鹿屋市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
かのやし
鹿屋市
Kanoya Montage Beta.jpg
1段目:かのやばら園、串良の慰霊塔
2段目:リナシティかのや鹿屋体育大学吾平山上陵
3段目:笠野原台地輝北天球館
4段目:高隈山肝属川、右下:かのや夏祭り
Flag of Kanoya Kagoshima.JPG
鹿屋市旗
Kanoya Kagoshima chapter.JPG
鹿屋市章
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 鹿児島県
団体コード 46203-9
面積 448.33km²
総人口 103,875
推計人口、2014年8月1日)
人口密度 232人/km²
隣接自治体 垂水市霧島市曽於市
肝属郡東串良町錦江町肝付町
曽於郡大崎町
市の木 クス(2007年4月1日制定)
市の花 バラ(2006年5月15日制定)
鹿屋市役所
所在地 893-8501
鹿児島県鹿屋市共栄町20番1号
北緯31度22分41.6秒東経130度51分8秒座標: 北緯31度22分41.6秒 東経130度51分8秒
鹿屋市役所
外部リンク 鹿屋市

鹿屋市位置図

― 市 / ― 町・村

特記事項 旧鹿屋市の市の木はクス、花はカンナ
 表示ノート編集履歴 ウィキプロジェクト
かのやばら園
市花のバラ(プリンセスかのや)

鹿屋市(かのやし)は、日本国鹿児島県にある九州南東部、大隅半島の中央部に位置する。

人口10万人を擁する、大隅半島の行政・経済・産業の中核となる都市である。年間の平均気温17℃という温暖な気候と豊かな自然を活かした農業畜産が盛んであり、黒豚ブロイラー落花生サツマイモなどが特産品である。また、国立大学鹿屋体育大学海上自衛隊鹿屋航空基地があることでも全国的にその名が知られている。

鹿児島県内では鹿児島市県庁所在地)・霧島市に次いで3番目の人口規模を有する都市である(人口10万人規模の都市としては他に薩摩川内市がある)。現在の鹿屋市は2代目であり、旧鹿屋市と肝属郡の2町(吾平町串良町)、曽於郡1町(輝北町)との合併により2006年に発足した。初代・鹿屋市の市制施行は1941年5月27日(海軍記念日)である。

現在は「ばらのまち」「健康・交流都市」をキャッチフレーズとしている。

目次

地理[編集]

位置・地形[編集]

鹿屋市役所7階から見た市街地と高隈山地

大隅半島のほぼ中心部に位置しており、市域は東西20km、南北41kmに及ぶ。市の北西部には高隈山地、南東部には肝属山地(国見山地)が連なる。両山地との間に笠野原台地・鹿屋原台地などのシラス台地、市の中央部を流れる肝属川沖積平野を中心とする肝属平野が広がる。西部は鹿児島湾(錦江湾)に接し海岸線が続いている。

気候[編集]

鹿屋
雨温図説明
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
 
 
74
 
13
2
 
 
111
 
14
3
 
 
181
 
17
6
 
 
187
 
21
10
 
 
225
 
25
15
 
 
495
 
27
19
 
 
353
 
31
23
 
 
290
 
32
24
 
 
237
 
30
21
 
 
117
 
25
14
 
 
87
 
20
8
 
 
67
 
15
3
気温(°C
総降水量(mm)
出典:[1]
市街地では数センチメートルの積雪で「記録的な積雪」となる[2](県立鹿屋高校、2005年12月22日)

研究者により気候区分の定義は異なる。一例としてケッペンの気候区分では温暖湿潤気候 (Cfa) とされる。日本国内の気候区分では太平洋側気候とする書籍もある一方で[3]、関口武の気候区分では九州型気候と南海型気候の境界上に位置する[4][5]、としている。

アメダス鹿屋(県立鹿屋農業高校内)の1976年からの統計資料[6][1][7]によると、年平均降水量は2,351.1mm(1981 - 2010年)、年平均気温は17.3度(同上)、年日照時間は2016.9時間(1986 - 2010年平均)である。

年降水量は1993年と1999年が特に多く、1993年は6月からの3か月で2,782mm(年間では3,887mm)を、8月1日には1日で365mmを記録した(#風水害および平成5年8月豪雨も参照)。最少を記録したのは1986年の1,354mmであるが、1998年以降は2009年(1,982.5mm)を除いて2,000mmを下回っていない。

年平均気温は16度から18度(1997年以降は17度を下回っていない)を推移しており日本国内では比較的温暖といえる。真冬日となったことはないが冬日は年平均で32.7日あり、鹿屋市より北に位置する鹿児島市(3日)や宮崎市(16日)と比較して冷え込みは厳しいといえる[8]。最低気温が25度以上となる熱帯夜の日数についても鹿児島市が年51.6日であるのに対し、鹿屋市では年15.6日にとどまる。

鹿児島市内で積雪に見舞われていても、鹿屋市では高隈山地などの山間部のみの積雪となることが多く[9]市街地において画像のような積雪はまれ[10]である。

鹿屋の気象データ(位置:鹿屋市寿2丁目17-5、北緯31度23分24秒東経130度51分48秒、80m、観測時期:1981年-2010年、観測者:気象庁アメダス、出典:[1]
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年間
平均気温( 7.2 8.5 11.5 15.9 19.7 22.9 26.9 27.1 24.6 19.4 14.1 9.1 17.3
平均総雨量(mm 73.5 110.6 181.2 187.2 224.9 495.0 353.4 289.6 236.8 117.1 87.0 64.4 2351.1
輝北の気象データ(位置:鹿屋市輝北町市成、北緯31度35分18秒東経130度51分18秒、360m、観測時期:1981年-2010年、観測者:気象庁アメダス、出典:[11]
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年間
平均気温( 5.7 6.7 9.6 14.1 18.1 21.2 25.1 25.2 22.6 17.7 12.7 7.8 15.5
平均総雨量(mm 84.4 130.4 217.3 245.8 266.0 536.2 390.5 306.2 282.2 128.6 100.8 77.7 2757.8


風水害[編集]

鹿屋市内で発生した主な風水害として、1976年6月24日の集中豪雨や1993年の長雨などが[12]、旧吾平町・串良町では1938年10月15日の水害がある。

1976年6月23日から25日にかけての集中豪雨では865mmの降水量を記録、市街地が浸水し、全体で11億4,100万円の被害を受けた。これが肝属川の河川トンネルである鹿屋分水路が建設されるきっかけとなった。

1993年の長雨では、鹿児島市を中心とした「8.6水害」ではなく「8.1水害」の際に観測史上最多の降水量を記録しており(7月31日から8月2日までの雨量は617mmであったのに対し、8月6日は108mmで被害も出ていない)、同年9月3日の台風13号のほうがより大きな被害をもたらしている。台風13号は「戦後最大級」と称されるほどの規模であった。鹿屋航空基地気象班の観測では最大瞬間風速約66m/sを記録し、九州電力鹿屋営業所管内のほとんどの世帯(98パーセント、約93,600世帯)で停電した。一連の長雨による被害額は合計で45億3,813万円に上り、そのうち、台風13号のみで31億2,604万円を計上した[13]

隣接する自治体[編集]

西

人口[編集]

Demography46203.svg
鹿屋市と全国の年齢別人口分布(2005年) 鹿屋市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 鹿屋市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
鹿屋市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 95,915人
1975年 94,790人
1980年 100,005人
1985年 102,653人
1990年 103,761人
1995年 105,059人
2000年 106,462人
2005年 106,208人
2010年 105,086人
総務省統計局 国勢調査より

地区[編集]

旧鹿屋市が策定した第三次鹿屋市長期総合開発計画(1996年4月)では当時の鹿屋市を9の地区に分けており、現在の鹿屋市総合計画(2008年)においてもほぼそのまま引き継がれている。その範囲はおおよそ鹿屋市内の中学校区に合致する。

旧鹿屋市内では大字は1950年2月6日に廃止され、全て「○○町[14]」の名称に統一された。のちに西原町・寿町・打馬町はそれぞれ「○○X丁目」(○○は地名、Xは数字)と改称された[15]

2006年に鹿屋市と合併した3町にも「○○町」の名称は採用されているが、こちらは3町を継承して2009年までに設置されていた地域自治区「○○町」を、大字の一部としたものである(一例として鹿屋市吾平町麓)[16]。 1950年、町名設置によりそれぞれの大字から以下の町が発足した。

中名(旧鹿屋町)

今坂町、打馬町、王子町、大浦町、大手町、笠之原町、北田町、共栄町、古前城町、寿町、郷之原町、白崎町、新川町、新生町、曽田町、高牧町、西原町、本町、向江町

祓川(旧鹿屋町)

旭原町、上祓川町、下祓川町、西祓川町、祓川町、東原町

田崎(旧鹿屋町)

川西町、川東町、田崎町

高須(旧鹿屋町)

高須町

木谷(旧花岡村)

花岡町、船間町、古江町

白水(旧花岡村)

小野原町、海道町、白水町、天神町

大姶良(旧大姶良村)

大姶良町、永小原町

西俣(旧大姶良村)

飯隈町、池園町、下堀町、永野田町、名貫町、萩塚町、星塚町

獅子目(旧大姶良村)

獅子目町

南(旧大姶良村)

南町

横山(旧大姶良村)

田淵町、横山町

野里(旧大姶良村)

上野町、野里町

浜田(旧大姶良村)

浜田町

1950年以降の主な町名・大字の変遷は以下のとおりである。

  • 1955年1月20日 - 高隈村の編入に伴い、下高隈町(高隈村下高隈)・上高隈町(同上高隈)を設置する。
  • 1956年(月日は不詳) - 白水町、海道町、古江町、船間町、天神町のそれぞれ一部から古里町が発足する。
  • 1958年1月20日 - 垂水町新城(旧新城村)の根木原・桜町地区編入に伴い、根木原町・有武町を設置する。
  • 1967年2月1日 - 市街地区で住居表示を実施。これに伴い打馬町を1丁目・2丁目に分割し、本町の一部が旭町に、北田町の一部が西大手町になる。
  • 1970年1月1日 - 西原地区で住居表示を実施。これに伴い西原町を1丁目から4丁目に分割。新栄町・上谷町を設置する。
  • 1971年4月1日 - 花岡町から小薄町・花里町を分割する。
  • 1971年10月1日 - 寿地区で住居表示を実施。これに伴い寿町を寿1丁目から8丁目、札元1丁目・2丁目に分割する。
  • 2006年1月1日 - 現・鹿屋市の発足に伴い、合併前の3町にあった大字をそのまま継承する。
  • 2010年1月1日 - 地域自治区「輝北町」「串良町」「吾平町」の設置期間終了に伴い、大字を「○○」から「○○町○○」(例:麓→吾平町麓)に改称する。
  • 2011年8月1日 - 笠之原町の一部で住居表示を実施。

