水俣市
| みなまたし 水俣市 |
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商業施設「エムズシティ」5階から望む市役所方面。
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水俣市旗
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| 国 | |
| 地方 | 九州地方 |
| 都道府県 | 熊本県 |
| 団体コード | 43205-9 |
| 面積 | 162.90km² |
| 総人口 | 26,628人 (推計人口、2012年2月1日) |
| 人口密度 | 163人/km² |
| 隣接自治体 | 芦北町・津奈木町・球磨村・ 出水市・伊佐市 |
| 市の木 | さくら |
| 市の花 | つつじ |
| 水俣市役所 | |
| 所在地 | 〒867-8555 熊本県水俣市陣内1丁目1番1号 |
| 外部リンク | 水俣市 |
| ウィキプロジェクト | |
水俣市(みなまたし)は、熊本県の最南部に位置する市である。西は不知火海に面して天草の島々を望み、もともと海の幸、山の幸に恵まれた風光明媚な土地である。重く長い公害の歴史を経て現在では環境都市づくりを推進している。
目次 |
[編集] 地理
熊本県の最南部、熊本市から南西に約70kmの場所に位置する。市域南端は鹿児島県に接し、西側は不知火海(八代海)に面するリアス式海岸である。中心部はチッソとその関連工場などが多く立地し工業都市のイメージがあるが、北・東・南の三方を山に囲まれ緑の多い土地である。人口は水俣病発生後しばらくしてから減少傾向が続いており、2000年代前半に3万人を割り込んでいる。
水俣川支流の久木野川上流久木野地区は97%が森に覆われた水の美しい地域で、農林水産省の日本の棚田百選に選ばれた寒川地区の棚田もある。また、大学山の照葉樹林は環境省のかおり風景100選に選ばれており、明治時代より林業に力をいれ、スギ、ヒノキの植林を行っている。1996年から市民参加により、大学山の緑を倍増すべく「水源の森」において植樹、下刈りを行っている。水源の森は、全ての市民参加で植えた森としては全国有数規模であり、水俣病患者、漁師、住民参加も得て、不知火海の再生の一端を担っている。
[編集] 隣接市町村
[編集] 人口
| 水俣市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 水俣市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||
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■紫色 ― 水俣市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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水俣市(に該当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局 / 国勢調査 | ||||||||||||||||||||||||||||
[編集] 歴史
[編集] 行政区域の変遷
[編集] 年表
- 2万数千年前(旧石器時代) - 水俣石飛地区には、人が住んでいた。
- 88年(景行18年)頃 - 景行天皇が熊襲征討のさい、湯の児温泉を発見したと伝えられる。
- 延喜式(905年 - 927年)で、水俣と仁王に厭家(うまや)が置かれたとあり、そのころから交通の要衝だった。
- 1385年(至徳2年) - 今川了俊の書状に水俣城名が記されている。
- 1634年(寛永11年) - 水俣の惣庄屋(代官)深水家の初代頼氏(水俣吉左エ門)が茂道山に松を密植した。
- 1872年(明治5年) - 水俣郵便取扱所が開設される。
- 1873年(明治6年) - 棟内村列(31ヵ村)、浜村列(15ヵ村)の両行政区が布かれて、それぞれに戸長役場が設けられた。
- 1881年(明治14年) - 八代警察署水俣分署がに設置される。
- 1890年(明治22年) - 市町村制の施行にともない、両列が合併し水俣村(人口12,303人)が誕生する。なお、村役場が陣内に置かれた。
- 1907年(明治40) - 野口遵・藤山常一・市川誠次らが日本カーバイド商会を設立し、水俣村に製造工場を設ける。
- 1908年(明治41年) - 日本窒素肥料(日窒)水俣工場が設けられる。
