NWF
NWF(National Wrestling Federation - 全米レスリング連盟)は、1970年代前半にアメリカ合衆国に存在したプロレス団体。
プロモーターのペドロ・マルチネツと、現役レスラー兼プロモーターのジョニー・パワーズを中心に設立・運営され、ニューヨーク州バッファロー、オハイオ州クリーブランドを拠点に、アメリカ北東部、五大湖地区およびカナダを主要エリアとして活動した。"North American Wrestling Federation" を正式名称とする説もある。
目次 |
概要 [編集]
1971年にバッファローを中心とする北東部の大物プロモーター、ペドロ・マルチネツと、同地のトップスターであり、クリーブランドのプロモート権を得ていたジョニー・パワーズを中心に、メジャー団体のNWA、WWWFと一線を画す独立団体として設立された。パワーズは前年ロサンゼルスにおいてフレッド・ブラッシーに勝利し(架空の試合[1])、初代世界王者に認定され、その後王者は目まぐるしく交代する(1971年11月17日、バッファローにおいて世界ヘビー級王者決定戦が行われ、ワルドー・フォン・エリックを破ったパワーズが初代王者となったという説も存在するが、同年10月9日の時点で、すでにパワーズは世界王者に認定されていた[2])。
最盛期にはミシガン、メリーランド、カナダのトロント、モントリオールへとテリトリーを拡大、弱小団体とは呼び難い勢力を持つに至った。ボボ・ブラジル、ジョニー・バレンタイン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク、アーニー・ラッドら一流レスラーが多数集結、パワーズとバレンタイン、ラッドとブッチャーとの抗争などの名物カードも生み、米プロレス誌上でNWA、AWA、WWWFに次ぐメジャー団体と認知された時期もあった。
しかし、1973年に入ると勢力は衰退・縮小していく。同年12月10日に東京で行われた世界戦において、第14代世界王者となっていたパワーズがアントニオ猪木に敗れ王座が日本に渡る。その後もパワーズは1974年3月には猪木を招聘してクリーブランドで世界戦を行うなど、1975年初めまでは同地で興行を行っていた。しかし、前年に一時プロレス界から離れていたマルチネツが関わった新団体IWAに吸収されるかたちで、同年半ばまでには事実上活動を停止し消滅状態となった(このIWAも同年中には活動停止となっている)。
以上のように米国プロレス史全般からみれば短命のローカル団体にすぎず、設立経緯や活動内容、歴代王者等に不明な点も多々ある。しかし、アントニオ猪木が世界ヘビー級王座を1973年の獲得から新日本プロレスの看板タイトルとして1981年まで長く保持したこと、また日本でも高名な大物レスラーが多く参加していたこと等により、日本には愛着や関心を持つプロレスファンが多い。
新日本プロレスとの関係 [編集]
一般にNWFと新日本プロレスとの結びつきは、1966年に東京プロレスに初来日して以来の、ジョニー・パワーズとアントニオ猪木の関係によるものとされている。しかし実際には、NWF設立以前の1969年に当地をサーキットし、パワーズとも旧知の坂口征二によるブッキングと考えるのが妥当である。
日本では「パワーズが図らずも猪木に王座を奪われたため、隆盛を誇っていたNWFが一転凋落に向かった」という伝説が、長年史実として語られてきた。現在では、パワーズが新日にタイトルを売却したとの見方が通説になっている。
この王座売却の時点で既にパワーズは団体自体を店じまいするつもりだったとの極端な見方もされるが、その後も1975年初めまではクリーブランド等で興行を行っており、これも断じ難い。
