デイブ・フィンレー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
デイブ・フィンレー
デイブ・フィンレーの画像
プロフィール
リングネーム フィンレー
フィット・フィンレー
デイブ・フィンレー
ベルファスト・ブルーザー
本名 デイヴィッド・エドワード・フィンレー・ジュニア
ニックネーム ケルティック・ブルーザー
恐怖の大王
身長 179cm
体重 106kg
誕生日 1958年10月20日(55歳)
出身地 北アイルランドの旗 北アイルランド
ベルファスト
スポーツ歴 レスリング
トレーナー テッド・ベトレイ
デビュー 1978年
テンプレートを表示

デイブ・フィンレーDave Finlay1958年10月20日 - )は、イギリス北アイルランドベルファスト出身のプロレスラー。本名はデイヴィッド・エドワード・フィンレー・ジュニアDavid Edward Finlay, Jr.)。

近年はWWEにてディーヴァ担当コーチやロード・エージェントを務めていた。

来歴[編集]

初期 / WCW[編集]

1978年10月にプロレスラーとして正式にデビューし、ジョイント・プロモーションズを拠点にヒールのポジションで活動。当時イギリスへ修行に来ていた佐山聡前田日明とも試合を行っている[1]

1983年7月に新日本プロレスに初来日し、初代タイガーマスクとも対戦。以降も英国マットを主戦場に、初代ブラック・タイガーローラーボール・マーク・ロコともタッグを組んだ(両者は1989年10月に行われたWWF英国遠征の前座試合にも出場している[2])。1990年2月には新興団体のオールスター・プロモーションズにおいて、トニー・セント・クレアーからブリティッシュ・ヘビー級王座を奪取[3]。翌1991年4月にデイブ・テイラーに敗れるまで、1年以上に渡ってタイトルを保持した[3]

1991年2月に新日本に再来日。その後も1990年代前半は新日本の常連外国人として、トップ・オブ・ザ・スーパージュニアにも出場するなど、新日ジュニア全盛期を大いに沸かせた[1]。この時期、ヨーロッパではオットー・ワンツが主宰するドイツのCWA(Catch Wrestling Association)に参戦し、初代タイガーマスクの好敵手だったスティーブ・ライトやWWFで活躍したポール・ローマと世界ミドル級王座を争っている[4]

1995年ベルファスト・ブルーザーBelfast Bruiser)のリングネームでWCWに参戦。1996年にはロード・スティーブン・リーガル北アイルランドイングランドの抗争を展開、4月29日放送(4月22日収録)のマンデー・ナイトロでは駐車場でのストリートファイト・マッチが行われた[5]。その後、フィット・フィンレーFit Finlay)と改名し、1998年5月4日にブッカー・Tから世界TV王座を奪取[6]。以降もエディ・ゲレロクリス・ベノワらを相手に防衛戦を行うも、6月14日のグレート・アメリカン・バッシュでブッカー・Tにタイトルを奪還された[7]1999年からはラフファイトの強さを活かしてハードコア戦線にも進出し、ブライアン・ノッブスともタッグチームを結成していたが、怪我で欠場中の2001年にWCWは崩壊することになる。

WWE[編集]

その後2001年WWE(当時WWF)のエージェントとして迎えられ、女子選手のコーチも担当するなど裏方業務に専念していた(2004年3月のWWEのスコットランドグラスゴーでの興行で、ジェイミー・ノーブルを相手に一時的にカムバックしたことがある[8])。

2005年12月にスマックダウンにてレスラー復帰。15歳の時からサーカスでレスリングをしていたという本人の経歴を生かし、「ケンカ好きのアイルランド人」ギミックでアイルランドのシンボルカラーである緑色をベースにしたレスリングユニフォームで戦う。2006年2月には日本公演にも参戦。その後は年齢(ロードに参加しているスーパースターの中では、リック・フレアーに次ぐ高齢だった)を感じさせぬファイトと、イギリス時代に培ったレスリング技術そしてヒールとしての観客の心理操作技術もいかんなく発揮し、タッグマッチではあるがメインイベントにも出場した。

