トランス・ワールド航空

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

トランス・ワールド航空
Trans World Airlines
IATA
TW
ICAO
TWA
コールサイン
TWA
設立日 1925年
ハブ空港 ジョン・F・ケネディ国際空港
ランバート・セントルイス国際空港
焦点都市 /
準ハブ空港
Luis Muñoz Marín International Airport
ロサンゼルス国際空港
マイレージサービス Aviators
会員ラウンジ Ambassadors Club
保有機材数 190機
就航地 132都市
親会社 Trans World Airlines, Inc.
本拠地 アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス
代表者 Dick Robbins (1930-34)、 Jack FryeとPaul E. Richter (1931-1947)、Howard Hughes (1939-65)、 Ralph Damon (1949-56)、 Carter Burgess (1956-57)、 Charles Thomas (1958-60) Charles Tillinghast (1961-76)、 L.E. Smart (1976)、 C.E. Meyer Jr. (1976-85) Carl Icahn (1985-93)、 William R. Howard (1993-94)、 Jeffrey H. Erickson (1994-97)、 Gerald L. Gitner (1997-99)、 William Compton (1999-01)
  

トランス・ワールド航空 (Trans World Airlines, TWAIATAコード:TW) はアメリカ合衆国にあった大手航空会社2001年アメリカン航空に吸収合併され消滅した。

目次

[編集] 歴史

[編集] 設立

1925年ウエスタン・エアー・エキスプレスとして設立されたあと、1930年に、1928年に創設され、世界初の大西洋横断飛行を成し遂げた著名な飛行家のチャールズ・リンドバーグが技術顧問を務めていたことで有名だった当時の大手航空会社のトランスコンチネンタル・エアー・トランスポートと合併し、トランスコンチネンタル・アンド・ウエスタン・エアーと社名を変更した。

[編集] ハワード・ヒューズ

トランスコンチネンタル・アンド・ウエスタン・エアー時代のダグラスDC-3(1940年)

その後1932年には全金属製の最新鋭機であるダグラスDC-1を導入した他、その後も同機の生産型であるダグラスDC-2DC-3などの新鋭機を次々に導入し、コロンバスピッツバーグニューアーク線やアメリカ大陸横断路線に参入するなど、その路線網を全米に拡大し続けた。

1939年には、当時の社長のジャック・フライの友人の大富豪で、飛行家としても知られるハワード・ヒューズに買収された。以降、安定した資本のもと、与圧客室を持ち高高度運航が可能なボーイング3071940年に導入した他、オーナーのヒューズ自らがアメリカ大陸無着陸横断が可能な大型旅客機ロッキード コンステレーション開発の音頭を取るなど、本格的な国際航路の開設を含むさらなる事業規模の拡大を目指す。

しかし、1939年9月の第二次世界大戦の勃発と、その後の1941年12月のアメリカの大戦への参戦により、国内外路線の拡大は一時的に中断されることとなり、パンアメリカン航空ユナイテッド航空ノースウェスト航空などの競合他社と同じく、所有機の多くがアメリカ軍に徴用されてしまった。

[編集] 黄金期

ロッキードL-1049“スーパー・コンステレーション”

第二次世界大戦終結後の1946年には、コンステレーションを他社に先駆け導入した。また、サウジアラビア航空エチオピア航空の設立に協力した他、敗戦国である西ドイツフラッグ・キャリアであるルフトハンザ・ドイツ航空の復活にも協力を行った。

1950年には、国際線を独占しようとするライバルのパンアメリカン航空と、それを支持するオーウェン・ブリュスター上院議員が提出した「コミュニティー・エアライン法案(国際線就航を特定の企業に制限する法案)」の論争に勝利し、国際線への本格的参入が可能になると、それに合わせて社名を「トランス・ワールド航空」に変更した。また、これらの本格的な長距離国際線の開設に先立ち、トランスコンチネンタル・エアー・トランスポート時代から同社のアドバイザーを務めていたチャールズ・リンドバーグが引き続き就任していた。

その後、1958年から1959年にかけて、当時の最新鋭ジェット旅客機 ボーイング707や、再びヒューズが開発に関わったコンベア880を相次ぎ導入するなど、パンアメリカン航空と並び、華やかな空の黄金時代を代表する航空会社として世界の空に君臨した。国際線はフランスイタリアギリシアをはじめとする大西洋横断路線、およびヨーロッパ路線がメインであったが、その後徐々に路線網を拡張し、最盛期には世界一周路線を運航するまでになった。なお、日本路線はアメリカ占領当時の沖縄のみであったが、アメリカ軍チャーター等で横田基地板付基地などにたびたび飛来していた。

[編集] ハリウッドスター御用達

また、映画製作者としても有名であったヒューズの人脈から、ハリウッドスター御用達航空会社としても知られており、キャサリン・ヘップバーンフランク・シナトラハンフリー・ボガートなど多くの映画スターが移動に利用しただけでなく、映画やレコードのジャケットに同社の飛行機が登場している(フランク・シナトラのアルバムカム・フライ・ウィズ・ミー」のジャケットは特に有名)。

[編集] ヒューズとの離別

ボーイング747

その後、経営方針をめぐりヒューズと役員会が対立したことを受けて、ヒューズは1966年に保有する株の多くを手放し、経営から手を引くこととなった。ヒューズが去ったことで経営方針が変わり、1967年には、世界最大級のホテルチェーンであるヒルトン・インターナショナルを買収するなど、順調な業績を元に事業の多角化を進めた。