市街地中心地区(北田・本町地区)[編集]

城山公園からみた市街地中心地区
向江町(タイヨー鹿屋店付近、2007年撮影)
※タイヨー鹿屋店は2014年1月に閉店

鹿屋中学校区。飲食店街、金融機関[17]などがある中心街。行政・商業地区である。百貨店の閉鎖や市役所の移転、郊外の大型店舗の進出[18]により空洞化が進んでいる。市役所跡地はイベント広場になっており近年までさまざまな催事に使われていた[19]。特に土曜朝市は地元住民に好評。2004年には旧桜デパート閉店後、唯一この地区に残っていたスーパーまるはセンターが閉店。商店街のシャッター通り化・空洞化がさらに進む。人口は1975年4月時点で10,888人、2000年時点で9,596人と減少傾向にあったが、2005年時点では9,642人と増加に転じている。

この状況を打開するため、北田大手町地区では鹿屋市主導で市街地再開発事業が行われている。その中心施設であるリナシティかのやは2007年4月に総合オープン。それに先駆けて2005年春、中心的存在だった旧桜デパートと向かい側にある旧バスセンター(1970年代まで使用)の建物が取り壊され、北田交差点付近は一時期かなり閑散となった。また、2006年6月には鹿屋バスセンター(いわさきグループ三州自動車、当時は大隅交通ネットワーク)の建物も取り壊され[20]、こちらは2007年4月にコンビニエンスストアドラッグストアが建てられている。

  • 町名:古前城町、本町、大手町、西大手町、北田町、新栄町、朝日町、向江町、共栄町、曽田町、白崎町、王子町、打馬(1丁目・2丁目)、西祓川町、下祓川町

西原地区[編集]

西原地区(今坂町の鹿屋郷之原アナログテレビ中継局付近から撮影)

第一鹿屋中学校区。市街地中心地区の西隣に位置する。1941年以前は鹿屋町の一部(野里町・上野町は大姶良村)。

海上自衛隊鹿屋航空基地や運動公園、学校などが集まっている住宅・文教地区。旧国道220号沿いに団地や各種商店が並んでいる。スプロール現象が発生している。また、鹿屋市など大隅半島を拠点とするマスメディア(南九州新聞おおすみFMネットワークの拠点は当地区に所在する。「バラ園」のある霧島ヶ丘公園は当地区と大姶良地区と高須・浜田地区との境界線上にある。

人口は2005年時点で19,708人。1975年時点の16,637人からは増加しているが、1990年代以降はほぼ横ばいである。かつては旧鹿屋市域の地区別人口で首位を占めていたが、1995年4月以降は寿地区に逆転されている。

  • 町名:西原(1丁目 - 4丁目)、上谷町、新川町、大浦町、郷之原町、今坂町、上野町、野里町

寿地区[編集]

寿・札元地区

鹿屋東中学校区。市街地中心地区の東隣に位置し、笠野原台地の南西端にあたる。1941年以前は鹿屋町の一部。

旧国道220号(県道68号)、国道269号、国道220号鹿屋バイパスに囲まれた地区を中心に1970年代以降発展した商業・住宅地域。最近は札元地区の鹿屋バイパス沿いに大型店の進出が相次いでおり、寿・札元地区で新しい市街地を形成しつつある。

西原地区と同様にスプロール現象が発生している。かつてはここで地方競馬が行われており、現在では寿北小北東部の道路形状にそのコースの名残を確認できる。

2005年時点の人口は23,074人。1995年4月時点での人口は20,200人で1975年4月時点の11,473人の倍近くとなり、このときに旧鹿屋市域内の地区別人口で首位になった。

  • 町名:寿(1丁目 - 8丁目)、札元(1丁目・2丁目)、新川町、旭原町、笠之原町

東原・祓川地区[編集]

瀬戸山神社(三国名勝図会

鹿屋中学校区。市街地中心地区の北隣に位置する。1941年以前は鹿屋町の一部。

笠野原台地や高隈山地の山裾にあり農業が盛ん。東原町には気象庁地磁気観測所の鹿屋出張所があり[21]地磁気地電流の観測を行っている。南北を国道504号が貫く。2005年時点の人口は3,372人。

  • 町名:東原町、上祓川町、祓川町

田崎地区[編集]

七狩長田貫神社

田崎中学校区。市街地中心地区の南隣に位置する。1941年以前は大部分が鹿屋町の一部であった。

寿地区との隣接地区を中心に住宅地の開発が進み、西原・寿地区と並び人口増加地区となっている。川西町に鹿児島県立鹿屋工業高等学校が設置されている。県道68号が通る。2005年時点の人口は8,382人。

  • 町名:田崎町、川西町、川東町、名貫町、永野田町

大姶良地区[編集]

大姶良中学校区。旧鹿屋市の南部に位置し、1941年以前は下堀町を除き大姶良村の大部分を構成していた。

農業が盛んであり、下堀町、横山町は鹿屋原台地にある。国立ハンセン病療養所星塚敬愛園がある。南部を県道73号が横断する。1995年時点では人口は減少傾向にあったが、近年は横山町で住宅地の開発が進行しつつある。2005年時点の人口は8,574人。

  • 町名:大姶良町、南町、獅子目町、田淵町、飯隈町、池園町、荻塚町、下堀町、横山町、星塚町

古江・花岡地区[編集]

荒平天神(菅原神社)

花岡中学校区。旧鹿屋市の北西部に位置し、おおよそ1941年以前の花岡村が範囲である。ただし、高牧町は1941年以前の鹿屋町、根木原町と有武町は1958年まで垂水町、白水町のうち一里山地域は1941年以前の大姶良村である。カンパチの養殖が盛んな海岸部と鹿屋体育大学などのある台地にわかれる。

白水町に鹿屋体育大学、花里町に大隅青少年自然の家が所在する。高隈山の鹿屋中継局(県域TV・FM送信所)も厳密には当地区(有武町)に所在する。天神町には菅原道真が祭られた神社がある。国道220号・県道68号が通る。2005年時点の人口は4,903人。

  • 町名:花岡町、古里町、海道町、白水町、小薄町、花里町、小野原町、高牧町、有武町、根木原町、古江町、船間町、天神町

高隈地区[編集]

大隅湖

高隈中学校区。旧鹿屋市の北部に位置し、高隈山地とその周辺の自然に囲まれた地区。1955年に鹿屋市に編入される以前は高隈村を構成していた。

2003年に開通した国道504号高隈バイパスが中心部を回避することから閑散とした様子となっている。肝属川支流の串良川流域に高隈ダム(大隅湖)があり、笠野原台地の農業発展に一役買っている。2005年時点の人口は2,144人。1975年4月時点の3,003人と比較して減少傾向にあるといえる。

  • 町名:上高隈町、下高隈町

高須・浜田地区[編集]

高須中学校区。旧鹿屋市の南西部に位置する。高須港は中世以来の港であり、1941年以前は鹿屋町の飛地であった(浜田町・永小原町は旧大姶良村)。

錦江湾に面しており、鹿屋市内における海水浴の拠点となっている。国道269号が南大隅方面へ繋がっている。霧島ヶ丘公園の「かのやばら園」の住所上の所在地は当地区の浜田町。2005年時点の人口は1,839人。

  • 町名:高須町、浜田町、永小原町

南部(吾平町)[編集]

吾平山上陵

吾平町域。北部は旧鹿屋市のベッドタウンとして機能している面があり、合併前の人口は微減傾向にとどまっていた。神武天皇の父母(ウガヤフキアエズタマヨリビメ)の陵墓といわれる吾平山上陵大隅広域公園がある。2005年の国勢調査時点の人口は7,357人。

  • 大字:吾平町麓、吾平町上名、吾平町下名

東部(串良町)[編集]

慰霊塔

串良町域。大部分が笠野原台地に属し、農業が盛ん。平和公園には特別攻撃隊員の慰霊塔がある。柳谷集落は「行政に頼らない集落」として全国的に知られる。東西を国道220号が通る。なお、江戸時代には東串良町とともに「串良郷」を構成していた。2005年の国勢調査時点の人口は13,272人。

  • 大字:串良町細山田、串良町有里、串良町岡崎、串良町上小原、串良町下小原

北部(輝北町)[編集]

輝北町域。「星空日本一の町」とされるなど自然豊かな高原地域。鹿屋市内で唯一曽於郡に属した地域であり、百引(もびき)・市成の2地区に分かれる。国道504号が縦断し、鹿児島空港方面からの「玄関口」にあたる。2005年の国勢調査時点の人口は4,108人。

  • 大字:(百引地区)輝北町上百引、輝北町下百引、輝北町平房、(市成地区)輝北町市成、輝北町諏訪原

歴史[編集]

おおむね旧鹿屋市、特に旧鹿屋町の範囲を中心とした内容である。

市名の由来[編集]

市名の由来は、鹿屋市史によるといくつかの説があるといわれている。

  1. 古事記日本書紀に登場する「熊襲(くまそ)の首長鹿文(かや)」の名によるという説。
  2. 周辺に多く自生していた茅(ちがや)の名が、「かのや」に転訛したという説。
  3. 鹿(しか)が多く棲息しておりそこから「かのや」になったとの説。

歴史的にみると、平安初期には「かのや」の地名で呼ばれていたということである。

古代[編集]

縄文時代早期から人の定住があり、弥生時代には王子遺跡といった大規模な集落がみられるようになる。王子遺跡の竪穴式住居として特徴的なものに、宮崎県南部を中心に分布する「花弁状住居」がある。

古墳時代には南九州地域独自の地下式横穴墓がみられるようになるが、志布志湾沿岸に点在する前方後円墳は肝属川下流の串良町・吾平町でみられるのみで、旧鹿屋市・輝北町では他の鹿児島県内の地域と同様に存在しない。

7世紀ごろは隼人の全盛期であり、ヤマト王権が勢力を拡大する中現在の鹿児島県本土は半独立の状態であった。ただし隼人の一部は早くからヤマト王権とのつながりを深めており、国造県主となった者も存在した。713年に大隅国が設置されても完全にヤマト王権に服属せず、約6年後(720年)には大隅国国司の陽侯史麻呂を殺害した隼人の反乱が勃発した。ヤマト王権はこれを1年半をかけて制圧し、大隅の支配体制を確立した。班田収授法が大隅国で実施されたのは800年のことであったが、すでに班田収授法は壊滅状態であり、大隅国内のほとんどの領地が荘園[22]となった。