- 1911年 (大正元年) - 熊本県立水俣高等女学校の前身である水俣町立水俣女子実業補習学校が創立される。
- 1916年(大正5年) - 日窒が、水俣工場の専用港として梅戸港の整備に着工し、翌年完工する。
- 1925年(大正14年) - 湯の児温泉でボーリングに成功し、豊富な湯量を得て温泉街の規模が大きくなる。
- 1926年(大正15年) - 国有鉄道川内本線が米ノ津駅から水俣まで延伸され、水俣駅が開業する。
- 1935年(昭和10年) - 熊本県立水俣工業高等学校の前身である水俣町立水俣実務学校が創立される。
- 1927年(昭和2年) - 国有鉄道が水俣駅から湯浦駅まで延伸され、同線の全通にともない鹿児島本線に改称される。(市内区間は現在の肥薩おれんじ鉄道線)
- 1948年(昭和23年) - 熊本県立水俣高等女学校と熊本県立水俣農工学校を統合し、熊本県立水俣高等学校が発足する。
- 1953年(昭和28年) - 水俣市立病院(現在の国保水俣市立総合医療センター)が開院する。
- 1961年(昭和36年) - 熊本県立水俣高等学校から機械科、建築科を熊本県立水俣工業高等学校に分離する。
- 1978年(昭和53年) - 水俣市が水俣城跡に運動公園を造成する。工事中には、地下から石垣が発見された。
- 1993年(平成5年) - 水俣市立水俣病資料館が開館する。
- 1997年(平成9年) - 水俣湾に安全宣言が出され、漁業も再開される。
- 2003年(平成15年) - 水俣市コミュニティバス「みなくるバス」が運行を開始する。
- 2004年(平成16年) - 九州新幹線の部分開業に伴い、新水俣駅が開業する。
- 2011年(平成23年) - 第10回持続可能な地域社会をつくる日本の環境首都コンテストにて環境首都の称号を得る。
[編集] 水俣病
詳しくは水俣病の記事を参照。
1908年、日本窒素肥料株式会社(現・チッソ)水俣工場が開設されて以来、水俣市は同社の企業城下町として発展してきた。しかし同社はメチル水銀を含んだ廃液を海(水俣湾)へ流した水俣病の原因企業であった。水俣病の公式発見は、1956年5月1日とされている。水俣湾内の汚染魚介類の流出を防ぐために仕切り網が設置されていたが、1997年には安全が確認されて全面撤去された。
しかし、多くの犠牲者が出て「死の海」と呼ばれるようになり、「水俣」は世界的規模で負のイメージを帯びることになった。この水俣病は地域社会の人間関係にも大きな傷を残している。
- 関連施設
- 水俣病歴史考証館
- もやい館(水俣市総合もやい直しセンター)
- 水俣市立水俣病資料館
- 熊本県環境センター
- 国立水俣病総合研究センター・水俣病情報センター
[編集] 環境都市づくり
水俣病などの苦難の歴史を乗り越えるべく、「環境・健康・福祉を大切にする産業文化都市」をキャッチフレーズとし、市民・企業・行政が高い意識を持ち世界のモデルとなることを目指して環境モデル都市づくりを進めている。2008年7月に国が「環境モデル都市」と認定した全国6自治体のうちの一つである。
ゴミ分別種類数は22種類と、全国でも最も細かいレベルにある。このような共同作業は希薄になりがちな近所付き合いの活性剤となり、水俣病によって崩壊したコミュニティの再生にもつながった。こうした取り組みと地域における環境関連産業の振興を有機的に結びつけたまちづくりを目指し「水俣エコタウンプラン」を策定、2001年2月に経済産業省と環境省の承認を受けた。
複数の環境NGOで組織する「環境首都コンテスト全国ネットワーク」が主催する「日本の環境首都コンテスト」において、2004年、2005年の2年連続で1位、その後2009年、2010年、2011年にも1位になっている。
[編集] 行政
[編集] 市役所
- 市長:宮本勝彬(2006年2月22日 - )
- 市議会議員 18人
[編集] 国の機関
[編集] 県の機関
- 水俣保健所
- 環境センター
- 水俣警察署
[編集] 産業
- 市内総生産 942億円(2004年度)
[編集] 第一次産業
もともと豊富な海の幸に恵まれた不知火海沿岸であるため漁業が盛んであったが、水俣病以降、禁漁となり、壊滅した。農業も風評被害に遇い、大打撃を受けたが、水俣病の経験を踏まえた環境を大切にする地域一体となったまちづくりの下、農薬・化学肥料を使わない農業が広がり、その一環として甘みがあって生でも食べられるサラダたまねぎのブランドを確立し、全国的にも高い評価を得ている(このサラダたまねぎは読売テレビ『どっちの料理ショー』において「特選素材」として紹介されたが、その際に生産地の「水俣市」の名が隠され、放送局側の偏見が批判された)。無農薬で作った茶や柑橘類の日本有数の産地でもある。これまでの取り組みにより水俣産の食材・食品の評価は高まりつつある。