さらに1970年代に入っても、最新鋭機のボーイング747型機の導入や、同型機の超長距離型であるボーイング747SPの導入など、積極的な国際線網の展開を進めた。

[編集] 業績悪化

しかし、1978年に時のジミー・カーター政権によってもたらされたディレギュレーション(航空業界の規制緩和)後は、国内外で厳しい価格競争にさらされ業績が次第に悪化していった。その上に1985年には、トランスワールド航空847便テロ事件が発生するなど、テロの標的ともなってしまう。

その後、1980年代中盤にかけては、何度かカール・アイカーンなどの投資家による企業買収に晒され経営者が代わるなどの異変はあったものの、空の黄金時代をともに謳歌したパンアメリカン航空やブラニフ航空イースタン航空などの大手航空会社が、厳しい競争に敗れ次々に破産や吸収合併により消えていく中、国際線をはじめとする主要路線の売却や、ハブ空港のミズーリ州セントルイスへの移転などで何とか生き残っていた。

[編集] 消滅

800便の残骸

しかし、1990年代に入ると湾岸戦争による燃料費の高騰や格安航空会社の台頭などから慢性的な経営不振に陥り、1992年1995年には相次いで破産申請を行うものの運航は継続していた。なお、この頃事実上初の日本路線としてセントルイス~成田線を開設する計画があった。

しかし、1996年ニューヨーク州のロングアイランド沖でパリ行きの800便のボーイング747型機が、燃料タンクの構造的欠陥がもとで爆発、空中分解して墜落し、230人の乗員・乗客全員が死亡する事故(トランスワールド航空800便墜落事故)が起きるなど不運が重なり、ついには2001年にライバルの一つであるアメリカン航空に吸収合併されてしまった。

吸収合併後もしばらくの間、多くの元トランス・ワールド航空の機材はアメリカン航空の銀色のペイントに「Trans World」のブランドロゴが入ったままで運航していたが、現在はその様な機材も姿を消し、トランス・ワールド航空は完全に消滅した。

[編集] 遺産

ジョン・F・ケネディ国際空港第5ターミナル

ボーイング707などの大型ジェット機の就航に対応すべくフィンランド生まれの建築家エーロ・サーリネンが設計したニューヨークジョン・F・ケネディ国際空港のトランス・ワールド航空専用ターミナル(ターミナル5)は、そのデザインの美しさから歴史的建造物として高い評価を受けている。

また、そのデザインの美しさから「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」など多くの映画に、1960年代という航空業界の黄金時代を代表するアイコンとして出演している。2005年12月現在は改装工事中で、完成後は新興格安航空会社ジェットブルー航空の専用ターミナルになる。

[編集] 運航した機材(一部)


なお、トランスワールド航空が発注したボーイング社製航空機の顧客番号(カスタマーコード)は31で、航空機の形式名は747-131, 747SP-31, 767-231 などとなっていた。

[編集] 主な就航先

[編集] 系列会社

  • Trans World Express(TW Express)


[編集] 航空事故

  • TWAは黄金期を築き上げた航空会社である以上、多くの航空事故を起こすことになってしまった。以下、その一部を紹介する。
日付 1950年 8月31日 便名 903便 インドボンベイエジプトカイロイタリアローマアメリカニューヨーク
機種 ロッキード L-749 コンステレーション 死者 乗員乗客55人全員死亡。
状況 カイロ国際空港を離陸後、機体火災を起こして砂漠に墜落。
原因 潤滑油の異常によりペアリングが破壊したため。
備考
日付 1956年 6月30日 便名 002便 アメリカロサンゼルスカンザスシティワシントンD.C
機種 ロッキード スーパーコンステレーション 死者 両機の乗員乗客128人全員死亡。
状況 グランドキャニオン上空でユナイテッド航空718便のDC-7機と空中衝突、両機とも墜落。(グランドキャニオン空中衝突事故
原因 双方の旅客機操縦乗員の見張り不足や、当時の計器飛行をキャンセルして航空路をショートカットOKという事実が原因。
備考 下記のように、ユナイテッド航空とは、1960年にも空中衝突事故を起こしている。
日付 1960年 12月16日 便名 266便 アメリカデイトナオハイオ州コロンバスニューヨーク
機種 ロッキード L-1049 スーパーコンステレーション 死者 両機の乗員乗客128人全員死亡+地上の6人も死亡
状況 ニューヨーク市スタテンアイランドミラー空軍基地上空でユナイテッド航空826便のDC-8機と空中衝突、両機とも墜落。(1960年ニューヨーク空中衝突事故
原因 ユナイテッド航空のパイロットが計器表示を誤解し予定航路を約15km逸脱したため。TWAに責任はなかった。
備考 この事故は当時世界最悪の航空事故であった。
日付 1974年 9月8日 便名 841便 イスラエルテルアビブギリシャアテネイタリアローマ→アメリカ・ニューヨーク
機種 ボーイング707 死者 乗員乗客88名全員死亡。
状況 イオニア海上空を飛行中に救難信号なしに突如墜落。(トランスワールド航空841便爆破事件
原因 爆弾テロにより操縦不能になったため。
備考 ベイルートパレスチナ解放機構が犯行声明を出している。
日付 1996年 7月17日 便名 アメリカニューヨークフランスパリ
機種 ボーイング747-100 死者 乗員乗客230名全員死亡。
状況 JFKを離陸した12分後、突然空中爆発しニューヨーク州ロングアイランド沖の大西洋に墜落。(トランスワールド航空800便墜落事故
原因 配線ショートによる火花が燃料タンク内で気化していたガスに引火したため。
備考 事故後TWAの副社長は「TWAに責任はないはずだ」と責任逃れをしようとしたが、上記の通り、2001年アメリカン航空に吸収合併された。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク