青森ねぶた

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青森ねぶた(2009年の東北電力のもの)

青森ねぶた(あおもりねぶた)、または青森ねぶた祭(あおもりねぶたまつり)とは青森県青森市8月27日に開催される夏祭りであり、毎年、延べ300万人以上の観光客が訪れる。 1980年には国の重要無形民俗文化財に指定された。

目次

[編集] 起源・歴史

以前、起源としてよく知られていたのはのちに征夷大将軍となる坂上田村麻呂陸奥国蝦夷征討三十八年戦争・第3期)の戦場において敵を油断させておびき寄せるために大燈籠太鼓ではやし立てたことを由来とするものである。このため、青森ねぶた祭りの最優秀団体に与えられる賞として1962年に「田村麿賞」が制定された(現在では「ねぶた大賞」と名称変更されている。後述)。しかし田村麻呂が現在の青森県の地で征討活動をしたとは考えられず、ねぶたの起源とされたものも田村麻呂伝説の1つと見られる。現在では、日本全国にある土着の七夕祭りや眠り流しの行事(禊祓い)が変化したものと考えるのが主流である。

このほかにも八切止夫が「ねぶた」という言葉の語源から推察した説も存在する。かつて東北に追われた原住民であった蝦夷を組織化し、征東大将軍紀古佐美の率いる5万の大軍を北上川で全滅させ鉄武器を奪って田子の浦まで攻め込んだ阿弖流為という王が東北にはいた。その後、大陸の援助で鉄武器を大量に補給された田村麻呂らと12年に渡って戦ったが最後には制圧されて蝦夷は滅びた。阿弖流為は今の大阪府の杜山まで連行され朝廷に謁見後、斬首、さらし首にされたが東北に残っていた妻子や残党は大きな穴を掘らされて生きながら埋められ惨殺されたとされている。その生き埋めの上に土をかけ、その土を素直に降伏し奴隷となった者らに踏みつけさせた。これが今の東北三大奇祭のねぶた(根蓋)の起こりであるとされている。つまり「根」(死)の国へ追いやるための土かぶせの「蓋」ということである。踏んづける恰好をする踊りに田村麻呂の山車を担ぎ踊る様は、その時のエピソードを表現しているとされている。ただし、八切止夫の語源解釈は歴史学・国語学の方面では学術的意義を認められていない。

また、「飢饉や疫病の蔓延で大量に餓死し、病死した者を十分な弔いもせずにまとめて土葬した暗い時代があった。そんな被葬者たちの怨念の復活を恐れた人々は、根の国に蓋をする鎮魂の儀式として、 「ラッセー」(「来世(らいせ)」)と唱えているもので、野辺の送りを原形として自然発生した村祭りであろう。」 とする言説もあるが、確証はない。ただ、各地の盆祭りや、針供養、筆供養、人形供養など様々な供養と同様にその供養する心が起源となっているものであろうことは容易に推定できる。 祭りとは、現在の庶民が個々にかかえる憂さを一気に晴らす場とその勢いの流れに酔うことをあらわす言葉で、 多くの人の「憂さを晴らす」という心が、何らかの催事の場で同調し、結集した結果、お祭りという質と規模になるものであり、 その場で憂さを忘れ「今」に生きていると実感することが大事な要素となっている。 とするなら、起源は、いつの時代も「個々の人々が抱える憂さ」であり、意味はかわっても人々に「憂さ」が無いことはなく、祭りの「火種」は無数にあるもの。 意図的に「祭り」に意義付けをしたり、必要以上に煽ってはいけない、祭りごとと称し、政治・行政の手段となっているから。

藩政時代や明治時代には大型の灯籠を担いで町中を練り歩く行為に対し、しばしば禁止令が出された。戦時中も禁止されたが、戦況が悪化した1944年には戦意高揚の為に解禁されている。戦後は企業がねぶた運行の主体となり、観光の側面が強くなるようになった。人形型ねぶたは元々は竹を曲げて骨組みを作り、指等の細かい部分はその上に貼った和紙に筆で描いていた。昭和30年代に北川啓三(後に、ねぶたの神様)というねぶた師が針金を用いて指を1本ずつ作ったり複雑な造作のねぶたを作ったことによって、ねぶた界に革命が起こる。針金が登場した当時、一部では反発があったと言われている。

