荻原弘子

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おぎわら ひろこ
荻原 弘子
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 埼玉県川越市[1]
生年月日 1954年10月13日
没年月日 (2009-04-19) 2009年4月19日(54歳没)
最終学歴 聖心女子大学卒業[1]
部署 日本テレビ報道局チーフディレクター
職歴 日本テレビアナウンサー
(1977年 - 2009年)
活動期間 1977年 - 2009年
ジャンル 報道
出演番組・活動
出演経歴 NNNニュース キユーピー3分クッキングなど

荻原 弘子(おぎわら ひろこ、本名:尾崎 弘子 - おざき ひろこ、旧姓:荻原。1954年10月13日[1] - 2009年4月19日)は元日本テレビ放送網報道局チーフディレクター、元同局アナウンサーである。

来歴・人物[編集]

大学生時代はアナウンス研究部に所属していたことで、「その流れで自然とアナウンサーを目指すようになった」と本人は話している[2]

アナウンサー時代は、主にニュースや天気予報、料理番組などで活躍した。1980年代は夕方のニュース番組に出演し、日本テレビの夕方の顔的存在であった。

報道局に異動後はディレクターとして、さまざまな問題について取材を行うようになる。『報道特捜プロジェクト』では「オバサンは怒っている」のオバサンリポーターで知られ、家庭の主婦の代表として取材を行った。その取材ぶりはしばしば「突撃取材」と評されることもあった。

日本各地で講演活動を行い、アナウンサー時代の経験を生かし講演会のコーディネーターを務めることもあった。

2009年4月19日、癌のため死去。54歳没[3]

略歴[編集]

出演[編集]

いずれも日本テレビ在籍時

代表で務めた報道・情報番組
期間 番組名 役職
1982年4月 1983年3月 NNN JUST NEWS 月~水曜日メインキャスター
1983年4月 1984年3月 平日メインキャスター
1984年4月 1985年3月 NNN6:30きょうのニュース
1987年7月 1987年9月 酒井広のうわさのスタジオ 司会
その他

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 週刊テレビ番組(東京ポスト)1983年5月6日号 p.52
  2. ^ 河北新報 1983年4月19日 朝刊 16面「登場」
  3. ^ “荻原弘子さん死去 元日本テレビアナウンサー”. 共同通信社. 47NEWS. (2009年4月22日). オリジナルの2009年4月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090425051052/http://www.47news.jp/CN/200904/CN2009042201000382.html 2017年1月26日閲覧。 
  4. ^ a b 週刊プレイボーイ 1978年10月10日号「TV局の美人で評判のウェザー・キャスター大接近 天気よりずっと気になるあの顔と声」p.27
  5. ^ 山本園子は1983年8月に、番組レギュラー《アシスタント》に復帰。
  6. ^ 荻原弘子がお相手をした講師は、宮本三郎(1978年4月-1978年9月)、望月澄江(1978年4月-1978年9月)、中城裕美(1978年4月-1983年3月)、中川紀子(1978年4月-1979年9月)、久松育子(1978年10月-1981年3月)、鈴木登紀子(1979年4月-1980年9月)、上平喜美江(1979年10月-1982年4月)、江上栄子(1981年4月-1983年7月)、滝口操(1982年4月-1983年7月)、葛西麗子(1983年4月-1983年7月)。

関連項目[編集]

先代
石川牧子
平日夕方のNNNニュース
月 - 水曜女性メインキャスター
1980年 - 1983年
NNN JUST NEWS
次代
(月 - 金曜担当に)
先代
小池裕美子(木・金)
(月 - 水曜は続投)
平日夕方のNNNニュース
女性メインキャスター
(1983年 - 1985年
NNN JUST NEWS
→「NNN6:30きょうのニュース
次代
大島典子