アエロフロート・ロシア航空

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アエロフロート・ロシア航空
Аэрофлот — Российские авиалинии
IATA
SU
ICAO
AFL
コールサイン
Aeroflot
Aeroflot.svg
設立日 1932年
ハブ空港 シェレメーチエヴォ国際空港
マイレージサービス Aeroflot Bonus
会員ラウンジ First Class Lounge (会員ラウンジ無し)
同盟 スカイチーム
保有機材数 82機(126機発注中,15機オプション)
就航地 95都市
親会社 Rosimushchestvo (51.17%)
本拠地 ロシアの旗 ロシア連邦 モスクワ
代表者 Valery Okulov (会長)
種類 公開会社
市場情報 RTS:AFLT
MICEX AFLT
略称 アエロフロート
本社所在地 ロシアの旗 ロシア
125836
モスクワ レニングラード通り37
業種 空運業
従業員数 1万8393人 (2004)
特記事項:日本支社所在地
〒105-0001
東京都港区虎ノ門1-2-8
虎ノ門琴平タワー16階
(最寄駅:東京メトロ銀座線 虎ノ門駅
TEL:03-5532-8781
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アエロフロート・ロシア航空ロシア語 Аэрофлот — Российские авиалинии アエラフロート・ラッスィースキイェ・アヴィアリーニイ ; 英語 Aeroflot — Russian Airlines)は、ロシア連邦民間航空会社である。アエロフロートАэрофлот アエラフロートAeroflot エアロウフロート)と略す。

モスクワシェレメーチエヴォ国際空港を拠点とし、世界95都市に就航している。ロシア最大の航空会社であり、「フラッグ・キャリア」とされている。ソ連時代から存続する。

目次

[編集] コードデータ

なお、「SU」はソビエト連邦 (Soviet Union) の名残。

[編集] 歴史

ツポレフTu-144

[編集] 概要

[編集] ソビエト連邦時代

イリューシンIl-18
ツポレフTu-154(アエロフロート・ソビエト航空時代の塗装)

ソビエト連邦の国営航空会社として1923年に設立されて以来、ソ連最大の航空会社として運営されてきた。特に第二次世界大戦後の冷戦期は、ソビエト連邦の航空技術を知らしめるショーウィンドウ的な役割を持ち、世界で2番目に実用化されたジェット旅客機であるツポレフTu-104や、世界最大級のターボプロップ旅客機であるツポレフTu-114の就航、世界初の超音速民間旅客機であるツポレフTu-144の就航などを担った。

戦争時や緊急時にソ連空軍の運送部門へすぐに鞍替えすることができるよう、座を装備した大型輸送機を多数所有していた他、東側諸国衛星国や、アフリカ南米などの遠方にある友好国への路線といった、外交関係を誇示することを第一目的においた採算を度外視した国際線を多く持っていた[1]。また、西側諸国への路線の多くが外交官や諜報員の運搬に使われた他、西側諸国の上空の飛行時に、軍事施設の上を故意に飛行するなど、その活動範囲は一航空会社の枠を大きく超えていたと言われる。それがゆえに、冷戦末期にユジノサハリンスクから新千歳空港までの路線の開設を申請した際に、新千歳空港が自衛隊との兼用空港であることを理由に就航を拒否された経験がある。

ブダペスト支店 (2007年11月)

所有機の多くも空軍と共有していたことから、正確な数はいまだに不明ながら、世界最大の保有機数(旅客機、貨物機、ヘリコプター、軽飛行機等も含む)と従業員数を誇っており、「世界最大の航空会社」と呼ばれており[2]ギネスブックにもその旨が記載されていた。航空機雑誌「月刊エアライン」によれば、その保有数は2,000機を凌駕したとされる。しかしながら、当時の東側諸国のサービス企業の多くと同様に、航空会社としてのサービス水準は西側のそれには遠く及ばず、それがゆえに西側諸国においては航空券の安さだけが選択の理由であるという状態であった。

