KLMオランダ航空
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| 設立日 | 1919年 | |||
| ハブ空港 | スキポール空港 | |||
| 焦点都市 / 準ハブ空港 |
ロッテルダム空港 | |||
| マイレージサービス | Flying Blue | |||
| 会員ラウンジ | KLM Crown Lounge | |||
| 同盟 | スカイチーム | |||
| 保有機材数 | 107機 | |||
| 就航地 | 250都市 | |||
| 親会社 | エールフランス‐KLM | |||
| 本拠地 | オランダ王国アムステルフェーン | |||
| 代表者 | F. Gagey (CEO) P. F. Hartman (CFO) |
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KLMオランダ航空(ケイエルエムおらんだこうくう、KLM Royal Dutch Airlines、オランダ語ではKoninklijke Luchtvaart Maatschappij)は、オランダにおけるエールフランス‐KLM傘下の航空運航組織。オランダのいわゆる「フラッグ・キャリア」である。
目次 |
[編集] 概要
1919年10月6日にアルベルト・プレスマンがオランダの援助を得て創設。創設時と同じ名称で現存する、世界で一番古い航空会社の流れをくむ組織で、アムステルダムのスキポール国際空港を拠点としヨーロッパの諸都市への航空網を持つ[1]。
第二次世界大戦以前は、フォッカーとの連携、DC-2の早期注文など新機材を積極導入した。路線では、植民地であったインドネシアへの長距離線(当時の世界最長路線)、カリブ海にあるオランダ領アンティルを現在も運航するなど、かつては海洋王国として君臨したオランダの植民地への運送手段として拡張を続けたが第二次世界大戦ですべての機材を失う。しかし、アメリカの援助も得て、1951年にはオーストラリアを除くすべての大陸に航空網を展開、12月には日本にも乗り入れる。2004年にフランスのエールフランスと持株会社(エールフランス‐KLM)方式で経営統合をする。
[編集] 現在
経営はエールフランス-KLMで完全統合されているが、国際航空では、国間の航空権益があるため現存させている組織である(エールフランスも同様にエールフランス-KLM傘下の運航会社である)。2005年6月6日より、エールフランスとマイレージプログラムを統合しFlying Blueとして新たに発足した。
エールフランス-KLMとして看板は対等であるが、その組織の大きさなどの違いから旧エールフランス主導による合併であるといえる。オランダ王国を代表をしていた航空会社であるので、今のところ人事面などでJAL:JASのような事は日本国内においても起こっていないがエールフランス主導である事は事実である。
[編集] 日本乗り入れ
営業事務所はエールフランス-KLMで同一場所、陣容で東京と大阪にあり、日本線には日本人CAが乗務する。
以前は新千歳空港にも同空港唯一のヨーロッパ路線として乗り入れていたが(ただし、名古屋空港発着便の経由地という位置づけ)、同時多発テロ以降乗客が減少、撤退を余儀なくされた。それにともない、札幌駅前にあった営業所も閉鎖した。
[編集] KLMアジア航空
以前、中華人民共和国の圧力により、KLMの名義のままでは中華民国に乗り入れできなかったため、「KLM asia(漢字表記:荷蘭亜州航空公司)」として、尾翼のシンボルマークの王冠を消すなど別会社を装って中華民国線を運航していた。ただし日本航空が、台北線を「日本アジア航空」と別会社にしたのに対し、同航空は別法人ではなく同じ企業の特別塗装機であった。なお、現在では「KLMアジア航空」機は台北線や日本線だけでなく中華人民共和国路線にも運用されている(KLM塗装の機体が中華民国へ行くことは問題だが、KLM asiaの機体が中華人民共和国本土へ就航してもなんら問題はないため)。
[編集] 保有機材
KLMオランダ航空の機材は以下の航空機で構成される (2009年07月現在):
- エアバスA330-200型機 10機 (2機発注中)
- ボーイング 737-300型機 14機
- ボーイング 737-400型機 13機
- ボーイング 737-700型機(13機発注中,7機オプション)
- ボーイング 737-800型機 18機 (3機発注中)
- ボーイング 737-900型機 5機
- ボーイング 747-400型機 22機 (旅客専用型:5機,貨客混載型:17機)
- ボーイング 777-200ER型機 15機
- ボーイング 777-300ER型機 2機 (4機発注中)
- マクドネル・ダグラスMD-11型機 10機
- ボーイング 747-400ERF型機 3機 貨物機。3機のうち1機は、2008年までエールフランスカーゴが運用する予定である。
KLMでは、エールフランスとの統合を機にエアバス機を初めて導入したり、ボーイング777-300ERを発注するなど最新鋭機への更新を進めている。 最新鋭機への更新に伴って、747-400型機は2013年から順次退役し、売却されることになっている。また、MD-11型機については2014~2015年の間に全機が退役する予定である。
なお、KLMオランダ航空が発注したボーイング社製航空機の顧客番号(カスタマーコード)は06で、航空機の形式名は747-206, 747-406, 777-206ER, 737-906 などとなる。
[編集] その他
- 日本では、かつてフジテレビ「オールスター家族対抗歌合戦」(バンコク旅行、ヨーロッパ周遊旅行)、「オリンピックショウ 地上最大のクイズ」の後期版「ジェットショー 地上最大のクイズ」(世界一周旅行)、テレビ朝日「象印スターものまね大合戦」(ヨーロッパ周遊旅行)の優勝賞品の海外旅行に協賛していたことでも知られる。
- フジテレビの世界名作劇場「牧場の少女カトリ」や「トラップ一家物語」の製作にも協力していて、ヨーロッパの風景を忠実に再現していた。最後のタイトル·クレジットにも「協力・KLMオランダ航空」と出ていた。これはエンディングに5秒間、社名を表示させる事でロケスタッフの往復飛行機代金を負担していたものである。
- 松竹映画の「男はつらいよ」シリーズ、「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」にも協賛会社としてクレジットされている。この映画が撮影された時にはまだ日本-ウィーンの直行便がなく、映画ではKLMオランダ航空によるアムステルダム・スキポール国際空港乗り継ぎによるウィーンへの旅程となった。映画の中でもスキポール国際空港から柴又の実家へ電話をかけるシーン、KLM機内でのシーン、スキポール国際空港を離陸するKLM機のシーンが見られる。オーストリア航空・全日本空輸・アエロフロート共同運航による成田-ウィーン便ができたのは映画が公開される1ヶ月前の1989年7月16日のことである。
- マイレージサービス Flying Blue が導入される以前は、独自に Flying Dutchman (フライング・ダッチマン)という名称で実施していた。これはワーグナーの楽劇「さまよえるオランダ人」の英訳に由来する。
- Flying Dutchman への加入は、ヨーロッパ、アフリカ地域在住者に限定されていた。当時、提携があったノースウエスト航空の World Perks (ワールドパークス)は南北アメリカ、アジア地域在住者に限定されていた。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
- テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故(1977年に起こった航空事故史上最悪の死者数を記録した、当航空とパンアメリカン航空のボーイング747同士がロス・ロデオス空港の滑走路で衝突した事故。このときの同社側の747の尾翼は1973年、日本赤軍によって爆破された元日本航空の747 (JA8109) のものであった)
- エールフランス‐KLM
- KLMシティホッパー
- 航空会社の一覧
- オランダの交通
[編集] 外部リンク
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