エアバスA300

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

エアバスA300

エアバスA300(Airbus A300)は、国際共同会社のエアバス・インダストリー社が設立後、最初に開発した旅客機である。300の数字は、座席数300席を意味している。1972年10月28日に初飛行している。

概要[編集]

A300は、世界初の双発エンジンワイドボディ旅客機である。真円形の胴体にボーイング747用のLD3コンテナを並列に搭載可能な設計のため、他の機体と比較して、床下の貨物室が広いが、旅客スペースは窓側と天井付近がやや狭い。だが、LD3コンテナの並列搭載が可能なことから、旅客型から貨物型へと改造された機体もある。

エアバス社では、A300および派生形のA310の新規受注はすでに受け付けておらず、2007年7月11日、最終号機がフェデックス(N692FE)に引き渡され、生産が終了した[1][2]。なお、旅客型はすでに実質1998年に生産終了しており、その後は日本エアシステム向けの機体が貨物機の合間を縫って生産されたのみで、旅客型の最終号機は2002年11月に引き渡されたJA016Dである。

技術[編集]

エアバス社の共同事業は、1960年代に計画が開始された超音速旅客機であるコンコルドから派生した、いくつかの最新の技術を使用している。技術的な注目点は、

  • 卓越した経済的な性能の翼部分(リア・ローディング翼型、スーパークリティカル・ウィング)
  • 進歩した航空力学的に実効力のある飛行制御
  • 構造は重量軽減のため、「金属鋼片」(メタル・ビレット)でできている
  • ウィンド・シア(急激な風速・風向の変動で風と風がぶつかる所に発生)を「ウィンド・シア警報装置」により制御した最初の航空機

歴史[編集]

大韓航空 A300-600の機内
イースタン航空が導入したA300。これをきっかけにエアバスはアメリカ市場への進出に成功する

1970年12月のエアバス・インダストリー社設立後、最初に開発すべき旅客機のコンセプトは、ヨーロッパ域内を結ぶ座席数300、航続距離3,000kmというものになった。この座席数にちなみ、機名はA300と決定された。この300は当時の2クラス制における標準座席300という意味であり、コンセプト上の機体サイズはL-1011DC-10と同等で、双発機としては現在のボーイング777-200に近い大型機であった。しかし、エンジンとして想定していたロールス・ロイスのRB207(これも現在のTrent700に匹敵する大きさのビッグ・ファンであった)がRB211の当初予定していた複合材製のファンブレードであるHyfilに起因する不具合[3]による開発遅延の影響を受け実現の見込みが立たなくなったためGE CF6-50 エンジンの双発に改めそれに伴って機体サイズを縮小した。それが実際に開発されたA300Bである。

1972年10月28日に原型機のA300B1が初飛行を行った。初の量産型のA300B2は、A300B1の胴体を2.65m延長したものであり、1973年6月28日に初飛行を行った。

当初は10数機しか発注が無く、苦戦が続いた。当時はアメリカマクドネル・ダグラス DC-10や、ロッキード L-1011 トライスター、ボーイング747が熾烈な販売競争を展開していたが、新興のエアバスはそれらより販売開始が遅い上、初期導入のB2は航続距離が短く、大西洋横断無着陸飛行ができないことなどから、ヨーロッパの航空会社でもエアバスを採用しようというところはほとんど無かった。

しかし、エアバスは粘り強く売り込みを続けた。当時のアメリカの4大航空会社の一つだったイースタン航空に無償で貸与すると、三発機のトライスターなどよりも燃費が良く効率的だと判断したイースタン航空はこれを採用したため、アメリカでも売れ行きが伸びはじめ、アメリカン航空パンアメリカン航空などの他の大手航空会社も相次いで導入し、最終的に200機以上を売り上げることに成功した。

また、ルフトハンザ航空イベリア航空スカンジナビア航空などのヨーロッパの航空会社や、東亜国内航空や大韓航空[4]タイ国際航空などのアジアの航空会社にも導入され、国内線や近距離国際線を中心に就航した。

1980年代に入り、派生形のA310のライバルとしてボーイングからセミワイドボディ双発機のボーイング767が発売されたことや、より大型のボーイング777の開発が開始されたことなどを受け、1990年代初頭に、A300の胴体を延長し、最新のテクノロジーを投入したA330が開発された。その後販売の主力がA330に移ったことなどにより、2007年7月11日に最終号機がフェデックスに引き渡され、生産が終了した。

派生型[編集]

