ハワード・フィンケル

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ハワード・フィンケル
ハワード・フィンケルの画像
レッスルマニア28にて(2012年)
プロフィール
本名 ハワード・フィンケル
ニックネーム ザ・フィンク
身長 173cm
誕生日 1950年6月7日(63歳)
所属 WWE
デビュー 1975年[1]
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ハワード・フィンケルHoward Finkel1950年6月7日 - )は、アメリカ合衆国プロレス団体WWEリングアナウンサー。愛称はザ・フィンクThe Fink)。

2002年までリード・リングアナウンサーを務め、近年はWWEのパブリケーション業務を担当している[2]

来歴[編集]

1975年ビンス・マクマホン・シニアのWWWF時代からWWEに在籍し[1]1977年よりマディソン・スクエア・ガーデンにおける定期戦のリングアナウンサーを担当。以降は団体のリード・リングアナウンサーを任され、ブルーノ・サンマルチノボブ・バックランドハルク・ホーガンブレット・ハートショーン・マイケルズジ・アンダーテイカーストーン・コールド・スティーブ・オースチンザ・ロックなど、WWWF〜WWF〜WWEの歴代のトップスターをコールした。

MSGのリングで選手をコールするハワード・フィンケル(1985年頃のWWF

1970年代末から1980年代前半にかけては新日本プロレスが当時のWWFと提携していたこともあり、アントニオ猪木藤波辰巳坂口征二ストロング小林キラー・カーンミスター・サイトーリッキー・チョーシュータイガーマスク前田日明ザ・コブラなど、ニューヨークに登場した日本人選手も数多くコールしている。

ブレット・ハート全盛時のニュージェネレーション期のWWEでは悪徳マネージャーハービー・ウィップルマンとの抗争アングルが展開され、1995年1月9日には初めて試合に出場し、ウィップルマンを相手にタキシードマッチを行った[3]1999年からはトニー・チメルリリアン・ガルシアに徐々に後任を譲るようになるが、アングルの上ではリード・リングアナウンサーの座を巡る彼らとのストーリーが組まれ、同年8月から10月にかけてはクリス・ジェリコの部下となり、ヒールのポジションでチメルと抗争[4][5]2002年にはリリアン・ガルシアとも争い、8月26日のRAWでは彼女とのイブニングガウン&タキシードマッチが行われている[6]

以降はRAWのリングアナウンサーを正式にリリアンに任せて第一線から退き、近年はWWEの広報部門に携わりながら、レジェンド・セレモニーなどで時折アナウンスを担当している[2]。30年以上に渡るWWEでの功績をたたえ、2009年にはWWE殿堂に迎えられた。WWE.comのトーク・コーナー "Byte This" のホストやコラム執筆を手掛けていたこともあり、リッキー・スティムボートのニックネーム "ザ・ドラゴン" の名付け親でもある[2]

2011年11月20日にマディソン・スクエア・ガーデンで開催されたサバイバー・シリーズでは、アルベルト・デル・リオの私設リングアナウンサーであるリカルド・ロドリゲスに対抗し、CMパンクのゲスト・リングアナウンサーとして登場した[7]2012年7月23日のRAW1000回記念放送 "RAW 1000" では、往年のレジェンドが大挙登場したヒース・スレイターリタ戦のリングアナウンサーを務めた。

脚注[編集]

  1. ^ a b Hall of Fame Inductees: Howard Finkel”. WWE.com. 2011年1月22日閲覧。
  2. ^ a b c Announcer Profiles: Howard Finkel”. Online World of Wrestling. 2011年1月22日閲覧。
  3. ^ WWE Yearly Results 1995”. The History of WWE. 2011年1月22日閲覧。
  4. ^ WWE RAW 1999”. Online World of Wrestling. 2011年1月22日閲覧。
  5. ^ WWE SmackDown! 1999”. Online World of Wrestling. 2011年1月22日閲覧。
  6. ^ WWE RAW Results: August 26, 2002”. Online World of Wrestling. 2011年1月22日閲覧。
  7. ^ CM Punk def. WWE Champion Alberto Del Rio: November 20, 2011”. WWE.com. 2012年4月8日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]