律令制では大隅国に属し、鹿屋市の大部分は姶羅郡(現在の姶良郡とは別)・大隅郡(明治時代に消滅、大隅国設置当時の範囲は現在の大崎町から鹿屋市南部にかけての肝属川流域)となった[23]。なお、当時の肝属郡は大隅半島最南部(現在の南大隅町・肝付町など)に位置しており、中世以降に姶羅郡も肝属郡に含まれるようになった。曽於郡は現在の曽於市・垂水市北部・霧島市東部を範囲としていた。

平安時代中期(930年代)の辞書『和名類聚抄』には、姶羅郡のとして「鹿屋」「串伎」、大隅郡の郷として「姶﨟」がみられる。地名としての「鹿屋」はこれが初出である。

984年(『高城町史』[24]では968年)に肝付氏の祖、伴兼行が薩摩国惣追捕使として下向し、子孫である兼俊が高山(現在の肝付町)へ移住した1036年に肝付氏を名乗る[25]。肝付氏は島津荘などの荘園を実質的に保有していたが、1185年に島津忠久地頭として島津荘を管理することとなり、ここからおよそ400年にわたる肝付氏と島津氏の争いが幕を開けることとなった。

  • 713年 - 大隅国設置。
  • 720年 - 隼人の反乱が勃発。
  • 800年 - 大隅国内で班田収授法を実施。
  • 984年 - 伴兼行が薩摩国惣追捕使として下向。
  • 1026年 - 島津荘が開発される。
  • 1036年 - 伴兼行の子孫の兼俊が肝付氏を名乗る。
  • 1185年 - 島津忠久が地頭として島津荘を管理する。

中世[編集]

正和年間(1300年代初め)に鹿屋院は肝付氏の一族である鹿屋氏によって統治され、鶴亀城(後の鹿屋城)を現在の城山公園の位置に置いた。肝付氏とは島津氏の後継者争いがきっかけとした応永の戦で対立したのを除いてほぼ行動を共にしている。

南北朝時代には荘園が崩壊し、肝付氏は南朝側(公家側)につき、守護大名となった島津氏と対立した。高須港はこの頃から1573年に至るまで肝付氏の一大拠点として機能するようになり、大姶良は禰寝氏支配地との境界線上になったことから多くの山城が築かれた。

戦国時代中の1535年に島津氏の内紛が勃発し、肝付氏は島津氏と再び対立した。一時期は島津氏を上回るほどの戦力を保有していたが次第に衰退し、一時は肝付氏側についた禰寝氏が島津氏側に翻ったことが決定打となり[26]1574年に島津氏に降伏した[27]。島津氏は1577年、伊東氏も降伏させたことで三州(薩摩・大隅・日向)をほぼ統一し、鹿屋氏も肝付氏とともに衰退をみることとなった。

この後、鹿屋を中心とした肝属川流域は「他地域の人間による支配下」に置かれることになる。『鹿屋市史 上巻』(1967年版)では島津氏を悪者と見立て大隅への圧政を強調している[28]が、圧政自体は薩摩藩領内で共通する事柄である。

近世(島津氏による支配)[編集]

串良の地頭仮屋跡
鹿屋麓の武家門

肝付氏亡き後の肝属は、伊集院忠棟が鹿屋城を拠点に地頭として管理した。忠棟は鹿屋城の修復・城下町の形成を始めとして水田開発などによる農業生産の向上、市(いち)の開催を手掛けた。後述する定期市はこのときに始まったものである。

薩摩藩は外城制(後に○○郷と改称)を敷き、現在の鹿屋市域では鹿屋・大姶良・花岡・高隈・串良・姶良・百引・市成の8郷(花岡と市成は私領)がおかれた。外城の成立時期は地域により異なり、鹿屋郷(外城)の場合は、私領を経て1645年に成立した。は1889年の町村制施行の際にもほぼそのままとなるなど、後世まで行政区域として機能した。鹿屋市域では「南部(吾平町)」(『鹿屋市総合計画』による地域区分、姶良郷)、「高隈地区」(『鹿屋市総合計画』による地域区分、高隈郷)がその名残を伝える。

鹿屋郷では定期市が月6回開催され、大隅半島各地を始めとして薩摩半島側の指宿からも集客があった。当時は島津氏御用達の銘酒として「桜川」が存在したが、幕末と1882年頃の火災や時代の推移とともに衰退した。名産品として鹿屋・大姶良で生産された「高須甘藷」(高須港から出荷されたため「高須」といわれた)があった[29]

薩摩藩領内の農民は農業以外の職に就くことが許されず、年貢も8公2民(収穫のうち8割が徴収される、他藩は4公6民が一般的)という高率であった。この他にも衣食住全般にわたって制約が課せられており、百姓一揆を起こす余裕すらなかった。逃亡者も数多く発生し、薩摩半島(西目)側から農民を強制移住(人配、「にんべ」と読む)させることもあった。このような壊滅的ともされる[30]経済状況は、明治期になってから改善されることとなる。

この時期の困窮具合を証明する資料として人口の比較が挙げられる。鹿屋郷には1801年時点では6,224人いたのに対し、1824年時点では6,180人に減少しており、逃亡や間引きが横行していたことが推測される。

近現代[編集]

1931年ごろの北田本通り(現在の国道269号)

1888年に肝属郡の役所が鹿屋郷中名(現在の鹿屋市街地)に設置されたことにより、近代都市としての鹿屋の発展がはじまる。1890年代には鹿屋を中心とする道路網が整備され、1910年代には電気・鉄道(後の大隅線)が通じるようになった。

1889年4月の町村制実施時に旧来の郷(外城)はとなり、現在の鹿屋市域に8か村(鹿屋・花岡・大姶良・高隈・姶良・西串良・百引・市成)がおかれた。鹿屋村は1912年12月31日、鹿児島県内では加治木町に次いで2番目に町制を施行し鹿屋町となった。西串良村は1932年5月15日、姶良村は1947年10月15日にそれぞれ町制を施行し串良町吾平町となった。百引村・市成村は1956年4月1日に合併し、輝北町として発足した。

鹿屋市(初代)としての歴史は、1941年5月27日の鹿屋町・大姶良村・花岡村の3町村の合併・市制施行により始まる。1950年代には高隈村および垂水町の一部地域(根木原・桜町地域)の編入を実施した。この頃は財政が悪化しており財政再建団体となっていた。

1960年代には公共交通機関の利用が最盛を迎え、バスセンターに隣接した桜デパートを中心とした地域の商業が盛んであった[31]。しかし、1970年代以降にシラス台地に位置する西原地区・寿地区に集落が発展するようになり、1991年度の市役所移転・国道220号鹿屋バイパス全線開通に伴うロードサイド店舗の出店・ショッピングセンター(プラッセだいわ)の開業により、中心市街地は衰退をみることとなった[32]。この対策として市街地再開発事業が実施され、2007年にリナシティかのや(鹿屋市市民交流センター)が開設された。

2000年代に入ってからは「ばらのまち」キャッチフレーズとして使用するようになり、2006年に吾平町・串良町・輝北町と合併し2代目の鹿屋市となった際に市の花もバラに変更された。

軍都としての鹿屋[編集]

金浜海岸(占領軍上陸の地)

1936年には市内(当時の鹿屋町・大姶良村境)に日本海軍航空隊の基地が置かれ、真珠湾攻撃訓練の中核地となり、第二次世界大戦中は特攻隊の出撃基地となった。第二次世界大戦後は高須海岸(正確には1km北の金浜海岸)から占領軍が上陸。戦後も海上自衛隊鹿屋航空基地が置かれ、現在でも国防の一大拠点都市としての役割が強い。防空壕も数多く残されており[33]、2000年には道路陥没による死者が発生している[34]

学校の設置・廃止[編集]

明治維新後すぐに鹿屋小学校が設置され、1870年代以降鹿屋市各地にも小学校が設置された。旧制中学校(現在の県立鹿屋高校)は、志布志(現在の県立志布志高校)に設置されていたことや鹿児島県農学校(現在の県立鹿屋農業高校)があったことから1923年まで設置を待つこととなった。

シラス台地に位置する西原・寿地区では人口が増加し続けており、小中学校(寿北・西原台小学校・鹿屋東中学校)が増設されているのに対し、郊外の山間部では減少が続き、旧鹿屋市内だけでも1971年に高牧・桜町、1988年には柏木の各小学校が閉校している。1981年には国内唯一の国立体育大学である鹿屋体育大学が開学し(学生の受け入れは1984年)、1986年には国立の大隅少年自然の家(おおすみくん家)が設立された。

公共交通機関の衰退[編集]

1960年代に最盛を迎えた公共交通機関の利用も自家用車の普及に伴い減少していき、1987年3月には国鉄大隅線が廃止され、2006年11月には大隅交通ネットワーク(バス)の路線が大幅に廃止された。現在でも垂水 - 鹿屋 - 志布志間のバスは1時間に1本程度あるが、その他の路線は1日に数本程度に減便されている(鹿屋市コミュニティバスも同様)。鹿屋は鹿児島県・鹿児島市以上に車保有率が高く、完全にモータリゼーションが進行している地域である[35]

鹿屋市発足・吾平町制施行[編集]

1940年、皇紀2600年であったことや紀元節(2月11日)に川内市(現在の薩摩川内市)が鹿児島県の自治体としては2番目に市制を施行したことに伴い、鹿屋町・花岡村・大姶良村・姶良村の4町村では合併・市制施行の気運が高まった。各町村での議論の結果、1941年5月27日に姶良村を除いた3町村が合併・市制施行した。5月27日は海軍記念日であり、「鹿屋海軍航空隊とともに軍都として発展する」という意味合いがある。

1947年10月15日には姶良村が改称・町制施行し吾平町となった。名称変更の理由として「鹿屋市の大姶良町や姶良郡宛の間違い郵便・運搬物が多く、支障をきたしている」ことを挙げている。また、当時の新聞記事は改称・町制施行を「1938年10月15日の水害からの復興記念」と報道している[36]

昭和の大合併[編集]

高隈村と鹿屋市の合併記念碑

1950年代には鹿児島県が「昭和の大合併」として合併案を提示した。現在の鹿屋市域では以下の通りとなる。

  1. 肝属郡高隈村・百引村、曽於郡市成村・野方村の4村を合併して新たな町とする。
  2. 串良町・東串良町の2町を合併して新たな町とする。
  3. 吾平町・高山町の2町を合併して新たな町とする。

