中島らも

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中島 らも(なかじま らも、1952年4月3日 - 2004年7月26日)は、兵庫県尼崎市出身の小説家戯曲家随筆家俳優コピーライター広告プランナー、ミュージシャン笑殺軍団リリパットアーミー主宰、自主的団体「全国まずいもの連盟」会長[1]。本名は中島 裕之(なかじま ゆうし)。「らも」というペンネームの由来は、無声映画時代の剣戟俳優羅門光三郎から。当初は「羅門」「Ramon」「らもん」等のペンネームで雑誌にの投稿をしており、仲間内でも「らもん」を名乗っていたが「読者に名前を覚えてもらいやすいように」と現ペンネームに改名した。一男一女の父で、長女は作家の中島さなえ

経歴[編集]

生い立ち[編集]

兵庫県尼崎市の国鉄(現JR西日本立花駅近くで開業歯科医をしていた父親の次男として生を受ける[2]

尼崎市立七松小学校に入学。10歳の時、母親の勧めで神戸市立本山第一小学校に転入。友人からの遊びの誘いを断って偉人伝を読む子供だった。

学生時代[編集]

名門灘中学校に、8位の成績で合格。ある教師の一言から自分を取り巻いている環境に幻滅し、母親に言いなりの「お勉強ロボット」になっていたことに気づいた中島は、灘中学校から灘高校在学中にかけ、飲酒薬物ロック深夜ラジオ貸本山田風太郎白土三平ギターバンド活動(バンド名“ごねさらせ”[3])、万引きスナックバンドマン漫画投稿、自慰に没頭して成績が急降下。『月刊漫画ガロ』の新人マンガ賞に入賞するが、「長いのでページ数を半分にしてくれ」と言われ根が尽き、漫画家になることを諦める。授業もテストも受けずに番外で灘高校を卒業。

神戸YMCA予備校の予備校生となるも同校に顔を出したのは数回で、パチンコ店ジャズ喫茶へと足繁く通うようになり、喫茶店にたむろしていたフーテン仲間と共に揮発剤、鎮静薬睡眠薬大麻アルコールに耽溺。文学論、思想について雑談するなどして過ごす。

1年間のフーテン生活の後大阪芸術大学芸術学部放送学科に入学。授業にあまり出なかったので友達はほとんどおらず、何もせず時間を潰していたという。1971年、神戸三宮のジャズ喫茶で神戸山手女子短期大学の学生だった長谷部美代子と知り合い、1975年小林聖心女子学院図書室で司書として働いていた長谷部と4年間の交際の末結婚。2LDKのアパートで新婚生活をスタートさせ、翌年4月に長男が誕生。中島は学生と主夫の兼業をこなし1976年に大学を卒業。卒業論文は放送倫理規定について。

この頃から急に饒舌になったかと思うと翌日には寡黙になったりと不安定な部分があった。大学時代は高校在籍時から伸ばした髪が、腰まで届くほどの長髪になる。この頃は仲間とたむろして遊んでいたり楽しいこともあったのだが、将来に対する不安から大学生活は記憶が抜け落ちているとエッセイで述べている。

卒業間際になっても中島は就職活動もしていない状態で慌しくなる周囲を傍観しているだけで、見かねた叔父の公認会計士の紹介により印刷会社の株式会社大津屋にコネ就職、同社で5年間勤める。

営業マン時代[編集]

就職後は数ヶ月で仕事のシステムを覚え、広告の制作・営業を担当。新規開拓の飛び込み営業、受発注、校正見積もり不渡り手形回収差し押さえ、印刷ミスによる謝罪と何でもこなした。受け持った得意先は建築会社やボイラー会社などであった。

酒が強かった中島は、親の跡目を継いだ二代目社長新地ミナミにお供として連れられ、日付が変わってから帰宅というのはザラであった。ある日酒の席で社長が得意先の社員の頭を太鼓に見立てて叩いたのを見た中島は「あんな奴でも社長になれるんや」と夫人にボヤき、会社で上司が経理の女子社員に握りを嗅がせ、泣かせたのを見て「この会社は長くない」と感じ、知り合いと一緒に雑誌『宣伝会議』主催のコピーライター養成講座に通い、藤島克彦[4]と出会う。1977年宝塚市に月2万7千円の30年ローンで一戸建の家を建てる。1978年、二人目の子供(長女)を授かる[5]

ヘルハウス時代[編集]

