キラー・カーン

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キラー・カーン
プロフィール
リングネーム キラー・カーン
小沢正志
テムジン・モンゴル
本名 小沢 正志
ニックネーム 闘うモンゴリアン
蒙古の怪人
身長 192cm
体重 140kg
誕生日 1947年3月6日(62歳)
出身地 新潟県燕市
スポーツ歴 大相撲
  

キラー・カーンKiller KhanKiller Kahnキラー・カンとも。1947年3月6日 - )は、新潟県西蒲原郡吉田町(現在の燕市)出身で春日野部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。大相撲時代の四股名越錦(えつにしき)で、最高位は幕下40枚目。本名は小沢 正志(おざわ まさし)。

目次

[編集] 来歴

吉田中学校を卒業後、恵まれた体格から春日野部屋に入門し、1963年3月場所に小沢将志の四股名で初土俵を踏む。1967年7月場所より四股名を越錦に改名したものの、伸び悩んで三段目上位から幕下下位を行き来していたが、1970年5月場所限りで廃業した。先代栃東玉ノ井親方)の付き人を務めていた。

大相撲廃業後、1971年日本プロレスに入門。長身に加え、スキンヘッドに後頭部のみに髪を束ねる辮髪(現在はスキンヘッド)にをたくわえた容姿からモンゴリアン・スタイルまたはモンゴル人スタイルのプロレスラーとして形容される機会が多い(ただし辮髪は満州族の髪型であり、モンゴル・スタイルのギミックとは矛盾があった)。リングには毛皮で作られたモンゴル帽子をかぶり同じく毛皮のベストを着て登場した。このモンゴル人ギミックは、カール・ゴッチのアイデアによるものだという。

WWF参戦時代の1981年5月2日に身長2mを超す大巨人の異名を持つアンドレ・ザ・ジャイアントの右足を骨折させたプロレスラーとして米国で名を馳せ、海外で成功した数少ないファイターの一人として引退後も人気投票では話題に上る(実際には、アンドレが自身の過失で試合中に自分の足を痛めてしまい、それに気付いたキラーカーンは機転をきかせトップロープからニー・ドロップを見舞った[1]。後日キラーカーンは通訳を連れてアンドレの入院先の病院に見舞いに出向き、前述した試合の件について謝罪。しかしそれを聞いたアンドレは大声で笑いのけ、「気にするな、あれはアクシデント。君の機転が無かったら試合が台無しになっていたところだった」と逆に励ましの言葉をかけたという。さらにアンドレは「それよりも、あの試合は『キラーカーンがアンドレの足をニー・ドロップで骨折させた』ということにしよう。俺が退院したら、君との試合は盛り上がること間違いなしだ」と言い、格好のストーリーラインまで提案している。このギミックは新日本プロレスに凱旋帰国したキラーカーンの株を急上昇させ、彼を瞬く間にメインイベンターへ昇格させた原動力となったというのが真相。この一件でビンス・マクマホン・シニアに気に入られたという)。使用したリングネームとしてはテムヒン・エル・モンゴル(Temja El Mongol, Temjin El Mongol、戦うモンゴリアン、モンゴルの怪人?)、テムジン・モンゴル等がある。

翌年、「アンドレの足を折った男」のギミックで凱旋帰国。1982年4月のMSGシリーズメインイベント優勝戦では猪木負傷欠場(糖尿病の悪化という説も)の代打としてアンドレと一騎打ちを行い敗れはしたもののファンの大「オザワ・コール」に押されて生涯屈指の名勝負を演じた。年末のMSGタッグ・リーグ戦ではタイガー戸口と組んで、準優勝を果たす。その後、戸口とともに長州力の維新軍団に入り、新日本プロレスの反体制勢力にまわる。

