ボブ・ループ
| ボブ・ループ | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | ボブ・ループ マハ・シン ザ・グラディエーター |
| 本名 | ロバート・ループ |
| ニックネーム | ジ・エンフォーサー オール・アメリカン 五輪の虎 |
| 身長 | 185cm |
| 体重 | 115kg - 123kg |
| 誕生日 | 1943年??月??日 |
| 出身地 | バージニア州 ブラックスバーグ |
| スポーツ歴 | レスリング |
| デビュー | 1969年 |
| 引退 | 1988年 |
ボブ・ループ(Bob Roop、1943年 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。バージニア州ブラックスバーグ出身。本名はロバート・ループ(Robert Roop)。
1968年のメキシコシティオリンピックに全米代表で選出されたレスリングの強豪であり、プロレス転向後はシュートにもラフにも強いストロングファイターとして活躍した。
目次 |
来歴 [編集]
ジュニア・ハイスクール時代からレスリングを始め、南イリノイ大学カーボンデール校ではAAUのライトヘビー級チャンピオンシップを獲得。1967年にNCAAのチャンピオンになり、1968年にはメキシコシティオリンピックに出場、グレコローマン・スタイルのヘビー級部門で8位の成績を残した[1]。
1969年、NWA圏フロリダ地区のCWF(Championship Wrestling from Florida)でプロレスラーとしてデビュー。デビュー当初は "オール・アメリカン" をニックネームにアスリート系のベビーフェイスとして活躍していたが、やがてラフファイトの強さを活かしたヒールに転向。以降、1970年代末までCWFを主戦場に[2]、ダスティ・ローデス、ジャック・ブリスコ、ヒロ・マツダ、ロッキー・ジョンソンらと激闘を繰り広げた。また、1977年には太平洋岸のサンフランシスコ地区に遠征し、同地区の看板タイトルであるUSヘビー級王座をディーン・ホーから奪取している[3]。
1979年、ランディ・サベージの父親アンジェロ・ポッフォが立ち上げたケンタッキー州の新興インディー団体ICW(International Championship Wrestling)に、フロリダでのタッグ・パートナーだったボブ・オートン・ジュニアと共に参画。ICWではカラー・コメンテーターも務め、1981年まで在籍していた。しかし、NWAに加盟していない団体の運営に携わったため、その後しばらくはNWAの主要テリトリーに戻ることができず、ビル・ワットが主宰するルイジアナ地区のMSWA(Mid-South Wrestling Association)に転出する。MSWAではテッド・デビアスを相手に、ミッドサウス北米ヘビー級王座を巡る抗争を展開した[4]。
以後はジョージア地区のGCW(Georgia Championship Wrestling)でのトミー・リッチとの抗争を経て、1985年にケビン・サリバン率いるヒール軍団 "アーミー・オブ・ダークネス" の一員として古巣のフロリダ地区に復帰。髪を半分剃り上げ顔面ペインティングを施し、マハ・シン(Maha Singh)なる怪奇派レスラーに変身した[5]。同時期、ヒロ・マツダと共にデビュー前のレックス・ルガーのコーチ役を務めている。
1988年に首を負傷して引退。現在はミシガン州ランシングで学校職員をしている[6][7]。
日本での活躍 [編集]
初来日は1970年9月、日本プロレスの『第1回NWAタッグ・リーグ戦』に、ミネソタ・レッキング・クルーでの活躍で知られるラーズ・アンダーソンとのコンビで参加した(両者はアマチュア時代からの旧知の間柄である[6])。
2度目の来日は1974年7月の全日本プロレス『サマー・アクション・シリーズ第1弾』。開幕戦のタッグマッチでは、ショルダーバスターでジャイアント馬場からフォールを奪っている[1]。このシリーズには、同じくオリンピック出身のシューターであるダニー・ホッジや、ループ同様にNCAAのチャンピオンだった若手時代のボブ・バックランドも参戦していた。
1979年1月には、ウェイトを絞り込んで新日本プロレスの『新春黄金シリーズ』に外国人エースとして来日。1月12日に川崎でアントニオ猪木のNWFヘビー級王座に挑戦し、シリーズ最終戦の2月2日にはクルト・フォン・ヘスとのコンビで坂口征二&ストロング小林の北米タッグ王座にも挑んでいる。NWF戦では猪木をグラウンド・レスリングの攻防で圧倒し、シューターとしての実力をまざまざと見せつけた(結果はマネージャーのグレート・マレンコの介入で反則負け)。
