高麗橋

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高麗橋(2007年4月)

高麗橋(こうらいばし)は、大阪府大阪市中央区にある東横堀川にかかっているとその周辺地域の地名である。橋の名の由来は、古代に朝鮮半島諸国の使節を迎えた「高麗館(こまのむろつみ)」があったからという説と、豊臣秀吉の大坂町割りの際、この辺に朝鮮との交易の拠点があったという説など、多数ある。

目次

[編集] 概要

豊臣秀吉大坂城を築城した際に、東横堀川が同城の外堀として整備された。高麗橋はその際に架けられたと言われている。江戸時代には東海道の終着である京(京都)と大坂を結ぶ京街道大坂街道)の起点が京橋から移されて、後には中国街道など大坂と地方を結ぶ街道がこの橋まで延伸された事から、大坂の玄関口として整備された。江戸幕府もこの橋を重要視し、公儀橋として直接管理している。さらにこの脇に高札場を設置している。 明治維新後、明治政府はここに里程元標を置き、西日本の道路の距離計算の起点となった。

明治3年(1870年)に大阪最初の鉄橋として架け替えられた。資材はイギリスから輸入されたが、当時の日本の契約に対する認識不足により当初の2倍ほどの価格を完成後に追加請求され、外交上の問題にまで発展している。当時は「鉄橋」「くろがね橋」などとよばれた。

昭和4年(1929年)には大阪市の第一次都市計画事業の一環として鉄筋コンクリート製のアーチ橋に架け替えられ、現在に至っている。 現在は橋の真上には阪神高速が架けられている。

[編集] 周辺情報

高麗橋から船場を西へ伸びる町通りは高麗橋1~4丁目である。料亭・吉兆の本店があるほか、高麗橋1丁目の堺筋との交差点に三井住友銀行(旧・三井銀行)の古い建物があり、反対側には以前三越大阪店があった。江戸時代には既に三井両替店三井呉服店などがあり、大正あたりまでは船場の主要な町通りであった。

高麗橋から東へ、大江地区を伸びる町通りは、最初は「東高麗橋」、続いて島町2~1丁目、谷町一丁目交差点で谷町筋を超えて、上町筋の大手前交差点で大阪城の堀端に至る(大阪城へ入る大手門や京橋門へは、ここから少し歩かなければならない)。堀に沿って歩けば京橋門への分かれ道があり、反対側は寝屋川にかかる京橋で、渡れば国道1号(京街道)である。

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