ジョン・F・ケネディ国際空港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| ジョン・F・ケネディ国際空港 | |||
|---|---|---|---|
|
|
|||
| IATA:JFK - ICAO:KJFK | |||
| 概略 | |||
| 空港種別 | 公共 | ||
| 運営者 | NY&NJ港湾公社 | ||
| 開港日 | 1948年7月1日 | ||
| 受け持ち | ニューヨーク | ||
| 海抜 AMSL | 13 ft (4 m) | ||
| 位置 | 北緯40度38分23秒西経73度46分44秒 | ||
| 滑走路 | |||
| 方向 | 全長 | 表面 | |
| ft | m | ||
| 4L/22R | 11,351 | 3,460 | 舗装 |
| 4R/22L | 8,400 | 2,560 | 舗装 |
| 13L/31R | 10,000 | 3,048 | 舗装 |
| 13R/31L | 14,572 | 4,442 | 舗装 |
ジョン・F・ケネディ国際空港 (ジョン・F・ケネディこくさいくうこう、John F. Kennedy International Airport) はニューヨーク市クイーンズ区のジャマイカ湾に面した国際空港である(→ 航空写真で確認 1, 2)。旧名アイドルワイルド空港 (Idlewild Airport)。
目次 |
[編集] 概要
ラガーディア空港、ニューアーク・リバティー国際空港とともにニューヨーク都市圏を代表する空港で、その管理・運営・警備はすべて同地域の地域開発公団であるニューヨーク・ニュージャージー港湾公社が行っている。
巨大都市ニューヨークの空の玄関口であるケネディ国際空港はアメリカを代表する国際空港のひとつとして位置付けられ、50を超える国々から100社近い航空会社の定期便が就航、一日の国際便の離発着は400件に達する。しかも国内線の離発着はその2倍近くもあり、世界でも有数の繁忙空港となっている。
ターミナル数は9つで空港施設の規模としては全米一、面積は約20平方キロメートル(成田空港の約2倍)で、マンハッタンの42丁目通り以南の面積に匹敵する。
ケネディ空港はデルタ航空とジェットブルー航空がハブ空港にしているほか、アメリカン航空も準ハブ空港の一つとしており、その混雑はますます進んでいる(かつてはパンアメリカン航空、トランスワールド航空、イースタン航空、ナショナル航空、タワーエアーなどもハブ空港としていた)。
[編集] 名称
現地では一般に “ジェイ・エフ・ケイ” (JFK) と呼ばれている。“ケネディ・エアポート” でも通じるが、“ジョン・エフ・ケネディ・エアポート” とはまず言わないので注意。
[編集] 歴史
- 1942年: アイドルワイルド ゴルフコースの一部を空港に転用。当初は4平方キロメートルしかなかったが、後に航空機産業の活性化に伴い後に16平方キロメートルが追加される。
- 1948年7月1日: 初の商業飛行。
- 1948年7月31日: ニューヨーク港湾公社に運営が移管され、国際空港となる。この際、正式名称として「ニューヨーク国際空港」(New York International Airport, IATAコード:NYI) が当初決定していたが、これが既存の「ニューヨークの空港」(All New York Airports, IATAコード:NYC) と紛らわしかったため使用を見送り、通称の「アイドルワイルド空港」(Idlewild Airport, IATAコード:IDL) をそのまま暫定空港名に使用することを決定。
- 1963年12月24日 - 同年11月22日に暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の栄誉を讃え、同空港の正式名称を「ジョン・F・ケネディ国際空港」(John F. Kennedy International Airport, IATAコード:JFK) とすることを決定。
- 1975年〜2003年: ブリティッシュ・エアウェイズとエールフランスによって大西洋上を超音速で飛行するコンコルドの運航が開始。
- 2001年9月11日: 9/11テロの直後、最も早く一時閉鎖される。
- 2008年8月1日と3日:エミレーツ航空により世界最大の旅客機エアバスA380がドバイ~ニューヨーク間においてお披露目となるフライトが行われる。
- 2008年8月8日:ドバイ~ニューヨーク間でニューヨーク行EK201便(水・金・日曜日運航)とドバイ行EK202便(水・金・日曜日運航)の往復便として商業飛行が開始された。アメリカ大陸では初の乗り入れ空港となった。しかし、2009年3月、採算の悪化を受け、エアバスA380による運航の撤退を決定し、2009年8月現在、ボーイング777-300ERに変更された。
[編集] 構造と機能
