ボーイング707

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ボーイング707

英国海外航空のボーイング707-420(1964年)

英国海外航空のボーイング707-420(1964年)

ボーイング707Boeing 707)は、アメリカボーイング社が開発した大型ジェット旅客機1950年代初頭に原型機の開発が開始され、1958年に路線就航した。ダグラスDC-8コンベア880(CV880)と並び、第1世代ジェット旅客機を代表する機種であり、ボーイングの707シリーズの始まりでもある。派生形のボーイング720も開発された。

目次

[編集] 概要

[編集] 367-80

ボーイング367-80
ボーイング707のコックピット
パンアメリカン航空のボーイング707-120
エア・ホンコンのボーイング707-320F

第二次世界大戦後に完成したB-47B-52で大型ジェット機の基本型を確立したボーイングは、アメリカ空軍初の大型ジェット輸送機として採用される事を見込んで、1950年頃から自社資金で開発に着手し、1954年に原型機367-80(ダッシュ80)を初飛行させた。パイオニアにつきものの初期トラブルを克服した後、急激なジェット戦闘機の普及に伴い当時需要が切迫していた空中給油機仕様のKC-135として先ず大量発注を受けた。

[編集] 就航

KC-135の成功を見て、ファン・トリップ率いるパンアメリカン航空アメリカン航空などの大手航空会社を中心に旅客型への要望が高まり、胴体直径を6インチ(15cm)拡大した707の開発が正式に開始した。

その後は順調に開発が進み、世界最初のジェット旅客機であるイギリスデ・ハビランド社が開発したDH.106 コメット Mk.1 の初就航(1952年5月2日)に遅れること6年、ソ連ツポレフTu-104の就航(1956年9月1日)に遅れること2年の1958年10月26日に、パンアメリカン航空のニューヨークアイドルワイルド国際空港)-パリオルリー空港)線に就航した。ライバルのダグラスDC-8に先立つこと1年弱、コンベア880に先立つこと1年であった。

[編集] 経過

コメットカラベル等のヨーロッパ勢に先行された707だったが、その後の運用と競争では大きくリードした。コメットMk.1 は、1952年から1954年にかけて機体構造上の問題で連続事故を起こし、4年近く旅客運用が停止された。

また初期のコメットは航続距離が短く、乗客数もダグラスDC-6DC-7C、ロッキード コンステレーション等の従来のプロペラ機と同等かそれ以下であったが、その一方で高速性のみならず快適性もジェット機はプロペラ機の比ではない事が明らかになり、過渡的なターボプロップ機よりむしろ、本格的なジェット旅客機の登場が待たれるようになっていた。

乗客数も速度も標準的なプロペラ機の約2倍の707は、コメットMk.1 の事故調査で得られた教訓を採り入れ入念な安全対策が図られる傍ら、アドバイザーとして(多分に宣伝効果を狙って)チャールズ・リンドバーグを招聘し、初めから大西洋無着陸横断が可能な仕様で設計され、デビュー前から圧倒的な人気を誇った。巨大企業ボーイングがFAAに対する政治力を発揮して、対策改良型コメット Mk.4 に対する耐空証明再発行を先延ばしし続けさせたとも言われており、その間に十分な開発期間が確保された。

1958年10月4日にコメット Mk.4 が大西洋路線に漸く再就航した時には、707の進空は間近の情勢で、殆どの航空会社が完全に第2世代の707やDC-8を選択した。その多くが太平洋や大西洋横断路線、アメリカ大陸横断路線などの長距離かつ需要の大きい路線に投入され、その結果、1950年代に至るまでクイーン・メリーユナイテッド・ステーツなどの豪華客船が大きなシェアを占めていた大西洋横断航路や、同じく貨客船(アメリカン・プレジデント・ライン氷川丸あるぜんちな丸等)が大きなシェアを占めていた大平洋横断定期航路は終止符を打たれることになった。

なお、就航当時に懸念された燃費も旺盛な旅客需要で相殺されることが分かり、さらに改良型が相次いで投入されたことで燃費も向上し、その後も順調に受注数を伸ばして、1991年に生産中止(民間型はボーイング767型機の生産本格化に伴い1982年に生産中止)されるまでの33年間に、軍用型を含めると1,010機が製造された。さらに派生機種で中・短距離向けのボーイング720が開発されたほか、機首構造はボーイング727ボーイング737型機にも流用された。大型ジェット旅客機の処女作にしてベストセラーになった707は、大型機の老舗ボーイングの声価を更に高めた。

[編集] 現在

1980年代後半頃より老朽化や騒音規制の強化により多くが引退した。現在では、幾度かの近代化改修を経て数十機が貨物型やプライベートジェット仕様に改装され利用されている。

他にはアメリカ空軍やブラジル空軍、イラン空軍を始めとする世界中の空軍、政府で軍用型や軍用型への改修機が使用されている。これら軍用型にはエンジンを高バイパス比、低騒音型のCFM56に換装したアップデート版も含まれる。

[編集] バリエーション

[編集] -120

カンタス航空のボーイング707-138型(ジョン・トラボルタ所有機)

最初に作られた707が、プラット・アンド・ホイットニー(P&W)のターボジェットエンジン「JT3C」型を搭載した-120である。

当初、707では操舵に油圧式ではなく人力による操縦装置を採用していた[1]。既にボーイングではB-47型爆撃機において油圧式の操縦装置を採用しており[1]、技術的には後退ともみられるが、油圧式の採用は安全性を確保するために装置の二重化や三重化などが必要となる[1]ことから、旅客機という商品においては人力式のほうが保守性・信頼性とも優れており[1]、コスト的にも有利と考えられた[1]からである。しかし、実際に航空会社への引渡しが開始されると、操縦訓練での事故が多発した[2]。片側のエンジンが2つ停止した状態では、必要な操舵力を人力では賄えなかったのである[2]

また、垂直尾翼の大きさが不足気味で[2]ダッチロール(尻を振るような横揺れ現象)が発生する事象も指摘された[2]。垂直尾翼と方向舵の面積を拡大することで改善可能であった[2]が、そのようにすると人力操舵では舵効き不足がさらに顕著になる[2]

その後、これらの欠点は油圧式操縦装置の採用と垂直尾翼・方向舵の面積拡大により改良され[2]、その知識は後の-320の設計時でも活かされた。

燃費が悪く航続距離が短かったため、大西洋横断飛行を行う場合はアイルランドシャノンカナダガンダーグースベイなどに給油のため1、2回着陸せねばならず、せっかくのスピードを存分に生かすことができなかった。

変種として、当時から長距離路線を多く運航していたオーストラリアカンタス航空の要望により、航続距離延長を目的に胴体を短縮したタイプ「-138」がある。後にエンジンをJT3Dターボファンエンジンに換装され、他社に転籍した後も1980年代初頭まで活躍した。

[編集] -220

-120の機体に「JT3C」型エンジンのパワーアップ版の「JT4A」型を搭載したのが-220である。燃費効率が悪く航空会社からの評判が悪かったため、わずか5機がブラニフ航空に納入されたにとどまった。

[編集] -320 "Intercontinental"

エアーインディアのボーイング707-320B

-220の胴体と翼を延長し搭載量を増した発展型で、燃料搭載量が増加し航続距離が延びたことを誇示するために「Intercontinental(インターコンチネンタル=大陸間飛行)」の愛称が付けられた。

[編集] -320B

-320にP&W製のターボファンエンジン「JT3D-3B」型を搭載したのが-320Bである。ターボファン化により燃費が大幅に向上し航続距離が伸びたため、東京-モスクワ間ノンストップ飛行や、偏西風などの天候条件が揃い搭載量の制限を行えば太平洋無着陸飛行も可能になった。旅客型が-320B、貨客混載型(純貨物型も)が-320Cである。後に、より強力なJT3D-7を搭載するタイプも登場した。