1については、高隈村は鹿屋市と生活圏が一体化していることを理由として1955年1月20日に鹿屋市へ編入。野方村は分村し1955年4月1日に大崎町・西志布志村(後の有明町、現在の志布志市)・大隅町(現在の曽於市)に編入された。残った百引村と市成村が1956年4月1日に合併し輝北町となった。役場は旧百引村におかれ、郡は旧市成村が所属していた曽於郡となった。

2については、串良町側は東串良町との合併には賛成だったが、東串良町側が自立路線を採ったため合併を断念。3についても、吾平町側が自立路線を採ったために平成の大合併に持ち越されることとなる。後に鹿児島県は吾平町と鹿屋市との合併案も示していたが、これも婦人会などの反対により頓挫した。吾平町が合併に反対した理由として高山町との際には「人口の差から合併すれば中心部が高山町となり、現在の吾平町中心部が廃れること」や「両町間の交流が乏しいこと」を、鹿屋市との際には「鹿屋市が当時財政再建団体であったこと」や「鹿屋町と合併した旧大姶良村の中心部が廃れたこと」を挙げている[37]

この他にも、垂水町(現在の垂水市)のうち旧新城村の根木原(ねぎばる)・桜町地区の住民が合併協議の際「鹿屋市と生活圏が完全に一体化している」こと[38]を理由に鹿屋市への編入を希望。この結果、1955年1月10日に垂水町として合併した後1958年1月20日に編入を実施した。桜町地区の名称は編入の際に「有武町」と変更されているが、知的障害者援護施設の名称(桜町学園)として現存している。

平成の大合併[編集]

2003年7月2日に垂水市・輝北町[39]・吾平町との枠組みで、2005年1月の合併を目指し「大隅中央法定合併協議会」を設置。2003年12月22日には新市の名称を「大隅市」と決定[40]。2004年1月には串良町も参加した[41]

ところが、新市の名称に鹿屋市側から反対の声が上がり、2004年3月に新市名変更と合併枠組みの再検討を求める陳情が鹿屋市議会で採択された[42]。垂水市は財政難を理由に、鹿屋市側から合併協議会の離脱を求められ、2004年5月7日に合併協議会を離脱した[43]

2004年7月1日に「大隅中央合併協議会」を改めて設置し[44]、その一員として垂水市を除いた3町と合併協議を進めた。同年11月26日に1市3町は合併協定を調印し、2005年1月7日に県に廃置分合の申請書を提出。3月14日に県が決定書を交付し、同月30日に国から合併が告示され、2006年1月1日に新設合併した。鹿児島県の自治体では初めて地域自治区を設けている(2009年まで)。なお、合併前の2005年12月には鹿屋市に縁のある人物[45]哀川翔柴田亜衣横峯さくら)が出演する合併告知コマーシャルが鹿児島県内のテレビ局で放送された。

旧4市町の花は「地域の花」として指定された。鹿屋地域はカンナ、串良地域はバラ、吾平地域はツワブキ、輝北地域はツツジ

年表(近現代)[編集]

  • 1871年8月29日(新暦) - 廃藩置県に伴い現在の鹿屋市全域が鹿児島県に属す。
  • 1871年12月25日(新暦) - 廃藩置県後の府県合併に伴い都城県に属す。
  • 1873年1月15日 - 都城県の廃止(初代宮崎県の設置)に伴い鹿児島県に属す。
  • 1874年 - 鹿屋・高隈・大姶良・古江の各郵便局が業務開始。
  • 1888年 - 肝属郡南大隅郡の役所が垂水郷から鹿屋郷に移転。鹿屋が大隅の中心となるきっかけとなる。
  • 1889年4月1日 - 町村制度施行により、現在の市域に相当する以下の村々が発足。西串良村(串良郷を東西に分割)を除いて藩政時代からの「郷(外城)」を引き継ぐかたちとなった。
    • 肝属郡鹿屋村・花岡村・大姶良村・高隈村・西串良村・姶良村・百引村
    • 東囎唹郡市成村
  • 1896年4月1日 - 郡区画改正に伴い、東囎唹郡市成村から囎唹郡市成村となる。
  • 1897年2月 - 電信業務を開始。
県立鹿屋農学校(1925年)
  • 1900年 - 鹿児島県農学校(現在の県立鹿屋農業高校)が鹿屋村に移転。
  • 1901年 - 西原競馬場を開設。
  • 1902年10月 - 電報・電話の業務を開始。
  • 1912年12月31日 - 鹿屋村が町制施行、鹿屋町となる。
  • 1915年7月11日 - 南隅軽便鉄道(1916年に大隅鉄道と改称、後の国鉄古江線→大隅線)のうち、高須 - 鹿屋間が開通。当時の鹿屋駅は向江町に設置されていた。
鹿屋町役場(1939年)
  • 1916年4月 - 鹿屋町役場(後の初代鹿屋市庁舎)を現在の鹿児島銀行鹿屋支店の位置に設置。
  • 1920年12月23日 - 大隅鉄道のうち、鹿屋 - 高山間が開通。
  • 1921年8月11日 - 大隅鉄道のうち、高山 - 串良間が開通。
  • 1923年 - 旧制中学校の県立鹿屋中学校(現在の県立鹿屋高校)が開校。
  • 1923年12月19日 - 大隅鉄道のうち、高須 - 古江間が開通。
  • 1929年2月 - 競馬場を札元に移転。
  • 1932年5月15日 - 西串良村が改称・町制施行により串良町となる。
  • 1933年2月16日 - 鹿屋町が町章(当時は「町マーク」と呼称)を選定。現在も鹿屋市章として使用されている。
  • 1935年6月1日 - 大隅鉄道が国有化される。
  • 1935年10月 - 古江線のうち志布志 - 東串良間が開通。星塚敬愛園が開園。
鹿屋海軍航空隊本部(現在の第1航空群司令部)
  • 1936年4月 - 鹿屋海軍航空隊が開隊される。
  • 1936年10月23日 - 古江東線の東串良 - 串良間が開通し、鹿屋 - 志布志間が開通。志布志線経由で宮崎方面へ鉄道のみで向かうことができるようになる。
  • 1938年10月10日 - 古江線の改軌工事が完了。鹿屋駅が共栄町(現在の鹿屋市役所の位置)に移転する。
水害による姶良村(吾平町)の被害
  • 1938年10月15日 - 台風襲来による大水害が発生。肝属川下流を中心に甚大な被害を受ける。
  • 1941年5月27日 - 鹿屋町・花岡村・大姶良村が新設合併・市制施行により鹿屋市となる(初代)。
  • 1942年5月 - 鹿屋市立図書館を当時の市役所内に開設。
  • 1944年 - 鹿屋市立鹿屋工業学校(現在の県立鹿屋工業高校)を設置。
  • 1945年9月 - 第二次世界大戦の終戦に伴い連合国軍が高須海岸(厳密には1km北の金浜海岸)から上陸。
  • 1947年8月 - 向江町に市立図書館を開設。
  • 1947年10月15日 - 姶良村が改称・町制施行により吾平町となる。
  • 1948年3月 - 鹿屋警察署の前身となる自治体警察の鹿屋市警察が発足。
  • 1949年6月 - 昭和天皇が鹿屋市内へ行幸する。
  • 1949年12月 - 鹿屋競馬場で市営競馬を実施。
  • 1950年2月 - 大字を廃止し、「町」を設置。一例として「鹿屋市大字中名→鹿屋市北田町」となる。
  • 1951年12月 - 現在のかのやイベント広場のある地点(鹿屋郷の地頭仮屋跡地)に2代目(1代前)の市役所庁舎が完成。
  • 1955年1月20日 - 高隈村が鹿屋市に編入合併。
  • 1956年4月1日 - 百引村・市成村が新設合併・町制施行により輝北町(所属郡は囎唹郡)となる。
  • 1958年1月20日 - 垂水町新城の根木原・桜町地域を鹿屋市に編入。
  • 1958年4月 - 市立鹿屋女子高校を設置。
  • 1958年8月12日 - 北田交差点に鹿児島県では2番目、鹿屋市内では初の信号機を設置。
  • 1959年11月 - 財政再建団体の指定を外れる。
  • 1960年11月10日 - テレビ放送開始(鹿屋中継局の開局)。
  • 1961年4月13日 - 古江線が垂水市海潟まで開通。
  • 1963年 - 鹿屋競馬場を廃止。
  • 1963年8月 - 祇園祭(鹿屋夏祭り)に「ばか踊り」が登場。30数年に渡り親しまれる。
  • 1967年2月 - 当時の鹿屋市の花を「カンナ」、木を「クスノキ」と制定する。
  • 1967年3月 - 高隈ダムが完成。
  • 1972年4月1日 - 北田交差点が鹿児島県内では初のスクランブル交差点となる(現在は一般的な交差点)。
  • 1972年5月 - 鹿屋市旗を制定。2006年以降の鹿屋市にも引き継がれている。
  • 1972年9月9日 - 大隅線が全線開通。
  • 1976年6月 - 集中豪雨により鹿屋市中心部が冠水。
  • 1977年3月 - 鹿屋市文化会館が完成。中央公園内に小動物園が完成。
  • 1978年4月 - 市立鹿屋看護専門学校を設置。
  • 1981年5月 - 鹿屋市立図書館と視聴覚センターを現在地に設置。
  • 1981年10月1日 - 鹿屋体育大学が開学(開校は1984年4月)。
  • 1986年9月9日 - 国立大隅少年自然の家が開所。
  • 1987年3月 - 国鉄大隅線が廃線。
  • 1991年5月7日 - 旧鹿屋駅のあった地点に市役所本庁舎を移転。同月27日に市制施行50周年を迎える。
  • 1992年3月25日 - 国道220号鹿屋バイパスが全線開通。
  • 1993年3月 - 霧島ヶ丘公園内に『かのやバラ園』を開園。
  • 1993年7月 - 鹿屋航空基地史料館を開設。
  • 1995年4月 - 水道事業を串良町と共同で実施(鹿屋串良水道企業団の業務を開始、鹿屋市上下水道部の前身)。
  • 1996年6月 - 肝属川の水量を分担させる役割を担う『鹿屋分水路』が完成。
  • 2003年11月 - バラの品種のひとつとして『プリンセスかのや』の名称が採用される。
  • 2006年1月1日 - 鹿屋市・輝北町・串良町・吾平町が新設合併し、鹿屋市となる(2代目)。旧輝北町・串良町・吾平町は地域自治区として設置された。
  • 2006年4月25日 - かのやバラ園の規模を大幅に拡大させて開園。
  • 2007年4月1日 - リナシティかのや(鹿屋市市民交流センター)を開設。
  • 2010年1月1日 - 地域自治区としての輝北町・串良町・吾平町を廃止。旧3町の大字を「(地域自治区)○○町(大字)○○」から「(大字)○○町○○」扱いに変更。

