日曜お笑い劇場

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日曜お笑い劇場

  1. MBSでかつて放送されていた吉本興業所属の芸人主演によるバラエティ番組、「サモン日曜お笑い劇場」。滋養強壮薬「サモン」の大正製薬の単独提供で、腸捻転解消前のNET(現・テレビ朝日)「大正テレビ寄席」の関西地区での企画ネット番組でもある。
  2. 日本テレビで日曜日夜に放送されていた公開バラエティ番組。本項目で詳述。

日曜お笑い劇場(にちようおわらいげきじょう)は1981年に日本テレビで放送されていた、収録会場に観客を入れる形式の公開バラエティ番組である。

[編集] 概要

この番組は、1981年5月9月、日曜夜8時枠で放送された。番組の構成はゲストの歌と長編コントで構成される。主演(コントコーナーの「お婆ちゃん」役も兼ねる)は三波伸介である。制作スタッフ陣には「カックラキン大放送!!」のスタッフが主に起用された。主演を務めた三波はこの当時、日曜日に、日本テレビ「笑点」(17:20-18:00)、NHKお笑いオンステージ」(19:20-20:00)にも主演を務めていた。このため、視聴者から見れば日曜夕刻に3番組立て続けに三波の姿を見ることが出来た。
メインコントは「にぎやか笑楽居町(わらいちょう)サンロード」という商店街にある、三波一家の自宅を舞台にした、家族長編コント。三波伸介扮するお婆ちゃんを狂言回しに三波一家が織り成すドタバタとユーモラスさを交えて進行する。このコーナーでは、歌のゲストもコントの配役に宛てられる。
しかし当初はメインコントがコントらしさはあったものの、本業は俳優である柳生博がいたためか後期は結局コメディーではなくヒューマンドラマぽさな内容(嫉妬ネタやジミー・オズモントの家出ネタ(笑いではなく、号泣ネタ))となり、さらに柳生がコメディーに合っていなかったなどのミスキャストにより笑いがうすれてしまったことと、裏番組のNHK「大河ドラマ」、フジテレビオールスター家族対抗歌合戦」、テレビ朝日「西部警察」に視聴率を奪われ、わずか2クール(半年)の短命に終り、後番組の「日曜8時!ドパンチ放送!!」も柳生を降板させ、再起を賭けたが、こちらも振るわなかった。主演の三波にとっては視聴率1%につき10万円のギャラが懸っていたが、それも空しい結果となった。だがそれは1982年10月の「久米宏のTVスクランブル」開始でなんとか歯止めがかかることとなる。

[編集] レギュラー出演者(三波一家)




[編集] 前後番組の移り変わり

日本テレビ系列 日曜夜8時枠
前番組 番組名 次番組
日曜お笑い劇場