[編集] -420

ブリティッシュ・エアツアーズのボーイング707-420

-320型をベースに、イギリス製のターボファンエンジン、ロールス・ロイス・コンウェイ「Mk.508」型を搭載したのが-420である。開発遅延していたイギリス製のビッカース VC-10やコメットの代替機を欲していた英国海外航空(現在のブリティッシュ・エアウェイズ)の依頼によって開発され、主に英国海外航空やブリティッシュ・カレドニアン航空などイギリスとイギリス連邦諸国の航空会社で使用された。

なお、英国海外航空では、イギリス製のロールス・ロイスエンジンであることを誇示するために、広告などにおいて、「ボーイング707」ではなく、「ロールス・ロイス707」と表記されていた。

[編集] ボーイング720

エクアトリアナ航空のボーイング720-023

当時まだターボプロップ機やレシプロ機が主流を占めていた短中距離用への就航を狙って開発されたバージョンで、-120の胴体を2.54m縮め、少なくなったペイロードと燃料搭載量に対応して軽量化したものである。主翼前縁内側の形状を変更して、空力も改善されている。後に「JT3D」型エンジンに換装されたB720Bも登場した。

同様のコンセプトで開発されたコンベアのCV-880や同CV-990などと競合し、ウエスタン航空大韓航空などに導入されたが、まもなく同規模のキャパシティを持つ727やダグラスDC-9等の本格的な短中距離向けジェット機が開発されたため、少数の生産で終わった。アジアでは大韓航空が使用し、日本路線にも投入された。

[編集] 軍用機

VC-137 "エアフォースワン"
E-3"セントリー"空中警戒機

アメリカ空軍の軍用機として下記のような機体が製作された。

他にもイスラエル空軍オーストラリア空軍イラン空軍イラン革命前に購入)やブラジル空軍など、世界中の空軍や政府で使用されている。

よく混同されるがKC-135とC-135は707の原型機である367-80をベースにしており、胴体の直径もやや小さいなど、厳密には707とは別の機種である。

[編集] コピー機

中華人民共和国上海航空機製造会社が、中国民用航空総局(CAAC)にあった707を無断で分解調査し、カーボンコピーした模造機Y-10「上海」を1970年代に製作(エンジンは707のスペアを使用)した。2機(うち1機は構造試験機)が製造され飛行にも成功したが、技術力不足が顕わになっただけで、量産には至らなかった。

[編集] 仕様

707-120B 707-320B
乗客数
(2クラス)
110 147
乗客数
(1クラス)
179 202
最大離陸重量 257,000 lb (116,570 kg) 333,600 lb (151,320 kg)
航続距離 6,820 km 6,920 km
速度 1000 km/h (マッハ0.81) 972 km/h (マッハ0.79)
全長 144 ft 6 in (44.07 m) 152 ft 11 in (46.61 m)
エンジン 4基の 75.6 kN (17,000 lbf) P&W JT3D-1 ターボファンエンジン 4基の 80 kN (18,000 lbf) JT3D-3s又は、4基の 84.4 kN (19,000 lbf) JT3D-7s

[編集] 主な運航会社

エジプト航空のボーイング707-320B
サベナ・ベルギー航空のボーイング707-320
アメリカン航空のボーイング707-320F

[編集] 主な事故やアクシデント

ヴァリグ・ブラジル航空のボーイング707-320C
アビアンカ航空のボーイング707-320B

[編集] エピソード

  • 原型機367-80のデモフライトにおいて、テストパイロットが独断でバレルロールを超低空で敢行し、来賓と一般観衆の頭上を背面飛行してみせ、一同の度胆を抜いた[3]。対するダグラスもDC-8で緩降下中に音速を突破してみせるなど、ライバル意識を燃やした。尚、コメットの試作機も1953年ファーンボロ航空ショーで超低空90度バンクターンを決めており、低翼面加重当時の旅客機の高い機動性と共に、演ずる方も見る方も命懸けだった時代を想起させる。
  • 航空機マニアで知られる俳優ジョン・トラボルタの所有機のうちの1つで、元カンタス航空の-138を購入した。その後このことがきっかけでトラボルタはカンタス航空の親善大使に任命され、この機材も導入当時のカンタス航空の塗装に変更された。2004年には所有するボーイング707を自ら操縦し来日、2010年1月のハイチ地震の際には、自らの操縦でハイチに救援物資を輸送した。
  • 1964年2月のビートルズ初訪米の際に使用されたパンアメリカン航空のボーイング707は「Clipper Beatles」と特に命名された。

