ジョン・F・ケネディ国際空港
| ジョン・F・ケネディ国際空港 John F. Kennedy International Airport |
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|---|---|---|---|
| IATA:JFK – ICAO:KJFK – FAA:JFK | |||
| 概要 | |||
| 空港種別 | 公共 | ||
| 設置 | ニューヨーク市[1] | ||
| 運営者 | NY&NJ港湾公社[1] | ||
| 国・地域 | |||
| 所在地 | ニューヨーク | ||
| 都市 | ニューヨーク | ||
| 拠点航空会社 | |||
| 建設年 | 1948年7月1日 | ||
| 標高 | 4 m / 13 ft | ||
| 座標 | 北緯40度38分23秒 西経073度46分44秒 / 北緯40.63972度 西経73.77889度 座標: 北緯40度38分23秒 西経073度46分44秒 / 北緯40.63972度 西経73.77889度 | ||
| ウェブサイト | |||
| 滑走路 | |||
| 方向 | ILS | 全長×全幅(m) | 表面 |
| 4L/22R | YES | 3,460×46 | アスファルト/コンクリート |
| 4R/22L | YES | 2,560×61 | アスファルト |
| 13L/31R | YES | 3,048×46 | アスファルト |
| 13R/31L | YES | 4,442×46 | アスファルト/コンクリート |
| ヘリポート | |||
| 番号 | 大きさ(m) | 表面 | |
| H1 | 18 | アスファルト | |
| H2 | 18 | アスファルト | |
| H3 | 18 | アスファルト | |
| H4 | 18 | アスファルト | |
| 統計 (2008) | |||
| 発着回数 | 471,482 | ||
| 搭乗者数 (FAA)[2] | 23,601,779 | ||
| 利用者数 (ACI)[3] | 47,807,816 | ||
| Source: Federal Aviation Administration[4] | |||
ジョン・F・ケネディ国際空港 (ジョン・F・ケネディこくさいくうこう、John F. Kennedy International Airport) はニューヨーク市クイーンズ区のジャマイカ湾に面した国際空港である。旧名アイドルワイルド空港 (Idlewild Airport)。
目次 |
[編集] 概要
ラガーディア空港、ニューアーク・リバティー国際空港とともにニューヨーク都市圏を代表する空港で、その管理・運営・警備はすべて同地域の地域開発公団であるニューヨーク・ニュージャージー港湾公社が行っている。
巨大都市ニューヨークの空の玄関口であるケネディ国際空港は、アメリカを代表する国際空港のひとつとしても位置付けられ、50を超える国々から100社近い航空会社の定期便が就航、1日の国際便の離着陸は400件に達する。しかも国内線の離着陸はその2倍近くもあり、朝や夕方の繁忙期には数十機の出発待ちが発生するなど、世界でも有数の繁忙空港となっている。
ターミナル数は9つで空港施設の規模としては全米一、面積は約20平方キロメートル(成田国際空港の約2倍)で、マンハッタンの42丁目通り以南の面積に匹敵する。なお、アメリカ以外の航空会社としてブリティッシュエアウェイズの専用ターミナルが存在していた。
ジョン・F・ケネディ国際空港はデルタ航空とジェットブルー航空がハブ空港にしているほか、アメリカン航空も準ハブ空港の一つとしており、その混雑はますます進んでいる(かつてはパンアメリカン航空、トランスワールド航空、イースタン航空、ナショナル航空、タワーエアーなどもハブ空港としていた)。
日米路線の中でも就航航空会社が多く、現在、成田国際空港との直行便を日本航空インターナショナル、全日本空輸、アメリカン航空(2012年5月31日をもって廃止予定)、デルタ航空の各社がそれぞれ1日1便(週7便)、東京国際空港(羽田空港)とは、アメリカン航空が1日1便(週7便)(2012年6月1日から再開予定)、また、関西国際空港とはチャイナエアラインが週3便でそれぞれ運航している。かつてはユナイテッド航空やノースウェスト航空、パンアメリカン航空も運航していた。
[編集] 名称
