トム・ジンク

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トム・ジンク
プロフィール
リングネーム トム・ジンク
Zマン(ズィーマン)
本名 トーマス・アーウィン・ジンク
ニックネーム 旋風戦士
身長 185cm
体重 100kg - 109kg
誕生日 1960年11月30日(53歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミネソタ州ゴールデンバレー[1]
スポーツ歴 ボディビル
トレーナー エディ・シャーキー
ブラッド・レイガンズ
デビュー 1983年
引退 1996年
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トム・ジンクTom Zenk)ことトーマス・アーウィン・ジンクThomas Erwin Zenk1960年11月30日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーミネソタ州ゴールデンバレー出身[1]

より原音に近いファミリーネームの表記は「ズィンク」だが、本項では日本のプロレス史における慣例的な表記(日本語圏で一般によく知られている名前)に則る。

来歴[編集]

カート・ヘニングリック・ルードスコット・シンプソンバリー・ダーソウジョン・ノードらを輩出したロビンズデール・ハイスクールの出身[1]。学生時代からボディビルに熱中し、後に "Mr. Minnesota" など数々のタイトルを獲得した[1]

ルードやシンプソンをコーチしたエディ・シャーキーにスカウトされ、1983年ビル・ワット主宰のMSWAにてデビュー[2]1984年からはバーン・ガニアの牛耳る地元ミネソタAWAに登場、甘いマスクと肉体美を持つベビーフェイスの新鋭として、次代のスター候補と目された[1]

1985年より、太平洋岸北西部オレゴンワシントンをサーキット・エリアとするNWA圏のPNW(Pacific Northwest Wrestling)に参戦。1986年1月21日にボビー・ジャガーズからパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を奪取した[3]。同年下期からはカナダモントリオールに進出、11月には同地区のスターだったリック・マーテルのパートナーとして、全日本プロレス世界最強タッグ決定リーグ戦に初来日した。

以降も本格的にマーテルとタッグチームを結成し、翌1987年カンナム・コネクションCan-Am Connection)のチーム名でWWFに参戦。ハート・ファウンデーションブレット・ハート&ジム・ナイドハート)やドリーム・チーム(グレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキ)などヒールのトップチームと対戦し[4]、3月29日のレッスルマニアIIIではカウボーイ・ボブ・オートン&マグニフィセント・ムラコから勝利を収めるも[5]、契約のトラブルでジンクのみ短期間でWWFを離脱した[1]

その後は古巣のAWAに戻り、1989年2月7日にセントポールで行われたAWA世界ヘビー級王者決定バトルロイヤルにも出場。サージェント・スローターワフー・マクダニエルケン・パテラマイク・ジョージアキオ・サトーパット・タナカポール・ダイヤモンドマニー・フェルナンデスグレッグ・ガニアカーネル・デビアーズらを抑え、ラリー・ズビスコと優勝を争ったが、オーバー・ザ・トップロープで失格し戴冠は果たせなかった[6]

また、この間には全日本プロレスの常連外国人選手となり、1986年11月の初来日から1989年7月まで5回に渡って来日した(最強タッグには1987年大会にもザ・ターミネーターをパートナーに参加するなど、2年連続で出場している。1989年4月にはダニー・クロファットと組み、サムソン冬木&川田利明フットルースが保持していたアジアタッグ王座に挑戦した)[7]

1989年末、当時まだNWAに加盟していた初期WCWに、ZマンZ-Man)と名乗って登場。翌1990年1月30日にはジョージア州マリエッタにてリック・フレアーNWA世界ヘビー級王座に挑戦している[8]。タッグ戦線ではブライアン・ピルマンとコンビを組み、1990年2月12日にトーナメント決勝でファビュラス・フリーバーズマイケル・ヘイズ&ジミー・ガービン)を破りUSタッグ王座を獲得[9]。同年12月4日にはアーン・アンダーソンから世界TV王座を奪取している[10]。翌1991年3月21日、WCWとの提携ルートで新日本プロレス東京ドーム大会に参戦。新日本には1992年10月にも来日し、ジム・ナイドハートと組んでSGタッグ・リーグ戦IIに出場した。

1993年リッキー・スティムボートドス・オンブレスDos Hombres)なる覆面タッグチームを一時的に結成し、5月23日にWCWの本拠地アトランタで行われたPPV "Slamboree" に出場、ヒールターンしたピルマンとスタニング・スティーブ・オースチンハリウッド・ブロンズが保持するWCW世界タッグ王座スチール・ケージ・マッチで挑戦した[11]

1994年の初頭にWCWを離れ、同年6月と9月には全日本プロレスに久々に登場(日本には通算9回来日)。以降はインディー団体を転戦し、1996年に引退した。

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

PNW
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:1回
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:1回(w / Scott Doring)
Lutte Internationale
NWA / WCW

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f Tom Zenk Career History”. Tom Zenk Official Website. 2011年1月20日閲覧。
  2. ^ 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P65(2002年、日本スポーツ出版社
  3. ^ NWA Pacific Northwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月20日閲覧。
  4. ^ Tom Zenk in the WWF”. Tom Zenk Official Website. 2011年1月20日閲覧。
  5. ^ WWE Yearly Results 1987”. The History of WWE. 2011年1月20日閲覧。
  6. ^ AWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月20日閲覧。
  7. ^ The journey begins...”. Tom Zenk Official Website. 2011年1月20日閲覧。
  8. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1990”. Wrestling-Titles.com. 2012年1月12日閲覧。
  9. ^ NWA United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月20日閲覧。
  10. ^ WCW World Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月20日閲覧。
  11. ^ WCW Slamboree 1993”. pWw-Everything Wrestling. 2011年1月20日閲覧。

外部リンク[編集]