1980年、「パンクで一発、当てるつもりで」ロックバンド・PISSを結成、大津屋を退職[6]。「中島が暇らしい」と宝塚の自宅は友人知人の他に自称ミュージシャンパンクス、スキゾ、フーテン、ジャンキー山師グルーピー、不良外国人のたまり場となり、学生時代の薬物遊びが再燃。知り合いの医師から処方箋を入手してハイミナールを集めたり、酒やコデインを飲んでヨタ話をしギターを弾いたり、夫婦で居候達と性交渉をして過ごす。この家は外国人バックパッカーらの間でドラッグが回ってくる家として口コミで広がり「ヘルハウス」と渾名される。ただこの頃の中島はマリファナなど違法薬物の持込には厳しく、持ち込んだ者に対して「家族を巻き込むな」と叱責している。仲間からレコーディング費用を集めるもレコーディング直前に費用を女に騙し取られたため頓挫。

1ヶ月の累計宿泊者が100人を超えた時もあり、汲み取り式便所の汲み取り口から排泄物が溢れそうになったり、顔にドーランを塗って夜の道路を徘徊したり、に睡眠薬を飲ませたら翌朝、飼っていたウサギが首だけになっていたといったエピソードが残っている[7]。このときの生活は2000年に出版された自伝的な小説「バンド・オブ・ザ・ナイト」の元になった。1981年、中島は藤島克彦の紹介で広告代理店の日広エージェンシーに再就職[8]

コピーライター時代[編集]

日広エージェンシーは社長の宮前賢一と経理の女性、それに企画課長の中島の3人しかいない会社で、宮前は中島を夜の繁華街に連れ出して飲み歩かせるも勤務に対しては放任。中島は社長から「仁義の切り方」を学ぶが、あまりにも仕事が暇なため次の電柱まで歩く気力が無くなり「これはうつ病だ」と直感、最寄の精神科に飛び込み、渋る医師を説得してリタリンを処方してもらうことで寛解[9]離人症気味になり、東京月島にある支所(アパートの一室)で仕事。

かねてつ食品(現・カネテツデリカフーズ[10]をスポンサーに1982年、雑誌『宝島』に同社の広告として『啓蒙かまぼこ新聞』を企画。翌1983年の『微笑家族』(『プレイガイドジャーナル』掲載)と合わせて、広告に不信感を持つ層を敢えてターゲットとし、スポンサーと読者=消費者が一緒になって広告上での遊びを通じてスポンサーに対する関心を持ってもらうという独特の方法で注目を浴びる。

テレビのあまりの下らなさに激怒した中島はコピーライターとして書き溜めていたプレゼンを「成仏させるため」にコント用に書き直しテレビ番組「どんぶり5656」がスタート。また知人の関係する舞台のあまりの下らなさに激怒して、「笑殺軍団リリパットアーミー」を、キッチュ(現・松尾貴史)、鮫肌文殊、若木え芙(現・わかぎゑふ)、ガンジー石原ひさうちみちおらと結成、脚本執筆のほか、自ら役者もこなした。

1984年から朝日新聞大阪本社版日曜版「若い広場」で、独特のユーモアを交えた人生相談コーナー『明るい悩み相談室』連載が始まる。

焼きじゃがいも事件
同連載において「祖母から焼きじゃがいも味噌をつけて食べると死ぬと言われたが事実か?」との投書に「焼きじゃがいもに味噌をつけて食べた大多数の者が高確率でいずれに至る」とこの投書を事実であると回答。「人間なのだから、焼きじゃがいもに味噌を付けたものを食べようが食べまいがいずれ死ぬのは当たり前」という意図での回答だったが、それを理解出来なかった読者から「好物なのに死ぬのか」「怖い」「冗談に決まっている」と不安と疑問の声が寄せられる。これらの投書に中島は「じゃがいもに味噌をつけて食べると確実に死ぬ。誰も避けられない(但しその時期には「個人差」がある)。」と火に油を注ぐ。朝日新聞社側が事態収束のため焼きじゃがいもに味噌をつけて食べるよう中島に迫り、折れた中島が実際に食して騒動は沈静化する。

作家活動[編集]

1987年、独立を申し出た中島に宮前は快諾を与え、日広エージェンシーを退社。フリーの身となってから有限会社中島らも事務所を設立し作家活動を本格化、宝塚の家には全く帰らなくなり事務所で寝泊りするようになる。戯曲、エッセイ、小説落語、バラエティ番組の脚本やコントなど、多数執筆。その「ひねくれたユーモア感覚」で、「関西独特のおかしさ」や「市井の奇人や奇現象」などを描き、多くの読者、ファンを獲得。元来、責任感が強い上に営業マン時代のクセで依頼された仕事を片っ端から引き受けていた中島は「仕事を断る仕事」として女性を電話番に雇う。

