日本左衛門

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日本 左衛門(にっぽん ざえもん、享保4年(1719年) - 延享4年3月11日1747年4月20日))は、江戸時代中期の大盗賊。本名は浜島 庄兵衛

尾張藩の下級武士の子として生まれる。若い頃から放蕩を繰り返し、やがて盗賊団の頭目となって遠江国を本拠とし、東海道諸国を荒らしまわった。その後、被害にあった地元の豪農の訴えによって江戸から火付盗賊改方の長官徳山秀栄が派遣される(長官としているのは池波正太郎著作の「おとこの秘図」であり、史実本来の職位は不明)。日本左衛門首洗い井戸の碑に書かれている内容では、捕縛の命を受けたのは徳ノ山五兵衛・本所築地奉行となっている(本所築地奉行は代々の徳山五兵衛でも重政のみ)。逃亡した日本左衛門は安芸国宮島で自分の手配書を目にし逃げ切れないと観念(当時、手配書が出されるのは親殺しや主殺しの重罪のみであり、盗賊としては日本初の手配書だった)。1747年1月7日に京都で自首し、同年3月11日(14日とも)に処刑され、首は遠江国見附に晒された。上記の碑には向島で捕縛されたとある。処刑の場所は遠州鈴ヶ森刑場とも江戸伝馬町刑場とも言われている。罪状は確認されているだけで14件、2622両。実際はその数倍と言われる。

後に日本駄右衛門として歌舞伎青砥稿花紅彩画)や、様々な著書などで取り上げられたために諸説入り乱れているのが現状である。

現在に残る日本左衛門の史跡として、東京都墨田区・徳之山稲荷神社に日本左衛門首洗い井戸の碑があり、ほかにも遠州見附・見性寺と東京都江東区森下・長慶寺に墓があり、遠州金谷宿・宅円庵には首塚がある。 首塚には斬首の後に晒された首を日本左衛門の愛人が盗み出し、宅円庵で弔ったと言う言い伝えがある。首塚の脇にはその旨が記された看板がある。