現地では一般に “ジェイ・エフ・ケイ” (JFK) と呼ばれている。“ケネディ・エアポート” でも通じるが、“ジョン・エフ・ケネディ・エアポート” とはまず言わないので注意。
[編集] 歴史
- 1942年:アイドルワイルド・ゴルフコースの一部を空港に転用。当初は4平方キロメートルしかなかったが、後に航空機産業の活性化に伴い後に16平方キロメートルが追加される。
- 1948年7月1日:初の商業飛行。
- 1948年7月31日:ニューヨーク港湾公社に運営が移管され、国際空港となる。この際、正式名称として「ニューヨーク国際空港」(New York International Airport, IATAコード:NYI) が当初決定していたが、これが既存の「ニューヨークの空港」(All New York Airports, IATAコード:NYC) と紛らわしかったため使用を見送り、通称の「アイドルワイルド空港」(Idlewild Airport, IATAコード:IDL) をそのまま暫定空港名に使用することを決定。
- 1963年12月24日:同年11月22日に暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の栄誉を讃え、同空港の正式名称を「ジョン・F・ケネディ国際空港」(John F. Kennedy International Airport, IATAコード:JFK) とすることを決定。
- 1970年1月21日:パンアメリカン航空のボーイング747型機の運航が開始。
- 1976年4月25日:パンアメリカン航空のボーイング747SPでニューヨーク~東京(当時は羽田空港)ノンストップ便が就航する。
- 1976年〜2003年:ブリティッシュ・エアウェイズとエールフランスによって大西洋上を超音速で飛行するコンコルドの運航が開始。
- 2001年9月11日:9.11テロの直後、最も早く一時閉鎖される。
- 2008年8月8日:ドバイ~ニューヨーク間でニューヨーク行EK201便(水・金・日曜日運航)とドバイ行EK202便(水・金・日曜日運航)の往復便として商業飛行が開始された。アメリカ大陸では初の乗り入れ空港となった。しかし、2009年3月、採算の悪化を受け、エアバスA380による運航の撤退を決定し、2009年8月現在、ボーイング777-300ERに変更された。
[編集] 747SP誕生のきっかけともなった空港
- 当時パンアメリカン航空の本拠地であったこの空港は、ロンドン・パリ・ローマからはノンストップで行けるのに対し日本からのアクセスは747就航後でもアンカレジまたはホノルル・シアトル・ロサンゼルス経由で無ければいけない空港であったため遠い存在であった[5]。そこで、パンナムではボーイング社に極東からJFKまでのノンストップが可能の機材を要求して開発されたのが超長距離用747SPである。SPとは「スペシャル・パフォーマンス(特別性能)」の略で、当時製造中だった-200Bでもノンストップは望めなかったことから機体の胴体短縮と軽量化をすることによってノンストップが可能だと判断したモデルである。日本航空が導入した短距離用747SRとは対照的。1975年に開発・初飛行され、1976年4月に待望のJFK~羽田ノンストップ便が就航した[6]。当時日本航空がアンカレジを[7]。ノースウエスト航空もホノルル経由をしていたため乗客がすぐにこのノンストップ便へ切り替えたのだった。この刺激でチャイナエアライン、大韓航空もこの機材で乗り入れた[8]。アパルトヘイト政策の強かった南アフリカ航空は以前この機材で乗り入れを目指したが中止された。しかし、アパルトヘイトが崩壊しニューヨーク線が復活するとSPの乗り入れが開始したものの多定員の-200B/-300に変えられた。またアメリカと交流のあったイラン航空もこの機材で乗り入れたがイラン革命で中止となった。旅客以外で政府専用機としてでもSPを採用した。特に中東のエアラインの下で政府専用機として使われたイラク航空とサウジアラビア航空なども国王が国連関連のフライトとして同空港に乗り入れていた。SPではなかったが、日本航空、ノースウエスト航空、パンナムから路線買収したユナイテッド航空が-200Bでエンジンの増強(JT9D-7R4G2)でノンストップ便を可能にした。これが-300にも搭載されることとなる。また、極東ノンストップ機が現在の-400と双発機のボーイング777へと発展していく。多定員で輸送できることとなったことから結局は45機の製造で終了したが、現在ではアメリカ・スポーツチーム専用機、諸外国の要人輸送専用機としても重宝されている。
[編集] 構造と機能