フィンレーとホーンスワグル

2006年7月にはボビー・ラシュリーを破りUS王座を獲得し、2007年頃からはホーンスワグルとのコンビで活躍。ケインレイ・ミステリオと抗争後、サバイバー・シリーズグレート・カリとホーンスワグルの試合に乱入し、ホーンスワグルを救出。WWEに登場後、初めてベビーフェイスに転向した。この時、フィンレーが実はホーンスワグルの父親であったということが判明(もちろんプロレスにおけるギミックである)。

2008年に入ってJBLと抗争、3月のRAWでのケン・ケネディ戦では、JBLへの見せしめとしてケネディをシレイリ(棍棒)でメッタ打ちにし欠場(映画撮影のための予定された欠場)に追い込んだ。3月30日のレッスルマニア24では、JBLとベルファスト・ブロウル・マッチで対戦するも敗れる。6月に行われた追加ドラフトの結果、「息子」であるホーンスワグルと共にECWに移籍、ジョン・モリソン&ザ・ミズマイク・ノックスマーク・ヘンリーなどと抗争を繰り広げた。

2009年レッスルマニア25ではマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチに出場。その後の追加ドラフトで「息子」のホーンスワグルがRAWへ移籍。自身は6月末のトレードでスマックダウンへ移籍し、ドルフ・ジグラー、マイク・ノックスと抗争した。

2010年からはロード・エージェントとしての活動や若手選手の指導役に専念していたが、2011年3月29日付でWWEとの契約を解除された[9]

WWE以降[編集]

2011年11月24日、SMASHに参戦。スターバックを破り、SMASH王座を獲得した。

2012年にSMASHは解散となったが、TDCホールでの解散興行において「Keep wrestling classic」の言葉を残し、TAJIRIらはその言葉を胸に「Wrestling New Classic」を旗揚げした。フィンレーはWNCにチャンピオンベルトを贈り、「WNCチャンピオンシップ管理委員会」コミッショナーに就任した。

WWE復帰[編集]

2012年、再びエージェントとしてWWEに復帰している。また7月からはプロデューサーとして活動を始めた。

得意技[編集]

  • ケルティック・クロスCeltic Cross
尻餅をつくようにして、背中に担いだ相手の体を斜めの状態にして頭部をマットに叩きつける。技名は「ケルトの十字架」という意味で、技の形が十字になっていることにも由来している。
  • ケルティック・ノットCeltic Knot
変形インディアン・デスロック
  • ローリング・ヒルズRolling Hills
ケン・ケネディの得意技でもあるリング上でのグリーンベイ・プランジと同技。
SMASH王座戦のタジリ戦でフィニッシュとして使用。
反則行為であるためレフェリーの注意をそらした隙に、シレイリ(アイルランドの棍棒英語版の「シレイリ」も参照)で相手の頭や膝などを殴打する。

獲得タイトル[編集]

WWE
WCW
  • WCW 世界TV王座:1回
ジョイント・プロモーションズ
  • ブリティッシュ・ミッドヘビー級王座:5回
  • ブリティッシュ・ライトヘビー級王座:2回
オールスター・プロモーションズ
  • ブリティッシュ・ヘビー級王座:1回
ブリティッシュ・チャンピオンシップ
  • 世界ミッドヘビー級王座:4回
CWA(オットー・ワンツ派)
  • CWAインターナショナル・ヘビー級王座:1回
  • CWA世界ミドル級王座:4回
  • CWA世界タッグ王座:1回(w / マーティン・ジョーンズ)
  • CWA英連邦ヘビー級王座:1回
SMASH

入場曲[編集]

  • Lambeg
  • Hes Ma Da - 現在使用中

脚注[編集]

  1. ^ a b 『THE WRESTLER BEST 1000』P217(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ WWE Yearly Results 1989”. The History of WWE. 2010年4月21日閲覧。
  3. ^ a b British Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月21日閲覧。
  4. ^ CWA World Middleweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月21日閲覧。
  5. ^ WCW Monday Nitro 1996”. The History of WWE. 2010年4月21日閲覧。
  6. ^ WCW World Television Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月21日閲覧。
  7. ^ WCW The Great American Bash 1998”. pWw - Everything Wrestling. 2010年4月21日閲覧。
  8. ^ March 21, 2004 - WWE Live Event in Glasgow, SCOTLAND”. Online World of Wrestling. 2010年4月21日閲覧。
  9. ^ WWE producer/wrestler Finlay reportedly released by WWE”. PW Torch. 2011年3月29日閲覧。

外部リンク[編集]