鹿児島空港

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鹿児島空港
Kagoshima Airport
Kagoshima airport 2.jpg
IATA:KOJ-ICAO:RJFK
KOJ/RJFKの位置
KOJ/RJFK

空港の位置

概要
国・地域 日本の旗 日本
設置場所 鹿児島県霧島市
空港種別 商業
運営者 国土交通大臣
運営時間 7:30 - 21:30
標高 271.9 m・892.1 ft
位置 北緯31度48分00秒
東経130度43分18秒
座標: 北緯31度48分00秒 東経130度43分18秒
ウェブサイト
滑走路
方向 ILS 全長×全幅 (m) 表面
16/34 II 3,000×45 舗装
リスト
空港の一覧

鹿児島空港(かごしまくうこう 英語: Kagoshima Airport)は、鹿児島県霧島市溝辺町麓にある空港空港法第4条1項5号に該当する空港として政令で定める空港に区分される。

概要[編集]

鹿児島県霧島市溝辺町麓の通称・十三塚原にある。多くの離島路線を抱えていることもあって、第二種空港としては国内有数の規模である。

鹿児島市など主要都市からやや離れた場所に立地しているが、九州自動車道溝辺鹿児島空港インターチェンジに近く、高速道路を経由したアクセスは良好である。熊本県南部(人吉市球磨郡各町村および水俣市)や、宮崎県南西部(小林市えびの市)など近県の利用者も多い。鹿児島市街地からは空港連絡バス(九州自動車道経由)が日中約10分間隔で運行されており、鹿児島中央駅からの所要時間は38分である。

年間利用客数は、国内4,675,169人、国際107,981人(2012年度)[1]九州内では福岡空港に次いで第2位である。

海上保安庁第十管区海上保安本部鹿児島航空基地を併設している。

歴史[編集]

2013年冬、鹿児島空港空撮
  • 1932年(昭和7年) - 鹿児島市鴨池地区に、鹿児島市営水陸両用飛行場が建設[2]
  • 第二次世界大戦中は、海軍鹿児島基地として使用。
  • 1957年(昭和32年) - 旧・鹿児島空港(通称・鴨池空港。現在の鹿児島市鴨池新町付近)が開港[2]
  • 1972年(昭和47年) - 現在地に移転し、新たに鹿児島空港として開港。滑走路は、2500m。当初より国内線とは別に国際線専用ターミナルを擁するなど、ローカル空港としては先駆的であった。
  • 1980年(昭和55年) - 滑走路、3000mに延伸、供用開始。

施設[編集]

国際線ターミナル[編集]

国内線ターミナル[編集]

  • 空港施設内に鹿児島空港内簡易郵便局が設置されている。
  • 到着ロビー(1階)を出ると出入り口(2)と出入り口(3)の間に空港温泉足湯 おやっとさぁ(お疲れ様の意)が設置され、2階にはエアポートギャラリー、3階から屋上・展望デッキにはソラステージがある。

就航路線[編集]

航空会社が2社以上記載の場合、最初に記載の航空会社の機材・乗務員による共同運航便(コードシェア便)である。詳細は月刊時刻表を参照。

国内線[編集]

国内線ターミナル
国内線エプロン

かつての定期就航路線

(鹿児島空港発)就航路線別年間旅客数/順位[3]
行き先 旅客数 国内線順位
東京国際空港 約221万人 上位5位
大阪国際空港 約67万人 上位35位

国際線[編集]

国際線ターミナル

運休・廃止した航空会社・路線[編集]

かつてはドンムアン空港バンコク)、シンガポール・チャンギ国際空港シンガポール)、グアム国際空港グアム)、ナウル国際空港ナウル[注 3]ポートモレスビー国際空港ポートモレスビー)へも就航していた。

近辺の見どころ・宿泊[編集]

目前に霧島山が見え、周囲には妙見温泉など温泉が多い。「温泉バス」が本数は多くないものの運行しており、一日500円で一箇所の温泉入浴券付で乗車できる。

アクセス[編集]

バス[編集]

道路[編集]

鉄道[編集]

  • JR - 肥薩線(アクセス路線ではなく、本数も少ないなど利便性は低い)
  • アクセス路線としては日豊本線国分駅から路線バスに乗車する。駅前発着便はそれほど多くはないが、鹿屋方面からのバスが近隣の霧島市役所を経由するため利用可能。

旧・鹿児島空港[編集]

現存する旧空港ビル(鴨池)

