鹿屋市

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鹿屋市
かのやし
日章旗 日本
地方 九州地方
都道府県 鹿児島県
団体コード 46203-9
面積 448.33km²
総人口 104,609
推計人口、2009年5月1日)
人口密度 233人/km²
隣接自治体 垂水市大崎町東串良町錦江町
肝付町霧島市曽於市
市の木 クス(2007年4月1日制定)
市の花 バラ(2006年5月15日制定)
市の鳥
鹿屋市役所
所在地 〒893-8501 鹿児島県
鹿屋市共栄町20番1号
鹿屋市役所
電話番号 0994-43-2111(代表)
外部リンク 鹿屋市

鹿屋市位置図(鹿児島県)

:市 / :町・村
特記事項:
旧鹿屋市の市の木はクス、花はカンナ
テンプレート(ノート・解説・ウィキプロジェクト)
かのやばら園
市旗
市花のバラ(プリンセスかのや)

鹿屋市(かのやし)は、日本国鹿児島県にある九州南東部、大隅半島の中央部に位置する。

人口10万人を擁する、大隅半島の行政・経済・産業の中核となる都市である。年間の平均気温17℃という温暖な気候と豊かな自然を活かした農業畜産が盛んであり、黒豚ブロイラー落花生サツマイモなどが特産品である。また、国立大学鹿屋体育大学海上自衛隊鹿屋航空基地があることでも全国的にその名が知られている。

鹿児島県内では鹿児島市県庁所在地)・霧島市に次いで3番目の人口規模を有する都市である(人口10万人を超える都市としては他に薩摩川内市がある)。現在の鹿屋市は2代目であり、旧鹿屋市が肝属郡の2町(吾平町串良町)と曽於郡1町(輝北町)との合併により2006年に発足した。初代の鹿屋市は1941年5月27日に市制を施行し2005年まで存続していた。

現在は「ばらのまち」「健康・スポーツ都市」をキャッチフレーズとしている。

目次

[編集] 地理

[編集] 位置・地形

鹿屋市役所7階から見た市街地と高隈山地

大隅半島のほぼ中心部に位置しており、市域は東西20km、南北41kmに及ぶ。市の北西部には高隈山地が連なり、南東部には肝属山地(国見山地)との間に笠野原台地・鹿屋原台地(シラス台地)や肝属平野が広がっている。市の中央部には肝属川が流れ、西部は鹿児島湾(錦江湾)に接し海岸線が続いている。

[編集] 気候

市街地ではこのような積雪は「まれ」[1](県立鹿屋高校、2005年12月22日)

研究者により気候区分の定義は異なる。一例としてケッペンの気候区分では温暖湿潤気候 (Cfa) とされる。日本国内の気候区分では太平洋側気候とする書籍もある一方で[2]、関口武の気候区分では九州型気候と南海型気候の境界上に位置する[3][4]、としている。

アメダス鹿屋(県立鹿屋農業高校内)の1976年からの統計資料[5][6][7]によると、年平均降水量は2,275.8mm、年平均気温は17度(1979 - 2000年)、年日照時間は1970.1時間(1986 - 2000年平均)である。

年降水量は1993年と1999年が特に多く、1993年は6月からの3か月で2,782mm(年間では3,887mm)を、8月1日には1日で365mmを記録した(平成5年8月豪雨も参照)。最少を記録したのは1986年の1,354mmであるが、1997年を最後に2,000mmを下回っておらず増加傾向にあるといえる。

年平均気温は16度から18度(1997年以降は17度を下回っていない)を推移しており日本国内では比較的温暖といえる。真冬日となったことはないが冬日は年平均で33.2日あり、鹿屋市より北に位置する鹿児島市や宮崎市と比較して冷え込みは厳しいといえる[8]。しかし、鹿児島市内で積雪に見舞われていても、鹿屋市では高隈山地などの山間部のみの積雪となることが多く[9]市街地では画像のような積雪はまれである。

[編集] 風水害

平成5年8月豪雨」も参照

鹿屋市内で発生した主な風水害として、1976年6月24日の集中豪雨や1993年の長雨などがある[10]。鹿屋市で「平成5年8月豪雨」といえば鹿児島市を中心とした「8.6水害」ではなく「8.1水害」のことを指し、同年9月3日の台風13号のほうがより大きな被害をもたらしている。

1993年の台風13号は「戦後最大級」と称されるほどの規模であった。鹿屋航空基地気象班の観測では最大瞬間風速約66m/sを記録し、九州電力鹿屋営業所管内のほとんどの世帯(98パーセント)で停電した。

[編集] 隣接する自治体

西

[編集] 人口

鹿屋市と全国の年齢別人口分布図(比較) 鹿屋市の年齢・男女別人口分布図
紫色は鹿屋市
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
1980年 100,005人
1985年 102,653人
1990年 103,761人
1995年 105,059人
2000年 106,462人
2005年 106,208人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 地区

第三次鹿屋市長期総合開発計画(1996年4月)では当時の鹿屋市を9の地区に分けており、鹿屋市総合計画(2008年)においてもほぼそのまま引き継がれている。その範囲はおおよそ鹿屋市内の中学校区に合致する。

旧鹿屋市内では大字は1950年に廃止され全て「○○町[11]」の名称に統一された。昭和40年代には西原町・寿町・打馬町はそれぞれ「○○X丁目」(○○は地名、Xは数字)と改称された[12]。2006年に鹿屋市と合併した3町にも「○○町」の名称は採用されているが大字は残存している(一例として鹿屋市大字吾平町麓)[13][14]

[編集] 市街地中心地区(北田・本町地区)

城山公園からみた市街地中心地区
向江町(サンキュータイヨー鹿屋店付近)

鹿屋中学校区。飲食店街、金融機関[15]などがある中心街。行政・商業地区である。百貨店の閉鎖や市役所の移転、郊外の大型店舗の進出[16]により空洞化が進んでいる。市役所跡地はイベント広場になっており近年までさまざまな催事に使われていた[17]。特に土曜朝市は地元住民に好評。2004年には旧桜デパート閉店後、唯一この地区に残っていたスーパーまるはセンターが閉店。商店街のシャッター通り化・空洞化がさらに進む。人口は1975年4月時点で10,888人、2000年時点で9,596人と減少傾向にあったが、2005年時点では9,642人と増加に転じている。

この状況を打開するため、北田大手町地区では鹿屋市主導で市街地再開発事業が行われている。その中心施設であるリナシティかのやは2007年4月に総合オープン。それに先駆けて2005年春、中心的存在だった旧桜デパートと向かい側にある旧バスセンター(旧三州自動車、1964年以降は鹿児島交通)の建物が取り壊され、北田交差点付近は一時期かなり閑散となった。また、2006年6月には鹿屋バスセンター(大隅交通ネットワーク)の建物も取り壊され[18]、こちらは2007年4月にコンビニエンスストアドラッグストアが建てられている。

  • 町名:古前城町、本町、大手町、西大手町、北田町、新栄町、朝日町、向江町、共栄町、曽田町、白崎町、王子町、打馬(1丁目・2丁目)、西祓川町、下祓川町

[編集] 西原地区

西原地区(テレビ放送の鹿屋郷之原中継局付近から撮影)

第一鹿屋中学校区。市街地中心地区の西隣に位置する。1941年以前は鹿屋町の一部(野里は大姶良村)。

海上自衛隊鹿屋航空基地や運動公園、学校などが集まっている住宅・文教地区。旧国道220号沿いに団地や各種商店が並んでいる。スプロール現象が発生している。また、鹿屋市など大隅半島を拠点とするマスメディア(南九州新聞おおすみ半島コミュニティ放送ネットワークかのやコミュニティ放送)は当地区に所在する。「バラ園」のある霧島ヶ丘公園は当地区と大姶良地区と高須・浜田地区との境界線上にある。

人口は2005年時点で19,708人。1975年時点の16,637人からは増加しているが、1990年代以降はほぼ横ばいである。かつては旧鹿屋市域の地区別人口で首位を占めていたが、1995年4月以降は寿地区に逆転されている。