長年禁漁であった漁業も海の浄化が進んだことによって現在は解禁されている。中でもタチウオは湯の児温泉の名物料理としても知られ、太公望が多く訪れる。
[編集] 第二次産業
チッソ水俣工場は現在でも操業しており、チッソの企業城下町としての性格が強い。チッソは世界でトップ3に入る液晶シェアを持っており、近年の液晶需要の増加から業績を回復させている。
一方、約20ヘクタールの水俣産業団地内にエコタウン事業等による環境関連産業の立地と既存企業の環境配慮型への転換を推進しており、既に、家電リサイクル施設、びんのリユース・リサイクル施設、使用済みタイヤリサイクル施設、廃プラスチック複合再生樹脂リサイクル施設など6企業が立地し事業を開始している。 このエコタウンへのリサイクル企業の進出については、市民が取り組んでいる高度なごみ分別収集が工場の立地を可能にしており、ペットボトルを始めとする全ての資源物の品質レベルが高く、「水俣ブランド」と呼ばれ全国的に注目されている。
また、進出企業については、ISO14001の取得を要請するなど厳しい環境協定を市と結ぶこととしている。
環境ビジネスなど地場産業の育成と技術向上のための支援を図り、環境モデル都市の実現に寄与するために地域企業と大学、公設試験研究機関等のネットワークを活かしながら、それを支援していくための交流拠点として、1999年に「みなまた環境テクノセンター」を設立している。
このような水俣病の教訓を生かした水俣独自の持続可能な資源循環型社会の構築を目指した取り組みにより、近年、多くの人が視察、研修で水俣を訪れている。
[編集] 第三次産業
[編集] 観光
昔から不知火海に面するレジャー指向の湯の児温泉、湯出川上流の湯治場・湯の鶴温泉の2つの温泉が知られている。水俣病の歴史学習や環境学習を目的とする修学旅行・視察旅行などの観光客も多く、エエコパーク水俣などに国・県・市・民間の学習拠点が整備されている。
近年は、地区全体を建物のない博物館と見立てて生活文化・産業を案内し体験してもらう村丸ごと生活博物館など、食材・食品や自然環境に恵まれた地域の生活を体験するグリーンツーリズムの取り組みも進んでいる。
地魚料理は安くて味も良いことで定評があるとされ[要出典]、いりこ、太刀魚のみりん干し、ちりめんなどの海産物や、サラダ玉ねぎ、みなまた新茶、新米、寒漬け、晩柑、甘夏、デコポン、スイートスプリングなどもその味が好評とされる[要出典]。
- 主な観光イベント
- 3月 - サラたまちゃん祭り
- 4月 - 湯の児桜まつり、みなまた春まつり(水俣三社祭り)
- 5月 - ローズフェスタ(春)、みなまた港フェスティバル・みなまた総合物産展
- 7月 - 恋龍祭
- 8月 - 湯の児海上花火大会、湯の鶴温泉夏祭り
- 9月 - 湯の児女だけの太刀魚釣り大会
- 10月 - ローズフェスタ(秋)
- 11月 - 湯の鶴ウォーク
[編集] 商業
中心商店街は水俣駅東側の国道3号線周辺を中心として広がる。核店舗は水光社本店、水光社エムズシティ(旧水俣寿屋百貨店)、鶴屋百貨店水俣店(小型店舗)である
郊外部には大規模商業施設はないものの、国道3号線沿いを中心に郊外地域にかけてもロードサイド型店舗の進出が見られる。
[編集] 環境マイスター
環境にこだわったものづくりに取り組む職人を認定する環境マイスター制度を1998年に全国で初めて設け、紙漉き職人、お茶・みかん・野菜・米づくりを行っている人など9名を認定。現在は26名が環境マイスターとして認定されており、いずれも、原料、生産、加工、販売、廃棄物のどの行程においても、環境にこだわったものづくりを進めている。
[編集] 主な企業・組合
- 生活協同組合水光社
- ASBエコウッド
- アクトビーリサイクリング
- サン・エレクトロニクス
- リプラ・テック
- 旭印刷
- 大森産業
- 新栄合板工業
- 摂津工業
- 福田農場ワイナリー
- チッソ水俣本部
- 河村電器産業水俣工場
- 喜楽鉱業水俣エネルギー工房
- マルイ食品しらぬい工場
- 肥後環境水俣支店
- 金融機関
[編集] 教育
近年、市の「小中学校再編成実施計画」により一部学校の統廃合が実施された[1]。
[編集] 高等学校
[編集] 中学校
2011年4月1日、上述計画による統廃合が実施された。なお、廃校となった水俣第三中学校および湯出中学校については、既存の水俣第一中学校・水俣第二中学校とともに校区が再編された。[1]
- 市立
- 水俣第一中学校
- 浜分校 - 総合医療センターに所在し、入院生徒向けの教育を行っている。[1]
