ボーイング727

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ボーイング727

ボーイング727Boeing 727)はアメリカ合衆国ボーイング社製の旅客機である。先発のボーイング707とは大きく異なり、T字尾翼と尾部に集中して搭載されている3発のエンジンが特徴の短・中距離用旅客機である。また、ボーイング社では唯一の三発エンジンジェット旅客機であった。

歴史[編集]

開発[編集]

1956年2月に、それまで使われていたダグラスDC-4コンベア440などの当時のプロペラ旅客機を代替し、ボーイング707より搭載力が小さい短・中距離用のジェット旅客機として開発が開始された。

当初はボーイング707の短縮型や、先に就航していたフランス製のシュド・カラベル同様の2発エンジンも考慮されたが、イースタン航空ユナイテッド航空アメリカン航空などへのヒアリングを行った結果、エンジン故障時の安全性や、高地にある空港からの離着陸時の推力を高める点、更にカリブ海路線におけるETOPS対応などから、最終的にT字尾翼に機体後部3発エンジン搭載のレイアウトが採用され、1963年2月に-100型が初飛行した。

就航[編集]

路線への就航は、1964年2月に当時アメリカ有数の大手航空会社であったイースタン航空より始められた。優秀な性能と小回りの効く機体サイズにより世界各国の航空会社からの発注が相次ぎ、短・中距離線のジェット化に貢献することとなる。

なお、ライバル機としては同じくT字尾翼に3発エンジンのイギリス製のホーカー・シドレー トライデントソビエト連邦ツポレフ Tu-154などがあった他、より小型のシュド・カラベルやマクドネル・ダグラスDC-9、さらにターボプロップ機のロッキード L-188とも競合した。また、ボーイング707の胴体を短縮し中距離用としたボーイング720の代替機ともなった。

派生型[編集]

ドナルド・トランプの自家用機の-100型

その後各社からの座席数増加の依頼に対応し、原型の-100シリーズに次いで胴体延長型の-200シリーズが生産された他、-200シリーズの機内装備をアップグレードし、「ワイドボディルック」と呼ばれた大型のオーバーヘッドストウェッジなどを装備した-200アドバンスモデルも生産された。

1970年代後半には、更に各種機能をアップグレードし2人乗務化した-300シリーズも計画されたものの、後継機とされた双発で2人乗務機のボーイング757ボーイング767の受注を増やすために1984年に生産が中止された。それまでに生産された機体は1,832機にのぼり、これは当時のジェット旅客機の最高記録であった。

現在[編集]

その後双発で燃費効率がよい上に、2人乗務で運航コストが低いボーイング737NGやエアバスA320がデビューしたことや、騒音規制が厳格化したことから、1990年代後半以降にアメリカン航空やユナイテッド航空、デルタ航空などの大規模なカスタマーからの引退が相次ぎ、2000年代に入ると先進諸国の定期旅客路線からほぼ姿を消した。

現在はアメリカや中南米アフリカなどで少数がチャーター便や定期旅客路線に就航している他、エンジンを換装し騒音規制に対応させた上で、貨物機やプライベートジェットとして使用されている。

特徴[編集]

ボーイング727のT字尾翼と引き込み式タラップ(ノースウェスト航空の-200型

高速化のためにジェットエンジンを3発搭載している。そのためにT字尾翼を採用し、尾部にエンジンを集中搭載している。中央のエンジンの空気取り入れ口は、垂直尾翼直前にある。そこから取り入れた空気は、垂直尾翼基部から湾曲したダクトを経て胴体末端のエンジンに導かれる。

また、離着陸性能向上のために、前縁一杯のスラットおよびトリプル・スロッテッド・フラップなど、それまでにない強力な高揚力装置を備えている。主翼の後退角は32度と深めである。3発エンジン・T字尾翼・強力な高揚力装置の組み合わせにより、上昇・下降などの運動性能は優秀であった。但し、プロペラ機よりもその下降率は大きなものとなり、本機が登場したごく初期には、下降率の見積もりミスなどによるパイロットによる墜落事故が何件か発生した[1][2]

また、搭乗・降機時の利便性のために機体尾部に引き込み式のタラップエアステア)がついており、設備があまり整っていない中小の空港ではよく使用されている。

派生型[編集]

ウィングレットが装着されたLAB航空のボーイング727-200
  • -100型:初期生産型。-100型という呼び名は当初はなく、-200型の生産が開始された1967年以降に付いた。それ以前に生産された機体の型式名は727-81、727-21Cなどとなる。
    • -100C型:貨客両用型。機体構造の強化および貨物ドアを追加。旅客型の内装も可能。貨客混載仕様においては貨物パレットを機体前部に搭載し客席は後部に設置される。
    • -100QC型:QCはQuick Changeを意味する。貨客急速転換型。客席パレットの設置により、貨物型と旅客型の転換を行うが所要時間は30分程度で済むものとなっている。
    • -100QF型:既存機のエンジン換装型。QFはQuiet Freighterを意味する。R&R テイ・エンジンに換装し、騒音を軽減させている。
    • C-22A : アメリカ南方軍が使用した727-30の呼称。
    • C-22B : アメリカ空軍が使用した727-35の呼称。
  • -200型:-100型の胴体を主翼の前後で3mずつストレッチした型。中央エンジンのインテイクも改良された。1967年7月初飛行。
    • -200F型:貨物型
    • -200 アドバンス型:内装の改良および燃料タンクの増設。
    • C-22C : アメリカ空軍が使用した727-212の呼称。