  • 町名:西原(1丁目 - 4丁目)、上谷町、新川町、大浦町、郷之原町、今坂町、上野町、野里町

[編集] 寿地区

寿・札元地区

鹿屋東中学校区。市街地中心地区の東隣に位置し、笠野原台地の南西端にあたる。1941年以前は鹿屋町の一部。

旧国道220号(県道68号)、国道269号、国道220号鹿屋バイパスに囲まれた地区を中心に1970年代以降発展した商業・住宅地域。最近は札元地区の鹿屋バイパス沿いに大型店の進出が相次いでおり、寿・札元地区で新しい市街地を形成しつつある。

西原地区と同様にスプロール現象が発生している。かつてはここで地方競馬が行われており、現在では寿北小北東部の道路形状にそのコースの名残を確認できる。

2005年時点の人口は23,074人。1995年4月時点での人口は20,200人で1975年4月時点の11,473人の倍近くとなり、このときに旧鹿屋市域内の地区別人口で首位になった。

  • 町名:寿(1丁目 - 8丁目)、札元(1丁目・2丁目)、新川町、旭原町、笠之原町

[編集] 東原・祓川地区

瀬戸山神社(『三国名勝図会』)

鹿屋中学校区。市街地中心地区の北隣に位置する。1941年以前は鹿屋町の一部。

笠野原台地や高隈山地の山裾にあり農業が盛ん。東原町には気象庁地磁気観測所の鹿屋出張所があり[19]地磁気地電流の観測を行っている。南北を国道504号が貫く。2005年時点の人口は3,372人。

  • 町名:東原町、上祓川町、祓川町

[編集] 田崎地区

七狩長田貫神社(『三国名勝図会』)

田崎中学校区。市街地中心地区の南隣に位置する。1941年以前は大部分が鹿屋町の一部であった。

寿地区との隣接地区を中心に住宅地の開発が進み、西原・寿地区と並び人口増加地区となっている。川西町に鹿児島県立鹿屋工業高等学校が設置されている。県道68号が通る。2005年時点の人口は8,382人。

  • 町名:田崎町、川西町、川東町、名貫町、永野田町

[編集] 大姶良地区

大姶良中学校区。旧鹿屋市の南部に位置し、1941年以前は大姶良村を構成していた。

鹿屋原台地にあり農業が盛ん。国立ハンセン病療養所星塚敬愛園がある。南部を県道73号が横断する。1995年時点では人口は減少傾向にあったが、近年は住宅地の開発が進行しつつある。2005年時点の人口は8,574人。

  • 町名:大姶良町、南町、獅子目町、田淵町、飯隈町、池園町、荻塚町、下堀町、横山町、星塚町

[編集] 古江・花岡地区

荒平神社

花岡中学校区。旧鹿屋市の北西部に位置し、おおよそ1941年以前の花岡村が範囲である(高牧町は1941年以前の鹿屋町、根木原町と有武町は1958年まで垂水町)。カンパチの養殖が盛んな海岸部と鹿屋体育大学などのある台地にわかれる。

鹿屋体育大学・大隅少年自然の家がある。高隈山の鹿屋中継局(県域TV・FM送信所)も厳密には当地区に所在する。天神町には菅原道真が祭られた神社がある。国道220号・県道68号が通る。2005年時点の人口は4,903人。

  • 町名:花岡町、古里町、海道町、白水町、小薄町、花里町、小野原町、高牧町、有武町、根木原町、古江町、船間町、天神町

[編集] 高隈地区

高隈中学校区。旧鹿屋市の北部に位置し、高隈山地とその周辺の自然に囲まれた地区。1955年に鹿屋市に編入される以前は高隈村を構成していた。

2003年に開通した国道504号高隈バイパスが中心部を回避することから閑散とした様子となっている。肝属川支流の串良川流域に高隈ダム(大隅湖)があり、笠野原台地の農業発展に一役買っている。2005年時点の人口は2,144人。1975年4月時点の3,003人と比較して減少傾向にあるといえる。

  • 町名:上高隈町、下高隈町

[編集] 高須・浜田地区

高須中学校区。旧鹿屋市の南西部に位置する。高須港は中世以来の港であり、1941年以前は鹿屋町の飛地であった(浜田町・永小原町は旧大姶良村)。

錦江湾に面しており、鹿屋市内における海水浴の拠点となっている。国道269号が南大隅方面へ繋がっている。霧島ヶ丘公園の「かのやばら園」の所在地は当地区の浜田町。2005年時点の人口は1,839人。

  • 町名:高須町、浜田町、永小原町

[編集] 南部(吾平町)

吾平山上陵

吾平町域。北部は旧鹿屋市のベッドタウンとして機能している面があり、合併前の人口は微減傾向にとどまっていた。神武天皇の父母(ウガヤフキアエズタマヨリビメ)の陵墓といわれる吾平山上陵県立大隅広域公園がある。2005年の国勢調査時点の人口は7,357人。

  • 地名:大字吾平町麓、大字吾平町上名、大字吾平町下名

[編集] 東部(串良町)

串良町域。大部分が笠野原台地に属し、農業が盛ん。特別攻撃隊員の慰霊塔がある。柳谷集落は「行政に頼らない集落」として全国的に知られる。2005年の国勢調査時点の人口は13,272人。

  • 地名:大字串良町細山田、大字串良町有里、大字串良町岡崎、大字串良町上小原、大字串良町下小原

[編集] 北部(輝北町)

輝北天球館

輝北町域。「星空日本一の町」とされるなど自然豊かな高原地域。鹿屋市内で唯一曽於郡に属した地域であり、主に百引(もびき)・市成の2地区に分かれる。国道504号が縦断し、鹿児島空港方面からの「玄関口」にあたる。2005年の国勢調査時点の人口は4,108人。

  • 地名:大字輝北町上百引、大字輝北町下百引、大字輝北町市成、大字輝北町諏訪原、大字輝北町平房

[編集] 歴史

おおむね旧鹿屋市、特に旧鹿屋町の範囲を中心とした内容である。

[編集] 市名の由来

市名の由来は、鹿屋市史によるといくつかの説があるといわれている。

  1. 古事記日本書紀に登場する「熊襲(くまそ)の首長鹿文(かや)」の名によるという説。
  2. 周辺に多く自生していた茅(ちがや)の名が、「かのや」に転訛したという説。
  3. 鹿(しか)が多く棲息しておりそこから「かのや」になったとの説。

歴史的にみると、平安初期には「かのや」の地名で呼ばれていたということである。

[編集] 古代

縄文時代早期から人の定住があり、弥生時代には王子遺跡といった大規模な集落がみられるようになる。古墳時代には南九州地域独自の地下式横穴墓がみられるようになるが、志布志湾沿岸に点在する前方後円墳は肝属川下流の串良町・吾平町でみられるのみで、旧鹿屋市・輝北町では他の鹿児島県内の地域と同様に存在しない。

7世紀ごろは隼人の全盛期であり、ヤマト王権が勢力を拡大する中現在の鹿児島県本土は半独立の状態であった。ただし隼人の一部は早くからヤマト王権とのつながりを深めており、国造県主となった者も存在した。713年に大隅国が設置されても完全にヤマト王権に服属せず、約6年後(720年)には大隅国国司の陽侯史麻呂を殺害した隼人の反乱が勃発した。ヤマト王権はこれを1年半をかけて制圧し、大隅の支配体制を確立した。班田収授法が大隅国で実施されたのは800年のことであったが、すでに班田収授法は壊滅状態であり、大隅国内のほとんどの領地が荘園となった。

律令制では大隅国に属し、鹿屋市の大部分は姶羅郡(現在の姶良郡とは別)・大隅郡(明治時代に消滅、大隅国設置当時の範囲は現在の大崎町から鹿屋市南部にかけての肝属川流域)となった[20]。なお、当時の肝属郡は大隅半島最南部(現在の南大隅町・肝付町など)に位置しており、中世以降に姶羅郡も肝属郡に含まれるようになった。曽於郡は現在の曽於市・垂水市北部・霧島市東部を範囲としていた。

984年(『高城町史』[21]では968年)に肝付氏の祖、伴兼行が薩摩国惣追捕使として下向し、子孫である兼俊が高山(現在の肝付町)へ移住した1036年に肝付氏を名乗る[22]。肝付氏は島津荘などの荘園[23]を保有していたが、1185年に島津忠久地頭として島津荘を管理することとなり、ここからおよそ400年にわたる肝付氏と島津氏の争いが幕を開けることとなった。

