モンキーズ

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ザ・モンキーズ
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ロサンゼルス
ジャンル ロック
ポップス
活動期間 1965年 - 1970年
レーベル コルジェムス・レコード
ベル・レコード
アリスタ・レコード
ライノ・レコード
事務所 レイバート・プロダクション
共同作業者 トミー・ボイス&ボビー・ハート
公式サイト http://www.monkees.net/
メンバー
デイビー・ジョーンズ
ミッキー・ドレンツ
マイク・ネスミス
ピーター・トーク

ザ・モンキーズThe Monkees)は、アメリカのポップ・ロックバンド

目次

概要 [編集]

結成経緯がオーディションによるものであることと、同名テレビ番組とレコード販売を連動させて売出すという当時としては珍しいメディアミックス戦略をとった。そのため活動中『作られたグループ』というレッテルがついて回ることとなった。解散後の1986年MTVで『ザ・モンキーズ・ショー』が再放送されたことがきっかけとなりマイク・ネスミスを除く3人で再結成された。以後1986年 - 1989年1996年 - 1997年2001年と再結成された。

日本でも1980年コダックフィルムのCMに「デイドリーム(デイドリーム・ビリーバー)」が採用されたり、TBSでの『ザ・モンキーズ・ショー』の再放送がきっかけでリバイバルブームが起こり1968年当時日本では公開されなかった映画『HEAD』の公開、マイク・ネスミスを除くメンバーが単独でそれぞれ来日するといった大きなムーブメントとなった。

ザ・モンキーズ・ショー』は2006年に音楽専門チャンネルミュージック・エア・ネットワークにて再放送。2009年からはフジテレビNEXTでたびたび再放送されている。

メンバー [編集]

来歴 [編集]

結成から第1次解散まで [編集]

1964年イギリス本国とアメリカ国内に於けるビートルズの過熱ぶりを目の当たりにしたスクリーン・ジェムス・コロンビアのバート・シュナイダーとボブ・ラフェルソンはアメリカ国内でスターグループを生み出そうとビートルズ主演の『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! - A Hard Day's Night』をヒントに同様な番組を制作することを思いつく。1965年9月8日、カリフォルニア州ロサンゼルスで音楽業界紙「デイリー・ヴァラエティ」に掲載されたオーディション広告に集まった若者約400人からデイヴィー・ジョーンズ、マイク・ネスミス、ピーター・トーク、ミッキー・ドレンツが選出される。

実際にはオーディション以前に、バート・シュナイダーとボブ・ラフェルソンはめぼしいアーティスト達に声をかけている。デイビーはその時点で、すでに参加が決定していた。 後年、ザル・ヤノフスキーの代わりにラヴィン・スプーンフルに参加する事になったジェリー・イェスターも台本を渡され打診されていたものの、当時参加していたモダン・フォーク・カルテットの全員が参加するのでなければと辞退する。

なお、このオーディション参加者の中にはポール・ウィリアムス、後のクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングスティーブン・スティルス(歯並びが悪いとの理由で不採用になったが幼馴染で自分に似た雰囲気のピーターを推薦)、同じくスリー・ドッグ・ナイトダニー・ハットンラヴィン・スプーンフルジョン・セバスチャンヴァン・ダイク・パークスなどがいたといわれている。

選出当時、マイク・ネスミスはマイケル・ブレッシング名義でカントリー・ミュージシャンとしてソロ活動、デイヴィー・ジョーンズはイギリスマンチェスター出身の舞台俳優、歌手(ビートルズが『エド・サリヴァン・ショー』に初登場した回には番組に端役として出演していた)、かつてミッキー・ブラドックという名前で子役スターとして活躍していたミッキー・ドレンツは大学生、ピーター・トークはグリニッジ・ヴィレッジでインディーズ活動をしていた。 選考は非常に難航し、最終的にオーディションの合格者が決まったのはTVシリーズのパイロット版制作に入るぎりぎりのデッド・ラインである1966年1月であった。

1966年8月、デビュー曲「恋の終列車(Last Train to Clarksville)」をリリース。同年9月12日、NBC系列で『ザ・モンキーズ・ショー』が始まる。翌10月に発売されたデビューアルバム『恋の終列車(The Monkees)』はテレビとの相乗効果により500万枚を売上げるヒットとなった。ここから4人はレコーディングとTVシリーズの撮影に追われる日々となる。

