クリス・チェイヴィス
| タタンカ | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | タタンカ アメリカン・ウォー・イーグル "ウォー・イーグル" クリス・チェイヴィス |
| 本名 | クリストファー・チェイヴィス |
| ニックネーム | ラムビーの勇者 猛牛戦士 ネイティブ・アメリカン |
| 身長 | 185cm - 188cm |
| 体重 | 118kg - 125kg |
| 誕生日 | 1965年6月8日(47歳) |
| 出身地 | ノースカロライナ州ペンブルック |
| スポーツ歴 | アメリカンフットボール パワーリフティング ボディビルディング |
| トレーナー | ラリー・シャープ |
| デビュー | 1990年 |
タタンカ(Tatanka)のリングネームで知られるクリス・チェイヴィス(Christopher Chavis、1965年6月8日 - )は、ラムビー族インディアンのプロレスラー。アメリカ合衆国ノースカロライナ州ペンブルック出身。
目次 |
来歴 [編集]
フィットネス・クラブのインストラクターを経て、バディ・ロジャースの紹介でプロレスラー養成所 "モンスター・ファクトリー" に入門し、1990年1月13日にフィラデルフィアのインディー団体WWAにてデビュー[1]。その後、地元ノースカロライナのNAWA(SAPW)に参戦し、"ウォー・イーグル" クリス・チェイヴィスのリングネームで活動[1]。同年公開の映画『ダンス・ウィズ・ウルブズ』の大ヒットも追い風に、ワフー・マクダニエル以来久々に登場したインディアン・レスラーの大型ルーキーとして注目され[2]、1991年末にWWFと契約。
WWFでは1992年、ラコタ語でバッファローを意味するタタンカに改名し、ベビーフェイスの新鋭として売り出された。同年4月5日のレッスルマニアVIIIではリック・マーテルにフォール勝ちし、以降もマーテルとの抗争を展開("ザ・モデル" をギミックとするマーテルは、平原インディアンの誇りである羽飾り[3]をタタンカから奪い、それを自分のファッションの一部にして彼の怒りを煽った)[1]。
翌1993年4月4日のレッスルマニアIXではショーン・マイケルズのインターコンチネンタル王座に挑戦し、リングアウト勝ちを収めている(タイトルは移動せず)。同年6月13日にはキング・オブ・ザ・リングの決勝トーナメントにも出場(1回戦でレックス・ルガーと引き分け)。その後はモンスター・ファクトリーの先輩でもあるバンバン・ビガロやIRSなどと抗争した。
WWFでは1970年代に活躍したインディアン・レスラーの先達チーフ・ジェイ・ストロンボーの弟子という設定のもと、勇猛果敢なファイトスタイルで支持を獲得。彼が試合中に劣勢になると、観客は一斉にインディアンの祈りの歌を合唱し、攻撃に転じると雄叫びをあげて応援した。提携団体であるテネシー州メンフィスのUSWAにも遠征し、1993年9月13日にはジェリー・ローラーからUSWAユニファイド世界ヘビー級王座を奪取[4]。同年はヨコズナのWWF世界ヘビー級王座にも挑戦している。日本には1994年5月の『WWFマニア・ツアー』で初来日を果たした。
1994年8月29日、サマースラムで行われたレックス・ルガー戦で、テッド・デビアスに買収されたというアングルのもとヒールに転向。以降、デビアス率いるミリオンダラー・コーポレーションの一員となり、コスチュームのイメージカラーを黒に変更するなどヒールらしさを演出したが、もともとベビーフェイス色の強いキャラクターだったため観客の反応は鈍く、ヒールターンは失敗に終わる。その後はニューカマーのジョバー的な役回りが多くなり、家族と過ごす時間がほしいという本人の希望もあって1996年1月21日のロイヤルランブルを最後にWWFを離脱。
以降はWCW入りも噂されたがオファーには応じず、インディー団体にベビーフェイスのスペシャルゲストとして単発的に出場。1998年10月にはフロリダ州タンパで行われたトーナメント決勝でシッド・ビシャスを破り、復活したスタンピード北米ヘビー級王座の初代チャンピオンとなった(同王座はカルガリーのスタンピード・レスリングが1989年に活動を停止して以来、封印されていた)[5]。また、2000年にはカート・ヘニングやロード・ウォリアーズと共にオーストラリアにも遠征している。