  • 713年 - 大隅国設置。
  • 720年 - 隼人の反乱が勃発。
  • 800年 - 大隅国内で班田収授法を実施。
  • 984年 - 伴兼行が薩摩国惣追捕使として下向。
  • 1026年 - 島津荘が開発される。
  • 1036年 - 伴兼行の子孫の兼俊が肝付氏を名乗る。
  • 1185年 - 島津忠久が地頭として島津荘を管理する。

[編集] 中世

正和年間(1300年代初め)に鹿屋院は肝付氏の一族である鹿屋氏によって統治され、鶴亀城(後の鹿屋城)を現在の城山公園の位置に置いた。肝付氏とは島津氏の後継者争いがきっかけとした応永の戦で対立したのを除いてほぼ行動を共にしている。

南北朝時代には荘園が崩壊し、肝付氏は南朝側(公家側)につき、守護大名となった島津氏と対立した。高須港はこの頃から1573年に至るまで肝付氏の一大拠点として機能するようになり、大姶良は禰寝氏支配地との境界線上になったことから多くの山城が築かれた。

戦国時代中の1535年に島津氏の内紛が勃発し、肝付氏は島津氏と再び対立した。一時期は島津氏を上回るほどの戦力を保有していたが次第に衰退し、一時は肝付氏側についた禰寝氏が島津氏側に翻ったことが決定打となり[24]1574年に島津氏に降伏した[25]。島津氏は1577年伊東氏も降伏させたことで三州(薩摩・大隅・日向)を統一し、鹿屋氏も肝付氏とともに衰退をみることとなった。

この後、鹿屋を中心とした肝属川流域は「他地域の人間による支配下」に置かれることになる。『鹿屋市史 上巻』(1967年版)では島津氏を悪者と見立て大隅への圧政を強調している[26]が、圧政自体は薩摩藩領内で共通する事柄である。

[編集] 島津氏による支配

肝付氏亡き後の大隅は、伊集院忠棟が地頭として管理した。忠棟は鹿屋城の修復・城下町の形成を始めとして水田開発などによる農業生産の向上、市(いち)の開催を手掛けた。薩摩藩は1645年に外城制(後に○○郷と呼ばれ町村制施行の際にそのまま村となる)を敷き、現在の鹿屋市域では鹿屋・大姶良・花岡・高隈・串良・姶良・百引・市成の8郷(花岡と市成は私領)がおかれた。鹿屋郷の地頭仮屋は現在のかのやイベント広場の位置にあった。

鹿屋では定期市が月6回開催され、大隅半島各地を始めとして薩摩半島側の指宿からも集客があった。当時は島津氏御用達の銘酒として「桜川」が存在したが、幕末と1882年頃の火災や時代の推移とともに衰退した。

薩摩藩領内の農民は農業以外の職に就くことが許されず、年貢も8公2民(収穫のうち8割が徴収される、他藩は4公6民が一般的)という高率であった。この他にも衣食住全般にわたって制約が課せられており、百姓一揆を起こす余裕すらなかった。逃亡者も数多く発生し、薩摩半島(西目)側から農民を強制移住(人配、「にんべ」と読む)させることもあった。このような壊滅的ともされる経済状況は、明治期になってから改善されることとなる。

この時期の困窮具合を証明する資料として人口の比較が挙げられる。1801年時点では6,224人いたのに対し、1824年時点では6,180人に減少しており、逃亡や間引きが横行していたことが推測される。

[編集] 近現代

1888年に肝属郡の役所が打馬に設置されたことにより、近代都市としての鹿屋の発展がはじまる。1912年に鹿屋村は町制を施行し鹿屋町となった。1890年代には鹿屋を中心とする道路網が整備され、1910年代には電気・鉄道(後の大隅線)が通じるようになった。

1936年には市内(当時の大姶良村)に日本海軍航空隊の基地が置かれ、真珠湾攻撃訓練の中核地となり、第二次世界大戦中は特攻隊の出撃基地となった。この時期に鹿屋町は大姶良村・花岡村との合併を実施し、1941年5月27日に市制を施行し鹿屋市となった。

第二次世界大戦後は高須海岸から占領軍が上陸。戦後も海上自衛隊の鹿屋航空基地が置かれ、現在でも国防の一大拠点都市としての役割が強い。防空壕も数多く残されており[27]、2000年には道路陥没による死者が発生している[28]

1950年代には高隈村との合併、垂水町の一部地域の編入を実施した。この頃は財政が悪化しており財政再建団体となっていた。

1960年代には公共交通機関の利用が最盛を迎え、バスセンターに隣接した桜デパートを中心とした地域の商業が盛んであった。しかし、1970年代以降にシラス台地に集落が発展するようになり、1991年度の市役所移転・国道220号鹿屋バイパス全線開通に伴うロードサイド店舗の出店・ショッピングセンター(プラッセだいわ)の開業により、中心市街地は衰退をみることとなった[29]。この対策として市街地開発事業が実施され、2007年にリナシティかのや(鹿屋市市民交流センター)が開設された。

2000年代に入ってからは「ばらのまち」キャッチフレーズとして使用するようになり、2006年に吾平町・串良町・輝北町と合併し2代目の鹿屋市となった際に市の花もバラに変更された。

