リック・マーテル

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リック・マーテル
リック・マーテルの画像
プロフィール
リングネーム リック・マーテル
リック "ザ・モデル" マーテル
リッキー・マーテル
本名 リシャール・ヴィニョー
(リチャード・ヴィノー)
ニックネーム 弾丸戦士
ザ・モデル
身長 183cm
体重 102kg - 110kg
誕生日 1956年3月18日(58歳)
出身地 カナダの旗 カナダ
ケベック州ケベック・シティー
スポーツ歴 レスリング
トレーナー マイク・マーテル
ピエール・マーチン
デビュー 1972年6月7日
引退 1998年2月22日
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リック・マーテルRick "The Model" Martel、本名:Richard Vigneault1956年3月18日 - )は、フランス系カナダ人の元プロレスラーカナダケベック州ケベック・シティー出身。第31代AWA世界ヘビー級王者

全盛時の1980年代は甘いマスクの二枚目ベビーフェイスとして黄色い声援を集め、円熟期に入った1990年代はルックスの良さを鼻にかけたナルシシストヒールに転じて観客のブーイングを煽るなど、善悪両方のポジションで活躍した[1]

来歴[編集]

少年時代にレスリングを学び、ピエール・マーチン[2]とのタッグチームで活動していた兄のマイク・マーテル[3]の影響を受けプロレスラーを志し、1972年6月7日に16歳でデビュー[1]1974年カルガリー地区のインターナショナル・タッグ王座を獲得し[4]1976年10月には国際プロレスに初来日、寺西勇IWA世界ミッドヘビー級王座に挑戦した。

以降もカナダを主戦場に各地を転戦し、ニュージーランドでは1977年5月26日にキング・イヤウケア1979年3月19日にピエール・マーチン、同年9月3日にミスター・フジを破り、NWA英連邦ヘビー級王座を通算3回獲得[5]。その間にはアメリカ合衆国本土にも進出し、ジム・バーネットの主宰するジョージア・チャンピオンシップ・レスリングで活動、1978年9月23日にはトミー・リッチと組んでイワン・コロフ&オレイ・アンダーソンからNWAジョージア・タッグ王座を奪取している[6]

1979年から1980年にかけては、太平洋岸北西部オレゴンワシントン州をサーキット・エリアとするパシフィック・ノースウエスト・レスリング(PNW)にてロディ・パイパーとのコンビで活躍。ブッチ・ミラー&ルーク・ウィリアムスザ・シープハーダーズと抗争を繰り広げ、NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を再三獲得した[7]。1980年2月には全日本プロレスに初参戦、同時参加したディック・マードックキラー・トーア・カマタカリプス・ハリケーンジョニー・バリアントガイ・ミッチェルなどのベテラン勢に混じってフレッシュなファイトを展開し、ドス・カラスともタッグを組んだ。

1980年8月、バディ・ローズとのルーザー・リーブス・タウン・マッチに敗れてPNWを離れ[1]ニューヨークWWFに登場。同年11月8日、トニー・ガレアと組んでワイルド・サモアンズを破りWWFタッグ王座を奪取した[8]。翌1981年3月17日、ザ・ムーンドッグスキング&レックス)に敗れて一度は王座を失うも、同年7月21日に奪回[8]。2回に渡って同王座を獲得したことで一躍トップレスラーの仲間入りを果たす。この当時から何度となく新日本プロレスへの来日が予定され、IWGPリーグ戦のカナダ代表選手とされたこともあるが、新日本登場は一度も実現しなかった。

WWFを離れてからは地元のモントリオールに定着し、ジノ・ブリットらが主宰していたインターナショナル・レスリング(Lutte Internationale)にて活動、1982年から1983年にかけてディノ・ブラボービル・ロビンソンとカナディアン・インターナショナル・ヘビー級王座を争う[9]。その後、当時モントリオールと提携していたAWAに本格参戦し、1984年5月13日、ミネソタ州セントポールのシビック・センターにおいてジャンボ鶴田を破りAWA世界ヘビー級王座を獲得[10]。AWA王座在位中の1985年10月21日には全日本プロレスの両国国技館大会にて、当時のNWA世界ヘビー級王者であったリック・フレアーと史上初のAWAとNWAの世界ダブルタイトルマッチを行っている(結果は両者リングアウト)。同年12月29日、ニュージャージー州イーストラザフォードスタン・ハンセンに破れるまで、1年7か月の間AWA王座を保持した[10]。以後はモントリオール地区に復帰し、同地区で頭角を現していたトム・ジンクとのコンビで1986年末の世界最強タッグ決定リーグ戦に参戦している。

1987年カンナム・コネクションCan-Am Connection)のチーム名でジンクと共に再びWWFに参戦、3月29日のレッスルマニアIIIではカウボーイ・ボブ・オートン&マグニフィセント・ムラコから勝利を収めた[11][12]。ジンクのWWF離脱後は、ティト・サンタナを新パートナーにイケメン系タッグチームのストライク・フォースStrike Force)を結成し、10月27日にハート・ファウンデーションからWWF世界タッグ王座を奪取、翌1988年3月27日のレッスルマニアIVアックススマッシュデモリッションに敗れるまで保持した[8]