1967年1月『アイム・ア・ビリーバー(More Of The Monkees)』をリリース。この頃から制作者サイドとメンバー間の軋轢が目立つようになる。当初2作目以降はメンバー自身もアルバム制作に関われるという話であったが、モンキーズの音楽部門の責任者であるドン・カーシュナー(Don Kirshner)はこれを一切認めず、ファーストアルバムまでの時点に収録が終わっていながら未発表になっていた、自分の音楽出版社所属の楽曲を使用しスタジオミュージシャンのバッキングトラックにボーカルを乗せた音源を使用して制作したアルバムをメンバーの知らないうちに発売。 さらにカーシュナーはニール・ダイアモンドNeil Diamond)の提供曲「恋はちょっぴり(A Little Bit me,A little Bit you)」を3枚目のシングルとして発売することにしていたが、B面に使用する曲を当初予定していたマイク作詞作曲の「どこかで知った娘(The girl I knew somewhere)」ではなくジェフ・バリー(Jeff Barry)の手による「シー・ハングズ・アウト(She hangs out)」に無断で差し替えて発表。この暴挙にマイクが激怒、当初どおりの「恋はちょっぴり/どこかで知った娘」のシングル盤を独自に制作、「これこそが本物のサード・シングルだ」として記者会見を開くという、マスコミを巻き込んだクーデターを決行する。 その結果ドン・カーシュナーは更迭、彼が発表しようとしたシングルは業界関係者に配られたサンプル盤の段階で全て回収され、マイクの主張した盤が正式な3枚目のシングルとして発売される。なお、このサンプル盤はその後「幻のシングル」としてコレクターズ・アイテムとなり、高値が付けられている。 カーシュナーを追い出したマイクは、代わりに当時「ハッピー・トゥギャザー」のヒットを飛ばしたタートルズチップ・ダグラス(Chip Douglas)(当時はDouglas Farthing Hatlelid名義)をプロデューサーに迎え3作目の『灰色の影(Headquarters)』を1967年5月にリリースした。 この頃にはハーマンズ・ハーミッツに替わって全米NO.1の人気グループとなりイギリスに於いても高い人気を得ていた。

前2作と違いチップ・ダグラスとメンバー自身によるプロデュース、楽曲も自分たちの選曲と自作曲を収録、演奏もホーン・セクションを除いては全て自分自身で行ったこのアルバムはテクニックが稚拙なためにガレージパンクのような荒さがあり、レコーディング中のお遊び等も収められ当時4人の等身大の作品に仕上がるが売り上げは前作を若干下回った。なおこのアルバムの次にチャート・トップに立ったのは『サージェント・ペパー』。その後撮影、レコーディング、ツアー等の時間的な制約から演奏はスタジオミュージシャンを使用する方法に戻った。

1967年4月頃からカナダ、全米ツアーをスタート。メンバーはその合間にレコーディング、TV撮影という殺人的なスケジュールをこなす。なお、この67年8月のライブレコーディングが20年後の1987年に『Live 1967』としてリリースされた。

1967年11月、『スター・コレクター(Pisces,Aquarius,Capricorn & Jones Ltd)』をリリース。なお、この頃から次作のレコーディングに取り掛かる。

1968年3月TVシリーズ終了。その直後の4月に『小鳥と蜂とモンキーズ(The Birds,The Bees and The Monkees)』がリリースされた。この作品と前作の『スター・コレクター』でモンキーズは作品的にひとつの頂点を極めたが、前作ほどのわかりやすさはなく、直後にTVシリーズが終了したこともあり売上げは前作の『スター・コレクター』に及ばなかった。なお、モンキーズのアルバムで初めてアルバムチャートの1位を逃した作品でもある。

また1968年2月から5月まで映画『HEAD』の撮影が行われた。「これまでに作り上げたアイドルしてのモンキーズをぶち壊す」というボブ・ラフェルソンの意図により、出来上がった作品は細切れのシーンをつなげたパッチワークのような難解な作品となり、同年11月に公開されたが興行的には失敗に終わる。なお、この作品の脚本はジャック・ニコルソンが手がけ、デニス・ホッパーが出演している。

1968年9月から10月にかけて太平洋ツアー開始。9月中オーストラリアで7公演後、来日。羽田空港にファンの少女達が殺到し大騒ぎになる。1968年10月3日、4日、日本武道館、10月5日、京都会館、10月7日、8日大阪フェスティバルホールにて公演を行った。なお、武道館公演の模様は当時日本で放送されていたモンキーズ・ショーの特別版として放送された。(この回はマスターが紛失しその後の再放送では放送されていない)

太平洋ツアーの後、1968年11月に放送されたNBCのスペシャル番組『33 1/3レボリューションズ・パー・モンキー』の出演後、ピーター・トークがグループを脱退。その後モンキーズは3人で活動を行う。

1969年2月、ピーター・トーク在籍時に録音済みだった未発表曲の寄せ集め的なアルバム『インスタント・リプレイ(Instant Replay)』をリリース。この時点でTVシリーズが終わってからほぼ1年が経っており、その後CBS、ABCでTVシリーズの再放送はされてはいたがアルバムチャートは最高32位止まりとなる。