だが一方で、一部の路線(特にアフリカ方面)へ向かう際に、翌日以降便への乗り継ぎのためにモスクワで一泊する必要があった場合は、本来ならビザを取らなくてはならないところを免除していた[1]。その際のホテル(ノボテル・シェレメチエヴォホテル)は無料であった[1]。当時のソ連としては破格のもてなしといえる[1]が、これは外貨を獲得するために有効な手段だったことによるもの[1]。 また、噂ではあるが、カラーリングが実は軍用機だとか、実は空軍装備をしている、などと言われた。

[編集] 現在

エアバスA319

1991年のソ連崩壊後は、事業分割や不採算路線の縮小を進めるなどのリストラを進めた他、新鋭機のイリューシンIl-96や西側のボーイング767エアバスA320シリーズなどの導入を進めるとともにサービス水準の向上も図り、現在では旧西側諸国の航空会社並みのサービスを提供しているとの評価を得ている[3]。その甲斐もあり、2006年には世界的航空会社アライアンスの1つであるスカイチームへの参加を果たした。

ちなみに現在、モスクワでの乗り継ぎの際、ホテルは有料であるが、トランジット客に限りビザが免除される制度は継続されている[3]。トランジット客専用フロアが用意され、半軟禁状態に置かれることはヨーロッパの格安旅行者間では有名。[要出典]また、ソ連崩壊によりアエロフロートの独占体制も崩壊し、各地に新しい航空会社が誕生した。そうして誕生した多くの会社では、元アエロフロートで運用されていた機体が活躍している。

現在は、ロシア経済開発貿易省の下部機関であるロシア連邦資産管理局(Rosimushchestvo)が、51.17%の株式を保有する筆頭株主となっている。 アエロフロート・カーゴドンアヴィアを子会社に持つ。 2009年にはウラジオストクカリーニングラードに支社を開設。

[編集] 就航都市

[編集] 世界有数の規模

シェレメーチエヴォII

ソ連崩壊後の会社の分割、その後のロシアの困難な経済状況と急激な航空料金の値上げによる乗客減を反映して路線を縮減する傾向にあるが、依然としてアエロフロートは世界有数のネットワークを持つ航空会社として世界各地に路線を広げている。

ソ連時代よりハバナなど、西側諸国の航空会社があまり乗り入れていない都市にも乗り入れており、ネットワークの便利さも伺える。また、冷戦時代にはソ連の友好国であるアフリカ各地の多くの都市にも乗入れていたが、冷戦後の1990年代後半にはそれらの採算性の悪い路線の多くが運航停止された。しかしそのネットワークを生かし、スカイチームへと加盟することになった。

かつて独占していた国内線は、モスクワ発着路線以外のほとんどが失われ、残った主要路線でも他社との競合にさらされ、今日では後発のS7航空の後塵を拝するまでに至った。 国内線の拠点空港はモスクワのシェレメーチエヴォ国際空港第1ターミナル(シェレメーチエヴォI)であり、現時点でモスクワの主要3空港のなかでも交通アクセス、設備ともに最低レベルであるため、アエロフロートは国内線において必ずしも有利な立場にはない。

[編集] 日本線

イリューシンIL-96

日本では過去は複数の空港に乗り入れていたが、分割後の1990年代関西国際空港線が短期間で撤退となり、新潟空港などの地方発着路線を他のロシアの航空会社に譲ったために、現在は成田国際空港のみに乗り入れている。なお2008年4月21日までは第2ターミナルで運航しており、空港地上業務の多くを日本航空に委託していたが、2008年4月22日に、加盟しているスカイチーム系航空会社が利用する第1ターミナル北ウイングへ移転した。また2002年まで、営業窓口としての新潟支店が新潟市東大通1丁目に存在していた。 ヨーロッパ便・中東方面への安価で有効期間の長いチケットが入手しやすいことから、日本からの学生旅行によく用いられる。また日本在留のブラジル人などの中南米国籍人が中南米方面との往来に際して、テロ対策強化を機にアメリカ通過査証の義務付けなどからアメリカ経由便を避けるようになったこともあり、モスクワ経由の同社便利用が増加するといった傾向が近年見られる。