  • 1871年8月29日(新暦) - 廃藩置県に伴い現在の鹿屋市全域が鹿児島県に属す。
  • 1871年12月25日(新暦) - 廃藩置県後の府県合併に伴い都城県に属す。
  • 1873年1月15日 - 宮崎県の設置に伴い鹿児島県に属す。
  • 1874年 - 鹿屋・高隈・大姶良・古江の各郵便局が業務開始。
  • 1888年 - 肝属郡南大隅郡の役所が垂水から打馬に移転。鹿屋が大隅の中心となるきっかけとなる。
  • 1889年4月1日 - 町村制度施行により、現在の市域に相当する以下の村々が発足。
    • 肝属郡鹿屋村・花岡村・大姶良村・高隈村・西串良村・姶良村・百引村
    • 東囎唹郡市成村
  • 1896年4月1日 - 郡区画改正に伴い、東囎唹郡市成村から囎唹郡市成村となる。
  • 1897年2月 - 電信業務を開始。
  • 1901年 - 西原競馬場を開設。
  • 1902年10月 - 電報・電話の業務を開始。
  • 1912年12月31日 - 鹿屋村が町制施行、鹿屋町となる。
  • 1915年7月 - 大隅鉄道(後の古江線→大隅線)のうち、高須 - 鹿屋間が開通。当時の鹿屋駅は向江町に設置されていた。
  • 1916年4月 - 鹿屋町役場(後の初代鹿屋市庁舎)を現在の鹿児島銀行鹿屋支店の位置に設置。
  • 1920年 - 大隅鉄道のうち、鹿屋 - 高山間が開通。
  • 1921年 - 大隅鉄道のうち、高山 - 串良間が開通。
  • 1923年 - 大隅鉄道のうち、高須 - 古江間が開通。旧制中学校の県立鹿屋中学校(現在の県立鹿屋高校)が開校。
  • 1929年2月 - 競馬場を札元に移転。
  • 1932年5月15日 - 西串良村が改称・町制施行により串良町となる。
  • 1933年2月16日 - 鹿屋町が町章を選定。現在も鹿屋市章として使用されている。
  • 1935年10月 - 古江線のうち志布志 - 古江間(東串良 - 串良間を除く)が開通。星塚敬愛園が開園。
  • 1936年4月 - 鹿屋海軍航空隊が開隊される。
  • 1936年10月 - 古江東線の東串良 - 串良間が開通し、鹿屋 - 志布志間が開通。志布志線経由で宮崎方面へ鉄道のみで向かうことができるようになる。
  • 1938年10月10日 - 古江線の改軌工事が完了。鹿屋駅が共栄町(現在の鹿屋市役所の位置)に移転する。
  • 1938年10月15日 - 台風襲来による大水害が発生。肝属川下流を中心に甚大な被害を受ける。
  • 1941年5月27日 - 鹿屋町・花岡村・大姶良村が新設合併・市制施行により鹿屋市となる(初代)。
  • 1942年5月 - 鹿屋市立図書館を当時の市役所内に開設。
  • 1944年 - 鹿屋市立鹿屋工業学校(現在の県立鹿屋工業高校)を設置。
  • 1945年9月 - 第二次世界大戦の終戦に伴い連合国軍が高須海岸から上陸。
  • 1947年8月 - 向江町に市立図書館を開設。
  • 1947年10月15日 - 姶良村が改称・町制施行により吾平町となる。
  • 1948年3月 - 自治体警察の鹿屋市警察を発足させる。
  • 1949年6月 - 昭和天皇が鹿屋市内に行幸する。
  • 1949年12月 - 鹿屋競馬場で市営競馬を実施。
  • 1950年2月 - 大字を廃止し、「町」を設置。一例として「鹿屋市大字中名→鹿屋市北田町」となる。
  • 1951年12月 - 現在のかのやイベント広場のある地点に2代目(1代前)の市役所庁舎が完成。
  • 1955年1月20日 - 高隈村が鹿屋市に編入合併。
  • 1956年4月1日 - 百引村・市成村が新設合併・町制施行により輝北町(所属郡は囎唹郡)となる。
  • 1958年1月20日 - 垂水町新城の根木原・桜町地域を鹿屋市に編入。
  • 1958年4月 - 市立鹿屋女子高校を設置。
  • 1958年8月12日 - 北田交差点に鹿児島県では2番目、鹿屋市内では初の信号機を設置。
  • 1959年11月 - 財政再建団体の指定を外れる。
  • 1960年11月 - テレビ放送開始(鹿屋中継局の開局)。
  • 1961年 - 古江線が垂水市海潟まで開通。
  • 1963年 - 鹿屋競馬場を廃止。
  • 1963年8月 - 祇園祭(鹿屋夏祭り)に「ばか踊り」が登場。30数年に渡り親しまれる。
  • 1967年2月 - 当時の鹿屋市の花を「カンナ」、木を「クスノキ」と制定する。
  • 1967年3月 - 高隈ダムが完成。
  • 1972年4月1日 - 北田交差点が鹿児島県内では初のスクランブル交差点となる(現在は一般的な交差点)。
  • 1972年5月 - 鹿屋市旗を制定。2006年以降の鹿屋市にも引き継がれている。
  • 1972年9月9日 - 大隅線が全線開通。
  • 1976年6月 - 集中豪雨により鹿屋市中心部が冠水。
  • 1977年3月 - 鹿屋市文化会館が完成。中央公園内に小動物園が完成。
  • 1978年4月 - 市立鹿屋看護専門学校を設置。
  • 1981年5月 - 鹿屋市立図書館と視聴覚センターを現在地に設置。
  • 1981年10月1日 - 鹿屋体育大学が開学(開校は1984年4月)。
  • 1986年9月9日 - 国立大隅少年自然の家が開所。
  • 1987年3月 - 国鉄大隅線が廃線。
  • 1991年5月7日 - 旧鹿屋駅のあった地点に市役所本庁舎を移転。同月27日に市制施行50周年を迎える。
  • 1992年3月25日 - 国道220号鹿屋バイパスが全線開通。
  • 1993年3月 - 霧島ヶ丘公園内に『かのやバラ園』を開園。
  • 1993年7月 - 鹿屋航空基地資料館を開設。
  • 1995年4月 - 水道事業を串良町と共同で実施(鹿屋串良水道企業団の業務を開始)。
  • 1996年6月 - 肝属川の水量を分担させる役割を担う『鹿屋分水路』が完成。
  • 2003年11月 - バラの品種のひとつとして『プリンセスかのや』の名称が採用される。
  • 2006年1月1日 - 鹿屋市・輝北町・串良町・吾平町が新設合併し、鹿屋市となる(2代目)。
  • 2006年4月25日 - かのやバラ園の規模を大幅に拡大させて開園。
  • 2007年4月1日 - リナシティかのや(鹿屋市民交流センター)が開設。

[編集] 学校の設置・廃止

明治維新後すぐに鹿屋小学校が設置され、1870年代以降鹿屋市各地にも設置された。旧制中学校(現在の県立鹿屋高校)は、志布志(現在の県立志布志高校)に設置されていたことや鹿児島県農学校(現在の県立鹿屋農業高校)があったことから1923年まで設置を待つこととなった。

シラス台地に位置する西原・寿地区では人口が増加し続けており、小中学校(寿北・西原台小学校・鹿屋東中学校)が増設されているのに対し、郊外の山間部では減少が続き、旧鹿屋市内だけでも1971年に高牧・桜町、1988年には柏木の各小学校が閉校している。1981年には国内唯一の国立体育大学である鹿屋体育大学が開学し(学生の受け入れは1984年)、1986年には国立の大隅少年自然の家(おおすみくん家)が設立された。

[編集] 公共交通機関の衰退

1960年代に最盛を迎えた公共交通機関の利用も自家用車の普及に伴い減少していき、1987年3月には国鉄大隅線が廃止され、2006年11月には大隅交通ネットワーク(バス)の路線が大幅に廃止された。現在でも垂水 - 鹿屋 - 志布志間のバスは1時間に1本程度あるが、その他の路線は1日に数本程度に減便されている(鹿屋市コミュニティバスも同様)。鹿屋は鹿児島県・鹿児島市以上に車保有率が高く、完全にモータリゼーションが進行している地域である[30]

[編集] 昭和の大合併

輝北町#昭和の大合併」も参照

1940年、皇紀2600年であったことや紀元節(2月11日)に川内市(現在の薩摩川内市)が鹿児島県の自治体としては2番目に市制を施行したことに伴い、鹿屋町・花岡村・大姶良村・姶良村の4町村では合併・市制施行の気運が高まった。各町村での議論の結果、1941年5月27日に姶良村を除いた3町村が合併・市制施行した。5月27日は海軍記念日であり、「鹿屋海軍航空隊とともに軍都として発展する」という意味合いがある。

1947年10月15日には姶良村が改称・町制施行し吾平町となった。名称変更の理由として「鹿屋市の大姶良町や姶良郡宛の間違い郵便・運搬物が多く、支障をきたしている」ことを挙げている。

1950年代には鹿児島県が「昭和の大合併」として合併案を提示した。現在の鹿屋市域では以下の通りとなる。

  1. 肝属郡高隈村・百引村、曽於郡市成村・野方村の4村を合併して新たな町とする。
  2. 串良町・東串良町の2町を合併して新たな町とする。
  3. 吾平町・高山町の2町を合併して新たな町とする。

1については、高隈村は鹿屋市と生活圏が一体化していることを理由として1955年1月20日に鹿屋市へ編入。野方村は分村し1955年4月1日に大崎町・西志布志村(後の有明町、現在の志布志市)・大隅町(現在の曽於市)に編入された。残った百引村と市成村が1956年4月1日に合併し輝北町となった。

2については、串良町側は東串良町との合併には賛成だったが、東串良町側が自立路線を採ったため合併を断念。3についても、吾平町側が自立路線を採ったために平成の大合併に持ち越されることとなる。後に鹿児島県は吾平町と鹿屋市との合併案も示していたが、これも婦人会などの反対により頓挫した。吾平町が合併に反対した理由として高山町との際には「人口の差から合併すれば中心部が高山町となり、現在の吾平町中心部が廃れること」や「両町間の交流が乏しいこと」を、鹿屋市との際には「鹿屋市が当時財政再建団体であったこと」や「鹿屋町と合併した旧大姶良村の中心部が廃れたこと」を挙げている[31]

この他にも、垂水町(現在の垂水市)のうち旧新城村の根木原(ねぎばる)・桜町地区の住民が合併協議の際「鹿屋市と生活圏が完全に一体化している」こと[32]を理由に鹿屋市への編入を希望。この結果、1955年1月10日に垂水町として合併した後1958年1月20日に編入を実施した。桜町地区の名称は編入の際に「有武町」と変更されているが、現在も知的障害者援護施設の名称(桜町学園)として確認することができる。