旧・鹿児島空港は1932年、鹿児島市の中心にほど近い鴨池地区(真砂本町)に鹿児島市営水陸両用飛行場として建設され、第二次世界大戦中の1940年に海軍航空隊鹿児島基地として改装された[2]。1,500m×600mの滑走路と16,900平方メートルの格納庫を擁し、練習航空隊の教育などに使用された。1945年、戦争の激化により教育は中止され、度重なる空襲によって使用できなくなった[5]。特別攻撃隊の基点としては鹿屋飛行場と知覧飛行場(知覧特攻平和会館)が著名であるが、本飛行場も使用された。1957年、鹿児島基地の跡地に鹿児島空港(通称・鴨池空港)が第二種空港として開港した。

1972年に空港が現在地に移転。跡地は日本住宅公団により鴨池ニュータウンとして開発され、1996年には県庁や県警本部がこの一角に移転した[2]。旧空港ビルはスーパーマーケットを含むテナントビルとして利用されているが、老朽化のため解体が2013年に決定した[2]。また、旧格納庫は南国交通鹿児島営業所の車庫として利用されていたが、車庫が2008年8月に鹿児島市小野町へ移転したことから翌9月に取り壊された[2]

その他[編集]

  • 東京線が最も大きなシェアを持ち、大阪線・中部線・奄美大島線・福岡線・那覇線と続く。ワイドボディ機は、幹線を除くと東京線や大阪線に導入されたケースが多い。また、そうした背景から多数メモリアルフライトに使用された路線である。羽田〜鹿児島線におけるワイドボディ機のメモリアルフライトは下記の通り。
  • 空港内には離島路線を担う日本エアコミューターの本社がある。同空港を拠点に奄美沖永良部与論などの薩南諸島への路線を展開している。その主力であった唯一の国産旅客機YS-11の国内ラストフライトの到着地である(2006年9月30日JAC3806便 沖永良部発鹿児島行)。
  • 2002年4月から2006年4月の期間、スカイマークエアラインズ(現スカイマーク)によって羽田空港便が就航していたが、就航から4年で撤退した。このとき、搭乗率が平均60%台(当時の羽田 - 福岡線に次ぐ利用率)という高い数字を維持していたにもかかわらず、羽田空港の新規発着枠を確保する目的で鹿児島からの撤退を決断したことで、6億を超える多額の出資を行った地元経済界から猛反発を受けた。撤退の背景には当時50億円の赤字を抱えたスカイマークが、より高い収益を確保すべく路線の集約をもって機材の回転数を上げる狙いがあったとされる。岩崎産業が訴訟を提起するなど、同社が撤退した3路線の中でも最も激しい抗議を行ったのが鹿児島であった。
  • 現在地は第二次世界大戦中に海軍航空隊・国分第二基地として、沖縄方面への特攻出撃などにも使用されていた場所である。滑走路34方向に空港公園があり、戦時中の滑走路の破片が展示されている。
  • 食用馬の輸入量が日本一多い。大消費地である熊本に近いこと、動物検疫所があることが理由。[6]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ JALエクスプレスの機材・乗務員で運航する便あり
  2. ^ ANAウイングスの機材・乗務員で運航する便あり
  3. ^ エア・ナウル(現・アワー航空)が、外国航空会社として初めて就航(1972年12月)したが、機材やパイロット不足で就航率が悪く2日遅れなどの遅延も多く撤退した[4]。なお、当時のチケットはオセアニア方面へ向かう旅行者向けに格安航空券として販売されていた。
  4. ^ 当時のANAの紙の時刻表の上ではボーイング777-300による運用便だったが、この日のみボーイング747SRとなった。

出典[編集]

  1. ^ “管内空港の利用状況概況集計表(平成24年度速報値)” (PDF) (プレスリリース), 国土交通省大阪航空局, http://www.ocab.mlit.go.jp/about/total/report/pdf/riyou_h24d.pdf 
  2. ^ a b c d e f 『空港をゆく』 イカロス出版〈イカロスMOOK〉、2013年12月ISBN 978-4863207912
  3. ^ “平成24年度航空輸送統計速報” (PDF) (プレスリリース), 国土交通省総合政策局, (2013年7月18日), http://www.mlit.go.jp/common/001005182.pdf 上位50位までを記載
  4. ^ 『日本のエアポート05 九州の空港』 イカロス出版2012年5月、137頁。ISBN 978-4863205949
  5. ^ 八巻聡 『鹿児島県の戦争遺跡 航空基地編』、2000年12月。全国書誌番号:20214474
  6. ^ 2014年1月1日付け 南日本新聞

外部リンク[編集]