現在は日本人乗務員が機内通訳として乗務し、日本線のサービス向上が見られる。この乗務員は厳密に言うとアエロフロートの社員ではないが、ほとんど同じ制服で乗務している(ロシアの法律で客室乗務員はロシア国籍でないといけないため)。また旅客便は冷戦時代から永らくイリューシン製の機材のイメージが強かったが、冷戦崩壊後はエアバスA310ボーイング767と推移し、現在はエアバスA330を使用しての毎日運航である(2011年10月現在)。また、臨時便などでイリューシンIL-96が使用されることも多い。

[編集] アメリカ線

冷戦下でもアメリカへ乗り入れていた。この路線は冷戦下でも両国が民間では友好関係を保っていることの象徴的な存在という意味を持っており、それがゆえに、ソ連軍のアフガニスタン侵攻大韓航空機撃墜事件など、ソ連が加害者となったと看做された国際的事件の際には、ソ連に対する抗議の象徴としてアメリカ側がアエロフロート機のアメリカ乗り入れを一時的に中止したことがあった。

[編集] 保有機材

ボーイング767-300ER
マクドネル・ダグラスDC-10-40F型機(現在は子会社のアエロフロート・カーゴに全機移籍)

アエロフロートの保有機材は以下の通りである。(2012年3月現在)

西側機材はすべてリース機で、RA機体記号を持つロシア国籍の機体は存在しない。(VP-B** (バミューダ諸島の機体記号)といった具合)[4] [5] [6]。 なお、日本航空より購入し、貨物機として運用していたマクドネル・ダグラスDC-10-40Fは、カーゴ部門が「アエロフロート・カーゴ」として子会社化・独立したことで、全機が同社に移籍した。

[編集] 機材の変遷

旧ソ連時代のアエロフロートは、使用機材のほぼ全てがツポレフイリューシンアントノフヤコヴレフなどのソ連内で製造されたものであった(例外はチェコスロバキアL-410くらいしかない)。

冷戦が終焉した1990年代以降は、1992年エアバスA310を初めて導入(現在A310は全機退役している。)して以来、ボーイングエアバスなどの西側機材の導入を進め、西欧路線にはエアバス機、日本路線には通常期はエアバス機、夏季等は大型のボーイング機、東欧やロシア国内の長距離路線には大型のイリューシン機(ロンドン線にも就航していた)、同短距離路線には小・中型のツポレフ機が使用されることが多く、特に海外路線で旧ソ連製(ロシア製)航空機が活躍することは少なくなっていた。

運航効率が悪く老朽化が進んだ上に、西側機が増加したためか、IL-86が2006年11月に引退するなど、旧ソ連製機材の退役が進んでいたが、その一方で最近では、フランクフルトローマ等、冷戦時代から西側に属していた国々にも機齢が新しいツポレフ Tu-154Mを就航させるなど、再びロシア機の活躍が目立つようになってきていた。

現在、アエロフロートは、大規模な機材更新を進めている。運航効率の悪さや経年化を理由に、前述の通りイリューシン IL-86が2006年11月に全機退役した他、2008年1月6日をもって、ツポレフ Tu-134A-3が全機退役した。(なお、Tu-134のラストフライトは、カリーニングラード-モスクワ便であった。) なお、この更新において、前述のように活躍の場が広がっていたTu-154Mも、2008~2010年の間に順次退役、エアバスA320ファミリーと置き換えられる予定である。

同社はA320ファミリーの他にも、幅広く最新鋭機を発注している。ボーイング777-300ERを6機、ボーイング777-200ERを2機、ボーイング787 ドリームライナーを22機、エアバスA330-200を10機、エアバスA350を22機、スホーイ・スーパージェット100を30機発注している[7]。スホーイ・スーパージェット100は、2012年3月5日に6機目(機体番号:RA-89005)を受領する予定であり、この機材には「スカイチーム」の塗装が施工されている[8]

[編集] 事故

[編集] マイレージサービス

アエロフロートのマイレージサービスアエロフロートボーナスであり、スカイチーム加盟各社と提携している。 自社およびチェコ航空中国南方航空搭乗時には、エコノミークラスであっても予約クラスによって加算マイル数が異なる。

[編集] 脚注

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[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • 谷川一巳「世界の『航空会社』物語」(2002年・主婦の友社)ISBN 4072337676

[編集] 外部リンク

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