多忙な人気作家となるも、飲酒がもたらす酩酊から着想を得ていた中島は連続飲酒を繰り返すようになる。アルコール依存を自覚していた中島は観念して病院に入院。後にこの体験を基に、小説『今夜、すべてのバーで』を書いている。

1991年、「仕事はエッセイばかりで他のコピーライターに迷惑になる」とコピーライターの看板を外す。1996年夏にはロックバンド・PISSを再結成、ボーカルとギターを担当、解散後の新バンド「らも&MOTHER'S BOYS」ではボーカルとサイドギター担当するなど、音楽のジャンルでも活動の場を広げる。

晩年[編集]

処方されていた薬の副作用から視力が殆ど無くなり、口頭で妻に伝えて原稿を書くように。持病の躁鬱を繰り返す中ナルコレプシーを発症。更には時間概念の喪失、運動障害、躁状態がもたらす万能感から支離滅裂の言動が度々見られ、減薬と入院治療である程度回復するも飲酒は続けていた。歯科医である弟に飲んでいる薬の内容を教えると、これでは副作用が激し過ぎると教えられ、飲むのを止めると視力が戻ってきた。

2003年2月に「オランダで尻から煙が出るほど大麻を吸ってきた」と大阪のラジオ番組で公言。その数日後に大麻取締法違反などで逮捕された上、冷蔵庫から干からびたマジックマッシュルームも見つかる。大阪地方裁判所での初公判では弁護士から自重するよう求められていたにも関わらず持論の「大麻開放論」を展開。同年5月26日に懲役10ヶ月、執行猶予3年の判決を受ける。同年の夏、自らの獄中体験をつづったエッセイ『牢屋でやせるダイエット』を出版、手錠姿でサイン会を開くなど精力的に活動を再開した。

2004年7月15日、三上寛あふりらんぽのライブに飛び入り参加、終演後に三上寛と酒を酌み交わし別れた後、翌16日未明に神戸の飲食店の階段から転落して全身と頭部を強打。脳挫傷による外傷性脳内血腫のため神戸市内の病院に入院、15時間に及ぶ手術を行うも脳への重篤なダメージにより深刻な状態が続き、自発呼吸さえできない状態に陥る。

入院時から意識が戻ることはなく、事前の本人の希望に基づき、人工呼吸器を停止。同月26日午前8時16分に死去。享年52[11]。故人の生前の希望で葬式は身内と近親者のみで密葬として行われた。遺骨は夫人の手で散骨され墓は無し。同年12月に中島らも事務所閉所。

小説『酒気帯び車椅子』『ロカ』と対談集『なれずもの』が遺作として死後刊行。

死後[編集]

2014年7月に『中島らもメモリアルWEEK 2014』と題して親交のあった芸能関係者を招いたコント、朗読会、トークショー、音楽ライブ、落語会、らも原作・出演の映画上演会などが行われる。

作風・執筆傾向[編集]

ヘロインも一つの生き方」と唱えるウィリアム・S・バロウズを敬愛しておりエッセイでも度々取り上げ、賛辞を送っている。ヘロインによる影響下で書かれたバロウズの『裸のランチ』に触発され、中島は『頭の中がカユいんだ』を泥酔状態で書き上げた。 シリアスな小説では醒めたユーモアとニヒリズムを湛えた作品が多いが、基本は浪花節的な人情噺が得意でウェットな作品を多数書いている。また多方面に関心があり、ギャグからホラー恋愛小説 落語に至るまで手がけたジャンルの幅は広い。 冗長な伏線や綿密な描写はあまり得意なようではなく「ついついサービス心が出てしまう」と自身が述懐している。またポルノも苦手と語っている。推理物に至っては執筆途中で「トリックが書けない」ことに気づき呆然となる。 小説や随筆には、前述した『永遠も半ばを過ぎて』『今夜、すべてのバーで』『牢屋でやせるダイエット』などをはじめ、自身の体験に題材を取った作品も多数ある。自伝に『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』と『異人伝-中島らものやり口』がある。 エッセイを書く上で「序破急」や「起承転結」といった文章を書く上での定型をあえて使わず、結論(つかみ)から入る書き方をしたり、シュールレアリスムの手法の一つデペイズマンを用いるなどしている。物語を書く前に、関係する資料や書籍を読み漁る。

尊敬する作家、好きな作家としてW・バロウズ、セリーヌヘンリー・ミラー山田風太郎野坂昭如東海林さだおなどの名前を挙げている。一番好きな作家としてマンディアルグを挙げている。

