ショーン・コムズ
| ショーン・コムズ Sean Combs |
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|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | Sean John Combs |
| 出生 | 1969年11月4日(42歳) |
| 出身地 | |
| ジャンル | ヒップホップ |
| 職業 | ラッパー、プロデューサー、俳優、ファッションデザイナー、ダンサー、歌手 |
| 活動期間 | 1988年 - |
| レーベル | バッドボーイ・レコーズ、ヴァイオレーター |
| 共同作業者 | ノトーリアス・B.I.G.、リル・キム、ナズ、The Hitman、ジェイ・Z |
ショーン・コムズ(Sean Combs、本名:Sean John Combs 1969年11月4日-)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市のハーレム地区出身の音楽プロデューサー、作詞家、アレンジャー、ファッションデザイナー、俳優、MC。バッド・ボーイ・エンターテインメント(Bad Boy Entertainment)の最高経営責任者、映画プロダクション、レストランのチェーン、ファッションブランド「ショーン・ジョン(Sean John)」など経営者としても多岐にわたる活躍をみせる。アメリカのエンターテインメント産業で最も成功したものの一人として挙げられることもある。
目次 |
[編集] 来歴
ジャニスとメルビン・コムズの子としてマンハッタンハーレム地区でコムズは生まれ、マウントヴァーノンのウェスチェスター郊外で育つ。ショーンの父は彼が赤ん坊のときに殺害され、それがきっかけで母親は別の郊外に移り住む。 数年間はボーイスカウトの熱心なメンバーで、高校をやめる前にはライフスカウトになっていた。ブロンクスのマウント・セイント・マイケル・アカデミーで中等教育を終えた後、コムズはワシントンD.C.のハワード大学に通い、アップタウン・レコード(Uptown Records)の見習いになった。 そのほんの数カ月後に、コムズはA&Rの幹部社員になり、 「Father's Day」(ファーザー・MC; 1990年)、「What's the 411?」(メアリー・J・ブライジ; 1992年)、そして「Blue Funk」(Heavy D & the Boyz;1992年)をプロデュースする。 コムズは彼自身のレーベル「バッド・ボーイ(Bad Boy Records)」を創設し、即座にクレイグ・マックとノトーリアス・B.I.G.と契約する。
ラッセル・シモンズの手を借り、コムズは最高のラッパーであると考えていた2パックと契約し、レーベルスタートの勢いを増そうと考えたが、2パックに拒否されてしまう。しかし直後にリリースされたマックとノトーリアス・B.I.G.のシングルはヒットし、コムズはバッド・ボーイとフェイス・エヴァンス、112など次々に契約を結び始める。プロデュースではリル・キム、TLC、マライア・キャリー、ボーイズIIメン、SWV、アレサ・フランクリンなどを手がける。 メイスとLoxもすぐにバッド・ボーイに参加し、アメリカ西海岸のデス・ロウ・レコードとの対立を強める。コムズとノトーリアス・B.I.G.は1990年代半ごろ、歌詞やインタビューで2パックとシュグ・ナイトに敵対し始め、結果2パックは1996年に殺害され、その6カ月後にノトーリアス・B.I.G.もまた、大成功するアルバム(『Life After Death』)リリースのほんの数週間前の1997年3月に殺害されるというヒップホップ史上最大の悲劇を呼んでしまう。
パフ・ダディとして知られる以前にコムズは1993年、スーパーキャットの「Dolly My Baby」のリミックス版でノトーリアス・B.I.G.と共にラップを披露。1997年「パフ・ダディ」というMCネームを名乗り、「Can't Nobody Hold Me Down」をリリース、「I'll Be Missing You」へと(ゴーストライターとしてグラミー賞のSauce Moneyを獲得)全世界に焦点を当てたコムズのキャリアはMCとしても続いた。
[編集] 人物
[編集] 名前
- コムズは頻繁にMCネームを変えることでも知られ、ショーン・パフィ・コムズ(Sean Puffy Combs)、パフ・ダディー(Puff Daddy)、P・ディディ(P. Diddy、ノトーリアス・B.I.G.が付けたニックネーム)、ディディ(Diddy)と変えてきた。尚、イギリスの音楽プロデューサー、リチャード“ディディ”ディアラヴとの裁判に敗訴したため、イギリスではディディと名乗って活動することが出来なかった。
[編集] ゴーストライター
- 2006年、かねてから噂、批判されてきたラップのゴーストライター疑惑を本人が事実と認める。これにより、5thアルバム『Press Play』までのほとんどの曲のラップがゴーストライターによるものだったということが明らかになった。[1]
[編集] スキャンダル
- コムズは数々のスキャンダルの持ち主でもある。1999年12月、マンハッタンのナイトクラブ、クラブ・ニューヨークで銃撃事件が起きたとき、コムズと当時のガールフレンド、ジェニファー・ロペスが現場にいた。警察の調査の後に、コムズと仲間のMC Shyneは銃刀法違反などで逮捕される。この事件は免罪となったものの、ほかにも数多くの事件で告訴されたことがある。
[編集] 功績と批判
- コムズはヒップホップ音楽の主流派を動かす原動力になった一人でもある。これまでファーザー・MC(Father MC)、ジョデシー、メアリー・J・ブライジ、クレイグ・マック(Craig Mack)、ノトーリアス・B.I.G.、フェイス・エヴァンス、112、メイス(Ma$e)、ボーイズ・ン・ダ・フッド(Boyz N Da Hood)、カール・トーマス(Carl Thomas)などをプロデュースしてきた。
- 一方でヒットソングのために過去のヒット曲のサンプリングを多用したり、ラップをゴーストライターに書かせる手法は、ヒップホップを軽薄にし、商業的だと批判されている。
- また、本人は楽器も機材も扱うことができない。[2]
[編集] アルバム
- ノー・ウェイ・アウト - No Way Out (1997年)
- フォーエヴァー - Forever (1999年)
- サーガ・コンティニューズ - The Saga Continues... (2001年)
- - We Invented The Remix Vol. 1 (with The Bad Boy Family) (2002年)
- プレス・プレイ - Press Play (2006年)
[編集] 映画
- THE SHOW - The Show (1995年、出演)
- Rhyme&Reason ライム&リーズン - Rhyme & Reason (1997年、出演)
- チョコレート - Monster's Ball (2001年、出演)
- カリートの道 暗黒街の抗争 - Carlito's Way: Rise To Power (2005年、出演)