1985年、長州らとともにジャパンプロレス勢として全日本プロレスのリングに上がる。同年9月には谷津嘉章と組んでジャンボ鶴田&天龍源一郎インターナショナル・タッグ王座に挑戦(もっとも王者コンビからは「たたきのめして長州を引きずり出してやる」と言われてしまった)。1986年に突然ジャパンプロレス勢と仲間割れし、ロード・ウォリアーズスーパー・ストロングマシン高野俊二(後に拳磁)のセコンドに付いたカーンが試合に介入した際、ウォリアーズに返り討ちに合い、ボコボコにされているところ堪り兼ねて出てきた元同胞(ジャパンプロレス勢)の長州に助け出されるが、なんとカーンはウォリアーズが去った後に長州力をボコボコにする。この試合で実況担当をした日本テレビ若林健治アナウンサーは「恩知らずのキラーカーン」と形容した。その後コーナー・ポスト最上段からリング下の長州・谷津をアルバトロス殺法フライング・ニー・ドロップ)で攻撃し長州を失神、谷津を病院送りにし全日本プロレスのリングを去り、再びアメリカで一匹狼として活躍する。

ダラスではテリー・ゴディ&マイケル・ヘイズファビュラス・フリーバーズの用心棒となり、ケビン・フォン・エリックケリー・フォン・エリックと抗争。1986年の世界最強タッグ決定リーグ戦にはゴディとのコンビで出場している。1987年にはWWFと再契約。ミスター・フジをマネージャーにWWF世界王者ハルク・ホーガンとプチ抗争を展開した他、ランディ・サベージバンバン・ビガロらと対戦した。

得意技は、リングの四隅に立つコーナーポスト上段から跳び降り両膝で相手を襲うニー・ドロップ。フライング・ニー・ドロップと呼ばれ、併せて奇声をあげながら跳び下りる様からアルバトロス殺法と呼ばれた。また、同様に奇声を上げながら両手により首元を狙うチョップは、モンゴリアン・チョップと呼ばれ、現在では天山などにより継承されている。

プロレスラー引退後もキラー・カンを名乗り、新宿区中井に「スナックカンちゃん」を開店、その後東京都新宿区歌舞伎町に進出、ちゃんこ料理を主とした日本料理店を経営。巨躯にもかかわらず店内ではホールスタッフとして店主自ら接客し、細やかな気配りに定評がある。2005年には「ふるさと真っ赤か」でCDデビュー、料理店経営のかたわらバラエティー等各種メディアで活躍し、「ロイ白川 心の演歌」(とちぎテレビ)にセミレギュラー出演している。

[編集] 主な戦歴

[編集] 大相撲時代

  • 生涯成績:146勝148敗7休(44場所)
  • 優勝:各段いずれもなし

[編集] プロレス時代

[編集] 賞歴

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[編集] 戦績

[編集] 逸話

[編集] メディア

プロレスラー引退後、俳優・歌手としてデビュー。

  • 隠密・奥の細道(1988年10月 - 1989年3月、テレビ東京系)
  • ふぞろいの林檎たち(1991年)
  • ハロー張りネズミ(1991年)
  • エバラ家の人々(1991年)
  • 必殺スペシャル 世にも不思議な大仕事 主水と秀香港マカオで大暴れ(1991年)
  • 極道ステーキ・シリーズ(1991年 - 1992年)
  • Zの回路 復讐の裏ゴト師(1996年)
  • NINE-ONE II 魔獣都市・シリーズ(1996年)
  • MUSASHI(1996年)
  • 逃亡者 おりん(2006年)
  • ライオン丸G(2006年)
  • 巣鴨バラエティ横丁 第2話(2007年)

[編集] 脚注

  1. ^ WWFにおいては、アンドレがベビーフェイスかつメインイベンターであり、キラーカーンは憎まれ役であった。試合中アンドレの足が異常であることに気が付いたキラーカーンは、そのことを観客に見抜かれる前に、アンドレの過失ではなく憎まれ役の自分(キラーカーン)がアンドレの足を痛めつけたことにする方がベターと考え、とっさにトップロープに上り、致命傷を与えない範囲でアンドレにニー・ドロップを放った。
  2. ^ a b c 必殺技にっこり 歌と握手を添え(毎日新聞2009年1月17日夕刊3面)

[編集] 外部リンク

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