キラー・ブルックス

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キラー・ブルックス
プロフィール
リングネーム キラー・ブルックス
キラー・ティム・ブルックス
"クレイジー" キラー・ブルックス
本名 ティモシー・ポール・ブルックス
ニックネーム 狂乱の問題児
身長 185cm
体重 120kg(全盛時)
誕生日 1945年12月??[1]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州ワクサハチー
トレーナー ザ・シーク
ディック・マードック
デビュー 1969年
引退 1997年
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キラー・ブルックス"Killer" Tim Brooks、本名:Timothy Paul Brooks1945年12月[1] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーテキサス州ワクサハチー出身。生年は1944年ともされる[2]

火のついた葉巻きをくわえ動物の骨を振りかざして入場する狂乱ファイターとして知られ、試合スタイルも殴る・蹴る・凶器攻撃主体のラフファイトを徹底。国際プロレス参戦時以外はエース級の存在ではなかったものの、名脇役として日本でも昭和の各団体で活躍した。

来歴[編集]

1969年1968年説もあり)、従兄弟のディック・マードックに誘われてプロレスラーとしてデビュー[2]フリッツ・フォン・エリックが主宰する地元テキサス州ダラス地区を本拠地に、1970年代からはザ・シークが牛耳るデトロイト地区にも進出。シークやアブドーラ・ザ・ブッチャーらと流血の抗争を展開する。日本には1972年3月に日本プロレスに初来日。1974年10月にはマードックやブラックジャック・マリガンと共に全日本プロレスに来日している。

帰国後の11月中旬、デトロイト地区でクーデターを起こし、シークの団体から選手を引き抜いて新団体を発足。シークは新日本プロレスに来日中だったが、お家の一大事のために緊急帰国を余儀なくされている[3][4]。このレスリング・ウォーはNWAという後ろ盾のあったシークに軍配が上がり、ブルックス派はオハイオに本拠を移すが、結局はブルックスも新団体と絶縁した(この新団体は、1975年ミル・マスカラスを初代世界王者として設立されたIWA[5]の母体となっている)[4]

その後はテキサスに戻り、1975年はアマリロ地区にてレイ・スティーブンスらと共闘し、ドリー・ファンク・ジュニアテリー・ファンクと抗争[6]ジャック・ブリスコが保持していたNWA世界ヘビー級王座にも挑戦した[6]。古巣のダラス地区では1976年スタン・ハンセンと組み、ホセ・ロザリオ&アル・マドリルからNWAテキサス・タッグ王座を奪取している[7]

1977年カナダカルガリースタンピード・レスリングに参戦したことを機に、同年11月にカルガリーと提携していた国際プロレスに来日。以降も同団体の常連外国人ヒールとなり、ラッシャー木村IWA世界ヘビー級王座に再三チャレンジしている。1979年5月6日には、ジプシー・ジョーとの狂乱コンビでアニマル浜口&マイティ井上IWA世界タッグ王座にも挑戦した。

その後シークとも復縁し、1980年6月28日にデトロイトで行われたワンナイト・タッグ・トーナメントにシークと組んで出場。準決勝でブッチャー&アーニー・ラッドに反則勝ちしたが、決勝で当時アメリカ遠征中だったジャイアント馬場&ジャンボ鶴田に敗れている。翌1981年3月には全日本プロレスに再来日し、チャンピオン・カーニバル第9回大会に参加。以降は日本での主戦場を全日本マットに移した(なお、国際プロレスは1981年8月に崩壊)。1985年3月9日の両国国技館では、全日本離脱直前のブルーザー・ブロディのパートナーとなって長州力&谷津嘉章と対戦している。

その間、アメリカ・マットでは1983年ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングで活動。ポール・オーンドーフから奪取したNWAナショナル・ヘビー級王座をラリー・ズビスコに売却するというアングルで物議を醸した[8]1984年サンアントニオ地区のSCWにて、スコット・ケーシーボビー・ジャガーズケビン・サリバンらとサウスウエスト・ヘビー級王座を争った[9]

1980年代中盤からは古巣ダラスのWCCWに定着。1985年7月7日にマーク・ルーイン&ワンマン・ギャングと組み、マイク・フォン・エリックの負傷による3対2のハンディキャップ・マッチでケビン&ケリー・フォン・エリックを破り、ダラス版のNWA世界6人タッグ王座を獲得した[10]1987年5月には、当時WCCWと提携関係にあった新日本プロレスに来日。IWGPリーグ戦第5回大会に出場し、開幕戦で同ブロックのアントニオ猪木と対戦したが、藤波辰巳からの不戦勝以外は全敗の戦績に終わった[2]

1988年にダラスでプロレスリング・スクールを開校し、NAWA(North American Wrestling Allegiance)なるインディー団体を設立。1997年に現役を引退し、以降はNAWAの責任者兼ヘッドトレーナーとして、団体の運営と若手選手の育成に携わった。主な教え子には、1990年にワイルド・ブルマンのリングネームFMWに来日したブルマン・ダウンズ[11]SWSに来日したケニー・ザ・ストライカー(ケニー・ザ・スティンガー)、2000年代後半にテキサス州アーリントンのPCW(Professional Championship Wrestling)でサブゥーポール・ロンドンと抗争したクリス・クロニックなどがいる。

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

NWAビッグタイム・レスリング / WCCW
NWAビッグタイム・レスリング
スタンピード・レスリング
  • スタンピード北米ヘビー級王座:1回
パシフィック・ノースウエスト・レスリング
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAナショナル・ヘビー級王座:1回
サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
  • SCWサウスウエスト・ヘビー級王座:2回

脚注[編集]

  1. ^ a b Tim Brooks”. Cagematch.net. 2014年5月28日閲覧。
  2. ^ a b c 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P59(2002年、日本スポーツ出版社
  3. ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P25・P244(1996年、日本スポーツ出版社)
  4. ^ a b 『月刊プロレス』1977年11月号 P154(1977年、ベースボール・マガジン社
  5. ^ International Wrestling Association”. Wrestling-Titles.com. 2010年6月19日閲覧。
  6. ^ a b The Amarillo matches fought by Tim Brooks in 1975”. Wrestlingdata.com. 2014年5月28日閲覧。
  7. ^ NWA Texas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月7日閲覧。
  8. ^ NWA National Heavyweight”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月7日閲覧。
  9. ^ SCW Southwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年6月1日閲覧。
  10. ^ NWA World 6-Man Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年5月28日閲覧。
  11. ^ Wrestler Profiles: Bull Man Downes”. Online World of Wrestling. 2010年9月23日閲覧。

外部リンク[編集]