王座陥落後もサンタナとのコンビで活動したが、1989年4月2日のレッスルマニアVでのブレーン・バスターズ(タリー・ブランチャード&アーン・アンダーソン)戦でサンタナと仲間割れ[13]。以降はスリックマネージャーに迎え、ザ・モデルThe Model)というキザなキャラクターのヒールに転向、1989年10月14日のキング・オブ・ザ・リングではサンタナと決勝戦を争った(結果は準優勝)[14]1990年4月13日、東京ドームで行われた日米レスリングサミットにもヒールのポジションで来日、カート・ヘニングと組んで因縁のジャンボ鶴田&キング・ハクと対戦した。1991年1月19日のロイヤルランブル'91では53分間生き残りの最長時間記録(当時)を樹立[1]。同年末にはWWFと提携していたSWSに来日し、12月12日、東京ドームでのSWS認定ジュニアヘビー級王座決定戦で佐野直喜の相手を務めた。

ザ・モデルのキャラクターでは "Arrogance" なるブランドの香水スプレーを対戦相手の顔に噴射する反則行為を得意とし[1]、このスプレー攻撃でジェイク・ロバーツの目を負傷させたというアングルが組まれ、1991年3月24日のレッスルマニアVIIでは、互いに黒い頭巾を被り盲目状態のまま試合を行うブラインドフォールド・マッチが行われた[11]1992年は、当時同じく色悪系のヒールとして台頭していたショーン・マイケルズと女性マネージャーのセンセーショナル・シェリーを巡って対立、8月29日のサマースラム'92にて両者の対戦が行われている[1][15]。同年のレッスルマニアVIIIに端を発するタタンカとの抗争では、彼からインディアンの羽飾りを奪い、それを自身のファッションのアクセサリーにして彼の怒りを煽った[16]1993年9月には、ショーン・マイケルズの戦線離脱で空位となっていたインターコンチネンタル王座レイザー・ラモンと争うなど[1][17]、長期間に渡ってWWFで活躍したが、徐々に中堅ヒールのポジションに甘んじるようになり、1995年にWWFを離脱した。

その後はカナダのインディー団体を経て、1997年下期よりWCWに参戦。1998年2月16日にフロリダ州タンパブッカー・Tを破りWCW世界TV王座を獲得するが、6日後の2月22日のリターンマッチで王座を奪回される[18]。この試合でマーテルは着地に失敗し、右膝内部の靭帯を裂いて骨折[19]。軟骨の損傷をも負ってしまい、引退を余儀なくされた[1]。近年は地元のケベック・シティーで不動産開発事業を手掛けている[20]

2007年6月24日、WWEヴェンジェンス'07において久々にファンの前に登場[21]。かつてのタッグパートナーのトニー・ガレアと共に、デュース・アンド・ドミノに攻撃されるジミー・スヌーカサージェント・スローターを救出し、大歓声で迎えられた[1]

得意技[編集]

もっともカメラアングルの映える技として、ザ・モデルのギミックに合わせたネーミングが付けられた。スタン・ハンセンに敗れAWA世界王座を奪われた時の技でもある。
AWA世界戦でジャンボ鶴田に勝利したときの技。

獲得タイトル[編集]

スタンピード・レスリング
  • スタンピード・インターナショナル・タッグ王座:1回(w / Lennie Hurst)[4]
ワールド・レスリング・カウンシル
NWAニュージーランド
  • NWA英連邦ヘビー級王座:3回[5]
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
パシフィック・ノースウエスト・レスリング
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:1回[22]
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:3回(w / ロディ・パイパー[7]
NWAオールスター・レスリング
  • NWAカナディアン・タッグ王座(バンクーバー版):1回(w / ロディ・パイパー)[23]
Lutte Internationale
  • カナディアン・インターナショナル・ヘビー級王座:2回[9]
ワールド・レスリング・フェデレーション
アメリカン・レスリング・アソシエーション
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
  • WCW世界TV王座:1回[18]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i Rick Martel Biography”. The Official Website of Rick Martel. 2010年4月21日閲覧。
  2. ^ Wrestler Profiles: Frenchy Martin”. Online World of Wrestling. 2011年1月24日閲覧。
  3. ^ Wrestler Profiles: Michel "Mad Dog" Martel”. Online World of Wrestling. 2011年1月24日閲覧。
  4. ^ a b Stampede International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月24日閲覧。
  5. ^ a b NWA British Empire/Commonwealth Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月24日閲覧。
  6. ^ a b NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月24日閲覧。
  7. ^ a b NWA Pacific Northwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月21日閲覧。
  8. ^ a b c d History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月21日閲覧。
  9. ^ a b International Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月24日閲覧。
  10. ^ a b c AWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月21日閲覧。
  11. ^ a b Rick Martel's Wrestlemania memories”. SLAM! Sports (March 19, 2009). 2010年4月21日閲覧。
  12. ^ WWE Yearly Results 1987”. The History of WWE. 2011年1月24日閲覧。
  13. ^ WWF WrestleMania V”. pWw-Everything Wrestling. 2011年1月24日閲覧。
  14. ^ King of the Ring 1989”. Pro Wrestling History.com. 2010年4月21日閲覧。
  15. ^ WWE Yearly Results 1992”. The History of WWE. 2011年1月24日閲覧。
  16. ^ Native Tatanka Bio/Stats”. The Official Site of Native Tatanka. 2010年4月21日閲覧。
  17. ^ History of the WWE Intercontinental Championship: Razor Ramon's first reign”. WWE.com. 2011年1月24日閲覧。
  18. ^ a b WCW World Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月21日閲覧。
  19. ^ Chats with Rick Martel”. SLAM! Sports (April 2, 1998). 2010年4月21日閲覧。
  20. ^ Wrestler Profiles: Rick Martel”. Online World of Wrestling. 2010年4月21日閲覧。
  21. ^ Catching up with Rick Martel”. WWE.com (November 19, 2008). 2010年4月21日閲覧。
  22. ^ NWA Pacific Northwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月24日閲覧。
  23. ^ NWA Canadian Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月24日閲覧。

外部リンク[編集]