[編集] 日本におけるボーイング707

TMAレバノン航空のボーイング707F型機
ルフトハンザドイツ航空のボーイング707型機

ボーイング707の開発当時、日本で唯一の国際線運航会社であった日本航空は、英国海外航空やパンアメリカン航空、カナダ太平洋航空などのライバル会社とともにコメット Mk.1 を発注したものの、連続事故の発生により発注をキャンセルしていた。その後707ではなく、これまで関係が深かったダグラスが開発中のDC-8を1955年に正式発注、1960年8月12日から太平洋横断路線に就航させた。

しかし、ライバルのパンアメリカン航空が1959年9月7日に707を太平洋横断路線に就航させてから、日本航空がDC-8を導入するまでに1年以上もの開きがあったため、その間旧式なプロペラ機であるDC-7Cを使い続けた日本航空は、利用客が激減し経営上打撃を受けた。このためダグラスDC-8の納入に先立ち、コンチネンタル航空が発注していたボーイング707をウェットリースしようと考えコンチネンタル航空とボーイングと交渉を行ったが、交渉は不首尾に終わった[4]

国内線でも全日空ターボプロップ機のヴィッカース・バイカウントを導入した後は、プロペラ機のDC-4で苦戦を強いられたため、1961年に中距離国際線と国内線用機として当時ほぼ即納可能なCV880の導入を行い、国内線旅客を取り戻したものの、信頼性が低い上に中途半端なキャパシティのために乗客数の急増に対処できなかった。その為、日本航空は国内線と国際線の兼用ができる上に座席数の多いダグラスDC-8を大量導入したが、ボーイング707や720を導入することはなかった。

さらに国内線のみ運航の航空会社で、企業規模の小さい全日空や日本国内航空は、国際線用の機材であるボーイング707を採用することはなかったため、ボーイング707を採用する航空会社は現れなかった。

日本航空がボーイング707を導入しなかった理由として、旅客機としての導入実績がないボーイング機に対する信頼性がなかったことや、第二次世界大戦で日本を焦土と化したB29の「ボーイング」という名前に対する、国民の拒否反応がまだ非常に強かったことが挙げられている。

[編集] 日本乗り入れ

パンアメリカン航空以外にも、ノースウエスト航空やヴァリグブラジル航空、キャセイパシフィック航空、エアーインディア、TMAレバノン航空、ルフトハンザドイツ航空、カンタス航空など、多くの日本国外の航空会社が日本路線にボーイング707を就航させ、1990年代まで定期就航していた。その中で英国海外航空のボーイング707(G-APFE)が1966年3月5日に富士山麓で空中分解し、墜落する事故(英国海外航空機空中分解事故)を起こしている。

[編集] 出典

  1. ^ a b c d e 鳥飼鶴雄 『大空への挑戦 ジェット機編』p132
  2. ^ a b c d e f g 鳥飼鶴雄 『大空への挑戦 ジェット機編』p133
  3. ^ 「ボーイング社の役員が航空会社の社長や業界の有力者を招待していた船の真上でこれを行い、船の上では機体が完全に裏返しになっていたそうな。それを行ったテストパイロットはその後、社長を始め役員に呼び出され、クビ直前になったそうな。」 参考『ボーイング747を創った男たちーワイドボディの奇跡』クライヴ・アーヴィング:著・手島尚:訳、講談社=2000年11月15日刊 ISBN 9784062104579
  4. ^ 『退役記念JALDC-8の本』P.103 日本航空刊 1987年

[編集] 関連項目


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