著作[編集]

単行本[編集]

  • 1979年 「全ての聖夜の鎖」(自費出版)※らもん名義
  • 1986年2月 「頭の中がカユいんだ」(大阪書籍)
  • 1986年3月 「なにわのアホぢから」(関西人撲滅協会編集、ひさうちみちお鮫肌文殊共著、講談社、ISBN 978-4-06-192052-1
  • 1986年7月 「舌先の格闘技〜必殺へらず口大研究〜」(アニマ2001)
  • 1987年1月 「中島らもの明るい悩み相談室」(朝日新聞社)
  • 1987年8月 「中島らものたまらん人々」(サンマーク出版)
  • 1987年10月 「恋は底ぢから」(宝島社
  • 1987年11月 「舌先の格闘技〜必殺へらず口大研究〜」(アニマ2001)
  • 1987年12月 「啓蒙かまぼこ新聞」(ビレッジプレス)TCC賞準新人賞、OCC賞受賞
  • 1988年8月 「大阪呑気大事典」(大阪オールスターズ編、チャンネルゼロ編集、JICC出版局)
  • 1988年12月 「中島らものぷるぷる・ぴいぷる〜異能作品集〜」(白水社、ISBN 4560049084
  • 1988年12月 「中島らものもっと明るい悩み相談室」(朝日新聞社)
  • 1989年3月 「獏の食べのこし」(宝島社)
  • 1989年6月 「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」(PHP研究所)
  • 1989年11月 「変!!」(双葉社)
  • 1989年12月 「お父さんのバックドロップ」(学習研究社)
  • 1990年3月 「舌先の格闘技」(新版、アニマ2001)
  • 1990年4月 「ビジネス・ナンセンス事典」(メディアファクトリー)
  • 1990年8月 「超老伝〜カポエラをする人〜」 (角川書店)
  • 1990年9月 「中島らものさらに明るい悩み相談室」 (朝日新聞社)
  • 1990年12月 「しりとりえっせい」 (講談社)
  • 1991年2月 「とほほのほ」(双葉社)
  • 1991年3月 「今夜、すべてのバーで」(講談社)第13回吉川英治文学新人賞、第10回日本冒険小説協会大賞特別大賞受賞
  • 1991年4月 「こらっ」(広済堂出版)
  • 1991年7月 「西方冗土〜カンサイ帝国の栄光と衰退〜」(飛鳥新社)
  • 1991年8月 「微笑家族」(ビレッジプレス)
  • 1991年10月 「ビジネス・ナンセンス事典」(メディアファクトリー)
  • 1991年10月 「中島らものますます明るい悩み相談室」(朝日新聞社)
  • 1991年11月 「人体模型の夜」(集英社)
  • 1991年12月 「らも咄」(角川書店)
  • 1992年5月 「愛をひっかけるための釘」(淡交社)
  • 1992年6月 「なにわのアホぢから」(復刻版、 講談社、ISBN 4062055279
  • 1992年9月 「じんかくのふいっち」(マガジンハウス)
  • 1992年10月 「中島らものばしっと明るい悩み相談室」(朝日新聞社)
  • 1992年12月 「僕にはわからない」(白夜書房)
  • 1993年3月 「ガダラの豚」(実業之日本社)第47回日本推理作家協会賞受賞
    • アフリカ・シーンのモデルは、人類学者の長島信弘で、長島は当作の文庫版の解説も書いている。
  • 1993年5月 「らも咄2」(角川書店、ISBN 4048727427
  • 1993年6月 「ビジネス・ナンセンス事典」(講談社)
  • 1994年1月 「中島らものつくづく明るい悩み相談室」(朝日新聞社)
  • 1994年8月 「白いメリーさん」(講談社)
  • 1994年9月 「永遠(とわ)も半ばを過ぎて」(文藝春秋)
  • 1994年10月 「中島らものたまらん人々」(サンマーク出版)
  • 1994年12月 「流星シャンハイ」(糸川燿史共著、双葉社、ISBN 4575283983
  • 1995年2月 「空からぎろちん」(双葉社)
  • 1995年6月 「中島らものやっぱり明るい悩み相談室」(朝日新聞社)
  • 1995年12月 「アマニタ・パンセリナ」(集英社)
