オックス・ベーカー

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オックス・ベーカー
オックス・ベーカーの画像
オックス・ベーカー(2008年10月)
プロフィール
リングネーム オックス・ベーカー
ジ・オックス
アーカンサス・オックス
本名 ダグラス・A・ベーカー
ニックネーム 狂牛
身長 198cm
体重 154kg(全盛時)
誕生日 1934年4月19日(80歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 ミズーリ州セダリア
デビュー 1962年
引退 1988年
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オックス・ベーカーOx Baker1934年4月19日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーミズーリ州セダリア出身。本名はダグラス・ベーカーDouglas A. Baker)。

来歴[編集]

学生時代から軍隊時代を通してアメリカンフットボールで頑強な肉体をつくり、1962年に地元ミズーリ州カンザスシティにて、バディ・オースチンボブ・ガイゲルパット・オコーナーのトレーニングを受けてデビュー[1]。当初はベビーフェイスのポジションで活動し、1967年にはジ・オックスThe Ox)のリングネームニューヨークWWWFに登場、ゴリラ・モンスーンプロフェッサー・タナカバロン・マイケル・シクルナルーク・グラハムなどのジョバーを務めた[2]

その後オックス・ベーカーと改名し、1970年代に入るとスキンヘッドに極太の眉毛と髭をトレードマークとしたビジュアル・イメージを確立。ドスの効いた大声でまくしたてるマイクパフォーマンスも注目を集め、一躍ヒールのトップスターとなった。

キワモノ的なイメージが強い上にレスリングの技術が稚拙だったため、NWAAWAWWFなどメジャータイトルのトップコンテンダーに名を連ねることはなかったが[3]、その強烈なキャラクターが悪役人気を呼び、世界中をサーキットして各地のローカルタイトルを奪取している。1974年8月10日にはインディアナポリスカウボーイ・ボブ・エリスを破りWWA世界ヘビー級王座を獲得、以降1年以上に渡って同王座を保持し続けた[4]

全米のトップスターとも各地で対戦し、WWAではディック・ザ・ブルーザーデトロイトではザ・シークダラスではフリッツ・フォン・エリックフロリダではダスティ・ローデステネシーではジェリー・ローラーと流血戦を展開。アンドレ・ザ・ジャイアントブラックジャック・マリガンアーニー・ラッドブルーザー・ブロディらとのスーパーヘビー級対決も行っている。1970年代末のフロリダでは若手時代のハルク・ホーガンとも対戦した。

1988年の引退後は新人レスラーの育成も手掛け、ブライアン・クラークなどがベーカーの指導のもとデビューした[5]。1970年代を代表するヒールとして悪名を轟かせたベーカーだが、そのキャラクターは現在でも多くのファンに愛されており[1]、近年もレスラー時代と変わらない風貌のまま、数々のイベントに招かれている[6]

日本での活躍[編集]

初来日は1969年7月の国際プロレスで、その後も1970年11月、1971年9月と3年連続で参戦。1970年12月12日に行われた『ビッグ・ウィンター・シリーズ』台東区体育館大会でのラッシャー木村との金網デスマッチでは、セコンドのボブ・ウィンダムが投げ入れたパイプ椅子で木村の脚を乱打し、左足を骨折させている。1971年の『ダイナマイト・シリーズ』でも、3回にわたって木村と金網デスマッチで対戦した。また、巨大な生の肉塊にかぶりつくデモンストレーションも話題を呼んだ。

1975年9月にはアブドーラ・ザ・ブッチャーとの2大エースとして全日本プロレスの『ジャイアント・シリーズ』に来日。10月14日の松山大会にてジャイアント馬場PWFヘビー級王座に挑戦するがストレート負けを喫した。このシリーズには若手時代のスタン・ハンセンも初来日しており、ハンセンは自身のキャラクターづくりに関してベーカーから親身なアドバイスを受けたと自著で記述している[7]

1978年9月、久々に国際プロレスを襲撃。8年前の骨折事件を再現しようと、足を折られて泣いている木村のイラストが描かれたプラカードを持って挑発行為を繰り広げ、10月13日の茨城県常陸太田大会にて木村とのテキサス・デスマッチを行った。1979年6月の来日では、7月9日の仙台大会にてアレックス・スミルノフと組み木村&グレート草津と金網タッグデスマッチで対戦したが、試合中の同士討ちでスミルノフと仲間割れ。翌7月10日の宮城県涌谷大会では木村のIWA世界ヘビー級王座への挑戦権をかけ、両者による外国人同士のロシアン・チェーン・マッチが行われた(この試合形式を得意とするスミルノフのKO勝ち)。

1980年11月、同時期にロサンゼルス地区を主戦場としていた関係から、同地区と提携関係にあった新日本プロレスに初登場。来日が予定されていたマスクド・スーパースターの代打として、ジョニー・パワーズと組んで『第1回MSGタッグリーグ戦』に参加した。しかし、前年までの国際プロレスでの活躍とは正反対の無気力ぶりで、リーグ戦を消化することなく全敗のままパワーズと共に途中帰国。アントニオ猪木とのシングルマッチもメインイベントで組まれたが、わずか数分で惨敗した。ギャランティを巡って新日本首脳部と軋轢が生じ、モチベーションを完全に無くしていたことが原因とされており[8]、これが最後の来日となった。

エピソード[編集]

獲得タイトル[編集]

シングルタイトル
タッグタイトル

etc.

脚注[編集]

  1. ^ a b Ox Baker's Bio”. The Official Ox Baker Web Site. 2011年5月12日閲覧。
  2. ^ WWE Yearly Results 1967”. The History of WWE. 2010年6月5日閲覧。
  3. ^ 1980年、ベーカーはボブ・バックランドのチャレンジャーとしてWWF入りが予定され、テレビのテープ録りも済ませていたが結局は実現しなかった。その理由は、プロモーターのビンス・マクマホン・シニアがベーカーのスティッフな試合ぶりに難色を示したからだといわれている。
  4. ^ a b WWA World Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2009年4月26日閲覧。
  5. ^ Bryan Clark Interview with ClubWWI”. Online World of Wrestling: July 16th, 2008. 2009年4月26日閲覧。
  6. ^ Ox Baker Photo Gallery”. The Official Ox Baker Web Site. 2011年5月12日閲覧。
  7. ^ スタン・ハンセン著『魂のラリアット』P121(2000年、双葉社ISBN 4575291080
  8. ^ 『スーパー・タッグ Now!(プロレスアルバム55)』P22(1985年、ベースボール・マガジン社
  9. ^ Wrestler Profiles: Ox Baker”. Online World of Wrestling. 2013年8月31日閲覧。
  10. ^ ショーン・アセール、マイク・ムーニハム共著『WWEの独裁者-ビンス・マクマホンとアメリカン・プロレスの真実』P359-360(2004年、ベースボール・マガジン社、ISBN 4583037880
  11. ^ ショーン・アセール、マイク・ムーニハム共著『WWEの独裁者-ビンス・マクマホンとアメリカン・プロレスの真実』P57-64
  12. ^ NWF North American Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年5月12日閲覧。
  13. ^ NWA Texas Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年5月12日閲覧。
  14. ^ NWA American Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年5月12日閲覧。
  15. ^ a b NWA United States Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年5月12日閲覧。
  16. ^ NWA Georgia Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年5月12日閲覧。
  17. ^ WWA World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年5月12日閲覧。
  18. ^ NWA Florida Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年5月12日閲覧。
  19. ^ NWA Americas Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年5月12日閲覧。
  20. ^ NWA Australasian Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年5月12日閲覧。

外部リンク[編集]