人口の推移[編集]

  • 1941年 鹿屋市制施行(鹿屋町、花岡村、大姶良村が合併)
  • 1947年 国勢調査 人口62,497人 13,633世帯
  • 1950年 国勢調査 人口63,506人 13,757世帯
  • 1955年 高隈村を編入
  • 1958年 垂水町新城の根木原、桜町を編入
  • 1960年 国勢調査 人口72,498人 17,541世帯(市域拡大のため)
  • 1970年 国勢調査 人口66,995人 20,566世帯
  • 1980年 国勢調査 人口73,242人 25,197世帯
  • 1990年 国勢調査 人口77,655人 28,411世帯
  • 1998年 人口8万人を突破
  • 2005年 国勢調査 人口81,471人 33,929世帯
  • 2006年 1月1日合併時 人口106,462人 42,992世帯(市域拡大のため)

旧鹿屋市の歴代市長[編集]

ここでは旧鹿屋市(2005年まで)の歴代市長を掲載する[46]

氏名 就任年月日 特記事項
竹内竹丸 1941年8月13日 1943年10月10日死去
2 永田良吉 1943年11月12日 1946年10月15日公職追放により退任。
衆議院議員と兼任。鹿屋市初の名誉市民(1964年11月)
3 田平藤一 1947年4月6日 -
4 牧窪秀吉 1951年4月27日 1952年9月7日死去
5 児島静男 1952年10月27日 -
6 永田良吉 1956年10月7日 -
7 永田良吉 1960年10月7日 -
8 塩田兼雄 1964年10月7日 -
9 塩田兼雄 1968年10月7日 1969年5月19日死去
10 平田準 1969年6月29日 名誉市民(1986年9月)
11 平田準 1973年6月29日 -
12 平田準 1977年6月29日 -
13 蒲牟田喜之助 1981年6月29日 名誉市民(1996年2月)
14 蒲牟田喜之助 1985年6月29日 -
15 蒲牟田喜之助 1989年6月29日 -
16 浅井隼人 1993年6月29日 1994年4月1日死去
17 山下榮[47] 1994年5月15日 現鹿屋市・初代市長(2006年2月5日-2010年2月4日)
18 山下榮 1998年5月15日 -
19 山下榮 2002年5月15日 旧鹿屋市廃止に伴い2005年12月31日に任期満了

行政[編集]

第2代市長・嶋田芳博(2010年-2014年)
  • 市長:中西茂[48](2014年2月5日 - )
氏名 就任年月日 特記事項
市長職務執行者 有留忠男 2006年1月1日 旧・輝北町長
1 山下榮 2006年2月5日 旧・鹿屋市長(1994年5月15日-2005年12月31日)
2 嶋田芳博[49] 2010年2月5日

鹿屋市職員は2007年4月1日時点で1,021人で、平均年齢は一般行政職が42.7歳、技術労務職が46.8歳となる[50]

市の行政機関[編集]

市役所[編集]

  • 鹿屋市役所

鹿屋市役所庁舎は大隅線鹿屋駅の跡地にあり、旧鹿屋市時代の1991年より供用されている。分庁舎(上下水道部)は旧鹿屋市・串良町が共同で運営していた「鹿屋串良水道企業団」を継承するかたちで寿に設置されている。

総合支所[編集]

  • 輝北総合支所
  • 串良総合支所
  • 吾平総合支所

2006年の市町村合併に併せて、町役場を引き継ぐかたちで総合支所が設置された(2009年までは正式には「地域自治区の事務所」扱い)。串良総合支所については旧町役場が老朽化のために2009年に解体され、同年9月に支所機能を旧串良町保健センターへ移転している。

出張所[編集]

高隈・花岡・大姶良・高須・市成には出張所が設置されている。

県の行政機関[編集]

鹿屋警察署
  • 鹿児島県大隅地域振興局(打馬) - 戦前の肝属郡役所時代から引き続き打馬に所在する。鹿児島県庁も参照。
  • 鹿児島県警察鹿屋警察署(寿) - 管轄区域は鹿屋市・垂水市。
  • 大隅肝属地区消防組合(新川町) - 管轄区域は鹿屋市・東串良町・錦江町・南大隅町・肝付町。

国の行政機関[編集]

「西原」と記載されている機関のうち、国道維持出張所を除き、4丁目の合同庁舎内に入居している。

  • 法務省:鹿児島地方法務局鹿屋支局(西原)
  • 財務省:鹿屋税務署(西原)
  • 厚生労働省:鹿屋公共職業安定所(北田町) - 2007年に西原の合同庁舎より移転。
  • 厚生労働省:鹿屋労働基準監督署(西原)
  • 国土交通省:九州地方整備局大隅河川国道事務所 - 大隅河川国道事務所は肝付町に所在する。
    • 鹿屋出張所(王子町)
    • 鹿屋国道維持出張所(西原)
  • 林野庁九州森林管理局大隅森林管理署(下堀町)
  • 裁判所:鹿児島地方裁判所鹿屋支部 (打馬)
  • 裁判所:鹿屋簡易裁判所(打馬)
  • 日本年金機構:鹿屋年金事務所(寿)

財政[編集]

平成18年度(2006年度)の財政力指数は0.47。経常収支比率は91.4%と標準より高い数値となる。市債残高(平成17年度決算で480億2,800万円)も平成15年度(2003年度)以降上昇傾向にあり、基金(平成17年度決算で110億1,600万円)の切り崩しも続いている[51]

平成18年度一般会計[52]では、歳入が451億6,216万円、歳出が437億3,025万円となり、いずれも前年比16 - 17億円の減少となった。平成19年度の当初予算[53]は379億4,800万円と、13.1%ほど更に減少することになる。

歳入のうち自主財源は約170億円、このうち市債の発行額は46億8,180万円、市税は95億8,932万円(21.2%)となる。依存財源の中心となるのは地方交付税国庫支出金であり、歳入額の40%ほどを占める。

歳出のうち義務的経費が約200億円で46%と約半数を占める。このうち人件費が80億2,452万円(18.4%)、公債費は50億6,861万円(11.6%)となる。

給料[編集]

2007年4月1日時点の平均給料(月額)は鹿屋市長が90万円、一般行政職が33万9,100円、技術労務職が35万2,600円。初任給は大学卒・高校卒ともに14万0,100円となる[50]

産業[編集]

第一次産業[編集]

2000年の国勢調査時の就業人口の割合は14.8%。減少傾向にある[54]。農業・畜産が盛ん。特に、高隈ダムから農業用水をひいて大規模なかんがい事業を行なった笠野原台地では、様々な農作物が栽培されておりサツマイモ落花生などの産地となっている。 吾平町や串良町など沖積平野部では早期栽培[55]も行われている。2005年時点の食料自給率は112%[56]

農林水産省による2005年の統計[57]では農業産出額はおよそ459億3,000万円で、日本の市町村別では8位となり[57]九州地方では宮崎県都城市(3位、約679億円)、鹿児島県南九州市(7位、約465億円)に次ぐ。豚や肉用牛の産出額・飼養頭数は宮崎県都城市についで2位[57][58]、サツマイモは収穫量で2位となる[57][59](鹿児島県内の市町村別では左記の他にゴボウ[60]ニンジンサトイモブロッコリーが産出額で[61]、乳用牛が飼養頭数・生乳生産量で[62]最大となる)。

漁業はカンパチの水揚げ量が垂水市に次いで日本国内で2位となる。なお、鹿児島湾沿岸地域はカンパチの養殖が盛んで、そのシェアは日本国内で半数に達する[63]

第二次産業[編集]

小鹿酒造本社工場

2000年の国勢調査時の就業人口の割合は22.6%[54]。鹿屋内陸工業団地や市街地南部の工業地区を中心に電子工業、繊維製造業、食品加工業などの多くの事業所があり、雇用の創出や地域の活性化に貢献している。おもな事業所としては日本モレックス鹿児島工場、九州化工(日本最大のクエン酸メーカー)がある。

第三次産業[編集]

プラッセだいわ鹿屋店(鹿屋市最大の商業施設)
鹿児島銀行鹿屋支店

2000年の国勢調査時の就業人口の割合は62.6%[54]。国道220号の鹿屋バイパス、旧国道220号の県道68号の沿線にロードサイド店舗が多数出店[35][64]しており、鹿屋市における商業の中心となっている。特に家電量販店は鹿屋バイパス沿いに(西から)ケーズデンキエディオン鹿児島鹿屋店(カコイエレクトロのエリアフランチャイズ店舗、旧ベスト電器)、ヤマダ電機、エディオン鹿屋店(所在地は肝付町、鹿児島県内唯一の直営店、鹿屋バイパスの起点にある)が出店している。鹿児島県内を拠点とするチェーン店(タイヨーだいわニシムタなど)は鹿屋市内に大規模店舗[65]を出店している。

金融機関については地区の節にある通り、市街地中心地区を中心に鹿屋市の拠点となる店舗を設置している。ただし、鹿児島興業信用組合「鹿屋支店」(旧:鹿児島県信用組合本店)や鹿児島相互信用金庫「鹿屋支店」は寿地区にある。なお、宮崎銀行の鹿屋支店は日本勧業銀行から引き継いだ店舗であり、同行としては宮崎県外初の店舗でもある[66]

商工団体については旧鹿屋市は鹿屋商工会議所、旧輝北町・串良町・旧吾平町はかのや市商工会がそれぞれ管轄している。

鹿屋市に本社を置く主要企業[編集]

鹿屋市内にかつて存在した主要企業[編集]

地域[編集]

教育[編集]

2013年度現在、鹿屋市内には高等学校が6校、中学校が13校、小学校が25校設置されている。特別支援学校については大浦町(西原地区)に鹿児島県立鹿屋養護学校が置かれている。

輝北小学校は旧輝北町の5小学校を統合し、2011年に開校した

2011年度現在の児童・生徒数(小中学生)は9,546人[67]。長期的に児童・生徒数が減少することが予想されていることから、鹿屋市教育委員会では小規模校の統廃合を主とする学校規模の適正化を進めている[68]。2011年6月に策定された学校再編実施計画書では、2013年度までに「神野小学校の吾平小学校への統合」と「花岡地区内の鶴羽・古江・菅原小学校および花岡中学校を、小中一貫校として統合」することが掲げられ[69]、2013年4月に実行された。旧輝北町については合併前から議論が進められていたこともあり、他地域に先駆けて2011年にそれぞれ1校(小学校は百引小学校敷地、中学校は市成中学校敷地)に統合された[70]