北川によってロウソクだった内部の明かりを蛍光灯に替え、台座にバッテリーを乗せ明るく輝くねぶたを作ることに成功しより芸術性と完成度を高め、後に「ねぶたの神様」と評される。北川は既に他界しているが、現在の主流となっているねぶたの磯は北川が築いたと言える。ねぶた作りは、

  1. 題材の決定
  2. 設計図となる下絵を描く
  3. 各パーツの製作
  4. パーツ類を配置する為の骨組み
  5. 明かりを内側から灯す為の電気配線
  6. 針金の表面を覆う紙貼り
  7. 紙の上に黒いフチや線を描く書割
  8. 着色時の色の混濁を防ぐロウ書き
  9. 白地に彩色する色付け
  10. 持ち上げて台車に設置する台上げ

というこれらの10の工程を経て完成する。

現在では最大サイズとして幅約9m、高さ約5m、奥行き約8mと言う規定がある。

[編集] 題材

日本や中国の伝説や歴史上の人物、歌舞伎、神仏などを題材にすることが多いが近年では地元の伝説や偉人、テレビ番組(特にNHK大河ドラマ)などを題材にすることもある。青森市初代名誉市民である棟方志功の生誕100周年となった2003年には彼の版画を題材にしたものが登場した。

昭和30年代ごろまでは歌舞伎・中国の伝説(三国志水滸伝)・合戦物が大部分を占めており、中でも北川啓三は同じ題材をほぼ毎年何度も制作していた。昭和40年代になると、それら以外にも様々なジャンルが増え、昭和50年代末頃には郷土(青森)のジャンルが確立された。現在では、これまでと同じ題材でも、構図に多くの工夫を凝らし、その結果毎年より高い水準となっている。 

[編集] 開催状況

毎年8月2~7日まで開催される。このうち8月2~6日が夜間運行である。7日は昼間運行であるが、夜に海上運行と花火大会が催される。また、8月1日には前夜祭が行われる。開催にかかる費用は、約2億2千万[1]

青森のねぶたには大型ねぶた、子供ねぶた、地域ねぶたがある。子供ねぶた、地域ねぶたは主に町内会が主流となって運行するねぶたであり大きさも普通の大型ねぶたより一回り小さい。子供ねぶたは8月2・3日の2日間運行される。大型ねぶたは開催期中必ず運行されるが、奨励金の関係か2日と3日は大型ねぶたの運行台数が少ない。

[編集] 青森市以外のねぶた・ねぷた

[編集] 青森ねぶたの遠征

渋谷センター街で運行されるねぶた(2009年)
恒例となっているもの
「青函ツインシティ交流」を結んでいる北海道函館市の「函館いか踊り」との間で、隔年で「ねぶた」と「いか踊り」の相互派遣が行われている。2006年は8月7日のねぶた昼間運行の先頭に「いか踊り」が登場し、2007年は函館に「ねぶた」が派遣された。
  • 「センター街ねぶたまつり」
2005年より、毎年9月(金王八幡宮例大祭と同日)に東京都渋谷区渋谷センター街で開催。但し渋谷センター街自体道路が狭い為、青森ねぶたの半分程度の大きさのねぶた1基が製作させる。
現時点で単発開催のもの
とことん青森2010 原宿表参道で運行されたねぶた

[編集] 各地のねぶた

青森県内では、大小さまざまなねぶた・ねぷたが合わせて約30市町村で作られている。以下は主なもの

青森県外では、ねぶたが祭りの一部に組み込まれている例が見られる。

[編集] 運行コース

青森市内の国道4号、新町通り、県庁通り、平和公園通りで囲まれたエリアが運行コースとなる。

1982年まで国道4号線県庁通り交差点から1台ずつ出発し、コースを右回りで回っていた。しかし祭りが佳境にはいったころ車幅の狭い新町通りにねぶたが入り、ハネトで通りが一杯になりねぶたがいつまでたっても前に進めないという問題点が指摘された。このため1983年に左周りにコースが改められた。

