茶屋町 (大阪市)

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茶屋町の街並み
8丁目界隈・NU茶屋町プラス前にある鶴乃茶屋跡の碑
北緯34度42分25.3秒東経135度29分58.3秒

茶屋町(ちゃやまち)は、大阪市北区町名。丁番を持たない単独町名である。郵便番号〒530-0013。

地理[編集]

大阪市北区、阪急梅田駅ホームの高架と新御堂筋に挟まれた一帯にあたる。北で豊崎、東で鶴野町、南東の一点で中崎西、南で角田町、西で芝田と隣接する。

歴史[編集]

もとは西成郡北野村の一部。大阪市編入から3年後の1900年(明治33年)に実施された大字改編以降、現在に至るまでこの地名で1924年(大正13年)まで北野を冠していた。地名の由来は、池田街道筋に「鶴乃茶屋」「車乃茶屋」「萩乃茶屋」と呼ばれた茶屋があったことによる。

2008年(平成20年)末から翌年初頭にかけて発掘調査が行われ、その結果、1世紀ごろはこの辺りは大阪湾干潟があり、淀川大和川からの土砂が運ばれ、自然堤防が形成され、5世紀中頃にはこの辺りで人が活動をしていたことがわかっている。

江戸時代までは大阪市街地から離れた旧中津川沿岸に近い野原であり、茶屋町の形成が始まったのは18世紀後半からとされる。1874年(明治7年)に鉄道が開業し、梅田停車場(現在の大阪駅)が設置されたことにより周辺の開発が本格化する。1875年(明治8年)には西成郡第三区第八番小学校(のちの梅田東小学校)が開校している。明治10年ごろに西天満にあった綱敷天神社御旅所が土地の寄進を受けて当地に遷座した。

1889年(明治22年)に現在の1、2丁目辺りに 9階建て、高さ39mの「凌雲閣」が建設された。1、2階は五角形、3階より上は八角錘台形で、いちばん上は丸屋根の付いた展望台となっていた楼閣で、通称「北の9階」と呼ばれた。「南の5階」と呼ばれた「眺望閣」とともに大阪のシンボルタワーとなったが昭和初期に取り壊されている。

1897年(明治30年)に北野村は大阪市へ編入され大阪市北区大字北野となり、1900年(明治33年)の大字改編で北野は18大字に分割され、そのひとつの町名として北野茶屋町が誕生した。

1924年(大正13年)より北野の冠称が外れて茶屋町となり、一部が鶴野町・芝田町・小深町に分離、北野西之町・本庄西権現町の各一部を編入、1978年(昭和53年)に一部が角田町として分離、鶴野町・浜崎町・豊宮町・東和町・芝田町・小深町のそれぞれ一部を編入している。このように、現在の町域は旧 西成郡本庄村や同郡南浜村といった北野村以外の一部地域を含んでおり、後述の再開発地域の大半(NU茶屋町以外)もこれらの地域に該当する。

昭和時代末期には都心部のドーナツ化現象が進み、住居人口が減少して就学人口も減少。梅田東小学校は1989年(平成元年)3月に廃校し、新設された大阪北小学校へ統合される。跡地の校舎施設はそのまま大阪市梅田東学習ルーム(生涯学習施設)となったが、2011年(平成23年)3月31日をもって閉館となった。

1990年頃から茶屋町の再開発が始まり、まず毎日放送吹田市千里丘陵から移転し、梅田ロフトが開業したことを発端とする。1992年(平成4年)にはちゃやまちアプローズが完成、2005年(平成17年)10月20日にはNU茶屋町が、2010年(平成22年)にはチャスカ茶屋町が、2011年(平成23年)4月29日にはNU茶屋町プラスがオープンしている。

主要施設[編集]

交通[編集]

出典・参考資料[編集]

  • 茶屋町(角川日本地名辞典 JLogos版)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]