稲盛和夫

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いなもり かずお
稲盛 和夫
稲盛和夫(中央の人物)
生誕 1932年1月21日(82歳)
日本の旗 鹿児島県鹿児島市薬師町[1]
出身校 鹿児島大学工学部
職業 実業家

稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年1月21日[2] - )は、日本実業家京セラ第二電電(現・KDDI)創業者。公益財団法人 稲盛財団理事長。日本航空名誉会長。

人物・来歴[編集]

1932年鹿児島県鹿児島市薬師町に7人兄弟の二男として生まれる。父畩市は「稲盛調進堂」という名で印刷工場を経営していた。西田尋常高等小学校(現在の鹿児島市立西田小学校[1]、鹿児島中学(現鹿児島高等学校)を卒業する。銀行就職を考えたが、周囲の勧めで鹿児島高等学校第三部(旧・県立高等女学校、現・鹿児島県立鶴丸高等学校)へ進学、その後鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校に転校し同校の第一期生として、卒業する。高校時代は空襲で生活苦に陥った家計を助けるため、紙袋の行商をして生活費を稼いだ。菓子の問屋と親しくなったことで、卸のノウハウを学ぶ。後にこの体験がその後の事業の原点になったと語っている。幼少時の結核の体験から大阪大学医学部を志望していたが、当時新設大学であった鹿児島県立大学(現鹿児島大学)の工学部応用化学科で、有機化学を専攻し、勉学に明け暮れる。1955年鹿児島県立大学工学部を卒業後、有機化学の教授の紹介でがいしメーカーの松風(しょうふう)工業に入社、1958年退社する。妻の朝子は、禹長春の四女である。 当時の松風工業は、倒産寸前で退職が相次いでいた。 1959年、社員8人で京都セラミツク(現京セラ)を設立し、1966年に社長に就任。1969年、株式上場。ファインセラミックスの技術で成長する。1984年には第二電電(DDI)を設立(後にケイディディ日本移動通信と合併し、今日のKDDIとなる)。その独特な経営管理手法は「アメーバ経営」と呼ばれる。

企業家の育成にも力を注ぎ、1983年には若手経営者の勉強会「盛友塾(現・盛和塾)」を開塾。1984年には財団法人稲盛財団を設立し、京都賞を創設した。1986年には京セラ会長に就任。1994年5月から1995年5月まで関西経済連合会副会長を務めた。1994年にはDDIポケット企画(現・ウィルコム)を設立。1997年には、京セラ・DDIの会長を退き、臨済宗妙心寺円福寺得度を受けた。2002年には円福寺の臨済宗最初の専門道場として220年の歴史を持つ本堂が老朽化していた為、再建に寄進を申し入れ、新たな本堂と庫裏などが建て替えられ盛大な落慶法要が営まれた。なお京都商工会議所会頭を務めていたこともあり、長年対立関係にあった京都市と京都仏教会との和解の仲介の役を担い、長年来の懸案だった対立関係を解決させる。 2005年立命館小学校こども顧問委員に就任。母校の鹿児島大学に個人資産を寄附し大学キャンパス内に新しいホール稲盛会館(建築家安藤忠雄が設計を担当)を寄贈したほか、稲盛アカデミーへの援助を行なう。また地域社会はもとより国際社会において21世紀の更なる学術·文化の発展に貢献していくことを目的として、京都大学九州大学の学術·文化趣旨に賛同し、稲盛財団記念館を寄贈竣工したほか、京都府に次世代を担う若者の創造教育の為に20億円を寄付し、府は建設中の新しい大学施設を稲盛記念会館(京都市左京区)と名付けることを決めている。関西鹿児島県人会総連合会会長も務める。

政治面では、民主党を支持し、同党元幹事長の小沢一郎とは新進党時代からの仲であり、前原誠司の後援者であった[3]。しかし、2011年2月8日日本記者クラブで会見し、政権交代後の民主党の体たらくに落胆した、政権交代も民主主義の結果であるが、色んなことが起きて新たな政治体制もできあがるだろう、歳もとったので今後は党への支援には距離を置き静観すると述べた[4]