その後、1992年にねぶた団地(ねぶたの車両基地のようなところ)がそれまでの公園(青森市立浦町小学校に隣接)から観光物産館付近のラッセランドに移されスタート地点が新町通りと柳町通り付近の交差点となった。

しかし祭りが高潮するとハネトであふれかえるためゴール地点は常に渋滞し、祭りそのものがなかなか終了しないという問題は相変わらずであった。ねぶた祭は青森市内の幹線道路を2本も通行止めにするので、時間通りに祭りが終了しないと市民生活に与える影響も大きい。またこの頃から、増大するカラス族(後述)の問題が無視できなくなってきた。祭りがだらだらと運行されるとカラス族が最後尾に集合し、祭りそのものが彼らの格好の餌食にされてしまう。

そこで2001年にはあらかじめねぶたを配置し花火の合図で同時にスタートし花火の合図で同時に終了するという手法に改められ、コースも右周りとなった。これによりねぶたの列の始めと終わりがなくなり、運行もスムーズになった。また、祭りを破壊しに来るカラス族を少なくさせることにも成功した。

一方で、花火の合図と同時に最高潮にある祭りが蜘蛛の子を散らすように終了するのは見ていて寂しいものがある。

なお最終日の7日に限り、現在でもねぶたが1台ずつ出発している(吹き流し)。

[編集] ねぶた祭りへの参加

ハネトの正装

ねぶたの運行に関して基本的な運営(ねぶたの隊列、山車の運行、囃子方)は各出陣団体によって賄われる。それ以外の重要なファクターとしてねぶたをロープで引っ張る子供(現在は形式だけで実際に引く団体は稀)、ハネトがある。特にハネトに関しては正式な装束をまとってさえいればどの団体のねぶたに参加しても自由であり、観光客でも参加することができる。 県内のスーパーやデパートなどでは、花笠を除いて一式5000円程度で販売されている他、ねぶたの運行ルート上には衣装のレンタルを行っている所もある。こういった所では衣装の着付けもしてくれるので気軽にハネトとして参加することができる。

[編集] ねぶた師

祭りのメインである山車、ねぶたを作る制作者のことをねぶた師という。明治時代ごろまでは、ねぶたが町内単位での運行であったため、有志が制作していたが、ねぶたを企業などが運行するようになると、次第に名の立つ制作者が注文を受けるようになった。昭和時代になると、雑誌などで制作者のことを「ねぶた師」というようになる。2010年現在、ねぶた師は12人で、それぞれ作風が異なるので、見ていて飽きない。

[編集] ねぶた師・製作団体一覧(敬称略、制作歴順 2011年度)

※()内は大型ねぶた制作年

  • 北村 隆 (きたむら たかし)(1966年,69年,77年~)

 青森山田学園、ヤマト運輸、に組東芝のねぶたを制作 [1](ねぶた師 北村隆 公式ウェブサイト)

  • 北村 蓮明 (きたむら れんめい)(同上)

 日立製作所、青森県板金工業組合、パナソニックのねぶたを制作 

  • 千葉 作龍 (ちば さくりゅう)(1967年~)

 サンロード青森、消防第二分団のねぶたを制作

  • 柳谷 優浩(やなぎや まさひろ)(1984~88年,1990年,1997~06年,2008年~)

 日本通運のねぶたを製作

  • 穐元 和生  (あきもと わせい)(1985~86年,1988~02年,2006年~)

 東北電力のねぶたを制作 [2](侫武多倶楽部どっとこむ)

  • 内山 龍星 (うちやま りゅうせい)(1987年~)

 青森青年会議所、青森市PTA連合会のねぶたを制作 [3](ねぶた工房 龍星)

  • 竹浪 比呂央 (たけなみ ひろお)(1989年~)

 JR東日本、青森菱友会(三菱)、マルハニチロのねぶたを制作 [4](竹浪比呂央ねぶた研究所)

  • 諏訪 慎  (すわ まこと)(2004年~)

 ねぶた愛好会のねぶたを制作

  • 有賀 義弘  (ありが よしひろ)(2005年~)

 陸上自衛隊青森駐屯地のねぶたを制作

  • 大白 我鴻  (おおしろ がこう)(2005~07年,2009年~)