  • 1995年12月 「リリパット・アーミー」(角川書店)
  • 1996年1月 「じんかくのふいっち2」(マガジンハウス)
  • 1996年4月 「訊く」(講談社)
    • 対談集。
  • 1996年9月 「逢う」 (講談社)
  • 1996年9月 「水に似た感情」(集英社)
  • 1997年7月 「固いおとうふ」(双葉社)
  • 1998年2月 「その辺の問題」(いしいしんじ共著、メディアファクトリー)
  • 1998年5月 「エキゾティカ」(双葉社)
  • 1998年10月 「寝ずの番」(講談社)
  • 1999年4月 「さかだち日記」(講談社)
  • 1999年6月 「あの娘は石ころ」(双葉社)
  • 1999年6月 「夢見るごもくごはん(中島らも事務所編)」(チチ松村/ひさうちみちお他、双葉社 ISBN 4575289752
  • 1999年11月 「砂をつかんで立ち上がれ」(集英社、ISBN 4087744299
  • 2000年5月 「バンド・オブ・ザ・ナイト」(講談社)
  • 2000年8月 「クマと闘ったヒト」(ミスター・ヒト共著、メディアファクトリー、ISBN 4840100934
  • 2000年12月 「全ての聖夜の鎖」 ※限定復刊 文藝春秋 ISBN 4163198008
  • 2001年8月 「X線の午後」(演劇ブック社、ISBN 4-89987-059-0
  • 2001年10月 「とらちゃん的日常」(文藝春秋)
  • 2001年12月 「らもチチわたしの半生青春篇」(チチ松村共著、講談社)
  • 2002年2月 「らもチチわたしの半生中年篇」(チチ松村共著、講談社)
  • 2002年4月 「空のオルゴール」(新潮社、ISBN 4104531014
  • 2002年6月 「世界で一番美しい病気」(角川春樹事務所、ISBN 4894561239
  • 2002年10月 「心が雨漏りする日には」(青春出版社)
  • 2003年3月 「イッツ・オンリー・ア・トークショー」(鮫肌文殊との共著、メディアファクトリー、ISBN 4840107572
  • 2003年7月 「牢屋でやせるダイエット」(青春出版社)
  • 2003年9月 「休みの国」(講談社、ISBN 4062117398
  • 2003年10月 「ロバに耳打ち」(双葉社)
  • 2003年10月 「せんべろ探偵が行く」(小堀純との共著、文藝春秋、ISBN 4163595007
  • 2003年12月 「こどもの一生」(集英社、ISBN 408774678X
  • 2004年2月 「ひそひそくすくす大爆笑 (It's Only a Talkshow 2)」(鮫肌文殊との共著、メディアファクトリー、ISBN 4840110425
  • 2004年6月 「中島らものやり口 『異人伝』」(KKベストセラーズ、ISBN 4584187932
  • 2004年10月 「なれずもの」(イースト・プレス、ISBN 4-87257-480-X
  • 2004年12月 「酒気帯び車椅子」(集英社、ISBN 4087747352
  • 2005年3月 「中島らもの誰に言うでもない、さようなら (It's Only a Talkshow 3)」(鮫肌文殊との共著、メディアファクトリー)
  • 2005年4月 「ロカ」(実業之日本社、ISBN 4408534706
  • 2005年7月 「株式会社日広エージェンシー企画課長中島裕之」(双葉社、ISBN 4575298247
  • 2006年7月 「君はフィクション」(集英社、ISBN 978-4087748192
  • 2006年8月 「何がおかしい 笑いの評論とコント・対談集」(白夜書房、ISBN 978-4861911866
  • 2007年7月 「ポケットが一杯だった頃 単行本未収録原稿〈エッセイ、対談集〉」(白夜書房、ISBN 978-4-86191-287-0
  • 2010年6月 「中島らも その日の天使」(日本図書センター、ISBN 4284700391
  • 2011年11月「こどもの一生/ベイビーさん―中島らも戯曲選〈1〉」 (論創社 ISBN 4846009769

