スイス航空111便墜落事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
スイス航空111便
28as - Swissair MD-11; HB-IWF@ZRH;14.07.1998 (4713082874).jpg
1998年4月、チューリッヒ空港にて撮影された事故機(HB-IWF)
概要
日付 1998年9月2日
原因 機内火災および判断ミスによる墜落
場所 カナダの旗 カナダノバスコシア州沿岸の大西洋
死者 229
負傷者 0
航空機
機体 マクドネル・ダグラスMD-11
運用者 Flag of Switzerland.svgスイス航空
機体記号 HB-IWF
乗客数 215
乗員数 14
生存者 0
テンプレートを表示
111便 (機体記号HB-IWF) のCG

スイス航空111便墜落事故 (Swissair Flight 111) とは、大西洋を横断飛行しようとしていたスイス航空 (Swissair) のMD-11マクドネル・ダグラス社製)で電気系統のショートによる火災が発生し、緊急着陸の途中で操縦不能に陥りカナダノバスコシア州沿岸の大西洋上に墜落した事故である。

事故の概略[編集]

1998年9月2日アメリカニューヨークジョン・F・ケネディ国際空港をアメリカ東部夏時間(EDT) の午後8時18分(UTC:0時18分)に離陸し、スイスジュネーヴコアントラン国際空港に向かっていたスイス航空111便(SR111、デルタ航空との共同運航便でデルタ航空111便でもあった)はMD-11(機体記号HB-IWF、1991年製造)で運航されていた。

高度33,000フィート(およそ10,060メートル)を巡航中であった大西洋標準時 (AST) 午後10時10分(UTC:午前1時10分)に運航乗務員がコックピットで異臭がすることに気付いた。「空調システムからの軽微なにおい」との認識により、通常の処置として空調システムの吹き出し口を客室乗務員に命じて閉じさせたことで一旦は異臭がしなくなった。ところがその4分後には、異臭に加えて目視できるほどの煙が発生した。このため、最寄の空港への緊急着陸を決意し、AST午後10時14分(UTC:午前1時14分)、管轄するモンクトン航空路管制センター (ACC) に国際緊急信号 "Pan-Pan" を送信した。 "Pan-Pan" は「緊急」を意味するが、差し迫った「危険」を示すものではなく、また、「遭難」を表す "Mayday" を発信していないことから、この段階ではまだコックピット内に「墜落」までの危機意識を感じさせるものはなかったと思われる。

管制官に対して、乗員は当初、およそ300海里(およそ550キロメートル)後方のボストンローガン国際空港への誘導を要請し、一旦は受理された。しかし、この時の当該機位置はカナダ・ノバスコシア州ハリファックスの南西56海里(およそ100キロメートル)だったため、管制官はボストンよりも近いハリファックス国際空港に着陸することを降下開始直後に打診、SR111もこれを選択する意思を示し、ただちに同空港への直行が許可された[1]。この時点で乗員は酸素マスクを装着し、機長は操縦を副操縦士にまかせ、自らは煙発生時の対応に関するスイス航空の標準機内マニュアルを調べ始めた。

AST午後10時19分(UTC:午前1時19分)、ハリファックスからおよそ 50キロメートルの地点まで近づいたが、高度が依然 21,000フィートと高すぎた。また、着陸するには燃料の搭載量が多く、重量オーバーになる可能性があったため午後10時20分に111便から管制官に対して、一旦進入コースを逸れ、燃料投棄を行いながら旋回して高度を下げる旨を通知した。機内マニュアルでは出所不明の煙に対してはキャビンの電源を切ることとされていたが、これによって空気循環ファンも停止してしまったため火の回りを早めることとなり、コックピット内に煙が充満した。午後10時24分(UTC:午前1時24分)、クルーによって緊急事態が宣言された。直後に機長は操縦席を離れ、コックピット後方の消火を試みたと思われるが二度と戻らなかった。炎に巻き込まれたか、窒息死したものと推定されている。その後、照明、操縦計器類、オートパイロットなどが次々とダウンし、操縦が困難になった。残された副操縦士は、墜落のおよそ1分前までは生存しており、このとき第2エンジンを手動で停止したことが判明している。ハリファックスとモンクトンに設置されていた地震計が午後10時31分(UTC:1時31分) に記録した衝撃が当該機の海上への墜落を示した。

この事故で乗客215名、乗員14名の計229名全員が犠牲となった。事故機にはアメリカの著名人数名(WHOエイズプログラムの元主任者、ジョナサン・マン夫妻や、ボクシング元世界チャンピオン、ジェイク・ラモッタの息子、ジョセフ・ラモッタもいた)が搭乗していた他、ピカソなどの芸術品が輸送されていたが、その全てが永遠に失われてしまうこととなった。

事故原因[編集]