 青森県庁のねぶたを制作

  • 京野 和鴻 (きょうの わこう)(2007年~)

 あおもり市民ねぶた実行委員会のねぶたを制作

  • 外崎 白鴻  (とのさき はくこう)(2009年~)

 青森市役所のねぶたを制作

  • 北村 春一  (きたむら しゅんいち)(2011年~)

 NTTグループのねぶたを制作 北村蓮明の実の息子である。


  • 私たちのねぶた自主制作実行委員会は、特定のねぶた師によって制作はなされていないが、ねぶた師と同等の役割を果たす責任者(制作指導者)が制作の指揮をとっている。

[編集] ねぶた名人

それぞれの時代において、優れた功績を残したねぶた師には名人位が贈られており、2010年現在で4人のねぶた名人がいる。

  • 初代:北川金三郎(1880年~1960年)

   それまで竹で大ざっぱに作っていたねぶたを、針金で丁寧に作り、ねぶたに革命をもたらしたため、「中興の祖」と呼ばれる。

  • 2代目:北川啓三(1905年~1988年)

   上記初代名人の息子で、父同様優れたねぶたを作り、第1回田村麿賞を獲得した。

   上記北川親子の弟子。骨組みが少ないため平坦な作りであった顔の部分(面)を、針金を多用し、凹凸のある面にし、主流とさせた。華麗な色彩と大胆な構図の作りで、多くの制作者が尊敬の念を抱いている。

   馬のねぶたを得意とし、同世代の上記佐藤名人が華麗なねぶたを作ったのに対し、荒々しいねぶたで、作りが対照的であった。多くの弟子を育て一派をつくり、結束力を強めた。馬を得意とした。

ねぶた師は、名人たちの流れを受け継ぎ、自分の作風をつくりあげていく。   

[編集] かつて制作した主なねぶた師

明治~大正時代

  • 柿崎琴章(生没年不詳)
  • 坂田金作(生没年不詳)

昭和時代

  • 北川金三郎(1880年~1960年)

 初代名人。上記参照。

  • 秋田覚四郎(1895年~1972年)
  • 稲田千代吉(1902年~1972年)
  • 柴田吉五郎(1896年~1960年)
  • 織田智一(1897年~1978年)

 初めて馬をねぶたで作った。

  • 北川啓三(1905年~1988年)

 2代目名人。上記参照。

  • 千葉作太郎(1908年~1966年)

 千葉作龍(上記)の父で師匠。

  • 川村伯鳳(1911年~1980年)

 独特な作風で、ねぶたのグロテスクの要素を確立させた。

  • 佐藤伝蔵(1925年~1986年)

 3代目名人。上記参照。

昭和~平成時代

  • 鹿内一生(1925年~1991年)

 4代目名人。上記参照。

  • 石谷進(1932年~2008年)

 昭和39年から長きに渡り制作した。早作りで有名で、1973年には6台も制作した。鹿内一生没後は最長老となり、昭和の面影のあるねぶたを制作した。2003年まで制作。

  • 川村心生(1945年~2000年)
  • 穐元鴻生(1945年~2006年)

 鹿内一生の弟子たちのリーダーであった。前述の穐元和生は実弟。2005年まで制作。

  • 白鳥芳生(1946年~)

 2006年まで制作。

  • 福井祥司(1947年~)

 佐藤伝蔵の助手であったが、1986年に佐藤が倒れ、制作途中のねぶた3台を引き継ぎ、完成させた。2007年まで制作。

  • 渋谷昭雄(1948年~)

 2003年まで制作。

  • 木村富美男(1951年~)

 自衛官で、自衛隊のねぶたを制作。定年退職により2004年まで制作。現在は青森自然公園ねぶたの里にてねぶたを制作している。

  • 村元芳遠(1950年~)

 主に黒石ねぷたでの人形ねぷた師として有名で、青森ねぶたも2008年まで制作。青森でも、おどろおどろしい独特の作風は異彩を放っていた。

[編集] ねぶた大賞

ねぶた本体・運行はねと・囃子の総合評価で最優秀のねぶた運営団体には「ねぶた大賞」が贈られる[2]