文庫本[編集]

  • 1990年2月 「頭の中がカユいんだ」(徳間文庫)
  • 1991年8月 「中島らものたまらん人々」(徳間文庫)
  • 1992年7月 「恋は底ぢから」(集英社文庫、ISBN 4087498298
  • 1993年1月 「獏の食べのこし」(集英社文庫、ISBN 4087498883
  • 1993年3月 「超老伝―カポエラをする人」(角川文庫、ISBN 4041863015
  • 1993年6月 「お父さんのバックドロップ」(集英社文庫、ISBN 4087480356
  • 1993年12月 「しりとりえっせい」(講談社文庫、ISBN 4061855581
  • 1994年2月 「こらっ」(集英社文庫、ISBN 408748128X
  • 1994年3月 「今夜、すべてのバーで」(講談社文庫、ISBN 4061856278
  • 1994年7月 「僕が踏んだ町と僕に踏まれた町」(朝日文芸文庫)
  • 1994年7月 「西方冗土 カンサイ帝国の栄光と衰退」(集英社文庫、ISBN 4087481816
  • 1994年10月 「らも咄」(角川文庫、ISBN 4041863023
  • 1995年3月 「ぷるぷる・ぴぃぷる」(集英社文庫)
  • 1995年5月 「なにわのアホぢから」(講談社文庫、ISBN 406185951X
  • 1995年7月 「愛をひっかけるための釘」(集英社文庫、ISBN 4087483576
  • 1995年11月 「頭の中がカユいんだ」(双葉文庫、ISBN 4575710679
  • 1995年11月 「とほほのほ」(双葉文庫、ISBN 4575710644
  • 1995年11月 「中島らものたまらん人々」(双葉文庫、ISBN 4575710652
  • 1995年11月 「変!!」(双葉文庫、ISBN 4575710636
  • 1995年11月 「僕にはわからない」(双葉文庫、ISBN 4575710660
  • 1995年11月 「人体模型の夜」(集英社文庫、ISBN 4087484033
  • 1996年5月 「ガダラの豚 1」(集英社文庫、ISBN 4-08-748480-7
  • 1996年5月 「ガダラの豚 2」(集英社文庫、ISBN 4-08-748481-5
  • 1996年5月 「ガダラの豚 3」(集英社文庫、ISBN 4-08-748482-3
  • 1996年5月 「牛乳時代―らも咄」(角川文庫、ISBN 4041863031
  • 1996年7月 「ネリモノ広告大全 ちくわ編」(双葉文庫、4-575-71073-3)
  • 1996年7月 「ネリモノ広告大全 ごぼてん編」(双葉文庫、4-575-71074-1)
  • 1996年7月 「中島らもの明るい悩み相談室」(朝日文芸文庫)
  • 1996年7月 「中島らものもっと明るい悩み相談室」(朝日文芸文庫、ISBN 4-02-264120-7
  • 1996年8月 「中島らものさらに明るい悩み相談室」(朝日文芸文庫、ISBN 4-02-264121-5
  • 1996年9月 「中島らものますます明るい悩み相談室」(朝日文芸文庫、ISBN 4-02-264122-3
  • 1996年10月 「中島らものばしっと明るい悩み相談室」(朝日文芸文庫、ISBN 4-02-264123-1
  • 1996年10月 「じんかくのふいっち」(双葉文庫、ISBN 4575710849
  • 1996年10月 「舌先の格闘技」(双葉文庫、ISBN 4575710830
  • 1996年11月 「中島らものつくづく明るい悩み相談室」(朝日文芸文庫、ISBN 4-02-264124-X
  • 1996年12月 「中島らものやっぱり明るい悩み相談室」(朝日文芸文庫、ISBN 4-02-264125-8
  • 1997年5月 「しりとり対談」(講談社文庫、ISBN 4062635208
  • 1997年8月 「白いメリーさん」(講談社文庫、ISBN 4062635771
  • 1997年8月 「ぼくに踏まれた街とぼくが踏まれた街」(集英社文庫、ISBN 4087486397
  • 1997年9月 「永遠も半ばを過ぎて」(文春文庫、ISBN 4167585014
  • 1998年3月 「ビジネス・ナンセンス事典」(集英社文庫、ISBN 4087487555
  • 1999年1月 「リリパット・アーミー - しこみ篇」(角川文庫、ISBN 404186304X
  • 1999年1月 「リリパット・アーミー - ばらし篇」(角川文庫、ISBN 4041863058
  • 1999年3月 「アマニタ・パンセリナ」(集英社文庫、ISBN 4087470253
  • 1999年5月 「訊く」(講談社文庫、ISBN 4062645343
  • 1999年6月 「空からぎろちん」(双葉文庫、ISBN 4575711349
  • 1999年6月 「じんかくのふいっち2」(ISBN 4575711330
  • 1999年8月 「逢う」(講談社文庫、ISBN 4062646528
  • 2000年5月 「固いおとうふ」(双葉文庫、ISBN 4575711470
  • 2000年5月 「水に似た感情」(集英社文庫、ISBN 4087471926
  • 2001年4月 「その辺の問題」(いしいしんじ共著、角川文庫、ISBN 4041863066
  • 2001年10月 「寝ずの番」(講談社文庫、ISBN 4062732793
  • 2002年1月 「エキゾティカ」(双葉文庫、ISBN 4575508128
  • 2002年4月 「あの娘は石ころ」(双葉文庫、ISBN 4575712086
  • 2002年5月 「さかだち日記」(講談社文庫、ISBN 4062734338
  • 2002年8月 「中島らもの 特選明るい悩み相談室 その1・ニッポンの家庭篇」(集英社文庫、ISBN 4-08-747475-5
  • 2002年9月 「中島らもの 特選明るい悩み相談室 その2・ニッポンの常識篇」(集英社文庫、ISBN 4-08-747493-3
  • 2002年11月 「中島らもの 特選明るい悩み相談室 その3・ニッポンの未来篇」(集英社文庫、ISBN 4-08-747516-6
  • 2003年9月 「砂をつかんで立ち上がれ」(集英社文庫)
  • 2004年2月 「バンド・オブ・ザ・ナイト」(講談社文庫、ISBN 4062739860
  • 2004年2月 「とらちゃん的日常」(文春文庫、ISBN 4167585022
  • 2004年11月 「らもチチわたしの半生青春篇」(チチ松村共著、講談社文庫、ISBN 4062749335
  • 2004年11月 「らもチチわたしの半生中年篇」(チチ松村共著、講談社文庫、ISBN 4062749343
  • 2005年2月 「空のオルゴール」(新潮文庫)
  • 2005年6月 「心が雨漏りする日には」(青春文庫、ISBN 4413093186
  • 2005年6月 「牢屋でやせるダイエット」(青春文庫、ISBN 4413093194
  • 2005年7月 「ロバに耳打ち」(双葉文庫、ISBN 4575712981
  • 2006年7月 「こどもの一生」(集英社文庫)
  • 2006年8月 「休みの国」(講談社文庫)
  • 2007年6月 「異人伝 中島らものやり口」(講談社文庫)