小中学校については「鹿屋市学校間交流ホームページ」(外部リンク)内に公式ウェブサイトが設けられている。

大学[編集]

鹿屋体育大学

白水町(花岡地区)に国立大学鹿屋体育大学が所在する。体育大学としては唯一の国立大学である。1981年に設置、1984年より学生の受け入れを開始し現在に至る。

専門学校[編集]

高等学校[編集]

鹿屋市には6の高等学校が所在する。串良商業高校を除き、全て旧鹿屋市の地域に立地する。公立高等学校の普通科に設定される通学区域(学区)は大隅学区であり、大隅半島の4市5町に所在する高校が学区内となる(鹿児島県高等学校一覧#大隅学区を参照)。旧輝北町(旧市成・百引中学校校区)は姶良・伊佐学区にも属する[71]

公立
鹿屋女子高等学校
私立

中学校[編集]

2005年に新築された第一鹿屋中学校の校舎

鹿屋市には13の中学校(全て市立)が所在する。

旧輝北町内の市成・百引中学校は2011年4月に輝北中学校(市成中学校敷地内)へ統合された。花岡中学校には敷地内に花岡小学校(鶴羽・古江・菅原小学校を統合)が建設され、2013年より小中一貫校 花岡学園として再編される。

  • 鹿屋市立花岡中学校(花岡小学校を併設、通称:小中一貫校 花岡学園)
  • 鹿屋市立輝北中学校
  • 鹿屋市立市成中学校(2011年閉校)
  • 鹿屋市立百引中学校(2011年閉校)
  • 鹿屋市立串良中学校
  • 鹿屋市立細山田中学校
  • 鹿屋市立上小原中学校
  • 鹿屋市立吾平中学校

小学校[編集]

2013年に開校した小中一貫校 花岡学園(花岡小学校・中学校)

鹿屋市内には25の小学校(全て市立)が所在する。2011年度時点で古江・菅原・高須・南・高隈・鶴峰・神野の7小学校は複式学級を有していた[67](古江・菅原・神野は2013年3月末をもって閉校)。

旧輝北町内の小学校(百引・平南・市成・高尾・岳野)は2011年4月に輝北小学校(百引小学校敷地内)に統合。岳野小学校は旧輝北町の時代(1990年)に休校とされており、鹿屋市として児童を受け入れることのないまま閉校した。花岡地区内の小学校(鶴羽・古江・菅原)は2013年4月に花岡小学校(花岡中学校敷地内)に統合され、小中一貫校 花岡学園として再編された。旧吾平町では神野小学校が2013年3月末をもって吾平小学校へ統合された。

  • 鹿屋市立鹿屋小学校
  • 鹿屋市立祓川小学校
  • 鹿屋市立東原小学校
  • 鹿屋市立笠野原小学校
  • 鹿屋市立寿小学校
  • 鹿屋市立寿北小学校
  • 鹿屋市立田崎小学校
  • 鹿屋市立西原小学校
  • 鹿屋市立西原台小学校
  • 鹿屋市立花岡小学校(花岡中学校に併設、通称:小中一貫校 花岡学園)
  • 鹿屋市立鶴羽小学校(2013年閉校)
  • 鹿屋市立古江小学校(2013年閉校)
  • 鹿屋市立菅原小学校(2013年閉校)
  • 鹿屋市立高須小学校
  • 鹿屋市立浜田小学校
  • 鹿屋市立野里小学校
  • 鹿屋市立大姶良小学校
  • 鹿屋市立南小学校
  • 鹿屋市立西俣小学校
  • 鹿屋市立高隈小学校
  • 鹿屋市立大黒小学校
  • 鹿屋市立串良小学校
  • 鹿屋市立細山田小学校
  • 鹿屋市立上小原小学校
  • 鹿屋市立輝北小学校
  • 鹿屋市立市成小学校(2011年閉校)
  • 鹿屋市立高尾小学校(2011年閉校)
  • 鹿屋市立百引小学校(2011年閉校)
  • 鹿屋市立平南小学校(2011年閉校)
  • 鹿屋市立岳野小学校(休校のまま2011年閉校)
  • 鹿屋市立吾平小学校
  • 鹿屋市立鶴峰小学校
  • 鹿屋市立神野小学校(2013年閉校)
  • 鹿屋市立下名小学校

文化施設[編集]

リナシティかのや
鹿屋市立図書館と鹿屋市立視聴覚センター
  • 鹿屋市市民交流センター(リナシティかのや
  • 鹿屋市文化会館
  • 鹿屋市立図書館
  • 鹿屋市立視聴覚センター
  • 中央公民館
  • 花岡地区公民館
  • 地区学習センター(大姶良・高須・田崎・西原・東)
  • 鹿屋市民族館

スポーツ・健康施設[編集]

交通[編集]

鹿屋市には鉄道がないため、自家用車・バスが専らの交通手段となる。

空港[編集]

最寄り空港は霧島市にある鹿児島空港。鹿屋バスセンター - 鹿児島空港間はリムジンバスでおよそ1時間40分。自家用車では国道504号経由で1時間30分ほど掛かる。

港湾[編集]

鹿屋港
  • 鹿屋港(古江港)
  • 高須港

道路[編集]

鹿屋市には高速道路が通っていないため、一般国道が幹線道路として機能している。

高速道路[編集]

高規格幹線道路
建設中の鹿屋串良JCT(2013年8月撮影)

東九州自動車道は新直轄方式によって建設が進んでおり、2014年度の供用開始を目指している。

現在の最寄のインターチェンジ (IC) は都城IC宮崎自動車道)または国分IC(東九州自動車道)。資料によっては溝辺鹿児島空港IC九州自動車道)を案内するものもある。距離上の最寄りICである曽於弥五郎ICは鹿屋市域からは遠回りとなる。

東九州道に施行命令が出された当時の『広報かのや』1999年6月号に掲載された開通時期は、鹿屋串良IC(仮称)[72]から末吉財部ICまでが2007年度、志布志ICから鹿屋串良IC(仮称)[72]までが2008年度であった。実際に起工したのは前者が2007年3月21日、後者が2007年12月16日[73]のことであり、当初の計画に比べ大幅に遅れていることがわかる。

地域高規格道路

一般国道[編集]

鹿屋バイパス(札元)

鹿屋市内には東西を貫く国道220号、南西-北東方向に貫く国道269号、中心市街地から北進する国道504号、計3本の一般国道が通る。国の直轄道路(指定区間)は国道220号のみであり、国道269号・504号は県が管理する。吾平町域には国道は通過していない。

  • 国道220号 - 志布志方面(東)から串良・鹿屋を通過し垂水・霧島市方面(北西)に至る。鹿屋市街地は鹿屋バイパスで避ける。古江バイパスは一部のみ開通。路線バスは旧道経由。
  • 国道269号 - 南大隅方面(南西)から鹿屋市街地、笠野原台地を通過し都城方面(北東)に至る。現道の他に西原バイパスが整備されている。
  • 国道504号 - 中心市街地(北田交差点)から高隈・輝北を通過し霧島市方面に至る。鹿児島空港へのアクセス路。

主要地方道[編集]

県道68号鹿屋吾平佐多線(国道220号旧道)

県道72号垂水大崎線を除いて概ね2車線道路に整備されている。

1993年までは「県道69号鹿屋福山線」(現国道504号)が存在した。

自転車・歩行者専用道路[編集]

フィットネスパース(永野田駅跡)
  • フィットネスパース - 1987年に廃線となった大隅線のうち、旧鹿屋市の区間の一部(荒平駅から永野田駅まで)を整備した。
  • 県道東串良吾平自転車道線 - 肝属川・姶良川沿い。

一般国道利用による主要地への所要時間[編集]

九州幹線道路調査事務所の道路時刻表に基づく[75]

渋滞を考慮した場合、特に鹿児島市への所要時間は大きく異なる。また、2004年時点のデータを用いているため、宮崎市の道路事情の改善(加納バイパス・天満バイパスの開通)は考慮されていない[76]

都市 所要時間
垂水市 37分
志布志市志布志町 39分
曽於市大隅町岩川 44分
都城市 1時間2分
桜島港(桜島フェリー 1時間4分
霧島市国分 1時間8分
鹿児島空港 1時間36分
鹿児島市 2時間1分
宮崎市 2時間11分

バス路線[編集]

一般路線バス
鹿児島中央駅-鹿屋間直行バス
かのやくるりんバス

鹿屋停留所(バスセンター跡・リナシティかのや)が大隅半島のバス交通の拠点となっている。2006年11月に大隅交通ネットワーク(当時)が事業縮小に伴いバス路線の一部を廃止したことや鹿屋バスセンターの取り壊しといった要因から、バス事情は悪化傾向にあるといえる。鹿屋市はこれを受けて鹿屋市コミュニティバスの運営を開始しており、2007年9月からは市街地巡回バスとして「かのやくるりんバス」の運行を開始している。

三州自動車(いわさきグループ)

2011年12月に事業者名が大隅交通ネットワークから変更された。鹿屋市内において「三州自動車」の名称で運行するのは1964年以来のことである。なお、三州自動車の「鹿屋営業所」は住所上、隣の肝付町に位置する。

垂水・志布志間(国道220号の旧道を通る)は1時間に1-2本、高山(肝付町。吾平を経由)間は1時間に1本、都城・根占(南大隅町)間は1-2時間に1本の間隔で運行されている。

鹿屋市コミュニティバス

運行主体は三州自動車である。

  • 廃止路線代替バス - 三州自動車(旧 鹿児島交通→いわさきコーポレーション→大隅交通ネットワーク)が廃止した路線の一部を引き継ぐ。
  • くしらふれあいバス - 2002年に串良町として運行開始。
  • かのやくるりんバス - 市街地(西原・寿)を8の字に結ぶ。西回り・東回り計6本。2012年4月1日より輝北地区に3路線、吾平地区に2路線運行開始。
  • 鹿児島中央駅 - 鹿屋間直行バス - 2009年12月運行開始。垂水フェリーを経由する。1日6本。

鉄道[編集]

かつての鹿屋駅(1939年)