[編集] 平成の大合併

2003年7月2日に垂水市・輝北町[33]・吾平町との枠組みで、2005年1月の合併を目指し「大隅中央法定合併協議会」を設置。2003年12月22日には新市の名称を「大隅市」と決定。2004年1月には串良町も参加した[34]

ところが、2004年5月7日に垂水市は合併協議会から離脱。新市の名称にも鹿屋市側から反対の声が上がったため、2004年7月1日に「大隅中央合併協議会」を設置し[35]、その一員として垂水市を除いた3町と合併協議を進めた。同年11月26日に1市3町は合併協定を調印し、2005年1月7日に県に廃置分合の申請書を提出。3月14日に県が決定書を交付し、同月30日に国から合併が告示され、2006年1月1日に新設合併した。鹿児島県の自治体では初めて地域自治区を設けている(2009年まで)。なお、合併前の2005年12月には鹿屋市に縁のある人物(哀川翔柴田亜衣横峯さくら)が出演する合併告知コマーシャルが鹿児島県内のテレビ局で放送された。

旧4市町の花は「地域の花」として指定された。鹿屋地域はカンナ、串良地域はバラ、吾平地域はツワブキ、輝北地域はツツジ

[編集] 人口の推移

  • 1941年 鹿屋市制施行(鹿屋町、花岡村、大姶良村が合併)
  • 1947年 国勢調査 人口62,497人 13,633世帯
  • 1950年 国勢調査 人口63,506人 13,757世帯
  • 1955年 高隈村を編入
  • 1958年 垂水町新城の根木原、桜町を編入
  • 1960年 国勢調査 人口72,498人 17,541世帯(市域拡大のため)
  • 1970年 国勢調査 人口66,995人 20,566世帯
  • 1980年 国勢調査 人口73,242人 25,197世帯
  • 1990年 国勢調査 人口77,655人 28,411世帯
  • 1998年 人口8万人を突破
  • 2006年 1月1日合併時 人口106,462人 42,992世帯(市域拡大のため)

[編集] 旧鹿屋市の歴代市長

ここでは旧鹿屋市(2005年まで)の歴代市長を掲載する。

  • 初代 - 竹内竹丸(1941年8月 - )
  • 第2代 - 永田良吉(1943年11月 - ) - 鹿屋市初の名誉市民(1964年11月)。大姶良村議・大姶良村長・鹿児島県議を歴任した後、第16回衆議院議員総選挙(1928年)から第27回衆議院議員総選挙の落選(1955年)まで衆議院議員を8期務める(1946年-1952年除く)[36]。主な業績は鹿屋海軍航空隊(現鹿屋航空基地)誘致など。
  • 第3代 - 田平藤一(1947年4月 - )
  • 第4代 - 牧窪秀吉(1951年4月 - )
  • 第5代 - 児島静男(1952年10月 - )
  • 第6代 - 永田良吉(1956年10月 - )
  • 第7代 - 永田良吉(1960年10月 - )
  • 第8代 - 塩田兼雄(1964年10月 - )
  • 第9代 - 塩田兼雄(1968年9月 - )
  • 第10代 - 平田準(1969年6月 - ) - 塩田の死去に伴う。名誉市民(1986年9月)
  • 第11代 - 平田準(1973年6月 - )
  • 第12代 - 平田準(1977年6月 - )
  • 第13代 - 蒲牟田喜之助(1981年6月 - ) - 名誉市民(1996年2月)
  • 第14代 - 蒲牟田喜之助(1985年6月 - )
  • 第15代 - 蒲牟田喜之助(1989年6月 - )
  • 第16代 - 浅井隼人(1993年6月 - ) - 1994年4月死去。
  • 第17代 - 山下榮[37](1994年5月15日 - )
  • 第18代 - 山下榮(1998年5月15日 - )
  • 第19代 - 山下榮(2002年5月15日 - 2005年12月)

[編集] 行政

  • 市長:山下榮[37](旧鹿屋市長、2006年2月5日 - )
  • 市長職務執行者(新市長選出まで):有留忠男(旧輝北町長)

[編集] 市の行政機関

  • 鹿屋市役所 - 大隅線鹿屋駅の跡地にある。

鹿屋市職員は2007年4月1日時点で1,021人で、平均年齢は一般行政職が42.7歳、技術労務職が46.8歳となる[38]

[編集] 県の行政機関

鹿屋警察署

[編集] 国の機関

  • 厚生労働省:鹿屋公共職業安定所
  • 厚生労働省:鹿屋労働基準監督署
  • 社会保険庁:鹿屋社会保険事務所
  • 財務省:鹿屋税務署
  • 裁判所:鹿児島地方裁判所鹿屋支部
  • 裁判所:鹿屋簡易裁判所

[編集] 財政

平成18年度(2006年度)の財政力指数は0.47。経常収支比率は91.4%と標準より高い数値となる。市債残高(平成17年度決算で480億2,800万円)も平成15年度(2003年度)以降上昇傾向にあり、基金(平成17年度決算で110億1,600万円)の切り崩しも続いている[39]

平成18年度一般会計[40]では、歳入が451億6,216万円、歳出が437億3,025万円となり、いずれも前年比16 - 17億円の減少となった。平成19年度の当初予算[41]は379億4,800万円と、13.1%ほど更に減少することになる。

歳入のうち自主財源は約170億円、このうち市債の発行額は46億8,180万円、市税は95億8,932万円(21.2%)となる。依存財源の中心となるのは地方交付税国庫支出金であり、歳入額の40%ほどを占める。

歳出のうち義務的経費が約200億円で46%と約半数を占める。このうち人件費が80億2,452万円(18.4%)、公債費は50億6,861万円(11.6%)となる。

[編集] 給料

2007年4月1日時点の平均給料(月額)は鹿屋市長が90万円、一般行政職が33万9,100円、技術労務職が35万2,600円。初任給は大学卒・高校卒ともに14万0,100円となる[38]

[編集] 産業

[編集] 第一次産業

2000年の国勢調査時の就業人口の割合は14.8%。減少傾向にある[42]。農業・畜産が盛ん。特に、高隈ダムから農業用水をひいて大規模なかんがい事業を行なった笠野原台地では、様々な農作物が栽培されておりサツマイモ落花生などの産地となっている。 吾平町や串良町など川沿いでは早期栽培[43]も行われている。2005年時点の食料自給率は112%[44]

農林水産省による2005年の統計[45]では農業産出額はおよそ459億3,000万円で、日本の市町村別では8位となり[45]九州地方では宮崎県都城市(3位、約679億円)、鹿児島県南九州市(7位、約465億円)に次ぐ。豚や肉用牛の産出額・飼養頭数は宮崎県都城市についで2位[45][46]、サツマイモは収穫量で2位となる[45][47](鹿児島県内の市町村別では左記の他にゴボウ[48]ニンジンサトイモブロッコリーが産出額で[49]、乳用牛が飼養頭数・生乳生産量で[50]最大となる)。

漁業はカンパチの水揚げ量が垂水市に次いで日本国内で2位となる。なお、鹿児島湾沿岸地域はカンパチの養殖が盛んで、そのシェアは日本国内で半数に達する[51]

[編集] 第二次産業

2000年の国勢調査時の就業人口の割合は22.6%[42]。鹿屋内陸工業団地や市街地南部の工業地区を中心に電子工業、繊維製造業、食品加工業などの多くの事業所があり、雇用の創出や地域の活性化に貢献している。

[編集] 第三次産業

プラッセだいわ鹿屋店(鹿屋市最大の商業施設)
鹿児島銀行鹿屋支店

2000年の国勢調査時の就業人口の割合は62.6%[42]。国道220号の鹿屋バイパス、旧国道220号の県道68号の沿線にロードサイド店舗が多数出店[30][52]しており、鹿屋市における商業の中心となっている。特に家電量販店は鹿屋バイパス沿いに(西から)ケーズデンキベスト電器ヤマダ電機デオデオ(所在地は肝付町、鹿屋バイパスの起点にある)が出店している。鹿児島県内を拠点とするチェーン店(タイヨーだいわニシムタなど)は鹿屋市内に大規模店舗[53]を出店している。