このあとも3人でのツアー及びTVでのゲスト出演、レコーディングをこなして行く。1969年10月、マイク・ネスミスが得意とするカントリー色の強いアルバム『プレゼント(Present)』をリリースするものの前作よりも更にセールスは悪化、この作品が3人での最後の作品となる。この後マイク・ネスミスは莫大な違約金を払ってモンキーズを脱退しファースト・ナショナル・バンドを結成しソロ活動へと移る。なお現在ではマイク・ネスミスはグラム・パーソンズらと並んでカントリー・ロックのパイオニアとしての評価が定着している。

1970年6月『チェンジズ(Changes)』をリリースするも話題にすらならなかった。この頃はパートリッジ・ファミリーボビー・シャーマンといった新たなるアイドルが躍進中で既にモンキーズは過去の存在と化していた。最終的にミッキー・ドレンツとデイヴィー・ジョーンズの2人だけになってしまったモンキーズ最後のアルバム。この発表と機をほぼ同じくしてモンキーズは解散。

ニュー・モンキーズの結成 [編集]

1975年、最後まで残ったモンキーズのメンバー、ミッキー・ドレンツ、デイヴィー・ジョーンズに作曲家チームであったボイス&ハートが加わりドレンツ、ジョーンズ、ボイス&ハート(日本ではニューモンキーズとして紹介された)を結成。キャピトルレコードと契約し1976年アルバム『すばらしき門出』をリリース。日本でも静岡、東京でコンサートを行なった。当時東京郵便貯金ホールで行なったコンサートが後の1981年に『ニューモンキーズ・ライブ・イン・ジャパン』としてリリースされている。

日本でのリバイバル・ブーム [編集]

1980年9月、60年代ポップスのリバイバルブームを受け、コダックフィルムがCMに60年代ソングを使用したCMシリーズを流した。第1弾はママス&パパスの「夢のカリフォルニア」、同年10月、第2弾がモンキーズの「デイドリーム・ビリーヴァー」だった。その頃機を同じくして10月24日よりTBSで平日17:30から「ザ・モンキーズ・ショー」の再放送が始まる。これをきっかけに関東地方を中心にモンキーズ・ブームが起こった。翌1981年1月14日の再放送終了後も東京12チャンネル(現:テレビ東京)にて再放送された。

なお、このブームでは当時東京12チャンネルにて放送されていた「おはようスタジオ」が果たした役割が大きい。番組で積極的にモンキーズを取り上げ、マイクを除くメンバー、デイヴィー、ピーター、ミッキーの来日を実現した。デイヴィー・ジョーンズはコンサートも行い、湯川れい子作詞による「魔法でダンス(Dance Gypsy)」、「恋するデイヴィー(It's Now)」をリリースしている。

オリジナルアルバムも「恋の終列車」から「インスタント・リプレイ」まで再発され、シングルも「デイドリーム・ビリーヴァー」、「自由になりたい」、「アイム・ア・ビリーヴァー」等のシングルが発売されオリコンアルバムチャートトップ100にオリジナルアルバム7枚同時ランクインという記録を残している。

また1981年1月東急文化会館で『HEAD』が公開された。

アメリカでのリバイバル・ブーム [編集]

1986年、MTVにて『ザ・モンキーズ・ショー』の再放送をきっかけにアメリカでリバイバルブームが起こる。『Now & then... The Monkees Best』、1987年にマイクを除くメンバーによるオリジナルアルバム「Pool It!」をリリース。このアルバムから「That's Was Then...This Is Now」、「Heart And Soul」がリリースされた。

さらに1996年には結成30周年を祝い、マイク・デイヴィー・ミッキー・ピーターの4人が揃ってスタジオに入り、オリジナル・アルバム「JUSTUS」を制作。仲良く並んでジャケット写真に納まっている。

またモンキーズの楽曲の全版権を所有する米ライノ社は膨大な数のマスター・テープを丹念に発掘、未発表曲や別テイク版を多数収録したスペシャル・アルバムを度々発売。丁寧なライナー・ノーツや秘蔵写真の数々は今でも10代から60代まで幅広い層のファンを熱狂させている。また2006年からオリジナル・アルバムを2枚組に拡大しデラックス・エディションとして発売された。

2011年には結成45周年を記念して再結成。英国と米国内ツアー公演を開始したが、ファーストレッグ終了後に残りの日程が全てキャンセルされる。理由はメンバー間の確執や健康状態など色々言い沙汰されたが、後にデイヴィーが語ったところに因ると、キャンセルという訳ではなく、元々はファーストレッグまでの日程でツアーが終了する筈だったのが、事前にメンバーからの確認を取らずにプロモーターが次々と残りの日程を加えてしまい(この時ブラジルや日本、オーストラリアへのツアー予定も考えられたとの事)終了せざるを得なかった、と云うのが真相だったらしい。

