ユナイテッド・ステーツ (客船)

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ユナイテッド・ステーツ
船歴
船籍 アメリカ合衆国の国旗アメリカ合衆国
所有 ユナイテッド・ステーツ・ライン
母港 ニューヨーク
発注 1950年
建造 ノースロップ・グラマン・ニューポート・ニューズ
着工 1950年2月8日
進水 1951年6月23日
竣工 1952年
洗礼 1952年
就役 1952年7月3日
除籍 1969年
その後 複数の船主の手を経てフィラデルフィアに係留中
マイアミのNCL社が買収
性能諸元
総トン数 53,329トン
全長 990フィート ( 301.8m )
全幅 101フィート ( 30.8m )
型幅 31.0m
デッキ数 12
機関 フォスター・ホイーラーウェスティングハウス 蒸気タービン 8機
出力 220,000馬力
(公試では24,1785馬力を記録)
推進軸 2段減速 4軸
最大速 35.6ノット
(約 65.93 km/h ブルーリボン賞受賞時)
38.32ノット
(約 70.97 km/h 公試記録速度)
乗客 1920名
  • 一等船客:871名
  • 二等船客:508名
  • 三等船客:549名
乗務員 900人
姉妹船 アメリカ

ユナイテッド・ステーツ(SS United states、通称「The Big U」)は、1952年に建造されたオーシャン・ライナーで、ユナイテッド・ステーツ・ライン所属。

総トン数53,329トンの巨大な旅客船で、1952年の処女航海ブルーリボン賞を受賞したことにより、ユナイテッド・ステーツ・ラインのフラッグシップをつとめることとなった。また、ユナイテッド・ステーツがブルーリボン賞を受賞したことにより、これまでヨーロッパの船舶が独占していたブルーリボンを10年ぶりに更新することとなった。ユナイテッド・ステーツの記録は1990年に東回り航路を塗り替えられたが、西回り航路は未だに保持している。

ユナイテッド・ステーツは同船を所有していたユナイテッド・ステーツ・ライン貨物輸送専業となった事により1969年に営業を停止、以来フィラデルフィアドック係留されている。2003年には大手クルーズ企業の一つ、ノルウェージャン・クルーズラインが同船買収・取得した。同社では何度かクルーズ船への現役復帰を計画したが、船体内部に大量に使用されているアスベストの処理の問題や機関修復の困難さ、同社の財務状況などの要因から実現には至っていない。2009年には、NCLは同船の売却を検討していると伝えられた。

建造[編集]

第二次世界大戦中、イギリスの客船クイーン・メリークイーン・エリザベスは徴用され、数百人から数千人の兵士を輸送していた。アメリカ合衆国政府はその補助としてより多数の兵士を輸送可能な船舶を建造することを決定した。設計は数々のアメリカ船舶を手がけてきた著名な技師のウィリアム・フランシス・ギブスに依頼し、建造はアメリカ海軍とユナイテッド・ステーツ・ラインの共同で行うこととなった。この船舶の建造費78,000,000ドルのうち50,000,000ドルをアメリカ政府が援助し、残りの28,000,000ドルをユナイテッド・ステーツ・ラインが負担することとなった。さらにこの船舶は容易に輸送船に改装でき、15,000名の兵士を輸送できるように設計され、必要に応じて病院船に転用することも可能であった。

ユナイテッド・ステーツは1950年~1952年にかけて、ノースロップ・グラマン・ニューポート・ニューズ乾ドックで建造された。有事の際には軍艦として徴用される計画があったため、ユナイテッド・ステーツは攻撃を受けても沈みづらい海軍仕様で建造された。

また、火災の被害を最小限に抑えるため、内装や調度品には木製の部品が一切使用されておらず、船内の設備や家具類にはガラスや金属など、耐火性に優れた材料が使用され、客室の洋服ハンガーまでアルミ合金製であった。これにより、ユナイテッド・ステーツは海軍の耐火基準を満たすことができた。唯一木製だったのはビルジキールギャレーの一部であり、ボールルームピアノは耐火性に優れた珍しい種類の木材が使われた。