来日回数は計3回と少なく、日本では大きな活躍の機会に恵まれなかったものの、最後の来日となった新日本の猪木戦での圧倒的な強さは伝説化されている。
エピソード [編集]
- 1978年、プロレスを題材としたシルヴェスター・スタローン主演の映画『パラダイス・アレイ』にプロレスラー役で顔を見せている[8]。なお、ループは1976年8月、同作品に俳優として出演したテリー・ファンクのNWA世界ヘビー級王座にフロリダで挑戦している[9]。
- シュートの実力はもとより、ストリートファイトの腕前も相当なもので、同じく喧嘩の強いことで知られたディック・スレーターとも私闘を演じている(勝敗および原因については諸説あり)[10]。両者は1979年末にアラバマ地区のSECW(Southeastern Championship Wrestling)でサウスイースタン・ヘビー級王座を争っており、リング内外で抗争を繰り広げたことになるが、共にボブ・オートン・ジュニアの友人でもある[7]。
- キャリア晩年は怪奇派レスラーのマハ・シンに変身してケビン・サリバンと結託したが、1976年頃に覆面レスラーのザ・グラディエーター(The Gladiator)を名乗り、当時ベビーフェイスだったサリバンと抗争したことがある。
得意技 [編集]
獲得タイトル [編集]
- CWF
- NWAブラスナックル王座:1回
- NWAフロリダ・ヘビー級王座:3回
- NWAフロリダ・タッグ王座:4回(w / ボリス・マレンコ、ハーリー・レイス、ボブ・オートン・ジュニア×2)
- NWAフロリダTV王座:1回
- NWA南部タッグ王座:1回(w / バディ・フラー)
- NWA USヘビー級王座:1回
- NWA世界タッグ王座:1回(w / アレックス・スミルノフ)
- SECW
- NWAサウスイースタン・ヘビー級王座:1回
- NWAサウスイースタン・タッグ王座:2回(w / ボブ・オートン・ジュニア、ジミー・ゴールデン)
- NWAサウスイースタンTV王座:1回
- ICW
- ICWサウスイースタン・タッグ王座:3回(w / ボブ・オートン・ジュニア、テリー・ギブス、ビッグボーイ・ウィリアムス)
- ICW TV王座:1回
- ルイジアナ・ヘビー級王座:1回
- 北米ヘビー級王座:1回
- NWA世界TV王座:2回
脚注 [編集]
- ^ a b 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P41(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ “Wrestler: Bob Roop”. The Archives of Championship Wrestling from Florida. 2010年2月6日閲覧。
- ^ “NWA United States Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月30日閲覧。
- ^ “Mid-South North American Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月30日閲覧。
- ^ “Maha Singh”. Online World of Wrestling. 2009年6月3日閲覧。
- ^ a b “Olympics just another step for Bob Roop”. SLAM! Wrestling: September 19, 2000. 2009年6月3日閲覧。
- ^ a b “Bob Roop”. Australian Sports Entertainment. 2009年6月3日閲覧。
- ^ “IMDB entry for Bob Roop”. The Internet Movie Database. 2009年6月3日閲覧。
- ^ “Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1976”. Wrestling-Titles.com. 2011年5月18日閲覧。
- ^ “Dick Slater Interview”. Mid-Atlantic Gateway. 2009年6月3日閲覧。
外部リンク [編集]
- ボブ・ループ - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(英語)
- Online World of Wrestling