ディスコグラフィー [編集]

アルバム [編集]

1966年

  • 『恋の終列車』(The Monkees) (US #1/13週 /UK #1)

1967年

  • 『アイム・ア・ビリーバー』(More Of The Monkees) (US #1 /UK #1)
  • 『ヘッドクォーターズ』(Headquarters) (US #1 /UK #2)
  • 『スターコレクター』(Pisces,Aquarius,Capricorn & Jones Ltd) (US #1 /UK #5)

1968年

  • 『小鳥と蜂とモンキーズ』(The Birds,The Bees and The Monkees) (US #3)

1969年

  • 『インスタント・リプレイ』(Instant Replay) (US #32)
  • 『プレゼント』(Present) (US #100)

1970年

  • 『チェンジズ』(Changes)(チャート圏外)

サウンドトラック [編集]

1968年

  • 『ヘッド』(Head) (US #45)

ベスト・アルバム [編集]

1969年

  • 『グレテスト・ヒッツ』(Greatest Hits) (US #89)

1976年

  • 『ザ・モンキーズ・グレイテスト・ヒッツ』(The Monkees Greatest Hits) (US #58)

1986年

  • 『ゼン・アンド・ナウ...ザ・ベスト・オブ・ザモンキーズ』(Then & Now...The Best Of The Monkees) (US #24)

シングル [編集]

1966年

  • 恋の終列車/希望を胸に』Last Train to Clarksville (US #1 /UK #23) / Take A Giant Step

1967年

  • 『アイム・ア・ビリーヴァー(副題:恋に生きよう)/ステッピンストーン』I'm A Believer (US #1 /UK #1) / (I'm Not Your)Steppin' Stone (US #20)
  • 『恋はちょっぴり/どこかで知った娘』A Little Bit Me,A Little Bit You (US #2/UK #3) / The Girl I Knew Somewhere (US #39)
  • 『プレザント・バレー・サンディ/恋の合言葉』Pleasant Valley Sunday (US #3 /UK #11) / Words (US #11)
  • デイドリーム/ゴーイン・ダウン』Daydream Believer (US #1/UK #5) / Goin' Down (US #104)

1968年

  • 『すてきなバレリ/タピオカ・ツンドラ』Valleri (US #3 /UK #12) / Tapioca Tundra (US #34)
  • 『D・W・ウォッシュバーン/君と一緒に』D.W.Washburn (US #19 /UK #17)) / It's Nice To Be With You (US #51)
  • 『ポーパス・ソング/アズ・ウィ・ゴー・アロング』(日本未発売)Porpoise Song (US #62) / As We Go Along (US #106)

1969年

  • 『涙の街角/夢のない男』Tear Drop City (US #56 /UK #44)) / A Man Without A Dream
  • 『サムディ・マン/すてきなミュージック』Someday Man (US #81) / Listen To The Band (US #63 /UK #47)
  • 『すてきなブルーグラス/マミー・アンド・ダディ』Good Clean Fun (US #82) / Mommy And Daddy (US #109)

1970年

  • 『オー・マイ・マイ/アイ・ラブ・ユー・ベター(邦題:やっぱり君が好き)』Oh My My (US #98) / I Love You Better

1986年

  • 『ザット・ワズ・ゼン、ジス・イズ・ナウ』That Was Then, This Is Now (US #20 /UK #68) / (Theme from) The Monkees
  • 『デイドリーム/ランディ・スコーズ・ギット』Daydream Believer (US #79) / Randy Scouse Git

1987年

  • 『ハート・アンド・ソウル/MGBGT』Heart & Soul (US #87) / MGBGT [Live]

主な曲の提供者 [編集]

フィルモグラフィー [編集]

TV [編集]

映画 [編集]

DVD [編集]

  1. The Monkees Season1 On DVD
  2. The Monkees Season2 On DVD
  3. The Monkees Our Favorite Episodes
いずれも米ライノ・エンタテインメントより。
  • ザ・モンキーズ/ヘイ・ヘイ・ウィアー・ザ・モンキーズ (COBY-91257)(コロムビアミュージックエンタテインメント)
    当事者及び関係者によるインタビュー番組のDVD化
  • ザ・モンキーズ・ストーリー/デイドリーム・ビリーヴァーズ (COBY-91256)(コロムビアミュージックエンタテインメント)
    モンキーズの歴史をつづったTVドラマ

参考文献 [編集]

外部リンク [編集]