ヒーナン率いる「ヒーナン・ファミリー」の一員としてダンカンと共にAWA世界王者ニック・ボックウィンクルをバックアップし、当時AWAの新時代のエースとして人気が沸騰していたハルク・ホーガンアンドレ・ザ・ジャイアントと抗争を展開した。また、AWAでの活動と並行して、提携団体であるテネシー州メンフィスCWAにも出場。ジェリー・ローラーオースチン・アイドルとCWAインターナショナル・ヘビー級王座を争った[12]

1983年より、当時のAWAでヒーナンと並ぶヒールのマネージャーだったシーク・アドナン・アル=ケイシーの「ザ・シークス」に加入。アラビアに魅せられた白人「ロレンス・オブ・アラビアアラビアのロレンス)」を名乗り、中東風のベールを被るなどシーク・スタイルへの一時的なギミック・チェンジを果たす。6月26日にはシーク・アヤトーラことクラッシャー・ブラックウェルとのコンビでグレッグ・ガニア&ジム・ブランゼルのハイ・フライヤーズを破り、AWA世界タッグ王座を獲得した[13]

1984年5月、新日本プロレスへの4度目の来日を果たし、IWGPリーグ戦第2回大会に出場。リーグ戦ではアンドレ・ザ・ジャイアント、マスクド・スーパースター、ディック・マードックアドリアン・アドニスとも対戦したが、新日本初登場時のような活躍は見られず、戦績は芳しくなかった[14]。帰国後の7月、ビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下で全米進出を行っていたWWFと再契約。ここでもヒーナン・ファミリーに加入し、NWA以来の盟友ビッグ・ジョン・スタッドとのタッグを再結成するが、AWA時代の同年4月6日にウィスコンシン州で起こした器物損壊(閉店していたマクドナルドに入店を断られて逆上し、店のウィンドウに岩を投げつけて破壊)に端を発する警官暴行の罪で、約2年間に渡って服役することになる(マサ斎藤もこの事件に巻き込まれ、1年6カ月間の懲役刑を受けている)[3]

服役後は囚人ギミックによるWWF復帰も噂されたが、最終的にはデビュー当時と同じベビーフェイスとして1987年4月にカムバック。髪も本来の栗色に戻し、気は優しくて力持ち的なキャラクターとなってハーキュリーズディノ・ブラボーと抗争[15]サバイバー・シリーズの第1回大会ではハルク・ホーガンのチーム・メイトも務めたが[16]、全盛期のような活躍は果たせず、1988年11月にWWFを離れた[17]

その後はAWAに復帰し、ブラッド・レイガンズとオリンピック・コンビを結成。1989年3月25日にはバッド・カンパニー(ポール・ダイヤモンド&パット・タナカ)を破りAWA世界タッグ王座を再び獲得している[13]1990年カリフォルニア州マリナ・デル・レイのハーブ・エイブラハム派UWFに出場し、カムバック後のWWFでタッグを組んでいたビリー・ジャック・ヘインズと抗争。1991年の末にはオットー・ワンツが主宰していたドイツオーストリアのCWAに遠征、12月21日にブレーメンにてランボーのCWA世界ヘビー級王座に挑戦した[18]。以降、1990年代ミネソタ近辺のインディー団体にスポット参戦していた。

2011年8月12日、ジャガロ・チャンピオンシップ・レスリングのイベント "Legends & Icons" に出場してボブ・バックランドと対戦[19]、公の場に久々に姿を見せた。

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

NWAビッグタイム・レスリング
  • NWAアメリカン・ヘビー級王座:1回
  • NWAアメリカン・タッグ王座:1回(w / テキサス・マッケンジー)
NWAトライステート
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAジョージア・ヘビー級王座:1回[22]
セントルイス・レスリング・クラブ
  • NWAミズーリ・ヘビー級王座:2回[10]
ワールド・レスリング・フェデレーション
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
  • CWAインターナショナル・ヘビー級王座:2回[12]
アメリカン・レスリング・アソシエーション

脚注[編集]

  1. ^ Wrestlers Database: Ken Patera”. Cagematch.net. 2014年9月2日閲覧。
  2. ^ a b c d 『THE WRESTLER BEST 1000』P185(1996年、日本スポーツ出版社
  3. ^ a b Wrestler Profiles: Ken Patera”. Online World of Wrestling. 2015年1月13日閲覧。
  4. ^ 『Gスピリッツ Vol.33』P88(2014年、辰巳出版ISBN 477781372X
  5. ^ a b NWA United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2009年4月2日閲覧。
  6. ^ WWE Yearly Results 1977”. The History of WWE. 2009年4月2日閲覧。
  7. ^ The AJPW matches fought by Ken Patera in 1977”. Wrestlingdata.com. 2014年12月22日閲覧。
  8. ^ NWA Superbowl Of Wrestling”. Cagematch.net. 2014年12月23日閲覧。
  9. ^ a b c History of the WWE Intercontinental Championship”. WWE.com. 2010年4月5日閲覧。
  10. ^ a b c d NWA Missouri Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2009年4月2日閲覧。
  11. ^ NJPW New Year Golden Series 1981 - Tag 22”. Cagematch.net. 2014年12月22日閲覧。
  12. ^ a b CWA International Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2009年4月2日閲覧。
  13. ^ a b c AWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2009年4月2日閲覧。
  14. ^ Ken Patera at NJPW IWGP League 1984”. Cagematch.net. 2014年12月23日閲覧。
  15. ^ WWE Yearly Results 1987”. The History of WWE. 2014年12月23日閲覧。
  16. ^ WWF Survivor Series 1987”. Cagematch.net. 2014年12月23日閲覧。
  17. ^ WWE Yearly Results 1988”. The History of WWE. 2014年12月23日閲覧。
  18. ^ CWA Euro Catch Festival”. Cagematch.net. 2013年7月27日閲覧。
  19. ^ JCW Legends & Icons”. Cagematch.net. 2013年7月27日閲覧。
  20. ^ NWA Mid-Atlantic Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年7月27日閲覧。
  21. ^ NWA Mid-Atlantic Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年7月27日閲覧。
  22. ^ NWA Georgia Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年7月27日閲覧。

外部リンク[編集]