勇者のスタジアム・プロ野球好珍プレー

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勇者のスタジアム・プロ野球好珍プレー』(ゆうしゃのスタジアム・プロやきゅうこうちんプレー)は、日本テレビ系列で放送されたプロ野球の珍プレー特番。

1990年代から、日本テレビでは峰竜太岡本夏生司会で『プロ野球好珍プレーBEST101』という、フジテレビの『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』に似た番組を放送していたが、ここでは「勇者のスタジアム」と名前が変わった1990年代後半からの番組を取り上げる。

概要・特徴[編集]

日本テレビ系列の野球番組であるが、12球団満遍なく取り上げている。その為、レギュラーパネラーにも、大の阪神ファンである松村邦洋や、日本ハムOBの広瀬哲朗らがいる。

12球団満遍なく取り上げるが、主に面白いキャラクターをプッシュする傾向も強い。当時西武ライオンズデニー友利松坂大輔石井貴福岡ダイエーホークス田口昌徳横浜ベイスターズ中野渡進斎藤隆日本ハムファイターズの監督の大島康徳岩本勉らがそれに当たる。特に清原和博は「勇者番付」というコーナーで「永遠の番長部門」として毎回採り上げられ、司会の松岡昌宏は「僕はこのコーナー(清原のVTR)、一番好きっつっても過言じゃない」と発言していた。

毎年年末の放送で、年間の珍プレーキングであるMVU(Most Valuable U-sha)を決定していたが、視聴者はおろか番組内でも全然浸透せず、浸透しないことを松岡がネタにしていた。

他番組での好プレーコーナーは番組のエンディングで攻守のシーンを2~3分見せる程度であるが、この番組では感動のエピソード(その年の引退した選手を中心に、脳腫瘍から復活の盛田幸妃・父親の死の直後の試合で本塁打を放った鈴木健・苦悩の末、バントを極めることで日本一のバントマンとなった川相昌弘1999年のダイエーの勝利の方程式の一人として初の日本一に貢献するも、翌年、肺癌のために若くしてこの世を去った藤井将雄等)や20世紀の偉大な選手(ローンウルフと呼ばれながらもトレード先のチームに栄冠をもたらして続けて来た江夏豊・速球にこだわり広島東洋カープ「炎のストッパー」と呼ばれながらも脳腫瘍で若くして命を落とした津田恒美等)のエピソードを十数分かけて紹介するシリアスなコーナーを好プレーとして取り上げている。決して名前が全国区ではない選手も取り上げられた(代打本塁打世界記録保持者高井保弘・巨人にドラフト1位で入団するも1勝しかできず引退、その後阪急・オリックスの球団マスコットのスーツアクターとして1175試合「出場」した島野修など)。

一方珍プレーは一見通常のシーンを編集に頼って面白く見せようとする(勝手に心の台詞を作る、選手・首脳陣らの身体的特徴などを論う。ウルトラマンの効果音や転んだ際にヤットデタマンのずっこけ台詞「コケー」を挿入する等)一面がある(その背丈の低さから少年野球の中学生に紛れてしまった大島公一・ピンクのリストバンドをネタにされた井上一樹等)。また選手以外の事も積極的に取り上げ、審判はもちろん、グラウンドの整備員、果ては観客までもスポットを当てている。

上記のような点から、他の好珍プレー番組よりも異色感の強い構成となっている。2001年秋からはプロ野球のみではなく、海外のサッカー陸上競技競泳など他のスポーツも取り扱い、世界各地の面白いスポーツ選手の珍プレーも紹介した。

レギュラーパネラーの広瀬は、毎回のように「生涯ホームラン12本」「俳優デビューや歌手デビュー」をネタにされていた(「堀内恒夫がピッチャーでありながら21本のホームランを打っているのに、野手の広瀬は逆の12本」など)。また定岡正二も「野球選手として認識されていない(専門的なコメントをして笑われる)」、「引退後の村田兆治が時速140kmで投げられるのに現役時代の定岡は110~133km」など、ヘナチョコなキャラクターをネタにされている。

番組は2004年を最後に放送されていない。

20世紀の珍プレーベスト10[編集]

2000年末の「プロ野球20世紀最後の好珍プレー」は、「20世紀の珍プレーランキング」を軸に放送された。見事1位を獲得したのは珍プレーの帝王である宇野勝ではなく、「2試合に1回のペースで珍プレーを出していた」とされる、詐欺師一代こと達川光男であった。

レギュラー出演者[編集]

司会[編集]

ちなみに、2003年正月の放送では江川と松本に代わって中島知子魚住りえが、同年3月の開幕直前放送では再び松本に代わって中島が司会を務めている。

レギュラーパネラー[編集]

ナレーション[編集]

スタッフ[編集]

関連項目[編集]