A300B1
原型機。生産機数2機。最大離陸重量132,000kgおよび220kNの推力を得られるゼネラル・エレクトリックCF6-50Aエンジンを装備し、旅客数259座席の設備である。2機のうち1機(F-OCAZ)は航空会社に引き渡されず、エアバスの試験機として一生を過ごした。
A300B2
初期量産型。227kNおよび236kNの両方の推力を得られるゼネラル・エレクトリック製CF6型かプラット・アンド・ホイットニーJT9D エンジンを使用。1974年5月にエールフランスに引き渡された。
航続距離は1,850km(1,000海里)。
日本では東亜国内航空1981年3月に初めて就航させたA300もこの形式だが、2006年3月を最後に定期運航を外れ、同年5月に全機登録抹消。なお、東亜国内航空-日本エアシステム時代のA300シリーズの塗装・レインボーカラーはエアバス社のデモフライト機の塗装を譲り受けた物で、日本航空との合併後もB2型機については同塗装のままだったが、B2型機の日本からの消滅に伴い同塗装も消滅、エアバス社へ自動的に権利が戻る形となった。同社が就航させた機体はすべて離着陸性能を向上させるため、主翼前縁下面のパネルが前方展開するクルーガーフラップを装備したA300B2Kで、最大9機を保有した。
A300B4
最大離陸重量を157トン(のちに165トン)へ増加した航続距離延長型。初期生産では主流はB2型からB4型へと移った。B2/B4型の生産は総数248機である。
航続距離4,070km(2,200海里)。
日本航空ジャパンの社名が東亜国内航空-日本エアシステム時代にこの型も8機導入し、その中にはA300B4としては珍しいサイドカーゴドアを装備した機体もあった。なお、このとき生産はすでに後述するA300-600に移行していたが、コックピットが大きく異なることから、機種統一の観点から中古機を全世界からかき集めて運航していた。
A300FFCC
最初の2名パイロット航空機。初めにガルーダ・インドネシア航空およびヴァリグ・ブラジル航空へ引き渡される。
A300F4
貨物型(旅客型からの改造のみで新造はなし)。
A300C4
貨客混載/転換型。
A300 ZERO-G
各種改造によりパラポリック・トラジェクトリ(放物線飛行)を行い、マイクロ・グラビティー(微重力)状態を客室で再現できるようにした機体。(エアバス社の社有機であるA300の3号機を使用)
サウジアラビア航空 A300-600B4
日本航空 A300-622R
A300-600
今までのA300は、1960年代の技術を投入した第3世代のジェット旅客機であった。エアバスA310の開発が1978年7月に決定し、在来型のA300とは10年の技術差が生じたため、A310の技術を取り入れたA300の開発が決定した。このモデルの正式型式はA300B4-600であるが、現在はA300-600と呼ばれるのが一般的であり、以後もA300-600で表記する。この機体の構造は基本的にA310とほぼ共通である。A300-600とA310の胴体断面の直径は同じ5.64mであるが、A300-600はA310の胴体を7.48m延長し、その全長は54.14mとなっている。胴体後部の絞りもA310と同様の設計がなされ、従来のA300より急激なものとなっている。このことにより270席程度の座席配置が可能となり、従来のA300と比べ45席ほど増加した。
また、B2/B4型のエンジンよりも推力を向上させた、ゼネラル・エレクトリック製CF6-80、およびプラット・アンド・ホイットニーPW4000 エンジンを採用し1983年に初飛行、1988年サウジアラビア航空に引き渡された。その他のB2/B4型からの変更点として、複合材の使用量増加・アビオニクス更新などがあげられ、結果、重量軽減・座席増・航続距離延長(7,500km, 4,050海里)が可能になり、さらに、巡航時の抵抗を軽減させるウィング・チップ・フェンスを新設した。
A300-600R
600型に燃料タンクの増設と機体構造重量の減少を行い、離陸重量を増加させることで更なる航続距離延長を行ったもの。正式な型式は、ゼネラル・エレクトリック製エンジンを搭載する機体はA300-605R、プラット・アンド・ホイットニー製エンジンを搭載する機体はA300-622Rとなる。航続距離は7,700km(4,157海里)。
日本では、日本航空がプラット・アンド・ホイットニー製のPW4158 エンジンを搭載した22機のA300-622Rを運用していた。発注したのは、その後日本航空と合併することとなる日本エアシステムであったため、21機は日本エアシステム塗装で納入されたが、最後の22機目は現在の日本航空塗装で納入された(当時、日本航空、日本エアシステム共に、現在の日本航空塗装への塗り替えが進行していた)。日本航空では同機種を2011年3月26日のJAL1210便(鹿児島-羽田)で定期運航を終え、全機退役させる予定であったが、東日本大震災による航空需要の急増により、退役が同年5月31日のJAL1208便(青森-羽田)に延期された。
A300-600F
600R型の貨物型。香港の貨物専用航空会社のエア・ホンコンが最初のカスタマーである。日本では佐川急便系列のギャラクシーエアラインズが2機保有していた。
A300-600ST ベルーガ
エアバス社がグループ・メーカー間で機体の一部を輸送するため使用されていたスーパーグッピーの後継機として開発された機体。ベルーガの愛称で知られている。機体の基本は600型、主翼は600R型のものを使用。搭載口を上方へ開く形にした結果、前方から貨物を搭載するため貨物室の床面とコックピットの天井を同一平面にしたため、コックピットは下方に下げられその後方に電子機器を収納し、前方貨物室は廃止したため、その外観は特徴的なものとなっている。


仕様[編集]