ユナイテッド・ステーツはほとんどがアルミ合金で作られており、鋼鉄の下層部とアルミの上層部を接合するために特殊な技術が使われた。また、アルミを使用したことで大幅な軽量化にも成功した。ユナイテッド・ステーツはパナマ運河を通過できるパナマックスであったが、船体の幅が105フィート(32m)であったため、運河の通過時には壁との隙間が2フィート(0.6m)しかなかった。

ユナイテッド・ステーツは当時最も馬力のあるエンジンを積んでいたため、後進の速度が20ノット(37.04 km/h)を超え、航続距離が10,000マイル(18,520km)に伸びた。

就航[編集]

1952年7月4日、ユナイテッド・ステーツはニューヨーク~イギリス間を3日10時間40分、平均速力35.59ノット(約65.91 km/h)で横断し、14年前のクイーン・メリーの記録を10時間以上上回った。また、アメリカへの復路(西回り航路にあたる)では、3日12時間12分、平均速力34.51ノット(約63.91 km/h)という記録を打ちたてたため、ユナイテッド・ステーツは西回り・東回り航路両方のブルーリボン賞を獲得し、就役後も巡航速力30ノット(約55.56 km/h)を17年間維持した。このため、ユナイテッド・ステーツは「キュナード・ラインクイーン・メリークイーン・エリザベスのライバルにふさわしい船舶だ」と評価された。

しかしユナイテッド・ステーツの最高速力については故意に誇張され、何年間もそれが信じられてきてしまったという問題がある。速力のテストが終了した後の記者会見で、エンジニアたちは、ユナイテッド・ステーツの最高速力は(実際ではありえない)43ノット(約79.63 km/h)であると発表し、1977年に実際の速力が38.3ノット(約70.93 km/h)であるということが発表されるまで信じられてきてしまった。一般的に、プレーニングの無い排水型の船では、単胴の船体と通常のプロペラスクリュー)の組み合わせの場合、40ノット付近が限界速度といわれており、これを超える高速船には特別な工夫が施されている。

退役[編集]

就航した1950年代には、ダグラスDC-6ロッキード コンステレーションなどの大型旅客機が大西洋横断路線に就航し、さらに1958年には、大型ジェット旅客機のボーイング707が就航しロンドン-ニューヨーク間を6時間程度で結ぶとともに、運賃も低下したことにより、1960年代に入りユナイテッド・ステーツをはじめとする大西洋横断定期船の乗客は急激に減ることになった。

1969年にユナイテッド・ステーツが定期点検を受けた際、所有する海運企業がユナイテッド・ステーツの営業停止を決定させ、しばらくユナイテッド・ステーツはニューポート・ニューズ係留されていた。数年後にはノーフォークに移動させられ、以降複数の船主の手に渡ることとなる。最初はタイムシェア形式で売却され、オークションを経て連邦海事局に渡った。ユナイテッド・ステーツは有事の際には軍艦として改装できるように設計されていたため、輸送船や病院船への転用の計画があったが、結局実現することはなかった。

1984年、船の家具類が売却され、ノースカロライナ州レストランにおさまった(現在、家具類は同店のレストラン・バー・ラウンジルームのテーブルや椅子として使用中)。1992年には新しい船主の手にわたり、トルコウクライナに曳航されたのち、アスベスト除去を行った。最終的にはフィラデルフィアドックに落ち着き、1996年以来ここに係留されている。ユナイテッド・ステーツはペンシルベニア州州間高速道路95や、コロンバス通りに面した店イケアから臨むことができる。

ブルーリボン賞についても、東回り航路は1990年ホバースピード・グレートブリテンに奪われたが、西回り航路は未だに保持している。

1999年には、ユナイテッド・ステーツ財団とユナイテッド・ステーツ協会(両方ともユナイテッド・ステーツを保存する会にあたる)の働きかけにより、国定歴史建造物に指定されている。

ギャラリー[編集]

参考文献[編集]

  • 野間恒「有名客船物語 ユナイテッド・ステーツ/アメリカ」『世界の艦船』414号、1989年
記録
先代:
クイーン・メリー
ブルーリボン賞 (船舶) (西回り航路)保持船舶
1952年~現在
次代:
無し
ブルーリボン賞 (船舶) (東回り航路)保持船舶
1952年~1990年
次代:
ホバースピード・グレートブリテン