その他[編集]

  • 『毒薬 日本の名随筆』(作品社、ISBN 4878936584
  • 『輝きの一瞬 - 短くて心に残る30編』(講談社文庫、ISBN 4062639688
  • 『名作コミックを読む』(小学館、ISBN 409179811X
  • 2005年1月『中島らも烈伝』(鈴木創士著、河出書房新社、ISBN 978-4-309-01688-7
  • 2005年2月『中島らも (KAWADE夢ムック 別冊文藝)』(河出書房新社、ISBN 978-4309976914
  • 2005年10月『中島らも Rockin' Forever』(白夜書房、ISBN 978-4-86191-038-8
  • 2007年7月『らも 中島らもとの三十五年』(中島美代子、著集英社、ISBN 978-4-08-775381-3)- 中島らもと連れ添った未亡人の回想録
  • 2008年2月ユリイカ『中島らもについて』(青土社)

広告[編集]

  • カネテツデリカフーズ
    • 「啓蒙かまぼこ新聞」(雑誌広告)
    • 「微笑家族」(雑誌広告)
    • 1983-84年おせち料理(テレビCM、新聞広告) カネテツデリカフーズ「父の日」全面広告で神戸新聞広告賞受賞
  • 尼崎市
    • 市制70周年記念(コピー)
「ぼくがすきな まちをすきな きみがすき」
  • 東宝東和
    • 映画『死霊のはらわた3 キャプテン・スーパーマーケット』(コピー)
「こんなヒーロー見たことない!
空飛べない。変身しない。でも、イザとなったら卑怯者!
ハッタリかまして泣く子も笑う、ニューヒーローの誕生だ!!」
  • 樋屋製薬
    • 樋屋奇應丸(テレビCM-スタッフ参加)

映画化[編集]

テレビ化[編集]

漫画化[編集]

テレビ構成[編集]

テレビ出演[編集]

ラジオ出演[編集]

映画出演[編集]

ライブ活動[編集]

  • 1997年
    • 4月6日:筋肉少女帯のオープニングアクト
    • 4月25日:「春一番」
    • 5月3日:「春一番」
    • 10月9日:「PISS」&「JIZZ MONKS」
  • 1999年
      • 5月5日:「春一番1999」
  • 12月31日:カウントダウン
  • 2000年
    • 5月4日:「春一番2000」
    • 6月3日:サナエProdused「Flying Tackle!!」PISS出演
    • 11月6日、10日:CD「PISS FACTORY」発売記念ライブ
  • 2002年
    • 5月4日:「春一番2001」
    • 5月5日:「春一番2002」
    • 5月18日:電車
    • 8月3日:MOTHER'S BOYS、大阪・ハードレインにて初ライヴ
    • 10月8日:“らも meet THE ROCKER”(全4回)
    • 10月16日:「伝説とピック」怒濤のギターライブ
  • 2003年
    • 8月3日:「らも&MOTHER'S BOYS」
    • 8月27日:大槻ケンヂLIVE『プライベート・アンプラグド』
    • 10月4日:BONE IDOL発売記念『空が落ちる日』〜おまえらをすすってやる〜
  • 2004年
    • 8月27日:大槻ケンヂLIVE『プライベート・アンプラグド』
    • 10月14日:中島らも追悼ライブ
      • 「うたっておどってさわいでくれ〜RAMO REAL PARTY〜」

