マイク・ジョーンズ (プロレスラー)

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バージル
バージルの画像
プロフィール
リングネーム バージル(ヴァージル)
ビンセント(ヴィンセント)
シェイン
カーリー・ビル
ミスター・ジョーンズ
ラシャス・ブラウン
ソウル・トレイン・ジョーンズ
本名 マイク・ジョーンズ
身長 180cm
体重 98kg(全盛時)
誕生日 1962年6月13日(52歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テネシー州ナッシュビル
トレーナー アファ・アノアイ
ラリー・シャープ
デビュー 1987年
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マイク・ジョーンズMike Jones1962年6月13日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーテネシー州ナッシュビル出身のアフリカ系アメリカ人WWEにおけるバージルVirgil)のリングネームで特に知られる。

来歴[編集]

初期[編集]

バージニア大学を卒業後、ジェリー・ジャレットジェリー・ローラーが主宰していたテネシー州メンフィスCWAにてデビュー[1]

ソウル・トレイン・ジョーンズSoul Train Jones)をリングネームベビーフェイスのポジションで活動し、デビューして間もない1987年1月にビッグ・ババを破りCWAインターナショナル・ヘビー級王座を奪取[2]、4月には黒人レスラーの大先輩ロッキー・ジョンソンとのコンビでAWA南部タッグ王座にも戴冠している[3]

WWF[編集]

1987年下期、ラシャス・ブラウンLucius Brown)の名義でWWFに出場した後、8月よりバージルVirgil)と改名してヒールに転向し、"ミリオンダラー・マン" テッド・デビアスのボディーガード役として本格参戦を果たす。なお、"Virgil" のリングネームはボビー・ヒーナンのアイデアにより、当時のWWFのライバル団体NWAジム・クロケット・プロモーションズの幹部だったダスティ・ローデスの本名から取られている[4]。以降、主人デビアスのセコンドを務めつつ試合にも時折出場し、ハルク・ホーガンランディ・サベージとの抗争に介入した。

しかし、デビアスの横暴ぶりに耐えかね、1991年1月19日のロイヤルランブルにてデビアスを殴打してベビーフェイスに転向[5]。以降はフルタイムのレスラーとして活動し、1991年全般に渡ってデビアスとの抗争を展開、3月24日のレッスルマニアVIIではロディ・パイパーの援護でデビアスを破り[6]、8月26日のサマースラムではデビアスからミリオンダラー王座(Million Dollar Championship)を奪取した[7]。11月27日のサバイバー・シリーズにはパイパー、ブレット・ハートブリティッシュ・ブルドッグとのチームで出場し、リック・フレアー、デビアス、ザ・マウンティーザ・ウォーロードのチームと対戦している[8]

1992年4月5日のレッスルマニアVIIIでの8人タッグマッチでもナスティ・ボーイズブライアン・ノッブスからフォールを奪い、自チーム(バージル、ビッグ・ボスマンハクソー・ジム・ドゥガンサージェント・スローター)を勝利に導くなど[9]、黒人スターに仕立てるべくWWFのプッシュは続いたがブレイクには至らず、以後はネイルズヨコズナなどヒールのニュー・カマーのPPVデビュー戦におけるジョバーを任されるようになる。1993年も新番組『マンデー・ナイト・ロウ』のジョバー要員となり、1994年の夏にWWFを退団した。

WCW[編集]

1996年、WWFを離脱しnWoのスポンサーを演じていたテッド・デビアスの招きでWCWに登場。かつてWWFがNWAを揶揄して彼をバージルと名付けたように、WWFへの面当てとしてビンス・マクマホンのファーストネームであるビンセントVincent)にリングネームが変更され[4]、"Head of Security" の名目でnWoメンバーのセコンド役を務めた。1999年3月14日にはnWoのBチーム「nWoブラック&ホワイト」のリーダーの座をかけて、PPV "Uncensored 1999" にてスティービー・レイと対戦したが敗れている[10]

nWo消滅後は、WWFからヘッドハンティングされたビンス・ルッソ[11]が仕切る "Powers That Be" のアングルにおいて、シェインShane)と改名してルッソの部下を演じる。このアングルは、当時WWFでビンス・マクマホンが率いていたコーポレーションのパロディであり[12]、シェインの名はビンスの息子シェイン・マクマホンを嘲ってネーミングされた[4]

1999年の末には黒人カウボーイカーリー・ビルCurly Bill)に変身し、カート・ヘニングバリー・ウインダムらが結成していたウエスト・テキサス・レッドネックスに加入[13]。その後はミスター・ジョーンズMr. Jones)の名義でアーネスト "ザ・キャット" ミラー[14]マネージャーを短期間担当した。

引退後[編集]

2000年にWCWを離れて引退してからは、大学時代に取得した数学の学位を活かし、ペンシルベニア州ピッツバーグにてカトリック・ハイスクールの数学教師に転じた[15]。教鞭を執る一方でインディー団体にも時折参戦し、2005年1月29日にフロリダ州タンパで開催されたリユニオン・イベント "WrestleReunion" では、グレッグ・バレンタインジェイク・ロバーツバグジー・マグローチャボ・ゲレロ・シニアノーマン・スマイリーらと共にバトルロイヤルに出場[16]2006年3月5日の "World Wrestling Legends" ではリック・スタイナーと対戦した[4]

2010年5月17日、テッド・デビアス・ジュニアのボディーガードとしてWWERAWに登場。6月14日の放送ではデビアス・ジュニアとタッグを組み、ゲスト・ホストの俳優マーク・フォイアスタイン(Mark Feuerstein)とビッグ・ショーのチームと対戦するなど、短期間ながら16年ぶりのWWE復帰を果たした。

WWF時代のテッド・デビアスとのコンビは主人と召使の主従関係だったが、プライベートでの両者は兄弟のように親しい友人同士であり、ジョーンズはデビアスのことをレスラーとしても人間としても尊敬していたという[15]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

CWA
WWF
  • ミリオンダラー王座:1回 [4]

脚注[編集]

  1. ^ WWE Alumni”. WWE.com. 2010年10月1日閲覧。
  2. ^ a b CWA International Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月1日閲覧。
  3. ^ a b AWA Southern Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月1日閲覧。
  4. ^ a b c d e Wrestler Profiles: Virgil”. Online World of Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  5. ^ WWF Royal Rumble 1991 Results”. pWw-Everything Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  6. ^ WWF WrestleMania VII Results”. pWw-Everything Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  7. ^ WWF Summer Slam 1991 Results”. pWw-Everything Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  8. ^ WWF Survivor Series 1991 Results”. pWw-Everything Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  9. ^ WWF WrestleMania VIII Results”. pWw-Everything Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  10. ^ WCW Uncensored 1999 Results”. pWw-Everything Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  11. ^ Miscellaneous Profiles: Vince Russo”. Online World of Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  12. ^ ルッソのボディーガード役のクリエイティブ・コントロールことハリス・ブラザーズ(ロン&ドン・ハリス)は、コーポレーションにおいてビンス・マクマホンの側近を演じていたパット・パターソンジェリー・ブリスコのファーストネームから、パトリック&ジェラルドと名付けられていた。
  13. ^ Faction Profiles: West Texas Rednecks”. Online World of Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  14. ^ Wrestler Profiles: Ernest "The Cat" Miller”. Online World of Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  15. ^ a b Catching up with Virgil”. WWE.com. 2010年10月1日閲覧。
  16. ^ WrestleReunion Wrestling Card”. Online World of Wrestling. 2010年10月1日閲覧。

外部リンク[編集]