またこの賞は1962年より「田村麿賞」の名称で制定されたが、坂上田村麻呂は東北地方から見れば征服者であるという見解により「賞名に征服者の名前を使うのはおかしい」「史実の坂上田村麻呂は青森までは来ていない」という批判もあり各界各層の意見や世論を踏まえた結果として1995年より現在の賞名に変更された。

[編集]

昭和20年代より、ねぶたを豪華絢爛にすべく審査制度が設けられた。当初は「優秀」「優良」「佳良」などの名称であったが、審査に偏りがあるなどの理由から、1960年からは中止された。そして2年後の1962年より青森ねぶたの最優秀作を決める「田村麿賞」が制定された。その後、「田村麿賞」に次ぐ賞がいくつか設けられた。

  • 審査方法(2010年現在)

点数制で、ねぶた本体の点数に運行、ハネト、囃子、年功などの点数を加算して順位が決まる。しかしそのため、ねぶた本体の順位と総合点の順位が異なる場合があり、これによってねぶた本体の評価と総合点での審査結果で逆転現象がおこる。

賞一覧(2011年現在)

  • ねぶた大賞(1995年~)
    • 最高賞。1962年~1994年までは「田村麿賞」(詳しくは「ねぶた大賞」を参照)
  • 知事賞(1971年~)
    • 第2位の賞。
  • 市長賞(1959(1990)年~)
    • かつては参加賞の位置づけであったが、1990年より第3位の賞となった。これに合わせるようにそれまで年賞と同じ小型だった額が大型化された。
  • 商工会議所会頭賞(1990年~)
    • 第4位の賞。
  • 観光コンベンション協会会長賞(1994年~)
    • 第5位の賞。2000年までは「観光協会会長賞」
  • 囃子賞(1972年~)
    • 最も良い囃子を奏でる団体に贈られる賞。
  • 運行・跳人賞
    • 運行と跳人が最も良い団体に贈られる賞。かつては運行賞と跳人賞という別々の賞だった。
  • 最優秀制作者賞(2005年~)
    • その年の最も良いねぶたを作った制作者(ねぶた師)に贈られる賞。
  • 優秀制作者賞(2007年~)
  • 海上運行賞
    • 最終日に開催される海上運行に選出されたねぶたに贈られる賞。上記各賞と併せて贈られることが多かったが単独で贈られたねぶたもある。かつては海上運行に出陣できる全てのねぶた(当時5台)に贈られていた。海上運行が7台となった2011年に復活するが、大賞からの上位5台は海上運行の対象ながら贈られず、上記各賞を受賞していない2台に単独で贈られた。
  • 年賞
    • 全てのねぶたが獲得する賞。初出陣の年を一年賞とし、それから連続何年出ているかが記されている。2011年現在最長は日通と東芝の六十五年賞。

  かつて設けられていた賞

  • 奨励賞(1967年~1970年)
  • 制作賞(1979年~1993年、2001年~2004年)
    • 1993年まではねぶた本体のみで最も優れた団体に贈られる賞としてあった。2001年に復活した が、その年の最も良いねぶたを作った制作者(ねぶた師)に贈られる賞としてであった。2005年に前述の「最優秀制作者賞」に名称変更した。
  • 青森公立大学開学記念賞(1993年) 
  • 商工会議所百周年記念賞(1993年)
  • 運行賞
    • 運行が最も良い団体に送られる賞。7日間を皆勤したねぶたがとることが多かった。跳人賞と統合された。
  • 跳人賞
    • 跳人が最も良い団体に贈られる賞。運行賞と統合された。

[編集] 運行団体一覧(2011年度 順不同)

青森ねぶたは、大型化にともない町内会だけで費用をまかないにくくなり、ほぼすべての団体が大手企業、官公庁、大学等がスポンサーとなり運行している。しかし、企業名や官公庁の名がある団体でも、すべての関係者がその企業の社員や職員ではないことがある。また、ねぶた愛好会や私たちのねぶた自主製作委員会の様に特定のスポンサーをつけず、市民の手だけで製作・運行している団体もある。

