若松市政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
若松 市政(わかまつ いちまさ、1942年1月1日 - )は、日本の元プロレスラー、マネージャー、現政治家(北海道芦別市議)である。北海道函館市出身。
[編集] 経歴
電気技術者や港湾荷役作業者を経験した後、1972年に国際プロレスに一般社員として入社。リング運搬や会場整備の傍らトレーニングに励み、翌1973年9月29日、31歳にして大位山勝三との試合でプロレスラーとしてのデビューを飾る。1981年に国際プロレスが崩壊するとカナダへ渡り、大剛鉄之助の悪役マネージャーとして活躍した。日本に帰国後、1984年から将軍KYワカマツのリングネームで、ストロングマシーン軍団の悪役マネージャーとして新日本プロレスに参戦し人気を博す。1990年のSWS設立に際しては選手獲得等に動いたと言われ、SWS旗揚げ後は同団体内の道場である「道場・檄」の道場主に就任(レスラーとしてもリングに上がっている)。SWS崩壊後は、他のプロレス団体に参戦しつつ、1994年北海道に「道産子プロレス道場 元気」を設立した。
また高野拳磁が主宰していたPWCにも協力。何かを念じただけで相手が吹き飛ばされる「空気投げ」を実現させた。次第にその「宇宙パワー」は増強されていき、リング上で座禅を組み腕を広げただけで相手を悶絶させ、ついには指一本触れることなく失神に追い込んで勝利したこともある。公式記録は「大いなる宇宙のパワーによりKO勝ち」。
1999年、芦別市の市議会議員選挙において当選。市会議員ともなった。その後は目立ったプロレス活動はしていないが、北海道でのインディー興行で挨拶したり、「道場・檄」時代からの縁で畠中浩旭の「ASIAN SPORTS PROMOTIONS」興行に選手として参戦して、健在ぶりをアピール。
2007年12月31日に後楽園ホールで行われたプロレスサミットでは、芸タッグランブルに大日本プロレスのグレート小鹿とのタッグで出場し、勝利を収めた。
[編集] エピソード
- 悪役マネージャーとしてブレイクしたが、元来非常に真面目な人物である。国際プロレス時代にはレスラーとしてデビューした後も資材運搬やレフェリングを行い、資金や人材面で苦労した団体のために尽力していた。なお、1976年9月13日早朝、大分県での資材運搬中に、台風のための土砂崩れにより家財道具を持ち出している家族に遭遇した。トラックを停めて作業を手伝ったところ、偶然、災害取材に来ていたNHKスタッフがその姿を見つけて、「プロレスの選手も地元民に応援して、必死の作業を続けております」と現場中継し、若松の姿が全国で放映された。しかし、本人は夢中で作業を手伝っていたため、後日関係者から聞かされるまで、放映された事を知らなかったらしい。
- 1981年3月25日、シリーズ最終戦陸前高田大会終了後に急性膵臓炎でダウンし緊急入院。4月2日に退院したが、その足で宣伝カーで一関市に乗り込んで次期シリーズのポスター貼りをやった上で、単身運転し続けて東京まで戻った。
- 新日本プロレス参戦時には、悪役ではあるがコミカルなキャラクターであった。白や赤のコスチュームにサングラス、手にはムチと拡声器をトレードマークに暴れ回り、観客から巨大な「帰れ!」コールを受けるのが常であった。しかし、観客に「ハゲ」と野次られると、「お前もいつかハゲるんだ!」と切り返すなどトークに軽妙さがあった。またアントニオ猪木に言い放った「お前を倒すのに3分もいらねぇ、5分で充分だ!」という台詞は語り草になっている。
- 新日参戦時の1985年に「俺はKYワカマツだ 檄!」というレコードを出した事がある。レコードジャケットには「歌、若松市政」とあるが、内容はラップに近く、「お前ら!親孝行しろ」などの真面目な歌詞?であった。
- 新日参戦時、レスラーとしてメインを務めた事がある(猪木&上田組vsアンドレ&ワカマツ組)。この興行のセミが、新日vsUWFの5対5柔道方式勝ち抜き戦だった事や、ワカマツのブランクが長かった事から、一部ファンの反発をかった。その時実況をしていた古舘伊知郎には「シンデレラ中年」と呼ばれた。
- 新日参戦時、マネージャーであるにも関わらず試合中にリング上にあがることがあり、レフェリーである山本小鉄と殴り合いになり歯を折られた。レフェリーがマネージャーを殴るという前代未聞の出来事であった。
- リングネームの「KY」とは、「国際プロレス」と、同団体社長だった「吉原功」の頭文字をとったもの。自らをプロレスラーとして送り出してくれた、両者への敬愛の念がこめられている。
[編集] マシン軍団
将軍KYワカマツとして手がけたレスラーの中で最も著名なのが「ストロング・マシーン」「マシン軍団」である。「ストロング・マシーン」は将軍KYワカマツに操られているとの設定で1984年8月24日に後楽園ホールに初登場。最初は一人だったが「増殖」し、戦慄の殺戮マシーン「ザ・ストロング・マシーンNo.1、No.2」の二人組となり、最終的には1号から4号まで存在した。当時実況を担当していた古舘伊知郎はこのギミックがお気に入りだったのか、数々の名言で形容されている。⇒詳細は古舘伊知郎を参照。
1~4号の見分け方は、2号は胸毛が生えている事と髪がちぢれっ毛である事、3号はシューズを深く隠すように着用している事、4号は上半身がたるみ気味である事である。
1号は平田淳嗣と言われたが、外見上は全く同じで見分けが付かない為、試合中にレフェリーの眼を盗んで入れ替わるトリックプレイを得意にした。その後、短期間だがヒロ斎藤、ジャイアント・マシーン(アンドレ・ザ・ジャイアント)、スーパー・マシーン(マスクド・スーパースター)も仲間入りした。
2号は新日マットにも参加したことのある「力抜山」という韓国人レスラーであることを、当時のリングアナウンサーである田中秀和が自身のblogにて証言した。ただし当時から、力抜山の名でリングに上がったときにストロング・マシーンのシューズをはいていたことや、2号の必殺技コーナートップからのローリングソバットを力抜山が国際プロレス時代に使用していたことより、力抜山であるという説が有力視されていた。
なお3~4号の正体は現在も明らかにされていない。3号は長身の大型レスラーでありながらグラウンドや関節技を得意とする老練なレスリングで、国際プロレスの長身レスラー、ヤス藤井ではないかと言われている。4号はハワイ在住の日系人「ヒロ佐々木」ではないかと言われている。※ヒロ斉藤、佐々木健介とは無関係。
4号のラリアットを多用する選手は阿修羅原という説もある。また、4号の正体は一人ではなく入れ替わりがあり頭突きが強い選手だったときには、国際プロレスに参加していた韓国人レスラーの南海山ではないかという説もあった。いずれにせよ、若松が率いていたこともあり国際プロレス人脈である可能性が高い。
マシン軍団の増殖ギミックは、後に新日マットを混乱させた海賊男や魔界倶楽部、さらには広くインディー(宇宙パワー、マミー等)にもみられる。
なお、前述のシングルレコード『俺はKYワカマツだ 檄!』のB面タイトルは『ストロング・マシーン We are No.1』である。こちらの曲は、マネージャー・若松に付きものの「カ・エ・レ!カ・エ・レ!」のコールで始まり、英語のラップ風歌詞の上から「ストロングマシーン!ウィーアーナンバーワン!」「ゴー・マシン・ゴー!ゴー・マシン・ゴー!」の若松のシャウト連呼がひたすら続くというもの。後半疲れたのかシャウトがトーンダウンする。