このほか、低騒音・低燃料消費型の新エンジンに換装、双発機としウィングレット後付け等の改修を施された機体「スーパー27」が構想されたことがある。ボーイング社の計画としては実現しなかったが、改造業者によって両舷エンジンをJT8D-217に換装しウィングレットを装着、フライトマネジメントシステムを装備した性能向上型が実際に運用されており、これをスーパー27と呼ぶことがある。

仕様[編集]

DHLの貨物型
項目\機種 727-100 727-200
全長 40.6m (133ft 2in) 46.7m (153 ft 2in)
全幅 32.9m (108ft) 32.9m (108ft)
全高 10.3m (34ft) 10.3m (34ft)
エンジン プラット・アンド・ホイットニーJT8D 3基
最大離陸重量 76,818 kg (169,000 lb) 95,227 kg (209,500 lb)
巡航速度 991km/h (マッハ0.81) 991km/h (マッハ0.81)
最大速度 1,052km/h (マッハ0.86) 1,052km/h (マッハ0.86)
最大燃料搭載量 31,000ℓ 8,186USG 37,020ℓ9,806USG
操縦乗員数 3名 3名
最大座席数 149 189

主なユーザー[編集]

航空会社[編集]

ルフトハンザ航空のボーイング727
アイスランド航空のボーイング727-100

プライベートジェット[編集]

政府および軍[編集]

日本との関係[編集]

日本の航空会社[編集]

就航[編集]

全日空のB727-100

日本においては、運輸省による「国内線用ジェット旅客機は同一機種を使用すること」との通達に従い、全日本空輸が43機(-100型12機、-200型31機)、日本航空が20機(日本国内航空への転籍分含む。ワールド・エアウェイズからリースした-100C型は含まず)、日本国内航空が2機の-100型を導入した。-100型の導入は各社とも1965年から1969年にかけて行われ、-200型の導入は1971年から1978年にかけて行われた。このように、1960年代から1980年代にかけての日本においてはポピュラーな機体であり、日本全国で見ることができたほか、日本航空が運航する新潟-ハバロフスク線でも見ることができた。

ボーイング727は、日本航空にとってはダグラスDC-8とコンベア880に次ぐ3機種目のジェット旅客機であったが、全日空と日本国内航空にとっては初めて採用したジェット旅客機であり[3]両社ともに大きな期待をかけた。全日空の採用時(1964年)には橋幸夫吉永小百合が歌うイメージソング『そこは青い空だった』(ビクター)が発売されたほどだった。

国内の郵便物専用機としても使用された。郵政省1966年(昭和41年)10月から実施していた長距離国内通常郵便物の航空機積載のうち、東京 - 大阪(伊丹)線について、1969年(昭和44年)4月15日から日本航空の-100QC型が投入され、1974年(昭和49年)の夜間郵便物専用航空便廃止まで運用された[4]

退役[編集]

日本国内航空のボーイング727は、東亜国内航空となった後の1974年にダグラスDC-9と入れ替わる形で退役した[5]。日本航空のボーイング727は、近距離国際線や近距離国際チャーターの専用機材として残した2機以外は1975年までにすべて退役した。この2機は1987年まで使われ続け、最後にはボーイング767型機に取って代わられた。全日空のボーイング727は、-100型についてはボーイング737-200の導入に伴い1973年までに全機退役したが、-200型についてはボーイング767-200導入後の1984年ごろから退役が始まり、1990年4月27日の最後のフライト、山形-羽田をもって全機が退役した。

事故[編集]

全日空が2件の事故で2機を喪失している(全日空羽田沖墜落事故全日空機雫石衝突事故)。導入数の少ない日本航空と日本国内航空は事故を起こしていない。

ハイジャック[編集]

日本航空史上初のハイジャック事件となった日本航空の「よど号ハイジャック事件」、「351便ハイジャック事件」や全日空の「アカシア便ハイジャック事件」、「72便ハイジャック事件」、「724便ハイジャック事件」、 「817便ハイジャック事件」と、1970年代に日本国内でハイジャックが多発した際に、6回に渡りハイジャック該機材となった。

日本以外の航空会社[編集]

日本への国際路線用としては、コンチネンタル・ミクロネシア航空、パンアメリカン航空、ノースウェスト航空、大韓航空、ベトナム航空モンゴル国営航空等が東京や大阪、名古屋や福岡など国内各都市に就航させていたが、1998年頃までコンチネンタル・ミクロネシア航空が使用していたのが最後となり、それ以降は外国政府専用機やプライベート機として寄港することが殆どである。

事故統計[編集]

2004年現在

  • 機体損失事故:85回、総計3,698人死亡。
  • 他の原因:15回、総計256人死亡。
  • ハイジャック:180回、総計90人死亡。

脚注[編集]

  1. ^ Aircraft accident Boeing 727-23 N1996 Cincinnati-Greater Cincinnati, OH” (英語). Aviation Safety Network. 2012年11月17日閲覧。
  2. ^ Aircraft accident Boeing 727-22 N7030U Salt Lake City International Airport, UT (SLC)” (英語). Aviation Safety Network. 2012年11月17日閲覧。
  3. ^ ボーイング727-100”. 運航機材の歴史. 全日本空輸. 2012年11月17日閲覧。
  4. ^ イカロス・ムック 日本のエアポート3 『関西3空港』 イカロス出版、2011年、ISBN978-4-86320-445-4、pp.156-157
  5. ^ 日本国内航空が日本航空に貸し出していた機体(JA8314, JA8315)は東亜国内航空発足後の1972年に返還されたが、その際同じく日本航空に貸し出していた機体(JA8318「たま号」)が1966年8月の訓練中の事故で失われたコンベア880の代機として東亜国内航空に移籍している。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]