4本の滑走路が中央ターミナルを囲み、それぞれがペアで平行に走っている。13R-31L滑走路は商用滑走路としては北米最長の4440m。
1948年から1957年まではターミナルが1つしかなかった。その後国際線到着ターミナルは老朽化のために14億ドル掛けて2001年に第4ターミナルとして改装された。その他8つのターミナルは1958年から1971年にかけて各ターミナルはそのターミナルのメインとなる航空会社によって設計され作られた。これらのターミナルは貨物の取り扱いに関しても非常に大きな機能を持っている。
パンナムのメインターミナルである第3ターミナルは1962年に完成した。特筆する点として長円形の屋根が、放射状に32本ものケーブルで吊るされている。屋根は旅客エリアをカバーしている。これは乗客がスポットに泊められた飛行機に楽に移動するための特別な橋となっている。
トランス・ワールド航空のメインである第5ターミナルも1962年に完成した。家具デザイナーとしても知られるフィンランド生まれのアメリカ人建築家エーロ・サーリネンによって設計された。
また第3ターミナル、第5ターミナルともに1970年代に改装されている。
貨物の取り扱い量も多く、現在コンチネンタル航空、エミレーツ航空、スカイカーゴ、エバー航空、日本航空、大韓航空、日本貨物航空、ノースウエスト航空、ユナイテッド航空の九社が貨物専用便を就航させており、敷地内には航空貨物を取り扱う施設も数多い。
[編集] エアトレイン
1998年から高速軽軌道システム「エアトレイン」の建設が始まった。2001年の9/11テロの影響で当初の計画を大幅に縮小し、予定より1年遅れの2003年12月17日に開業した。ケネディ空港内の各ターミナルや、駐車場、レンタカー会社のオフィスなどを結び、そのまま南は地下鉄のハワードビーチ駅に、北は地下鉄/ロングアイランド鉄道のジャマイカ駅に接続する。ターミナル間の移動は無料、両駅まではそれぞれ運賃5ドルがかかる。
エアトレインを計画建設したのは、ニューヨークの空港を管理運営するニューヨーク・ニュージャージー港湾公社だが、同公社は崩壊したワールドトレードセンターをはじめ、テロ被害により一部使用が不能になったパストレインや、被災現場に近いことから通行規制が一年近く続いたホランドトンネルなども運営しており、これらの施設からの賃貸料、運賃、通行料などが途絶えたことや、観光客の激減で定期便のキャンセルが相次ぎ空港発着料をはじめとするさまざまな空港関連収益が減少したことで、深刻な財政難に直面することになった。そのため当初計画されていたジャマイカ駅からラガーディア空港を経由してマンハッタンの三番街59丁目通りの新駅に至る二期工事は中止となってしまった。
ケネディ空港は三空港のなかでもマンハッタンからは最も遠い。しかもエアトレインが接続するのは一般の地下鉄と通勤電車で、前者利用では時間帯により所要時間が90分から120分、後者でも乗り継ぎによっては45分から90分はかかる。大きな旅行カバンを抱えてこうした公共交通機関に乗り替えなければならないというのは、旅行者にとってはいかにも不便であり、来訪者はもとより地元市民でもマンハッタンへ向かう者のほとんどはこれを敬遠して、落ち着いて座ることのできる空港リムジンバスやタクシー(3人で乗れば一人あたりの負担がリムジンバスの運賃とほぼ同じになる)を利用する傾向にある。このためエアトレインは開業以来採算割れが続き、これを改善するには2期工事を断行する以外に方策はないにもかかわらず、そもそも無い袖は振れないという、ジレンマの状態にある。
[編集] ターミナル
[編集] 第1ターミナル
当初はイースタン航空(1991年運航停止)によって占められていた。後にターミナルは1998年にエールフランス、日本航空、大韓航空、ルフトハンザによって建て替えられた。ゲート数は11。
[編集] 第2ターミナル
1962年にノースウエスト航空、ノースイースト航空、ブラニフ航空により完成した。のちにパンナムも国内線が乗り入れてきた。デルタ航空が主に利用し、2006年4月までは同社の運営するソングが利用していた。ゲート数は11。
[編集] 第3ターミナル
1960年にパンナムにより完成し、パンナム専用ターミナルとなっていた。1971年には拡大し“フライングソーサ”という屋根が有名で最も大きなターミナルとなっていた。パンナムの倒産した1991年以降はデルタ航空が買い取り、改装された。ゲート数は17。通称「ワールドポート」。
- アエロフロート・ロシア航空
- アエロメヒコ航空
- アトランティックコースト航空 (デルタ・コネクション)
- アトランティックサウスイースト航空 (デルタ・コネクション)
- チャウタクア航空 (デルタ・コネクション)
- チャイナエアライン
- コンエアー (デルタ・コネクション)
- チェコ航空
- デルタ航空
- マレブハンガリー航空
- ロイヤルヨルダン航空
- サウジアラビア航空
- 南アフリカ航空
- サンカントリー航空