現在の最寄り駅は宮崎市方面につながる志布志駅日南線)であるが、実用的な最寄り駅は鹿児島中央駅九州新幹線鹿児島本線指宿枕崎線)もしくは国分駅都城駅日豊本線)。いずれも自家用車では駅まで1時間以上掛かる。鹿児島中央駅へは1日6本の直行バスが運行されており、2時間ほどで到着する。志布志駅および都城駅へは三州自動車の路線バス(普通のみ)の利用となる。

かつては国鉄大隅線(1987年廃止)が通っており、鹿屋市内には中心駅鹿屋をはじめとする10の駅があった。鉄道の歴史については大隅線の前身である大隅鉄道も参照。

串良駅 - 下小原駅 - (肝付町内に2駅) - 吾平駅 - 永野田駅 - 大隅川西駅 - 鹿屋駅 - 大隅野里駅 - 大隅高須駅 - 荒平駅 - 古江駅

鹿児島市までの交通手段[編集]

県庁所在地の鹿児島市へは、隣の垂水市にある垂水港から鴨池・垂水フェリー(大隅交通ネットワーク)で鹿児島湾を横断し鹿児島市の鴨池港へ向かうルートが最短で、所要時間は最短で70分ほど(待ち時間なし、直行バスでは約2時間)である。桜島フェリーを利用する(国道220号・224号経由)ルートもある。陸路では高速道路経由で2時間、一般道では3時間近く掛かり、隣県(宮崎県)の県庁所在地である宮崎市(国道269号経由)への所要時間と大差が無い。

通信[編集]

電信電話[編集]

市外局番は、旧輝北町域の099(志布志MA[77])を除いて0994(鹿屋MA[78])。旧鹿屋市域は30 - 31番・40 - 49番・51番、旧吾平町域は58番、旧串良町域は62番と63番、旧輝北町域は486番と485番を市内局番として使用する。

新聞[編集]

南九州新聞社本社

大隅半島を対象とした夕刊紙の南九州新聞を始めとして、鹿児島県の地方紙の南日本新聞や全国紙を購読できる。

鹿屋市内に拠点を置く新聞社

新聞社、所在地の順で表記する。

地上波放送[編集]

鹿児島テレビ鹿屋支社
鹿屋市内に拠点を置く放送局

鹿屋市を拠点とする放送局として、コミュニティ放送局のかのやコミュニティ放送(FMかのや)があり、輝北町と吾平町の一部を除く地域で聴取できる。FMかのやはおおすみ半島コミュニティ放送ネットワーク(おおすみFMネットワーク)を構成する放送局のひとつであり、FMきもつき(肝付町が対象地域)・FM志布志(志布志市が対象地域)・FMたるみず(垂水市が対象地域)でもほぼ同一の内容が放送されている。この他にも県域放送局のうちNHK鹿児島放送局南日本放送 (MBC) ・鹿児島テレビ放送 (KTS) が鹿屋市内に支社を設置している。

リストは放送局、所在地の順で表記する。

  • かのやコミュニティ放送 - 西原4丁目(おおすみFMネットワークの本部も同一地点にある)
  • NHK鹿屋通信部 - 札元1丁目
  • 南日本放送鹿屋支社 - 寿4丁目
  • 鹿児島テレビ鹿屋支社 - 寿7丁目
受信状況
鹿屋中継局(地上デジタル放送)

AM放送については霧島市隼人町にある隼人送信所を、テレビ・FM放送については鹿屋中継局の受信を中心とする。ただし、テレビ・FM放送については地域により受信状況は大きく異なり、鹿児島湾沿岸では鹿児島親局や指宿中継局[79]を、輝北町では志布志中継局末吉中継局を中心に受信している。

上記の中継局の電波が届きにくい地域を対象として、鹿屋市内には輝北中継局(NHKのみ)、鹿屋西中継局(アナログはKYTが未設置で「鹿屋郷之原中継局」と呼称)[80]、鹿屋田淵中継局(KKB/KYT除く、デジタルは開局予定なし)が設置されている。ただし、地上波放送のデジタル化に伴い、輝北町と吾平町の神野地区を中心に新たな難視聴地域が発生している[81]

鹿屋市は宮崎県のテレビ・FM局の親局のある鰐塚山からの電波が容易に届くことから、大部分の地域では宮崎県の放送局も視聴・聴取が可能である[82]

テレビチャンネル・ラジオ周波数

AMラジオは隼人送信所、テレビ放送・FMラジオ放送は鹿屋中継局を記載している。

リモコンキーID テレビ放送局名 デジタル アナログ ラジオ放送局名 周波数
1 MBC南日本放送 43 6 南日本放送(MBCラジオ) 1107kHz
2 NHK鹿児島教育 17 2 NHK鹿児島ラジオ第1 576kHz
3 NHK鹿児島総合 22 4 NHK鹿児島ラジオ第2 1386kHz
4 KYT鹿児島讀賣テレビ 49 25 エフエム鹿児島 79.0MHz
5 KKB鹿児島放送 41 31 NHK鹿児島FM放送 84.1MHz
8 KTS鹿児島テレビ放送 47 33 FMかのや 77.2MHz

郵政[編集]

鹿屋郵便局

鹿屋郵便局が中心となる。鹿屋市全体では47の郵便局(2007年現在、簡易郵便局含む)が設置されており、郵政民営化前の集配郵便局としては鹿屋郵便局の他、高隈郵便局と百引郵便局の3箇所があった。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

2006年の合併前に各市町が独自で観光施設を設置していたため、連携が上手くいっていないのが現状である。2007年現在では、霧島ヶ丘公園の「かのやばら園」を軸に観光事業を展開している。

観光[編集]

鹿屋航空基地史料館
鳴之尾牧場
小塚公園の慰霊塔
輝北ウインドファーム
  • 鹿屋航空基地史料館 - 旧日本海軍時代から現在の海上自衛隊に至るまでの歴史を展示。特攻隊に関する展示も豊富。入場無料。
  • 霧島ヶ丘公園 - 錦江湾に面した丘陵地帯にあり、開聞岳桜島の雄姿を楽しむことができる。広大な土地に日本屈指のバラ園、アスレチック、バンガローなどが備わっている(一部有料)。バラ園は1993年にオープンし、2006年4月25日に規模を大幅に拡大してリニューアルした。
  • 国立大隅少年自然の家
  • 大隅湖(高隈ダム
  • アジア・太平洋農村研修村
  • 鳴之尾牧場
  • 慰霊塔 - 串良町の平和公園と今坂町の小塚公園に特別攻撃隊員の慰霊のためにそれぞれ設置。
  • 輝北うわば公園
  • アクアゾーンくしら(夏季営業・流水プール
  • 吾平山上陵 - 神武天皇の父母の陵墓といわれる。
  • 吾平自然公園 ウォーターパール館 - 旧吾平町として合併直前の2005年12月にオープン。
  • 九州自然歩道
  • 県立大隅広域公園
  • 吾平町鉄道資料館(旧大隅線吾平駅跡)

祭事・催事[編集]

かのや夏祭りの総踊り(2007年)
  • かぎ引き祭り(2月)
  • 棒踊り(3月)
  • エアーメモリアルinかのや(4 - 5月) - 鹿屋航空基地を中心に実施。
  • かのやばらまつり(5月、11月) - 霧島ヶ丘公園で実施。
  • マリンフェスタinかのや(7月、海の日
  • 鹿屋夏祭り(7月下旬) - 永年「バカ踊り」として親しまれていたが、「バカ」という言葉に批判が出たため、「鹿屋ハンヤ踊り」と改めた後、2000年代に「曽の国火祭り」と名称に改められた。
  • 納涼花火大会(7月下旬) - 永年鹿屋航空基地で実施されていたが、近年では鹿屋商工会議所周辺から打ち上げられている。
  • サンロード鹿屋駅伝大会(10月下旬)
  • 農業まつり(11月下旬)
  • 鹿屋市秋まつり(11月下旬)

鹿屋市にゆかりのある有名人[編集]

※五十音順

政治[編集]

経済[編集]

学術[編集]

文化[編集]

芸能[編集]

マスコミ[編集]

スポーツ[編集]