アメリカン航空 A300-600
A300B2/B4
  • 全幅:44.84m
  • 全長:53.62m
  • 全高:16.53m
  • 乗客:最大345名
  • 航続距離(最大ペイロード)1,850km(1,000海里)(A300B2)/4,070km(2,200海里)(A300B4)
A300-600/600R
  • 全幅:44.84m
  • 全長:54.08m
  • 全高:16.52m
  • 乗客:最大361名
  • 航続距離(最大ペイロード)4,070km(2,200海里)(A300-600)/5,000km(2,700海里)(A300-600R)
項目 A300B4 A300-600R A300-600F
一般的な座席数 266席(2クラス) 15(21)パレット
全長 54.08メートル (177.4 ft)
翼幅 44.85メートル (147.1 ft)
翼面積 260平方メートル (2,800 ft²)
全高 16.62メートル (54.5 ft)
最大室内幅 5.28メートル (17.3 ft)
胴体直径 5.64メートル (18.5 ft)
非積載時重量 90,060キログラム (198,500 lb) 90,900キログラム (200,000 lb) 81,900キログラム (181,000 lb)
最大離陸重量 165,000キログラム (360,000 lb) 171,700キログラム (379,000 lb) 170,500キログラム (376,000 lb)
最大離陸重量での滑走距離, SL, ISA N/A 2,324メートル (7,625 ft)
巡航速度 M0.78(高度35,000 ftで829 km/h, 515 mph, 447knots)
最大速度 M0.82(高度35,000 ftで871 km/h, 541 mph, 470knots)
最大積載時の航続距離   6,670キロメートル (3,600 nmi) 7,540キロメートル (4,070 nmi) 4,850キロメートル (2,620 nmi)
最大燃料積載量  62,900 litres(16,600 US gal) 68,150 litres(18,000 US gal)
エンジン CF6-50C2またはJT9D-59A CF6-80C2またはPW4158
操縦士 3名 2名

エンジン[編集]

機種 エンジン
A300B2-1A 1974 ゼネラル・エレクトリック CF6-50A
A300B2-1C 1975 ゼネラル・エレクトリック CF6-50C
A300B2K-3C 1976 ゼネラル・エレクトリック CF6-50CR
A300B4-2C 1976 ゼネラル・エレクトリック CF6-50C
A300B4-103 1979 ゼネラル・エレクトリック CF6-50C2
A300B4-120 1979 プラット & ホイットニー JT9D-59A
A300B2-203 1980 ゼネラル・エレクトリック CF6-50C2
A300B4-203 1981 ゼネラル・エレクトリック CF6-50C2
A300B4-220 1981 プラット & ホイットニー JT9D-59A
A300B4-601 1988 ゼネラル・エレクトリック CF6-80C2A1
A300B4-603 1988 ゼネラル・エレクトリック CF6-80C2A3
A300B4-620 1983 プラット & ホイットニー JT9D-7R4H1
A300B4-622 2003 プラット & ホイットニー PW4158
A300B4-605R 1988 ゼネラル・エレクトリック CF6-80C2A5
A300B4-622R 1991 プラット & ホイットニー PW4158
A300F4-605R 1994 ゼネラル・エレクトリック CF6-80C2A5 or 2A5F
A300F4-622R 2000 プラット & ホイットニー PW4158
A300C4-605R 2002 ゼネラル・エレクトリック CF6-80C2A5

生産状況[編集]

合計 2007 2006 2005 2004 2003 2002 2001 2000 1999 1998 1997 1996 1995 1994 1993 1992 1991
納入 561 6 9 9 12 8 9 11 8 8 13 6 14 17 23 22 22 25
1990 1989 1988 1987 1986 1985 1984 1983 1982 1981 1980 1979 1978 1977 1976 1975 1974
納入 19 24 17 11 10 16 19 19 46 38 39 26 15 15 13 8 4

関連項目[編集]

ウィキポータル 関連ポータルのリンク

出典[編集]

出典
  1. ^ “A300/A310 Final Assembly to be completed by July 2007”. Airbus. (2006年3月7日). http://www.airbus.com/en/presscentre/pressreleases/pressreleases_items/07_03_06_A300_final_assembly.html 
  2. ^ “The last A300 makes its maiden flight”. Airbus. (2007年4月18日). http://www.airbus.com/en/myairbus/newsbrief/index.jsp 
  3. ^ この斬新な複合材製のファンブレードは金属製のファンブレードと比較して耐衝撃性に劣るため、バードストライクの試験に不合格になった。そのため、ファンブレードのみならずエンジン全体の設計をやり直さなければならなかったばかりか、これが原因でロールス・ロイス社は資金難に陥り、倒産し、国営化された
  4. ^ Champagne... and drought, The story of Airbus from its inception to today.
文献
  • Gunston, Bill (2009). Airbus: The Complete Story. Sparkford, Yeovil, Somerset, UK: Haynes Publishing. ISBN 978-1-84425-585-6. 
  • Norris, Guy and Mark Wagner (1999). Airbus. Osceola, Wisconsin: MBI Publishing. ISBN 0-7603-0677-X. 

外部リンク[編集]