金融機関については地区の節にある通り、市街地中心地区を中心に鹿屋市の拠点となる店舗を設置している。ただし、鹿児島興業信用組合「鹿屋支店」(旧:鹿児島県信用組合本店)や鹿児島相互信用金庫「鹿屋支店」は寿地区にある。なお、宮崎銀行の鹿屋支店は日本勧業銀行からの引き継ぎであり、宮崎県外初の店舗である[54]

[編集] 鹿屋市に本社を置く主要企業

[編集] 地域

[編集] 教育

旧輝北町の小中学校を2011年にそれぞれ1校(小学校は百引小学校、中学校は市成中学校)に統合する計画がある[55]

[編集] 大学

国立

[編集] 専門学校

[編集] 高等学校

公立
鹿屋女子高等学校
私立

[編集] 中学校

第一鹿屋中学校

全日制普通科の公立高校に設定されている通学区域(学区)は肝属学区。市成・百引(いずれも旧輝北町)の両中学校は姶良東学区・曽於学区にも属する[56]

[編集] 小学校

  • 鹿屋市立鹿屋小学校
  • 鹿屋市立祓川小学校
  • 鹿屋市立東原小学校
  • 鹿屋市立笠野原小学校
  • 鹿屋市立寿小学校
  • 鹿屋市立寿北小学校
  • 鹿屋市立田崎小学校
  • 鹿屋市立西原小学校
  • 鹿屋市立西原台小学校
  • 鹿屋市立鶴羽小学校
  • 鹿屋市立古江小学校
  • 鹿屋市立菅原小学校
  • 鹿屋市立高須小学校
  • 鹿屋市立浜田小学校
  • 鹿屋市立野里小学校
  • 鹿屋市立大姶良小学校
  • 鹿屋市立南小学校
  • 鹿屋市立西俣小学校
  • 鹿屋市立高隈小学校
  • 鹿屋市立大黒小学校
  • 鹿屋市立串良小学校
  • 鹿屋市立細山田小学校
  • 鹿屋市立上小原小学校
  • 鹿屋市立市成小学校
  • 鹿屋市立高尾小学校
  • 鹿屋市立百引小学校
  • 鹿屋市立平南小学校
  • 鹿屋市立岳野小学校(休校中)
  • 鹿屋市立吾平小学校
  • 鹿屋市立鶴峰小学校
  • 鹿屋市立神野小学校
  • 鹿屋市立下名小学校

[編集] 文化施設

鹿屋市立図書館と鹿屋市立視聴覚センター
  • 鹿屋市市民交流センター(リナシティかのや
  • 鹿屋市文化会館
  • 鹿屋市立図書館
  • 鹿屋市立視聴覚センター
  • 中央公民館
  • 花岡地区公民館
  • 地区学習センター(大姶良・高須・田崎・西原・東)

[編集] スポーツ・健康施設

  • 鹿屋市体育館
  • 鹿屋運動公園(西原陸上競技場)
  • 県民健康プラザ健康増進センター - かつて存在した鹿屋競馬場(地方競馬)の跡地に立地。

[編集] 交通

鹿屋市には鉄道がないため、自家用車・バスが専らの交通手段となる。

[編集] 空港

最寄り空港は霧島市にある鹿児島空港。鹿屋バスセンター - 鹿児島空港間はリムジンバスでおよそ100分。自家用車では国道504号経由で1時間30分ほど掛かる。

[編集] 港湾

  • 鹿屋港
  • 高須港

[編集] 道路

[編集] 高速道路

現在の最寄のインターチェンジ (IC) は都城IC宮崎自動車道)または国分IC東九州自動車道)。2007年現在、鹿屋市方面へは新直轄方式で東九州自動車道が建設中で、将来的には鹿屋串良IC(仮称)が最寄のICとなる。

東九州道に施行命令が出された当時の『広報かのや』1999年6月号に掲載された開通時期は、鹿屋串良ICから末吉財部ICまでが2007年度、志布志ICから鹿屋串良ICまでが2008年度であった。実際に起工したのは前者が2007年3月21日、後者が2007年12月16日[57]のことであり、当初の計画に比べ大幅に遅れていることがわかる。

[編集] 一般国道

鹿屋バイパス(札元)

国道220号のみが国の直轄道路(指定区間)。志布志・串間・垂水方面へ国道220号が、都城・宮崎・南大隅方面へ国道269号が、霧島市・鹿児島空港方面へ国道504号がつながる。

[編集] 主要地方道

鹿児島県の県道一覧」も参照

下記のほか、国道504号に昇格した「県道69号鹿屋福山線」が1993年まで存在した。県道72号垂水大崎線を除いて概ね2車線道路に整備されている。

[編集] 自転車・歩行者専用道路

  • フィットネスパース - 1987年に廃線となった大隅線のうち、旧鹿屋市の区間の一部(荒平駅から永野田駅まで)を整備した。

[編集] 一般国道利用による主要地への所要時間

九州幹線道路調査事務所の道路時刻表に基づく[58]

渋滞を考慮した場合、特に鹿児島市への所要時間は大きく異なる。また、2004年時点のデータを用いているため、宮崎市の道路事情の改善(加納バイパス・天満バイパスの開通)は考慮されていない[59]

都市 所要時間
垂水市 37分
志布志市志布志町 39分
曽於市大隅町岩川 44分
都城市 1時間2分
桜島港(桜島フェリー 1時間4分
霧島市国分 1時間8分
鹿児島空港 1時間36分
鹿児島市 2時間1分
宮崎市 2時間11分

[編集] バス路線

鹿屋停留所が大隅半島のバス交通の拠点となっている。2006年11月に大隅交通ネットワークが事業縮小に伴いバス路線の一部を廃止したことや鹿屋バスセンターの取り壊しといった要因から、バス事情は悪化傾向にあるといえる。鹿屋市はこれを受けて鹿屋市コミュニティバスの運営を開始しており、2007年9月からは市街地巡回バスとして「かのやくるりんバス」の運行を開始している。

大隅交通ネットワーク
鹿屋市コミュニティバス

運行主体は大隅交通ネットワークである。

  • 廃止路線代替バス - 大隅交通ネットワークが廃止した路線の一部を引き継ぐ。
  • くしらふれあいバス - 2002年に串良町として運行開始。
  • かのやくるりんバス
    • 寿・新川線
    • 西原・打馬線

[編集] 鉄道

現在の最寄り駅は志布志駅日南線)であるが、実用的な最寄り駅は国分駅もしくは都城駅日豊本線)。しかし自家用車では駅まで1時間以上掛かるため、日常的には利用されていない。かつては国鉄大隅線(1987年廃止)が通っており、鹿屋市内には中心駅鹿屋をはじめとする10の駅があった。

串良駅 - 下小原駅 - (肝付町内に2駅) - 吾平駅 - 永野田駅 - 大隅川西駅 - 鹿屋駅 - 大隅野里駅 - 大隅高須駅 - 荒平駅 - 古江駅

[編集] 鹿児島市までの交通手段

県庁所在地の鹿児島市へは、隣の垂水市にある垂水港から鴨池・垂水フェリー(大隅交通ネットワーク)で鹿児島湾を横断し鹿児島市の鴨池港へ向かうルートが最短で、所要時間は最短で70分ほど(待ち時間なし)である。桜島フェリーを利用する(国道220号・224号経由)ルートもある。陸路では高速道路経由で2時間、一般道では3時間近く掛かり、隣県(宮崎県)の県庁所在地である宮崎市(国道269号経由)への所要時間と大差が無い。

[編集] 通信

[編集] 電信電話

市外局番は、旧輝北町域の099(志布志MA[60])を除いて0994(鹿屋MA[61])。旧鹿屋市域は30 - 31番・40 - 49番・51番、旧吾平町域は58番、旧串良町域は62番と63番、旧輝北町域は486番と485番を市内局番として使用する。

[編集] 新聞

大隅半島を対象とした夕刊紙の南九州新聞を始めとして、鹿児島県の地方紙の南日本新聞や全国紙を購読できる。

鹿屋市内に拠点を置く新聞社

新聞社、所在地の順で表記する。

[編集] 地上波放送

鹿屋市内に拠点を置く放送局

鹿屋市を拠点とする放送局として、コミュニティ放送局のかのやコミュニティ放送(FMかのや)があり、輝北町と吾平町の一部を除く地域で聴取できる。FMかのやはおおすみ半島コミュニティ放送ネットワーク(おおすみFMネットワーク)を構成する放送局のひとつであり、きもつきコミュニティ放送(FMきもつき、肝付町が対象地域)・志布志コミュニティ放送(FM志布志、志布志市が対象地域)・たるみずまちづくり放送(FMたるみず、垂水市が対象地域)でもほぼ同一の内容が放送されている。この他にも県域放送局のうちNHK鹿児島放送局南日本放送 (MBC) ・鹿児島テレビ放送 (KTS) が鹿屋市内に支社を設置している。

リストは放送局、所在地の順で表記する。

  • かのやコミュニティ放送 - 西原4丁目(おおすみFMネットワークの本部も同一地点にある)
  • NHK鹿屋通信部 - 札元1丁目
  • 南日本放送鹿屋支社 - 寿4丁目
  • 鹿児島テレビ鹿屋支社 - 寿7丁目
受信状況

詳細は「鹿屋中継局」、「隼人ラジオ放送所」、「鰐塚山」をそれぞれ参照

AM放送については霧島市隼人町にある隼人送信所を、テレビ・FM放送については鹿屋中継局の受信を中心とする。ただし、テレビ・FM放送については地域により受信状況は大きく異なり、鹿児島湾沿岸では鹿児島親局や指宿中継局[62]を、輝北町では志布志中継局を中心に受信している。

鹿屋市は宮崎県のテレビ・FM局の親局のある鰐塚山からの電波が容易に届くことから、大部分の地域では宮崎県の放送局も視聴・聴取が可能である[63]

テレビチャンネル・ラジオ周波数

リモコンキーID テレビ放送局名 デジタル アナログ ラジオ放送局名 周波数
1 MBC南日本放送 43 6 南日本放送(MBCラジオ) 1107kHz
2 NHK鹿児島教育 17 2 NHK鹿児島ラジオ第1 576kHz
3 NHK鹿児島総合 22 4 NHK鹿児島ラジオ第2 1386kHz
4 KYT鹿児島讀賣テレビ 49 25 エフエム鹿児島 79.0MHz
5 KKB鹿児島放送 41 31 NHK鹿児島FM放送 84.1MHz
8 KTS鹿児島テレビ放送 47 33 FMかのや 77.2MHz

[編集] 郵政

鹿屋郵便局

鹿屋郵便局が中心となる。鹿屋市全体では47の郵便局(2007年現在、簡易郵便局含む)が設置されており、郵政民営化前の集配郵便局としては鹿屋郵便局の他、高隈郵便局と百引郵便局の3箇所があった。

[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

2006年の合併前に各市町が独自で観光施設を設置していたため、連携が上手くいっていないのが現状である。2007年現在では、霧島ヶ丘公園の「かのやばら園」を軸に観光事業を展開している。

[編集] 観光

鳴之尾牧場
小塚公園の慰霊塔
輝北ウインドファーム
  • 鹿屋航空基地資料館 - 旧日本海軍時代から現在の海上自衛隊に至るまでの歴史を展示。特攻隊に関する展示も豊富。入場無料。
  • 霧島ヶ丘公園 - 錦江湾に面した丘陵地帯にあり、開聞岳桜島の雄姿を楽しむことができる。広大な土地に日本屈指のバラ園、アスレチック、バンガローなどが備わっている(一部有料)。バラ園は1993年にオープンし、2006年4月25日に規模を大幅に拡大してリニューアルした。
  • 国立大隅少年自然の家
  • 大隅湖(高隈ダム
  • アジア・太平洋農村研修村
  • 鳴之尾牧場
  • 慰霊塔 - 串良町の平和公園と今坂町の小塚公園に特別攻撃隊員の慰霊のためにそれぞれ設置。
  • 輝北うわば公園
    • 輝北天球館 - 旧輝北町は「星空日本一の町」とされていた。
    • 輝北ウインドファーム(風力発電所
  • アクアゾーンくしら(夏季営業・流水プール
  • 吾平山上陵 - 神武天皇の父母の陵墓といわれる。
  • 吾平自然公園 ウォーターパール館 - 旧吾平町として合併直前の2005年12月にオープン。
  • 九州自然歩道
  • 県立大隅広域公園
  • 吾平町鉄道資料館(旧大隅線吾平駅跡)

[編集] 祭事・催事

かのや夏祭りの総踊り(2007年)
  • かぎ引き祭り(2月)
  • 棒踊り(3月)
  • エアーメモリアルinかのや(4 - 5月) - 鹿屋航空基地を中心に実施。
  • かのやばらまつり(5月、11月) - 霧島ヶ丘公園で実施。
  • マリンフェスタinかのや(7月、海の日
  • 鹿屋夏祭り(7月下旬) - 永年「バカ踊り」として親しまれていたが、「バカ」という言葉に批判が出たため、「鹿屋ハンヤ踊り」と改めた後、2000年代に「曽の国火祭り」と名称に改められた。
  • 納涼花火大会(7月下旬) - 永年鹿屋航空基地で実施されていたが、近年では鹿屋商工会議所周辺から打ち上げられている。
  • サンロード鹿屋駅伝大会(10月下旬)
  • 農業まつり(11月下旬)
  • 鹿屋市秋まつり(11月下旬)