[編集] 第4ターミナル
2001年に改装された。唯一の24時間利用可能ターミナル。ゲート数は16。かつては国際線到着ターミナル (International Arrivals Terminal) と呼ばれていた。
[編集] 第5ターミナル (現在閉鎖中)
エーロ・サーリネンの設計で1962年に完成し、旧トランスワールド航空のターミナルとして使用されていた。「サーリネンのターミナルビル」としても知られる優美なデザインは、第3ターミナルとともにケネディ空港を代表する建築物となっている。また、歴史的建造物にも指定されている。
2001年のアメリカン航空によるトランスワールド航空の買収に伴い閉鎖されたが、その後2005年12月に隣接する第6ターミナルを使用するジェットブルー航空がターミナル拡張計画の一環としてこれを買収した。現在はターミナルビル部分の改装工事とゲート数26の新サテライトを建設する工事が進行しており、これにともない旧サテライト部分は撤去された。2008年の完成時には第5・第6ターミナルは連結され、サーリネンのターミナルビルが新しい連結ターミナルの玄関口になる予定である。
[編集] 第6ターミナル
I・M・ペイの設計で1969年に完成し、旧ナショナル航空のターミナルとして使用されていた。ナショナル航空が旧パンアメリカン航空に買収されると、隣接する第5ターミナルを使用していた旧トランスワールド航空が第6ターミナルを買収し、その一部をユナイテッド航空にリースした。2001年にトランスワールド航空がアメリカン航空に買収されると、ジェットブルー航空が同ターミナルを買収、750万ドルをかけた大改修の後、同航空のハブとして再デビューした。ゲート数は21。
[編集] 第7ターミナル
当初、ブリティッシュ・エアウェイズのターミナルとして1970年に完成した。1991年と2003年にそれぞれ改装された。ゲート数は20。2008年4月現在、改装作業が進められている。
- エア・カナダ
- アメリカウェスト航空
- 全日本空輸
- アトランティックコースト航空 (ユナイテッドコネクション)
- ブリティッシュ・エアウェイズ
- キャセイパシフィック航空
- カンタス航空
- ユナイテッド航空
- イベリア航空
[編集] 第8ターミナル
当初、アメリカン航空のターミナルとして1960年に完成した。ゲート数は15。 2007年8月に新しい第8ターミナルが完成して、従来2ターミナルに別れていた国際線、国内線などが統合された。ゲート数は29。
- アメリカン航空
- アメリカン・イーグル (ローカル担当)
- フィンランド航空
- マレーヴ・ハンガリー航空
- メキシカーナ航空
- ジェットエアウェイズ
[編集] 第9ターミナル (現存しない)
1959年に10のゲート数で完成した。アメリカン航空の国内線を中心に利用されていた。2007年に完成した新しい第8ターミナルは、第9ターミナル敷地を中心に建設されたので、現在は存在しない。
[編集] 事故
- 1954年12月18日: アリタリア航空のダグラスDC-6型機が2時間半にも及ぶ旋回の後4回目の着陸で墜落。乗員乗客併せて32人中26人が死亡
- 1962年3月1日: アメリカン航空のボーイング707型機が離陸後、舵が効かなくなり墜落。95人の乗員乗客全員が死亡(アメリカン航空1便墜落事故)
- 1962年11月30日: イースタン航空のDC-7型機が着陸失敗で墜落
- 1975年6月24日: イースタン航空66便 (ボーイング727型機) が22L滑走路手前で墜落。乗員乗客併せて112人が死亡。当時強い雷雨のなかウィンド・シアが起こったとされている。
- 1990年1月25日: コロンビアのアビアンカ航空52便 (ボーイング707-320) が着陸進入中、ニューヨーク州コープ・ネックに墜落、73人が死亡。当日は悪天候のため空中待機が長引き燃料切れとなったことが直接の原因。操縦士の英語力不足による意思疎通の問題がその背景にあった(アビアンカ航空52便墜落事故)。
- 2001年11月12日: アメリカン航空587便サントドミンゴ行き (エアバスA300) が離陸直後に墜落。乗員乗客260人全員と地上の住民5人が死亡という、ケネディ空港最悪の事故 (アメリカ国内でも最悪級の事故) となった。直前に離陸した日本航空47便成田行きの、ボーイング747が引き起こした後方乱気流によって大きく揺れた機体のバランスを保とうと、副操縦士がラダーを過剰操作した結果、垂直尾翼がこれに耐えきれず折損、機体がコントロールを失ったもの。この事故が起きたのは911テロの2ヵ月後であったため、当初はテロ説も流れてニューヨーク市は騒然とした。また死亡した乗客の一人は、その2ヵ月前にワールドトレードセンターを辛くも脱出して九死に一生を得ていたというのも運命の皮肉だった。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
|
|||||