事故機の残骸を捜索するカナダ沿岸警備隊カナダ海軍アメリカ海軍の艦船

事故機の大部分の残骸は水深55メートルの海底に水没し、細かい部品の中には漂流して海岸に流れ着いたものも少なくなかった。機体の残骸はカナダの浚渫船により海底の泥ごと集め、その後、泥と分離するという方法で回収され、最終的には機体の98パーセントの残骸が回収された。それらの残骸は格納庫の中に三次元モックアップで組み立てられ、様々な分野の専門家による調査が行われた。フライトレコーダーボイスレコーダーは発見されたが、記録はいずれも墜落6分前の高度10,000フィートを飛行していたAST午後10時25分41秒(UTC:1時25分)の時点で終了していた。機体の残骸の調査と、失われたフライトデータの実証による事故原因の追究には5年の歳月と、調査費用としてはカナダの航空事故史上最高額となる3,900万USドル(5,700万カナダドル、およそ45億円)の巨額が費やされた。

TSB(カナダ運輸安全委員会)とNTSB(アメリカ国家運輸安全委員会)からなる合同事故調査委員会が2003年に公表した最終報告によると、事故の引き金となった火災は機首部の天井裏から発生した。ビジネスクラスのエンターテイメントシステムの電気配線が不完全であったためアーク(火花)が発生、この配線にアーク放電に対する保護機能が備わっていなかったうえ、近辺の絶縁皮膜材が可燃性のものであったことから、断熱材(ポリエチレンテレフタレート)にも引火してしまったというものであった。また、この箇所での火災発生を検知・警報する装置は無く[2]、非常事態の認識が遅くなったこと、火災による煙が充満し操縦席のCRTディスプレイが見えにくかったことに重ね、コックピットの配線も類焼し故障したために、盲目飛行に陥ったということであった。フライトレコーダーなども電気系統の電力喪失により、墜落の6分前から作動していなかった。これらの原因により、111便は操縦不能のまま猛烈な速度で、海面にほとんど逆さまの状態でたたきつけられ、瞬間的に搭乗していた人間もろとも破壊されたとされた。着水時の衝撃は350Gに達し、遺体もバラバラとなった。

事故調査委員会の報告では、火の回りが速かったため、初めに異臭に気付いた時点でハリファックス国際空港に直行するコースをとっていたとしても、辿り着く前に墜落していたであろうと結論付けられた。報告によると、最寄のハリファックス空港へ最適な緊急降下を始めるにはAST午後10時14分18秒がリミットであり、その場合午後10時27分に着陸することができた。しかし、この時間はちょうど国際緊急信号 "Pan-Pan" を発信していた時刻であり、緊急着陸を決断していなかったこと、実際には管制関係を考慮すると2 - 3分余分に時間が必要であることから、緊急着陸降下を開始するタイミングは遅れ、間に合わなかったと予想されるためである。この報告書は、機体システムの機能低下を考慮していない理論的参考値と断っているが、いずれにしても111便の生還は火災が発生した時点で、ほぼ絶望的であったとされている[3]

再発防止策とその後[編集]

事故報告書は、航空機メーカーに対して、断熱材としてポリエチレンテレフタレートの使用を禁止するように答申した。ポリエチレンテレフタレートは自己消火性があるということ、難燃性素材として断熱材に採用されていたが、求められた基準が十分では無かった。また事故後、電気系統からの火災発生場所を全て確認しなければならないとしていたマニュアルを、火災発生時の非常事態に対応しやすいように改善された。

なお、遺族への賠償は航空会社と製造メーカーによって1999年9月に支払われることになったが、絶縁皮膜を製造したアメリカの化学メーカーに対する損害賠償訴訟は2002年2月にアメリカ合衆国連邦裁判所によって訴えが退けられた。1990年代後半から経営が悪化していたスイス航空はこの事故で大打撃を受けることになり、さらには2001年のアメリカ同時多発テロの影響を受けて最終的に破産している。

慰霊施設[編集]

Bayswaterにある事故の慰霊碑

カナダ政府により二つの慰霊施設が建立された。

  • ひとつは追悼碑が推定墜落地点の北東にあるペギーズコーブ (Peggys Cove) 北西1キロメートルのホエールズバック (Whalesback) 岬に、
  • もう一つはホエールズバック施設とセントマーガレット湾を挟んだ対岸のアスポトガン半島のベイズウォーター (Bayswater) にあり、こちらは前者よりやや規模が大きく、犠牲者全員の名前が記された碑のほか、最後まで身元が確認できなかった遺体が埋葬されている。
  • 上記2施設と墜落地点は概ね正三角形を成しており、相互が水平線上に見渡せるようになっている。

参考文献[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 事故報告書 事故概要(公式、英文)”. カナダ運輸安全委員会. 2010年2月4日閲覧。
  2. ^ 事故報告書 結論部(公式、英文)”. カナダ運輸安全委員会. 2010年2月4日閲覧。
  3. ^ 加藤寛一郎 『まさかの墜落』大和書房 2007年

関連項目[編集]

作品[編集]

メーデー!/航空機事故の真実と真相のシーズン1の第3話『機内火災』でスイス航空111便墜落事故が使われている。

外部リンク[編集]