4本の滑走路が中央ターミナルを囲み、それぞれがペアで平行に走っている。13R-31L滑走路は商用滑走路としては北米最長の4440m。
1948年から1957年まではターミナルが1つしかなかった。その後国際線到着ターミナルは老朽化のために14億ドル掛けて2001年に第4ターミナルとして改装された。その他8つのターミナルは1958年から1971年にかけて各ターミナルはそのターミナルのメインとなる航空会社によって設計され作られた。これらのターミナルは貨物の取り扱いに関しても非常に大きな機能を持っている。
パンアメリカン航空のメインターミナルで「パンナム・ワールドポート」の愛称で呼ばれていた第3ターミナルは1962年に完成した。特筆する点として長円形の屋根が、放射状に32本ものケーブルで吊るされている。屋根は旅客エリアをカバーしている。これは乗客がスポットに泊められた飛行機に楽に移動するための特別な橋となっている。
トランス・ワールド航空のメインである第5ターミナルも1962年に完成した。家具デザイナーとしても知られるフィンランド生まれのアメリカ人建築家エーロ・サーリネンによって設計された。また第3ターミナル、第5ターミナルともに1970年代に改装されている。
貨物の取り扱い量も多く、現在コンチネンタル航空、エミレーツ航空、スカイカーゴ、エバー航空、日本航空、大韓航空、日本貨物航空、ノースウエスト航空、ユナイテッド航空の9社が貨物専用便を就航させており、敷地内には航空貨物を取り扱う施設も数多い。
[編集] ターミナル
[編集] 第1ターミナル
当初はイースタン航空(1991年運航停止)によって占められていた。1998年に、同空港に乗り入れる複数の航空会社(日本航空、大韓航空、エールフランス、ルフトハンザ)によって建て替えられた。ゲート数は11。
日本航空
チャイナエアライン
大韓航空
中国国際航空
中国東方航空
アエロフロート・ロシア航空
アエロメヒコ航空
エールフランス
アリタリア航空
オーストリア航空
ルフトハンザドイツ航空
オリンピック航空
ロイヤルエアーモロッコ
トルコ航空
サウジアラビア航空
[編集] 第2ターミナル
1962年にノースウエスト航空、ノースイースト航空、ブラニフ航空により完成した。のちにパンナムも国内線が乗り入れてきた。デルタ航空が主に利用し、2006年4月までは同社の運営するソングが利用していた。ゲート数は11。
[編集] 第3ターミナル
1960年にパンナムにより完成し、パンナム専用ターミナルとなっていた。1971年には拡大し“フライングソーサ”という屋根が有名で最も大きなターミナルとなっていた。パンナムの倒産した1991年以降はデルタ航空が買い取り、改装された。ゲート数は17。通称「ワールドポート」。
[編集] 第4ターミナル
2001年に改装された。唯一の24時間利用可能ターミナル。ゲート数は16。かつては国際線到着ターミナル (International Arrivals Terminal) と呼ばれていた。
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[編集] 第5ターミナル
エーロ・サーリネンの設計で1962年に完成し、旧トランスワールド航空のターミナルとして使用されていた。「サーリネンのターミナルビル」としても知られる優美なデザインは、第3ターミナルとともにケネディ空港を代表する建築物となっている。また、歴史的建造物にも指定されている。
[編集] 第6ターミナル(現在閉鎖中)
I・M・ペイの設計で1969年に完成し、旧ナショナル航空のターミナルとして使用されていた。ナショナル航空が旧パンアメリカン航空に買収されると、隣接する第5ターミナルを使用していた旧トランスワールド航空が第6ターミナルを買収し、その一部をユナイテッド航空にリースした。2001年にトランスワールド航空がアメリカン航空に買収されると、ジェットブルー航空が同ターミナルを買収、750万ドルをかけた大改修の後、同航空のハブとして再デビューした。ゲート数は21。
[編集] 第7ターミナル
当初、ブリティッシュ・エアウェイズのターミナルとして1970年に完成した。1991年と2003年にそれぞれ改装された。ゲート数は20。2008年4月現在、改装作業が進められている。
[編集] 第8ターミナル
当初、アメリカン航空のターミナルとして1960年に完成した。ゲート数は15。 2007年8月に新しい第8ターミナルが完成して、従来2ターミナルに別れていた国際線、国内線などが統合された。ゲート数は29。
アメリカン航空
アメリカン・イーグル (ローカル担当)
フィンランド航空
メキシカーナ航空
ジェットエアウェイズ
カタール航空
[編集] 第9ターミナル(現存しない)
1959年に10のゲート数で完成した。アメリカン航空の国内線を中心に利用されていた。2007年に完成した新しい第8ターミナルは、第9ターミナル敷地を中心に建設されたので、現在は存在しない。
[編集] 就航都市
[編集] 国際線
- アジア
東京/羽田(2011年6月1日から再開予定)、東京/成田、大阪/関西
ソウル/仁川
台北/桃園
香港
北京/首都、上海/浦東
シンガポール
デリー、ムンバイ、チェンナイ
カラチ、ラホール
ドバイ、アブダビ
ドーハ
リヤド、ジェッダ
クウェート
アンマン
タシュケント
テルアビブ
イスタンブール
- アフリカ
- ヨーロッパ
ロンドン/ヒースロー、マンチェスター
アムステルダム
チューリッヒ、ジュネーヴ
レイキャビク
ウィーン
プラハ
フランクフルト、ミュンヘン、デュッセルドルフ、ベルリン
ミラノ、ローマ、ヴェネツィア、ピサ、ナポリ、パレルモ
バルセロナ、マドリード、マラガ、バレンシア
パリ/シャルル・ド・ゴール
ワルシャワ、ジェシュフ
アテネ
ブリュッセル
ブダペスト
ヘルシンキ
コペンハーゲン
ストックホルム
ダブリン
モスクワ
キエフ
リガ
- 北アメリカ
- 中央アメリカ
- カリブ海
サンファン、アガディージャ
サントドミンゴ、プエルト・プラタ、サンティアゴ・デ・ロス・カバリェロス、プンタカーナ
オランダ海外領土
モンテゴ・ベイ、キングストン
ブリッジタウン
セントジョンズ
ナッソー
グランドケイマン
セントクリストファー島
ポルトープランス
ポートオブスペイン、スカボロー
セントジョージズ
ヴューフォート
プロビデンシャルズ
セント・トーマス島
- 南アメリカ
- オセアニア
[編集] アクセス
[編集] エアトレイン
1998年から高速軽軌道システム「エアトレイン」の建設が始まった。2001年の9.11テロの影響で当初の計画を大幅に縮小し、予定より1年遅れの2003年12月17日に開業した。ケネディ空港内の各ターミナルや、駐車場、レンタカー会社のオフィスなどを結び、そのまま南は地下鉄のハワードビーチ駅に、北は地下鉄/ロングアイランド鉄道のジャマイカ駅に接続する。ターミナル間の移動は無料、両駅まではそれぞれ運賃5ドルがかかる。
エアトレインを計画建設したのは、ニューヨークの空港を管理運営するニューヨーク・ニュージャージー港湾公社だが、同公社は崩壊したワールドトレードセンターをはじめ、テロ被害により一部使用が不能になったパストレインや、被災現場に近いことから通行規制が1年近く続いたホランドトンネルなども運営しており、これらの施設からの賃貸料、運賃、通行料などが途絶えたことや、観光客の激減で定期便のキャンセルが相次ぎ空港発着料をはじめとするさまざまな空港関連収益が減少したことで、深刻な財政難に直面することになった。そのため当初計画されていたジャマイカ駅からラガーディア空港を経由してマンハッタンの三番街59丁目通りの新駅に至る2期工事は中止となってしまった。
ケネディ空港は3空港のなかでもマンハッタンからは最も遠い。しかもエアトレインが接続するのは一般の地下鉄と通勤電車で、前者利用では時間帯により所要時間が90分から120分、後者でも乗り継ぎによっては45分から90分はかかる。大きな旅行カバンを抱えてこうした公共交通機関に乗り替えなければならないというのは、旅行者にとってはいかにも不便であり、来訪者はもとより地元市民でもマンハッタンへ向かう者のほとんどはこれを敬遠して、落ち着いて座ることのできる空港リムジンバスやタクシー(3人で乗れば1人あたりの負担がリムジンバスの運賃とほぼ同じになる)を利用する傾向にある。このためエアトレインは開業以来採算割れが続き、これを改善するには2期工事を断行する以外に方策はないにもかかわらず、そもそも無い袖は振れないという、ジレンマの状態にある。
[編集] 自動車
マンハッタンの中心部から約30分(渋滞がない場合)でアクセスできる。タクシーや空港リムジンバスなどでのアクセスが一般的である。
[編集] 事故
- 1954年12月18日: アリタリア航空のダグラスDC-6型機が2時間半にも及ぶ旋回の後4回目の着陸で墜落。乗員乗客併せて32人中26人が死亡。
- 1962年3月1日: アメリカン航空のボーイング707型機が離陸後、舵が効かなくなり墜落。95人の乗員乗客全員が死亡(アメリカン航空1便墜落事故)。
- 1962年11月30日: イースタン航空のDC-7型機が着陸失敗で墜落。
- 1975年6月24日: イースタン航空66便 (ボーイング727型機) が22L滑走路手前で墜落。乗員乗客併せて112人が死亡。当時強い雷雨のなかウィンド・シアが起こったとされている。
- 1990年1月25日: コロンビアのアビアンカ航空52便 (ボーイング707-320) が着陸進入中、ニューヨーク州コープ・ネックに墜落、73人が死亡。当日は悪天候のため空中待機が長引き燃料切れとなったことが直接の原因。操縦士の英語力不足による意思疎通の問題がその背景にあった(アビアンカ航空52便墜落事故)。
- 1998年9月2日: スイス航空111便MD-11型機がジュネーブ空港へ向けて離陸後にコクピット後方から発火した煙が充満し電気系統がショートしてカナダ・ノバスコシア州ハリファクスの大西洋上に墜落。機内エンターテイメントの配線が不十分による直接な原因。乗客乗員229人全員死亡。(スイス航空111便墜落事故)
- 2001年11月12日: アメリカン航空587便サントドミンゴ行き (エアバスA300) が離陸直後に墜落。乗員乗客260人全員と地上の住民5人が死亡という、ケネディ空港最悪の事故 (アメリカ国内でも最悪級の事故) となった。直前に離陸した日本航空47便成田行きの、ボーイング747が引き起こした後方乱気流によって大きく揺れた機体のバランスを保とうと、副操縦士がラダーを過剰操作した結果、垂直尾翼がこれに耐えきれず折損、機体がコントロールを失ったもの。この事故が起きたのは911テロの2ヵ月後であったため、当初はテロ説も流れてニューヨーク市は騒然とした。また死亡した乗客の1人は、その2ヵ月前にワールドトレードセンターを辛くも脱出して九死に一生を得ていたというのも運命の皮肉だった。
[編集] 日本への乗り入れ
2011年2月現在、東京/成田からは、日本航空インターナショナル(週9便、1966年乗り入れ開始、かつてはロンドン線も運航していた)、全日本空輸(週7便)、デルタ航空(週7便)、アメリカン航空(週7便)が、東京/羽田からはアメリカン航空(週7便)がそれぞれ直行便で結んでいる。
2012年5月31日をもってアメリカン航空 東京/成田線を運休予定。
2012年6月1日からアメリカン航空 東京/羽田線を再開予定。
2011年4月28日からチャイナエアラインが大阪/関西経由台北/桃園線の就航開始。
[編集] 脚注
- ^ a b Port Authority of New York and New Jersey (2004-11-30), “Governor Pataki and Mayor Bloomberg Announce Closing of Multi-Billion Dollar Agreement to Extend Airport Leases”, プレスリリース 2007年8月8日閲覧, "The Port Authority has operated JFK and LaGuardia for more than 55 years. The original 50-year lease [with the City of New York] was signed in 1947 and extended to 2015 under an agreement struck in 1965."
- ^ FAA Passenger Boarding Data for calendar year 2008 (preliminary). Federal Aviation Administration. July 15, 2009.
- ^ Passenger Traffic 2008 FINAL. Airports Council International. July 28, 2009.
- ^ FAA Airport Master Record for JFK (Form 5010 PDF). Federal Aviation Administration. August 27, 2009.
- ^ DC-3時代日本からホノルルまででも最低1回は寄港しなければならなかった。
- ^ 後にロサンゼルス~東京間にも投入。
- ^ JALは当時DC-10を飛ばしていた。
- ^ 台北・ソウルからの便は乗降可能のアンカレジ経由であった。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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