2010年1月に日本航空の代表取締役会長として日航再建に取り組むよう、首相(当時)の鳩山由紀夫から要請され、2月1日から、日航の会長を無給で務め、見事にJALを建て直すことに成功した[要出典]。2010年2月末、鳩山から、非常勤の内閣特別顧問に任命された[5]

エピソード[編集]

  • 少年期に肺浸潤という結核の初期の病に侵されたことがあり、その時隣家の女性に勧められて読んだ谷口雅春の『生命の実相』に衝撃を受け、心のあり方が現象として現れるという考え方(ニューソート)の基盤になったとのこと[6]

役職[編集]

稲盛財団記念館、京都市左京区

言葉[編集]

人生・仕事の結果 = 考え方×熱意×能力
「能力」とは、才能や知能といった「先天的な資質」を表し、「熱意」とは、情熱や努力する心といった「後天的な努力」を表す。「考え方」とは、哲学や思想、倫理観といった生きる姿勢、それらをすべて包含した「人格」を表す。最も大事なものが考え方であり、能力と熱意は0点から100点までの点数があるのに対し、考え方は-100点から100点までが存在する。
動機善なりや、私心なかりしか
DDI(第二電電)を設立し、電気通信事業へ参入するにあたって、自身の動機に利己的な心、「私心」がないかと、半年間にわたり自問したときの言葉。動機が善であり、実行過程が善であれば、結果は問う必要はない、必ず成功するという信念を表す[7]
楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する
物事を行うときに取るべき態度を表した言葉。構想を練る段階では、そのアイデアの可能性を引き出せるように楽観的になるのがよい。具体的な計画を立てる段階では、あらゆるリスクを想定し、慎重かつ細心の注意を払って厳密にプランを練るのがよい。実行する段階では、思い切って行動するのがよい。
自燃性の人間
この「燃性」は、物事に対する熱意や情熱を表す。自分から率先して物事に取り組み、エネルギーを周囲に分け与える人を指す。
可燃性の人間
自燃性の人や、既に燃え上がっている可燃性の人の影響を受けて燃え上がる人を指す。
不燃性の人間
周囲からエネルギーを与えられても燃え上がらず、むしろ周りの人から熱意や情熱を奪う人を指す。
稲盛経営12ヶ条
  1. 事業の目的・意義を明確にする
  2. 具体的な目標を立てる
  3. 強烈な願望を心に抱く
  4. 誰にも負けない努力をする
  5. 売り上げを最大限に伸ばし、経費を最小限に抑える
  6. 値決めは経営
  7. 経営は強い意志で決まる
  8. 燃える闘魂
  9. 勇気をもって事にあたる
  10. 常に創造的な仕事をする
  11. 思いやりの心で誠実に
  12. 常に明るく前向きに、夢と希望を抱いて素直な心で経営する
経営に権謀術数は一切不要
企業経営には、権謀術数が不可欠だと感じている人が多いかもしれないが、そういうものはいっさい必要ない。今日一日を一生懸命に生きさえすれば、未来は開けてくる。また、正々堂々と人間として正しいやり方を貫けば運命は開けてくると考えている。実際に京セラやDDIの経営に携わり、日々懸命に働いているうちに、次に打つべき手は自ずから見えてきたし、そうすることが素晴らしい成果をもたらせてもくれた。(著書『人生と経営』より)

著書[編集]

受賞[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 年譜|創業者 稲盛和夫 - 京セラ 2013年6月14日閲覧。
  2. ^ 戸籍上は1月30日
  3. ^ 前原は、京セラ本社所在地の京都市を地盤とするが、前原は京都2区の選出で、京セラ本社は伏見区にあり、伏見区は前原の選挙区ではない。小沢が2008年9月21日に民主党代表として再選された際には来賓として挨拶する。
  4. ^ 読売新聞2011年2月9日13S版4面JAL稲盛会長「政権の体たらく、大変落胆」
  5. ^ 鳩山内閣になっての内閣顧問の任命は初めて。
  6. ^ 『稲盛和夫のガキの自叙伝』
  7. ^ 動機善なりや、私心なかりしか - 京セラホームページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]