- 水俣第二中学校
- 袋中学校
- 緑東中学校 - 葛渡中学校と久木野中学校が統合。校舎は前者を使用している。[1]
[編集] 小学校
上述計画による統廃合は、2008年および2009年の4月にそれぞれ実施された。[1]
太字の学校は標準服がある。
- 市立
- 水俣第一小学校
- 浜分校
- 水俣第二小学校
- 水東小学校
- 袋小学校
- 湯出小学校
- 葛渡小学校
- 久木野小学校
[編集] 姉妹都市
[編集] 交通
[編集] 鉄道
- ※このほか1988年まで、山野線が水俣駅から分岐していた(駅は水俣駅 - 東水俣駅 - 肥後深川駅 - 深渡瀬駅 - 久木野駅)。廃止後は跡地を再利用した「日本一長〜い運動場」(歩行者と自転車の専用道)が整備されている[2]。
[編集] 路線バス
[編集] 道路
[編集] 一般国道
[編集] 主要地方道
[編集] 道の駅
[編集] 海運
[編集] 水俣港
[3] 2000年5月23日、特定地域振興重要港湾に選定されている。
1976年、県が水俣湾の水銀汚泥の処理を目的とした「水俣湾公害防止事業」に着手し、1976年には1工区約4.5ha、1990年には2工区約54haの埋め立てがそれぞれ竣工した。また、これに先立つ1989年には水深7.5mおよび10mの岸壁がそれぞれ1バース整備された。なお、熊本県土木部港湾課による「水俣湾公害防止事業埋立地護岸耐震及び高経年化対策委員会」の調査において、護岸背面近傍に総水銀及びアルキル水銀の溶出量値が定量下限値以下であることが報告されている[要出典]。[4]。
[編集] 船舶
[編集] 名所・旧跡・観光スポット
- 湯の児温泉
- 海水浴場
- フィッシングパーク
- 湯の児スペイン村・福田農場 - 車で5分程の高台上のスペイン料理レストラン・果樹園。
- 湯の鶴温泉
- チェリーライン - 湯の児温泉と湯の鶴温泉を結ぶ約500本の桜並木の街道。:日本さくら名所100選
- 大学山の照葉樹林:かおり風景100選
- 寒川地区の棚田:日本の棚田百選
- 村丸ごと生活博物館(頭石地区・久木野地区・大川地区・越小場地区)
- 久木野ふるさとセンター愛林館
- 徳富蘇峰・徳富蘆花兄弟生家 - 現存する町屋造りの建物としては県内最古、県史跡文化財。
- 蘇峰記念館
- 侍街道はぜの木館 - 付近は和ロウソクの原料である「はぜの木」が多く栽培されており、ろうそく作り体験や歴史資料の閲覧ができる。
- エコパーク水俣
- 袋御番所跡 - 薩摩街道において薩摩国との国境警備にあたった。
[編集] メディア
水俣市立図書館では、鹿児島県の県域紙である南日本新聞が発行日より閲覧可能である
[編集] ラジオ放送
熊本県の放送局においてはNHK第一は水俣市、第二は大津町、RKK・NHK-FM・FMKは天草市御所浦町から送信される電波を受信する。なお、放送対象地域外となる他県の放送も一部の聴取が可能であり、鹿児島・長崎・福岡の各県を放送対象地域とするAM放送局が標榜するサービスエリアには市域も含まれている。
- AMラジオ放送
- NHKラジオ第1放送・1341KHz
- NHKラジオ第2放送・873KHz
- RKK熊本放送・1197KHz
- MBC南日本放送・1107KHz
- NBC長崎放送・1233KHz
- RKBラジオ(RKB毎日放送)・1278KHz
- KBCラジオ(九州朝日放送)・1413KHz
- FMラジオ放送
[編集] テレビ放送
熊本県の放送局においては水俣中継局を中心に受信されている。地上デジタル放送は2007年10月に放送開始された。
一部地域では出水方面にアンテナを向け鹿児島の放送を受信している世帯もある。
[編集] 水俣市出身の有名人
- 徳富蘇峰(ジャーナリスト、評論家)
- 徳冨蘆花(小説家)
- 淵上毛錢(詩人)
- 谷川雁(詩人、評論家)
- 谷川健一(民俗学者、地名学者、作家)
- 内山安二(漫画家)
- 江口寿史(漫画家。水俣市の観光ガイドブックの表紙イラストや、駅貼りのポスターも手掛けている。)
- 森枝卓士(食文化ジャーナリスト)
- 川本輝夫(チッソ水俣病患者連盟委員長、水俣市議会議員)
- 村下孝蔵(フォーク歌手)
- 渡辺敦子(ミュージシャン、元プリンセス・プリンセス)
- 山下善寛(水俣学研究者)
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 環境首都 熊本県水俣市(公式サイト)
- 国立水俣病総合研究センター - 環境省
- 熊本県環境センター
- (財)水俣病センター相思社
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