  • パナソニックねぶた会(かつては「青森ナショナル店会」であった) 
  • 青森市役所ねぶた実行委員会
  • サンロード青森       
  • 青森菱友会
  • 日立連合ねぶた委員会
  • 青森自衛隊ねぶた協賛会
  • 消防第二分団・アサヒビール
  • NTTグループねぶた(1985年の民営化以前は「日本電信電話公社」であった)
  • ヤマト運輸ねぶた実行委員会
  • 青森県板金工業組合
  • 青森山田学園(2003年より。それ以前は「青森大学」で、1988年までは1年おきの運行であった)
  • (社)青森県青年会議所
  • 東北電力ねぶた愛好会 (昭和48年から昭和58年まで、運行を取りやめていた)
  • 県庁ねぶた実行委員会
  • 私たちのねぶた自主制作実行委員会
  • ねぶた愛好会
  • マルハニチロ侫武多会(かつては「大洋漁業ねぶた会」「青森マルハ侫武多会」であった)
  • に組・東芝(日本通運と並んで最も参加歴が長い)
  • JRねぶた実行プロジェクト
  • あおもり市民ねぶた実行委員会 (2002年より新規参入 名称変更などを除き、22団体のうちもっとも新しい団体である)
  • 青森市PTA連合会
  • 日本通運ねぶた実行委員会(に組・東芝と並んで最も参加歴が長い)

かつて運行していた団体

 ほか多数

[編集] 「カラス族」問題

カラス族とはねぶた祭りで傍若無人な振る舞いをする者達である。彼らはハネトの正式な衣装ではなく、黒装束などの衣装でねぶたに参加しそれがカラスのように見えると言うことで「カラス族」または単に「カラス」と呼ばれるようになった。 「カラスハネト」とも言われるが彼らの振るまいは祭りにそぐわないもので、そもそも「ハネト」の名に値しないとして地元メディアでは「カラス族」として表現されることが多い。徒歩暴走族の分類とされる。

カラス族は1986年あたりからねぶた祭りに現れ始めたといわれる。当初はそれほど問題視されてはいなかったが平成に入ると暴走族などがグループの中心となるようになり、次第に悪質凶悪な集団となっていった。この問題はしばしばマスコミ等で取り上げられたが、それがかえって全国からカラス族の集団を呼び集める「逆効果」を引き起こすこととなった。青森市にとってねぶた祭りは貴重な観光資源であり、祭りの安全かつ正常な運営は避けて通るわけにはいかない。そこで青森市など主催者側はカラス族を監視、統制するためにカラス族を1か所にまとめてねぶたを運行するという対策を1996年に行った。しかしこの対策はカラス族を肯定することとなり、逆にカラス族を増長させるという結果になった。

この危険な集団は2000年には1万人にも増え仲間同士の抗争、観客や警察への暴行と凶行がエスカレートしもはや正常な祭りとは言えないような状況になった。

そこで主催者側は2001年、ねぶたの一斉スタート、一斉終了という作戦を導入した。同年、県も迷惑行為等防止条例を施行し事件にならなければ手が出せなかった警察も事件が起きる前に摘発、排除できるようにした。結果、祭りとしては盛り上がりに欠けるものになったがカラス族対策には効果があり事件の件数は激減した(五所川原に移動しただけとの見方もある)。しかし特に以前の祭の盛り上がりを懐かしむ人の間ではこれに反対する声も根強い。

現在ではねぶた祭りの治安はかなりよくなっている。これも市、警察、ボランティアの人々の努力の賜物である。

近年では正装であるたすきをかけずに祭りに参加する女性が増加している。カラス族が減少している今、第2のカラス族とも言うべきたすきをかけずにまるで振袖のような格好の「クリオネ族」なるものも登場している。いずれにせよ、祭りに参加する者のモラルの低下が見受けられる。

[編集] ねぶたが出た映画

[編集] その他

  • 北海道の七夕には、青森県のねぶたが伝播・変化して根付いた「ローソクもらい」という子供たちの行事がある。
  • ねぶた音頭 唄佐々木新一 青森ねぶた祭りの中でコースで流し踊りを披露する。

[編集] 放送について

[編集] 脚注

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  1. ^ 提言書米子青年会議所
  2. ^ 各賞紹介(青森ねぶた祭オフィシャルサイト)
  3. ^ 2010年まではアナログでもサイマル放送

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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