天王寺
天王寺(てんのうじ)は、大阪市の地域名称。
一般的には天王寺区にある天王寺駅と、南に隣接して阿倍野区にある大阪阿部野橋駅周辺を指すが、後者については年々阿倍野と呼び分ける傾向にある。
両駅周辺を指す場合に天王寺が優勢なのは、駅の開業順や規模のちがい、天王寺駅から500mほど南に離れたところにある阿倍野駅との混同を避けるため、もともとの集落が天王寺(四天王寺周辺)は近いが阿部野(現・阿倍野元町)はかなり遠いことなどが考えられる。
市街化が進んだ現在では区名による呼び分けも定着しつつあるが、隣接する地域の阿倍野についても本項で記述する。
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[編集] 概要
JR西日本・大阪市営地下鉄の天王寺駅、近鉄の大阪阿部野橋駅、阪堺電気軌道の天王寺駅前駅、路線バス、高速バス(路線バス・高速バスはバスのりばの位置に関係なく、一般に「あべの橋」の名称を使う)が集中するターミナルとなっており、周辺はキタ・ミナミに次ぐ規模の繁華街を形成している。ミナミの難波とは大阪市街の南玄関としての機能を二分する。
大型商業施設には、天王寺ミオ、近鉄百貨店阿倍野本店、あべのキューズモール、あべのルシアスなどがあるが、地下街は谷町線の改札上階にあべちかがある程度であまり発達していない。
繁華街の他にも、天王寺公園や四天王寺といった観光地としての表情も併せ持っており、老若男女を問わず賑わいを見せている。また、天王寺公園の西側は新世界となる。
[編集] 歴史
天王寺は、もとは四天王寺の略称であり、時期については不明だが地名に転化したとされている。駅北西に位置する一心寺から生國魂神社にかけては「夕陽ヶ丘」(夕陽丘)と呼ばれ、上町台地はこの辺りから急崖になっており、落陽の眺めが良い。
阿倍野は、中近世には「阿部野」と表記されることが多く、現在でも大阪阿部野橋駅や阿部野神社にその名残をとどめている。地名の由来として最も有力な説は「阿倍寺」やその建立者である「阿倍氏」とされ、これに基いた表記である「阿倍野」が近現代においては主流となっている。しかし、別地名との誤認を避けるために仮名で表記されることも多い。
阿倍野を含めて天王寺と呼ぶのは、1663年(寛文3年)に阿部野村として分村されるまで天王寺村のうち、天王寺新家阿部野村であったことや、1889年(明治22年)に天王寺村と阿部野村が合併して東成郡天王寺村(町村制)となったことが主因である。なお、以降の行政区域の変遷については天王寺村を参照のこと。
大坂城下(大坂三郷)には接していないものの、上町台地の空堀(大坂城南惣構堀の遺構)以南には大坂最大の寺町が四天王寺にかけて形成されており、実質的に大阪市街の南東端に位置していた。
東から竜田越奈良街道が四天王寺へ伸び、この道に沿って1889年(明治22年)に大阪鉄道 (初代)が現在の関西本線天王寺駅を設置。1895年(明治28年)には現在の大阪環状線の一部も開通し、早くもターミナル駅となった。
城下南端に北を頭にして接する頭端式ホームを採用した難波駅、湊町駅(現在のJR難波駅)、汐見橋駅の3駅が、延伸の余地がない上に周辺の早期市街化で地上が手詰まりになっていたのに対し、天王寺駅の南側は昭和初期まで農村地帯のままで余地があった。1923年(大正12年)に大阪鉄道 (2代目)が現在の近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅を、1929年(昭和4年)に阪和電気鉄道が現在の阪和線天王寺駅を設置。天王寺駅は大阪駅(梅田駅)に次ぐ鉄道結節点となり、上述の通り大阪市街の南玄関は現在も難波と天王寺に二分されている。
[編集] 商業施設・地下街
- 天王寺ミオ本館
- 天王寺ミオプラザ館(旧・ステーションプラザてんのうじ)
- 近鉄百貨店阿倍野本店
- あべのHoop
- あべのand
- あべのキューズタウン
- あべのベルタ
- あべのアポロ・あべのルシアス
- 新宿ごちそうビル
- あべちか
[編集] 寺院・主要施設
- 四天王寺
- 一心寺
- 天王寺公園
- 西日本旅客鉄道大阪支社
- 大阪市立大学医学部附属病院
- 大阪鉄道病院
- 大阪教育大学天王寺キャンパス
- 天王寺都ホテル
- シティタワーグラン天王寺
- 飛田遊廓
- ハローワーク阿倍野(阿倍野公共職業安定所)
[編集] 鉄道
[編集] 道路
[編集] 関連項目
[編集] その他
天王寺の舞い堂から舞を舞えとの毎度の使い、毎度のように舞が舞えますなら参って舞も舞いましょうが、毎度のように舞が舞えませぬゆえ参って舞は舞いませぬ(早口言葉)。
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