1975年初めで事実上NWFが消滅した後も、新日は1977年初め頃まではNWFが存続しているようなアングルを組んでいた(上述のIWA崩壊後もパワーズはIWAの名で1977年半ば頃まではノースカロライナ州で興行をしており、パワーズ一派という意味ではNWFの存続もまったくの絵空事ではない)。しかしそれ以降はNWFの消滅は日本でも周知の事実となり、同王座は事実上、新日認定タイトルとなった。その大きな表面化したものがタイトル名から「世界」を外すこととなり、1975年2月12日NWA時期総会にて決定した。NWFは格上のNWAと業務提携を結んだ事が大きな発端でNWFヘビー級選手権とされた。
1981年4月、IWGP提唱に伴い、スタン・ハンセンとの王座決定戦に勝った猪木により封印された。
NWF世界ヘビー級王座 歴代王者 [編集]
| レスラー | 戴冠回数 | 防衛回数 | 獲得日付 | 獲得した場所(対戦相手・その他) | |
|---|---|---|---|---|---|
| 初代 | ジョニー・パワーズ | 1 | 不明 | 1971年6月12日 | 不明 |
| 第2代 | ワルドー・フォン・エリック | 1 | 不明 | 1971年11月20日 | オハイオ州クリーブランド |
| 第3代 | ドミニク・デヌーチ | 1 | 不明 | 1971年12月8日 | ニューヨーク州バッファロー |
| 第4代 | ワルドー・フォン・エリック | 2 | 不明 | 1972年1月5日 | ニューヨーク州バッファロー |
| 第5代 | アーニー・ラッド | 1 | 不明 | 1972年6月9日 | オハイオ州クリーブランド |
| 第6代 | アブドーラ・ザ・ブッチャー | 1 | 不明 | 1972年6月24日 | オハイオ州アクロン |
| 第7代 | ジョニー・バレンタイン | 2 | 不明 | 1972年10月19日 | オハイオ州クリーブランド |
| 第8代 | ジャック・ルージョー | 1 | 不明 | 1973年1月24日 | ニューヨーク州バッファロー |
| 第9代 | ジョニー・バレンタイン | 3 | 不明 | 1973年8月 | 不明 |
| 第10代 | ジョニー・パワーズ | 2 | 不明 | 1973年 | 不明 |
| 第11代 | アントニオ猪木 | 1 | 9 | 1973年12月10日 | 東京 |
| 第12代 | タイガー・ジェット・シン | 1 | 2 | 1975年3月13日 | 広島 |
| 第13代 | アントニオ猪木 | 2 | 27 | 1975年6月26日 | 東京 |
| 第14代 | スタン・ハンセン | 1 | 0 | 1980年2月8日 | 東京 |
| 第15代 | アントニオ猪木 | 3 | 8 | 1980年4月3日 | 東京 |
| 第16代 | アントニオ猪木 | 4 | 0 | 1981年4月23日 | 東京(IWGP構想により王座封印) |
※猪木獲得前の米国での王座変遷には異説もある。 週刊ゴング・日本プロレス40年史によると猪木王座奪取時点で第14代とされている。
復活後 アントニオ猪木がNWFの復活と題して03年1月4日(東京ドーム大会にて)4名によるトーナメント戦が実施され、復活第1号は高山善廣が王者に君臨し数度の防衛を果たし1年間王座を保持する。
- 1 高山善廣
新日本プロレスでの絶対的タイトル=IWGPヘビー級王者の中邑真輔と、NWFヘビー級王者の高山善廣との間でダブルタイトルマッチ(王座統一戦)が04年1月4日(東京ドーム大会にて)行われ、高山を下した中邑真輔がNWFヘビー級とIWGPヘビー級の統一王者となる。IWGP・NWF統一王座で、IWGPにNWFの文字が吸収された説とIWGPヘビーの一本化の為の封印と説が2つに分かれている。
- 2 中邑真輔
参戦選手 [編集]
- ジート・モンゴル
- ベポ・モンゴル
- ボロ・モンゴル
- ダスティ・ローデス
- ディック・マードック
- ドン・ファーゴ
- ジョニー・ファーゴ
- ミツ・アラカワ
- ヨシノ・サト
- ワフー・マクダニエル
- チーフ・ホワイト・オウル
- ジャック・ルージョー
- レイモンド・ルージョー
- ハートフォード・ラブ
- レジナルド・ラブ
- クルト・フォン・ヘス
- カール・フォン・ショッツ
- ブル・カリー
- フレッド・カリー
etc.