活動したバンド[編集]

関連項目[編集]

  • 兵庫県出身の人物一覧
  • 双極性障害
  • 直木賞 - 『人体模型の夜』『ガダラの豚』『永遠(とわ)も半ばを過ぎて』の3作での候補になった作風が当時の直木賞選考委員の好みに合わなかったことが選外の一因と言われ、事務所の社員から「オッチー」との名を授かる。
  • 町田康-芥川賞作家。アルバムで中島らものバンドの十八番「kyoko」をカバー、中島の追悼ライブにも出演。
  • 鮫肌文殊 - 構成作家、いくつかの中島の著書に参加、ヘルハウス時代の居候の一人
  • わかぎゑふ - 笑殺軍団リリパットアーミー共同設立者。
  • ガンジー石原 - 元「プレイガイドジャーナル」編集者、笑殺軍団リリパットアーミー初期メンバー。
  • 松尾貴史 - タレント、笑殺軍団リリパットアーミー旗揚げメンバー。
  • 鈴木創士 - フランス文学者、翻訳家、中島らもとは学生時代からの友人、いくつかの著作の中でエス、鈴木、sou、という名前で出ている
  • チチ松村 - ギターデュオ「GONTITI」ギタリスト。中島とは「変人どうし」で気があい、共同執筆、コンビでのラジオ・テレビ出演を行う。
  • 山口冨士夫 - バンド村八分、ギタリスト
  • ひさうちみちお - 漫画家、イラストレーター、笑殺軍団リリパットアーミー初期メンバー、中島らも作品の挿絵や表紙イラストを多数手がける
  • 麻枝光一 - 中島の麻薬入手を幇助。麻枝自身も有罪判決を受ける
  • 竹中直人 - コント仲間。
  • シティボーイズ - 芝居仲間。
  • ラジカル・ガジベリビンバ・システム - コント仲間。
  • 野坂昭如 - 「らっきょう」のお題で小説勝負。
  • 藤木直人 - 俳優、ミュージシャン。中島らもの差別批判の為の曲「いいんだぜ」をライブでカバー。オリジナルの歌詞が過激なため、一部改変している。

脚注[編集]

  1. ^ 美食を追求する昨今、飲食店として致命的な不味さの料理を愛でて批評する会。会員は発起人の本人のみ。
  2. ^ 後の中島がそうであったように父親も躁鬱病を患っており、小学生だった中島に突然「裕ちゃん、今日は太陽が西から昇る」と言い出しそのまま入院となったり、自宅の庭にローラースケート場やプールを突発的に自作したり、大量の砂糖を備蓄したり、弓を始めたり、突然宗派を変えたりといった奇行を度々繰り返していた。また叔父は酒屋を経営していたが失敗、泥酔して中島家に無心に来て断られては玄関先で暴れていた。後に中島は「躁鬱病は父親から、アル中は叔父から受け継いだ」と語っている
  3. ^ 大阪弁で「死んでしまえ」の意味
  4. ^ 大日本除虫菊の殺虫剤「キンチョール」のキャッチコピー「トンデレラ・シンデレラ」などで知られる電通大阪支社所属のコピーライター。1985年日本航空123便墜落事故で死去
  5. ^ 「食べることに困ることが無いように」との願いを込め息子に「穂」、娘には「苗」の字をつける
  6. ^ 大津屋は中島の退社後約1年で倒産
  7. ^ 中島美代子著『らも 中島らもとの三十五年』・2008年2月TBS『人生情報バラエティ「R30」』 より
  8. ^ 同社の宮前賢一社長は、藤島の関西学院大学時代の1年先輩に当たる
  9. ^ 2007年、厚生労働省が、うつ病の治療薬からリタリンを除外
  10. ^ 灘高校時代の同級生、村上健が常務を務めていた。現在は代表取締役社長
  11. ^ 夫人の証言によれば、本人は生前から「俺は階段から落ちて死ぬ」「植物状態になったら、すぐに殺してほしい」と語っていたという

外部リンク[編集]