2005年8月1日、インディアン居留地のあるコネチカット州モヒガンサンで行われた『Raw』で9年半ぶりにWWEに登場。ユージンとの3分間のシングルマッチを行い、乱入してきたカート・アングルをユージンと協力して蹴散らすなど、大歓声で迎えられた。同年の末よりWWEとフルタイム出場の契約を交わし、翌2006年1月29日のロイヤルランブルに出場。以降『スマックダウン』の所属となる。2月19日のノー・ウェイ・アウトではマット・ハーディーのパートナーとなり、MNM(ジョニー・ナイトロ&ジョーイ・マーキュリー)から勝利を収めた。
その後もベテランのベビーフェイスとしてシルヴァン・グラニエらとのミニ抗争を行うが、連敗が続きレフェリーに不審を抱くキャラクターになるなど、ブックに恵まれないまま2007年1月にWWEを解雇された。以後、2008年はイギリスのオールスター・レスリングに出場。2009年12月17日にはTNAに登場し、ジェイ・リーサルを破っている[6]。
2010年11月15日、"Old School edition" と銘打って行われたスペシャル版の『Raw』に出演[7]。ダスティ・ローデス、ジム・ドゥガン、テッド・デビアス、IRS、ロン・シモンズ、アクサナ、マリースらと共にバックステージのスキットに参加し、ローデスの入場テーマ曲 "Common Man Boogie" に合わせ、インディアン式のステップでダンスを踊った[8]。
得意技 [編集]
- トマホーク・チョップ(インディアン・レスラーの代名詞である手刀攻撃)
- ウォー・ダンス(ハルク・ホーガンのハルクアップに通じるムーブ。劣勢に陥った際、リング内でインディアンの「戦いの踊り」を舞って自らを鼓舞し、反撃に転じる)
- エンド・オブ・ザ・トレイル[9](バックフリップ。相手をファイヤーマンズ・キャリーで抱え上げ、そのまま後方に叩きつける。主にフィニッシュ技として使用。インディアン・デス・ドロップとも呼ばれる)
- ドロップキック
- フライング・クロス・ボディ
獲得タイトル [編集]
- NAWAヘビー級王座:1回
- SAPWヘビー級王座:1回
- USWAユニファイド世界ヘビー級王座:1回 [4]
- スタンピード北米ヘビー級王座(1998年復活版):1回 [5]
- オーストラレーシアン・ヘビー級王座:2回
etc.
脚注 [編集]
- ^ a b c “Native Tatanka Bio/Stats”. The Official Site of Native Tatanka. 2011年1月29日閲覧。
- ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P225(1996年、日本スポーツ出版社)
- ^ クリスの出身部族のラムビー族には、実際には平原部族の被るような羽根冠の文化はない。事実、WWFデビュー当初は羽根冠をコスチュームに使用しておらず、インディアン・レスラーとしての一般的なビジュアル・イメージを醸成するために後になって羽根冠を被るようになった。
- ^ a b “USWA Unified World Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月7日閲覧。
- ^ a b “Stampede North American Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月7日閲覧。
- ^ “Caldwell's TNA iMPACT Report 12/17”. PW Torch. 2009年12月17日閲覧。
- ^ “WWE Legend roll-call on an "old school" edition of Raw”. WWE.com. 2010年11月16日閲覧。
- ^ “The Million Dollar Championship returns to its rightful owner”. WWE.com. 2010年11月16日閲覧。
- ^ "End of the Trail" とは、チェロキーの"Trail of Tears" をイメージして1915年に製作された彫刻の俗称。西部開拓時代を象徴するものとして、ウエスタン・アクセサリーの図案などにも用いられている。
外部リンク [編集]
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