脚注・出典[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c アメダス鹿屋における平年値(年・月ごとの値)
  2. ^ 広報かのやの記事(2006年1月13日号) (PDF) 記録的な大雪と記事では紹介されている。撮影日の最高気温は5.7度で、12月としては当時、観測史上2番目に低い日であった。
  3. ^ Noritaka, Yagasaki (1997). Japan Geographical Perspectives on an Island Nation. Tokyo, Japan: TEIKOKU-SHOIN. pp. p. 15. ISBN 978-4807151134.  図では日本国内を北海道・日本海側・太平洋側・南西諸島の4地区に分類しており、鹿屋市は太平洋側に含まれる。太平洋側は更に5分割されており鹿屋市は「夏に降雨が集中し冬は暖かい」地域に含まれている。
  4. ^ 吉野正敏「生気候による日本の地域区分 (PDF) 」『地球環境』国際環境研究協会、第8巻第2号、2003年、123頁。九州型気候と南海型気候の名称はないが下記の「宮崎の地理(8)」で補充可能。
  5. ^ 横山淳一「宮崎の地理(8)」『みやざきの自然』∞の会(はちにんのかい)、第9号、1994年5月。関口武の気候区分の名称はないが上記の「生気候による日本の地域区分」で補充可能。
  6. ^ アメダス鹿屋における年ごとの値
  7. ^ アメダス鹿屋における観測史上1〜10位の値
  8. ^ 鹿児島市における平年値(気温)宮崎市における平年値(気温)
  9. ^ 国土交通省『UJIターン支援サイト』[リンク切れ] 鹿屋市中心部では積雪日数がゼロとされている。
  10. ^ 直近では2010年12月31日、2005年12月22日。
  11. ^ アメダス輝北における平年値(年・月ごとの値)
  12. ^ あれから33年・あれから15年 鹿屋市大風水害の記録(広報かのや2008年6月13日号) (PDF)
  13. ^ 『鹿屋市史 下巻(1995年版)』205-207頁。
  14. ^ 本町・朝日町・大手町・西大手町の4町は「○○まち」、その他は全て「○○ちょう」と読む。
  15. ^ 寿町は寿と札元に分割され「寿1丁目」「札元1丁目」などとなっている。
  16. ^ 旧3町の大字の名称が変更になります (PDF) 広報かのや2009年11月13日号、22頁。
  17. ^ リナシティかのやとその隣接地に鹿児島銀行南日本銀行宮崎銀行、やや離れた地点に鹿児島信用金庫宮崎太陽銀行の鹿屋支店が所在する。
  18. ^ 鹿屋市役所や鹿屋市最大の商業施設であるプラッセだいわ鹿屋店、鹿屋郵便局は当地区にあるが、いずれも北田町・本町といった従来の中心市街地からは離れた位置にある。
  19. ^ 2006年後半から駐車場としても利用。
  20. ^ 鹿屋バスセンターは跡地裏にて大隅交通ネットワークの鹿屋支社として(バスの運行管理、乗車券、旅行代理店業務)存在するものの、本来のバスセンターとしての機能は無くなり、「鹿屋」という停留所としての扱いになっている。そのため、発車案内放送などは行われていない。
  21. ^ 地磁気観測所|地磁気観測所について|鹿屋出張所』 1948年に都城市から移転。他の出張所は女満別出張所(北海道大空町)のみ。
  22. ^ 大隅半島内には鹿屋院・串良院・禰寝院などがある。
  23. ^ 郡の範囲は『鹿屋市史 上巻』(1967年)90-91頁に基づく。
  24. ^ 高城町史高城町、1988年。高城町公式サイト内。肝付氏は建武年間に高城町にあった三俣院を拠点としていた。
  25. ^ 『高城町史』 177頁
  26. ^ 禰寝重長像 鹿児島県公式サイト内。
  27. ^ 『高城町史』 325頁
  28. ^ 特に「編纂序文」と270-273頁を参照。「編纂序文」は改訂版では削除されている。また、近世篇第1章(425頁)のタイトルは「虐げられた大隅」である。
  29. ^ 江戸時代後期の地誌『三国名勝図会 巻四十七』(鹿屋郷の項目)に定期市・銘酒・高須甘藷に関する記述がある。『鹿屋市史 上巻』『角川日本地名大辞典』にもほぼ同様の記述がみられる。
  30. ^ 『鹿屋市史 上巻』による表現。『宮崎県史 通史編 近世下』においても、特に疲弊した地域として現在の鹿屋市付近が挙げられている。
  31. ^ 『南日本新聞』 2006年12月28日の社説では「大隅一のにぎわい」と表現されている。
  32. ^ 2001年5月に南日本新聞で市制60周年を機に掲載された特集など。
  33. ^ 特殊地下壕について 鹿児島県都市計画課。2005年4月時点では日本国内に10,280箇所あり、このうち鹿屋市内(2005年時点のため旧3町は含めない)には594箇所あった。
  34. ^ 危険な地下壕777ヵ所 しんぶん赤旗、2005年5月18日、赤嶺政賢公式サイト内。
  35. ^ a b 鹿屋都市計画事業 北田大手町地区 第一種市街地再開発事業に伴う「商業エリアテナント募集」 - 立地、交通アクセス (PDF) 鹿屋商工会議所。旧鹿屋市の1世帯あたりの乗用車保有率は鹿児島県・鹿児島市・全国いずれも上回っていることが理由に挙げられる。
  36. ^ 『南日本新聞』 1947年10月16日。
  37. ^ 『吾平町誌 上巻(改訂版)』(1991年)を参照。
  38. ^ 両地区の中学生が花岡中学校、根木原地区の小学生が鶴羽小学校へ越境通学していたことなど。
  39. ^ 曽於郡に属していた輝北町では、曽於北部(大隅町・末吉町・財部町、現在の曽於市)との合併を求める声が住民から挙がったため、2003年5月26日に任意合併協議会(同年2月12日設置)を離脱。6月29日の住民投票の結果、6割の住民が大隅中央地区を選択。7月29日までの間に、2市2町の臨時議会により輝北町の法定合併協議会への参加を議決した。
  40. ^ 「新市名は「大隅」に 中央法定協」『朝日新聞』2003年12月23日、鹿児島版。
  41. ^ 合併までの経緯(広報かのや2006年1月13日号) (PDF)
  42. ^ 「賛成多数で陳情採択」『朝日新聞』2004年3月18日、鹿児島版。
  43. ^ 「垂水市離脱を承認」『朝日新聞』2004年5月8日、鹿児島版。
  44. ^ 大隅中央法定合併協議会は2004年7月1日付で廃止された。
  45. ^ 哀川翔・横峯さくらは鹿屋市出身、柴田亜衣は当時鹿屋体育大学大学院生として鹿屋市在住。
  46. ^ 『鹿屋市史 下巻(1995年版)』154頁。
  47. ^ 市長のプロフィール - 鹿屋市公式ウェブサイト内(現在はリンク切れ)。「栄」も使用される。
  48. ^ 平成26年1月19日執行 鹿屋市長選挙 鹿屋市公式ウェブサイト内、2014年1月19日。
  49. ^ 平成22年1月24日執行 鹿屋市長選挙 鹿屋市公式ウェブサイト内、2010年1月24日。
  50. ^ a b 鹿屋市人事行政の運営等の状況の公表に関する条例に基づき、鹿屋市職員の給与等を公表します。(広報かのや2008年2月13日号) (PDF)
  51. ^ 鹿屋市 財政改革プログラム (PDF) 鹿屋市財政課。2008年1月26日閲覧。
  52. ^ お知らせします 平成18年度決算概要(広報かのや2008年1月11日号) (PDF)
  53. ^ 鹿屋市 平成19年度 当初予算 (PDF) 鹿屋市財政課。2008年1月26日閲覧。
  54. ^ a b c 新「鹿屋市」広域地図、地勢、面積、人口、就業人口、産業(広報かのや2006年1月13日号) (PDF)
  55. ^ かのや食と農再発見 - 早期水稲 - 安全でおいしい地元の米は、子どもたちにも大人気(広報かのや2008年7月11日号) (PDF) 3月下旬に田植え、7月下旬には稲刈りが行われる。野里町では田の神さあの画像にあるように普通期栽培となる。
  56. ^ 食料自給率、中種子832% 05年度鹿児島県内 南日本新聞、2008年1月1日朝刊。南日本新聞による独自集計である。第1部1面に調査方法が、第3部6面に鹿児島県内各市町村の食料自給率が掲載されている。
  57. ^ a b c d 市町村別・項目別ランキング 農業編 農林水産省。閲覧者が項目を入力する必要がある。
  58. ^ 『都城市勢要覧』28頁 (PDF)
  59. ^ かのや食と農再発見 - さつまいも(広報かのや2006年10月13日号) (PDF)
  60. ^ かのや食と農再発見 - 新ごぼう - 県内一の産地(広報かのや2008年2月13日号) (PDF) 『新ごぼう』が中心となり水田の裏作として栽培される。作付面積・収穫量も最大となる。
  61. ^ かのや食と農再発見 - 鹿屋市の主要品目の現状(広報かのや2006年7月13日号) (PDF)
  62. ^ かのや食と農再発見 - 酪農(広報かのや2007年8月13日号) (PDF)
  63. ^ かのや食と農再発見 - かのやカンパチ - 全国第2位の水揚げ量を誇るかのやカンパチ、需要に応える新たな取り組み、インタビュー、漁獲量データ(広報かのや2006年9月13日号) (PDF)
  64. ^ 鹿屋都市計画事業 北田大手町地区 第一種市街地再開発事業に伴う「商業エリアテナント募集」 - 商業環境(大型店分布状況) (PDF) 鹿屋商工会議所。
  65. ^ 大隅半島内では他に志布志市にみられる程度。
  66. ^ 宮崎銀行資料室編 『宮崎銀行五十年史』宮崎銀行、1984年7月31日、538頁。
  67. ^ a b 鹿屋市教育委員会『鹿屋市学校再編実施計画書 (PDF) 』2011年。
  68. ^ 学校規模適正化(学校再編)の基本的な考え方 鹿屋市公式ウェブサイト。
  69. ^ 鹿屋市学校再編実施計画書を決定いたしました 鹿屋市公式ウェブサイト。
  70. ^ 輝北地区の学校再編について 鹿屋市公式ウェブサイト。
  71. ^ 鹿児島県立高等学校通学区域に関する規則
  72. ^ a b 2013年9月までは鹿屋串良JCTではなく、鹿屋串良IC表記であった。
  73. ^ 「東九州道 志布志-鹿屋串良が起工」南日本新聞、2007年12月17日。
  74. ^ 南日本新聞』 2012年10月11日付 15面(整備方針転換の地域高規格道路 一般道活用に期待感)
  75. ^ 国道220号の道路時刻表国道269号の道路時刻表国道504号の道路時刻表 - 道路時刻表 九州版(九州幹線道路調査事務所)
  76. ^ 道路時刻表の使い方
  77. ^ 市内局番は400・470・480番台である。鹿児島市も099(市内局番は200~299、800~839)であるが別区域(鹿児島MA)。なお、以前は志布志MAの市外局番も鹿屋MAと同じ0994だった(但し隣接区域である)。
  78. ^ 市内局番は30・40・50・60番台である。錦江町南大隅町も0994(市内局番は20・90番台)であるが別区域(大根占MA)。
  79. ^ 広報かのや2006年1月13日号(指宿中継局のアナアナ変換の告知) (PDF)
  80. ^ 地上デジタルテレビジョン放送局(中継局)の開局予定 - 九州総合通信局、2009年12月15日。
  81. ^ 新たな難視地区に対する対策計画(地区別) - 地上デジタル推進全国会議、2009年8月31日。
  82. ^ テレビ宮崎は社史『テレビ宮崎の30年』で旧3町をサービスエリアとしている。宮崎放送はテレビ開局時(『日向日日新聞』 現在の宮崎日日新聞、1960年10月1日)は鹿屋市全域を、『宮崎放送三十年史』では旧3町をサービスエリアとしていたが、『MRT宮崎放送50年史』では全域エリア外としている。エフエム宮崎と宮崎放送(MRTラジオ)では鹿屋市全域をサービスエリアとしている。地上デジタル放送では輝北町の一部のみがサービスエリアとされている。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 『鹿屋市史 上巻』 鹿屋市、1967年。改訂版とは若干内容が異なる。
  • 『角川日本地名大辞典46 鹿児島県』角川書店、1983年。
  • 『第三次鹿屋市長期総合開発計画』 鹿屋市(初代)、1996年4月。鹿屋市立図書館で閲覧可能。
  • 『鹿屋市総合計画』 鹿屋市(2代目)、2008年4月。公式サイトから閲覧可能。
  • 『広報かのや』 鹿屋市(初代、2代目)。
    • 2代目鹿屋市の広報かのやは公式サイトから、初代鹿屋市の広報かのやの一部も国会国立図書館ホームページのアーカイブス・鹿屋市立図書館で閲覧可能。
  • 鹿児島県総務部参事室編『鹿児島県市町村変遷史』 鹿児島県、1967年。

外部リンク[編集]