[編集] 鹿屋市にゆかりのある有名人

※五十音順

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[編集] 脚注・出典

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  1. ^ 広報かのやの記事(2006年1月13日号)PDF 記録的な大雪と記事では紹介されている(撮影日の最高気温は5.7度で、12月としては観測史上2番目に低い日であった)。
  2. ^ Noritaka, Yagasaki (1997). Japan Geographical Perspectives on an Island Nation. Tokyo, Japan: TEIKOKU-SHOIN, p. 15. ISBN 978-4807151134.  図では日本国内を北海道・日本海側・太平洋側・南西諸島の4地区に分類しており、鹿屋市は太平洋側に含まれる。太平洋側は更に5分割されており鹿屋市は「夏に降雨が集中し冬は暖かい」地域に含まれている。
  3. ^ 吉野正敏「生気候による日本の地域区分PDF」『地球環境』国際環境研究協会、第8巻第2号、2003年、123頁。九州型気候と南海型気候の名称はないが下記の「宮崎の地理(8)」で補充可能。
  4. ^ 横山淳一「宮崎の地理(8)」『みやざきの自然』∞の会(はちにんのかい)、第9号、1994年5月。関口武の気候区分の名称はないが上記の「生気候による日本の地域区分」で補充可能。
  5. ^ アメダス鹿屋における年ごとの値
  6. ^ アメダス鹿屋における平年値(年・月ごとの値)
  7. ^ アメダス鹿屋における観測史上1〜10位の値
  8. ^ 鹿児島市における平年値(気温)宮崎市における平年値(気温) 鹿児島は平均9.7日、宮崎は平均18.1日。
  9. ^ 国土交通省『UJIターン支援サイト』 鹿屋市中心部では積雪日数がゼロとされている。
  10. ^ あれから33年・あれから15年 鹿屋市大風水害の記録(広報かのや2008年6月13日号)PDF
  11. ^ 朝日町・大手町・西大手町の3町は「○○まち」、その他は全て「○○ちょう」と読む。
  12. ^ 寿町は寿と札元に分割され「寿1丁目」「札元1丁目」などとなっている。
  13. ^ 廃置分合情報を探す - 総務省統計局。「鹿児島県」「境界変更あり」で検索した結果として、平成20年12月20日の鹿屋市・東串良町の境界変更がヒットする。その中に「鹿屋市大字串良町岡崎字九ノ坪一三八一の一の一部」などの語句が確認できる。
  14. ^ 合併後の住所等の表示についてPDF - 大隅中央合併協議会公式サイト。
  15. ^ リナシティかのやとその隣接地に鹿児島銀行南日本銀行宮崎銀行、やや離れた地点に宮崎太陽銀行の鹿屋支店が所在する。
  16. ^ 鹿屋市役所や鹿屋市最大の商業施設であるプラッセだいわ鹿屋店、鹿屋郵便局は当地区にあるが、いずれも北田町・本町といった従来の中心市街地からは離れた位置にある。
  17. ^ 2006年後半から駐車場としても利用。
  18. ^ 鹿屋バスセンターは跡地裏にて大隅交通ネットワークの鹿屋支社として(バスの運行管理、乗車券、旅行代理店業務)存在するものの、本来のバスセンターとしての機能は無くなり、「鹿屋」という停留所としての扱いになっている。そのため、発車案内放送などは行われていない。
  19. ^地磁気観測所|地磁気観測所について|鹿屋出張所』 1948年に都城市から移転。他の出張所は女満別出張所(北海道大空町)のみ。
  20. ^ 郡の範囲は『鹿屋市史 上巻』(1967年)90-91頁に基づく。
  21. ^高城町史高城町、1988年。高城町公式サイト内。肝付氏は建武年間に高城町にあった三俣院を拠点としていた。
  22. ^ 『高城町史』 177頁
  23. ^ 大隅半島内には鹿屋院・串良院・禰寝院などがある。
  24. ^ 禰寝重長像 鹿児島県公式サイト内。
  25. ^ 『高城町史』 325頁
  26. ^ 特に「編纂序文」と270-273頁を参照。「編纂序文」は改訂版では削除されている。また、近世篇第1章(425頁)のタイトルは「虐げられた大隅」である。
  27. ^ 特殊地下壕について 鹿児島県都市計画課。2005年4月時点では日本国内に10,280箇所あり、このうち鹿屋市内(2005年時点のため旧3町は含めない)には594箇所あった。
  28. ^ 危険な地下壕777ヵ所 しんぶん赤旗、2005年5月18日、赤嶺政賢公式サイト内。
  29. ^ 2001年5月に南日本新聞で市制60周年を機に掲載された特集など。
  30. ^ a b 鹿屋都市計画事業 北田大手町地区 第一種市街地再開発事業に伴う「商業エリアテナント募集」 - 立地、交通アクセスPDF 鹿屋商工会議所。旧鹿屋市の1世帯あたりの乗用車保有率は鹿児島県・鹿児島市・全国いずれも上回っていることが理由に挙げられる。
  31. ^ 『吾平町誌 上巻(改訂版)』(1991年)を参照。
  32. ^ 両地区の中学生が花岡中学校、根木原地区の小学生が鶴羽小学校へ越境通学していたことなど。
  33. ^ 曽於郡に属していた輝北町では、曽於北部との合併を求める声が住民から挙がったため、2003年5月26日に任意合併協議会(同年2月12日設置)を離脱。6月29日の住民投票の結果、6割の住民が大隅中央地区を選択。7月29日までの間に、2市2町の臨時議会により輝北町の法定合併協議会への参加を議決した。
  34. ^ 合併までの経緯(広報かのや2006年1月13日号)PDF
  35. ^ 大隅中央法定合併協議会は2004年7月1日付で廃止された。
  36. ^ 鹿児島3区 第16回衆議院議員選挙鹿児島3区 第21回衆議院議員選挙鹿児島3区 第26回衆議院議員選挙鹿児島3区 第27回衆議院議員選挙 - ザ・選挙
  37. ^ a b 市長のプロフィールPDF - 鹿屋市公式サイト内。「栄」も使用される。
  38. ^ a b 鹿屋市人事行政の運営等の状況の公表に関する条例に基づき、鹿屋市職員の給与等を公表します。(広報かのや2008年2月13日号)PDF
  39. ^ 鹿屋市 財政改革プログラムPDF 鹿屋市財政課。2008年1月26日閲覧。
  40. ^ お知らせします 平成18年度決算概要(広報かのや2008年1月11日号)PDF
  41. ^ 鹿屋市 平成19年度 当初予算PDF 鹿屋市財政課。2008年1月26日閲覧。
  42. ^ a b c 新「鹿屋市」広域地図、地勢、面積、人口、就業人口、産業(広報かのや2006年1月13日号)PDF
  43. ^ かのや食と農再発見 - 早期水稲 - 安全でおいしい地元の米は、子どもたちにも大人気(広報かのや2008年7月11日号)PDF 3月下旬に田植え、7月下旬には稲刈りが行われる。野里町では田の神さあの画像にあるように普通期栽培となる。
  44. ^ 食料自給率、中種子832% 05年度鹿児島県内 南日本新聞、2008年1月1日朝刊。南日本新聞による独自集計である。第1部1面に調査方法が、第3部6面に鹿児島県内各市町村の食料自給率が掲載されている。
  45. ^ a b c d 市町村別・項目別ランキング 農業編 農林水産省。閲覧者が項目を入力する必要がある。
  46. ^ 『都城市勢要覧』28頁PDF
  47. ^ かのや食と農再発見 - さつまいも(広報かのや2006年10月13日号)PDF
  48. ^ かのや食と農再発見 - 新ごぼう - 県内一の産地(広報かのや2008年2月13日号)PDF 『新ごぼう』が中心となり水田の裏作として栽培される。作付面積・収穫量も最大となる。
  49. ^ かのや食と農再発見 - 鹿屋市の主要品目の現状(広報かのや2006年7月13日号)PDF
  50. ^ かのや食と農再発見 - 酪農(広報かのや2007年8月13日号)PDF
  51. ^ かのや食と農再発見 - かのやカンパチ - 全国第2位の水揚げ量を誇るかのやカンパチ、需要に応える新たな取り組み、インタビュー、漁獲量データ(広報かのや2006年9月13日号)PDF
  52. ^ 鹿屋都市計画事業 北田大手町地区 第一種市街地再開発事業に伴う「商業エリアテナント募集」 - 商業環境(大型店分布状況)PDF 鹿屋商工会議所。
  53. ^ 大隅半島内では他に志布志市にみられる程度。
  54. ^ 宮崎銀行資料室編 『宮崎銀行五十年史』宮崎銀行、1984年7月31日、538頁。
  55. ^ 輝北地区の学校再編について 行財政改革推進本部(公式サイト内)、2009年2月24日更新。
  56. ^ 鹿児島県 学区外の公立高校全日制普通科を志願するときは(保護者の転勤等) 鹿児島県教育庁高校教育課。
  57. ^ 東九州道 志布志-鹿屋串良が起工南日本新聞、2007年12月17日。
  58. ^ 国道220号の道路時刻表国道269号の道路時刻表国道504号の道路時刻表 - 道路時刻表 九州版(九州幹線道路調査事務所)
  59. ^ 道路時刻表の使い方
  60. ^ 鹿児島市も099であるが別区域(鹿児島MA)。
  61. ^ 錦江町南大隅町も0994であるが別区域(大根占MA)。
  62. ^ 広報かのや2006年1月13日号(指宿中継局のアナアナ変換の告知)PDF
  63. ^ テレビ宮崎は社史『テレビ宮崎の30年』で旧3町をサービスエリアとしている。宮崎放送はテレビ開局時(『日向日日新聞』 現在の宮崎日日新聞、1960年10月1日)は鹿屋市全域を、『宮崎放送三十年史』では旧3町をサービスエリアとしていたが、『MRT宮崎放送50年史』では全域エリア外としている。エフエム宮崎と宮崎放送(MRTラジオ)では鹿屋市全域をサービスエリアとしている。地上デジタル放送では輝北町の一部のみがサービスエリアとされている。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • 『鹿屋市史 上巻』 鹿屋市、1967年。改訂版とは若干内容が異なる。
  • 『角川日本地名大辞典46 鹿児島県』角川書店、1983年。
  • 『第三次鹿屋市長期総合開発計画』 鹿屋市(初代)、1996年4月。鹿屋市立図書館で閲覧可能。
  • 『鹿屋市総合計画』 鹿屋市(2代目)、2008年4月。公式サイトから閲覧可能。
  • 『広報かのや』 鹿屋市(初代、2代目)。
    • 2代目鹿屋市の広報かのやは公式サイトから、初代鹿屋市の広報かのやの一部も国会国立図書館ホームページのアーカイブス・鹿屋市立図書館で閲覧可能。
  • 鹿児島県総務部参事室編『鹿児島県市町村変遷史』 鹿児島県、1967年。

[編集] 外部リンク

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