三遊亭好楽

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さんゆうてい こうらく
三遊亭 好楽
三遊亭 好楽
三ツ組橘は、圓楽一門の定紋である(ちなみに笑点では「八角かたばみ」を使用している)。
本名 家入 信夫
生年月日 1946年8月6日(67歳)
出生地 日本の旗 日本東京都豊島区東池袋
血液型 B
活動期間 1966年-
活動内容 落語家
備考
旧名・林家九蔵
三遊亭王楽は長男。

三遊亭 好楽(さんゆうてい こうらく、1946年8月6日 - 、本名、家入 信夫(いえいり のぶお))は、落語家円楽一門会幹部の一人。

来歴・人物[編集]

出囃子は『ずぼらん』(或いは師匠5代目三遊亭圓楽および師匠の直弟子である6代目円楽と同じ『元禄花見踊』)。演芸番組『笑点』(日本テレビ)の大喜利メンバーとして知られる。前名は林家九蔵。長男の一夫は、落語家の三遊亭王楽で、弟弟子にあたる。このほか、一般人の長女と雑司が谷で店を開いている次女がいる(いずれも王楽の姉)。

競馬ファンとしても知られており、報知新聞に予想記事を掲載していたが、まったく当たらずクビになったことが何度かある。

『笑点』の共演者である林家木久扇は、8代目林家正蔵(後の彦六)一門にいた当時の兄弟子でもある。

元々、5代目圓楽の惣領弟子になることを希望していた時期があったが、新聞で楽松(後の三遊亭鳳楽)が惣領として弟子入りしたことを知り、考え直した末、2代前の圓楽であった、当時の8代目正蔵(後の林家彦六)の落語を聞き、彦六門下に志願することにしたと語っている。

師匠・彦六は、早逝した息子・信男と同じ読みで子供の頃に父親を亡くしている好楽(当時・九蔵)を実の息子のように可愛いがっていたという。なお、彦六は王楽の本名(家入一夫)の名付け親となっている。意識不明で入院していた彦六の横で「師匠、死んじゃ嫌だ」と絶叫し、後に意識回復した彦六が「あんなに泣かれたら起きるしかあるめえ」と言ったエピソードもある。

その反面、前座時代は三遊亭鳳楽(当時・楽松)・6代目三遊亭圓橘(当時・朝治)ら同期で飲んだくれては叱られていた様で、兄弟子5代目春風亭柳朝と一緒に師匠正蔵に謝ってもらったりと、その失敗談の数々を聞いた林家たい平曰く「よく破門にならなかったと思うくらい豪快」。実際のところは行きつけのスナックで溜めたツケの請求を勝手に師匠に回したなどの理由でかなりの回数(本人によれば23回)破門されているというが、いつもしばらくするとなし崩し的に復帰が認められていたという[1]

今でも酒の量は半端ではなく、新幹線乗車時間1時間に対し、ひとり頭5本はビールを買ってくる[2]。木久扇も著書にて「大の酒好き」、「なかなかの豪快な九州男児」と記している(※正確には好楽の両親が熊本出身(2009年1月5日に96歳で急逝した実母は、現在の菊池郡菊陽町の生まれで、笑点の大ファンであると公表している)であり、好楽自身は東池袋生まれ)。

1971年11月に二つ目に昇進しているが、この時彦六(当時は8代目正蔵)に「女が出来たのか、その女と一緒になる気か」と聞かれ、「はい」と答えると「前座で祝言挙げるんじゃ格好がつくめぇ」と言われて二つ目に昇進させてもらうこととなったが、九蔵を二つ目にするためには香盤上他に10人も二つ目に昇進させる必要があった。彦六の一面から見ると横暴とも見える弟子思いぶりが伺えるエピソードではある[3]

新幹線の発車1時間前にはホームに行く彦六(たい平著参照)と、笑点収録の集合時間の1時間半前には楽屋入りを済ませる5代目圓楽(『笑点諸国お笑い漫遊記』参照)と、せっかちな師匠2人についた好楽は、事前行動が早いようで、メンバーで一番若手で最初に楽屋入りするべきのたい平よりも収録に早く来てしまう。ただし、前述の酒好きのため、九蔵時代と好楽になってから間もないころは何度か寝過ごしては注意を受け、列車での車両基地入りも経験している。

2012年、自身の半生を振り返る「好楽日和。」を晶文社から上梓[4]2013年には自らの高座や若手(主に好楽の弟子)の育成を目的に、自宅を新築して寄席「池之端しのぶ亭」をオープンさせた。収容人数は40〜50人で、寄席としては狭いがマイク無しで落語が聞ける[5]

大喜利メンバーとして[編集]

  • 1979年から三笑亭夢之助の後任としてメンバー入りし、1983年10月に古典落語の修業に専念するため卒業して4年半のブランクはあったものの、30年近くに渡り出演している。好楽(当時・九蔵)を笑点に誘ったのは現師匠・5代目三遊亭圓楽。『笑点』40周年を記念して発売したオフィシャル本では、『笑点』の前身番組『金曜夜席』のファンだったので、いずれは『笑点』に出演したいと勝手に思い込んでいたと語っている。
  • 着ているピンクの着物から、「ピンクの小粒コーラック」とも称される[1]。小圓遊急逝後、古今亭朝次加入以降、1983年の一時降板までは現在小遊三が着用している水色の着物を着用していた。なお、『笑点』の公式HPでは、好楽が歴代のピンクの着物を着用した落語家は出演期間が短いというジンクス(これを、「呪われたピンクの着物」と称している)を破り、「平成のラッキーカラー」になったのかもしれないとしている。
  • 1988年に笑点復帰後、僅か1ヶ月で座布団10枚を獲得した。復帰した当時は司会席のすぐ隣に座っていたが、答えた後に「師匠どうでしょう」と聞くなど司会の5代目圓楽への遠慮が見られたため、1992年4月に隣の小遊三と席を入れ替えた。
  • 九蔵時代は木久扇(当時・木久蔵)の弟弟子として「与太郎その2」的な役割を持ち、若く元気な印象が強かったが、5代目圓楽一門への移籍を機にキャラクター転換をしており、メンバーの中で一歩引いたポジションに収まっていた。
  • なお、5代目圓楽は笑点オフィシャル本中のインタビューで大喜利での好楽について日本でも人気となったアメリカのテレビドラマ「コンバット!」でリック・ジェイソン(スマートでクールなキャラクターのヘンリー少尉役を演じた)の路線で落ち着いてやると良いとコメントしている。

略歴[編集]

TVなどの出演歴[編集]

CM[編集]

《現在》

  • 野村證券(株券電子化篇-株券預けて安心篇-)
  • 日本薬師堂(グルコンEX) 

《過去》

  • サザエ食品「十勝おはぎ」(北海道ローカル)
  • としまえん「木馬の会」
  • パチンコ「ダイエー」(新潟ローカル)
  • 御菓子城加賀藩「名物加賀福」 (北陸地区ローカル)
  • テンジンヤ(静岡ローカル)
  • 松下電工「あかりごっこ」

一門弟子[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 競馬最強の法則』(KKベストセラーズ)2010年11月号、pp.123 - 125。
  2. ^ 林家たい平『笑点絵日記』ぴあ、2007年。
  3. ^ 『落語家面白名鑑』かんき出版、1982年、pp.97。なお現在圓楽一門会で同門の鳳楽・圓橘もこの時二つ目に昇進している
  4. ^ 好楽 半生振り返った一冊 2012年11月12日付読売新聞”. 2013年3月8日閲覧。
  5. ^ 好楽の寄席が正月オープン 「若手の勉強の場に」 2012年12月23日付東京新聞”. 2013年3月8日閲覧。

外部リンク[編集]