F-15 (戦闘機)
F-15 イーグル
F-15は、アメリカ合衆国のマクダネル・ダグラス社(現ボーイング社)の開発した制空戦闘機。愛称はイーグル(鷲)(Eagle)。
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概要 [編集]
アメリカ空軍などで運用されたF-4の後継として開発された大型制空戦闘機で、第4世代ジェット戦闘機に分類される。 大推力のターボファンエンジンを2基搭載し、高出力パルスドップラー・レーダーと中射程空対空ミサイルの運用能力を持つ。後継機であるF-22が戦力化された現在でも世界最高峰の性能を誇り、F-15のパイロットは機体の愛称から「EAGLE DRIVER」と呼ばれる。
二枚の垂直尾翼を持つとはいえ、平凡な平面形の主翼に水平安定版を組み合わせた保守的な設計だが、当時としては画期的な機動性を実現した機体である[1]。また数々の実戦経験がありながら、採用国は2010年現在までに空中戦における被撃墜記録は無いとしている[2]。単座型と複座型の2種類があるが、飛行性能や戦闘能力に大きな差はない。
当時は一機当りのコストが約3,000万ドル(アメリカ空軍での単価)と高価な機体となったため、アメリカ空軍でもF-16との「Hi-Lo-Mix」運用を甘受することとなり、輸出先は政治・軍事的に親密な経済大国のみに限られていた(後継機F-22が開発され、派生型であるF-15Eの生産が進むにつれてこの傾向は薄れた)。新造機からの運用はアメリカ空軍による877機の他イスラエル・日本・サウジアラビアの3ヵ国の合計356機(ライセンス生産を含む)、総計1,233機で生産を終了した。
F-4と共に、冷戦下のアメリカ空軍とマクダネル・ダグラス社を代表する戦闘機といえる。
開発の経緯 [編集]
- 前史
1956年に配備の始まったサイドワインダーを装備したF-86戦闘機が、1958年の台湾海峡における金門砲戦時の大規模な空中戦などで戦果をあげた[3]事例等から、アメリカ空軍では今後の戦闘機同士の戦闘は「遠距離から射程の長いミサイルを発射して相手を撃墜するものになる」という「ミサイル万能論」が主流となり、空対空兵装としての機関砲は軽視されるようになっていった。また、1950年代のソ連によるM-4(バイソン)、Tu-95(ベア)といった新型爆撃機の配備を重大な脅威として対応する必要を唱える「ボマーギャップ」論が広まった。そのためにアメリカ空軍は、要撃機と爆撃能力の拡充に重点を置くこととなった。
これらの結果、新規開発の比重は対戦闘機戦闘を主目的とした制空戦闘機から、(核)ミサイルによる爆撃機要撃のためのF-102の様な要撃戦闘機や、対地攻撃力を補充するF-105の様な戦闘爆撃機に移っていった。当初、F-86の後継とされたF-100も戦闘爆撃機に転用され、F-101やF-104も運動性を軽視した仕様となった。
結果、アメリカ空軍はベトナム戦争開始時期に充分な格闘戦能力を持つ機体を保有しておらず、緒戦での同士討ちを契機に定められた交戦規定(有視界外戦闘を禁止)により、旧式のMiG-17との格闘戦闘に巻き込まれて苦戦を強いられた。ただし1961年当時の国防長官のロバート・マクナマラの推し進めた空海両軍の機種統一により導入したF-4戦闘機が、比較的機動性に優れていたためベトナム戦争を凌ぐことはできた。
さらにマクナマラはコスト削減と合理化を図るべく、空軍主体で開発する戦闘爆撃機を海軍向けに艦隊防空用の要撃機に発達させ共通化を図るTFX計画を進めたが、重量増加、エンジン(TF30)のストール、アメリカ海軍用の新ミサイル(AIM-54)や新火器管制装置(AWG-9)の開発遅延といった問題の結果、空軍用のF-111Aのみ実用となったものの、コスト高や運動性能等の問題を抱えていた。
- F-X開発
海軍はTFX実用化断念後の1965年に、次期戦闘攻撃機VFAX(後に中止)や次期戦闘機VFX(後のF-14)の開発研究を開始していた。空軍もF-111どころかF-4さえ重すぎて制空戦闘に不適と考え、同年4月、F-Xの開発研究に着手した。
1966年3月、ノースアメリカン・ロックウェル、ロッキード、ボーイングの3社とTactical Support Aircraft(戦術支援機)に関する4ヶ月間の概念作成研究契約を締結した。同年9月3社の研究結果の評価を完了したが、開発方針の決定には至らなかった。その概要は以下の通りである。
- 機体重量約27トン(60,000lb+)
- 瞬間最大速度マッハ2.7、最大速度マッハ2.5
- 推力重量比0.75
- F-111よりも良好な加速・上昇等飛行性能を有し、可変後退翼を備える
- 中射程空対空ミサイル・爆弾を装備
この時期、1967年7月に行われたモスクワ・ドモジェドヴォ空港での航空ショーでMiG-25が突如出現し、上空を高速で通過していった。周到に演出されたこのフライパスのみならず、ソ連はこの航空ショーに、MiG-23・Su-15を初めとした試作機や実験機を含む多種の機体を第3世代ジェット戦闘機として出品し、これらに大きな衝撃を受けた西側の航空機専門家はソ連の意図通りにその実体以上の過大な評価を下した。アメリカ空軍首脳も公開された機体に対抗し得る機体を自軍に保有していないと考え、ソ連の爆撃機に加え、戦闘機にも危機感を募らせていった。
空軍での制空戦闘機の検討時期に、各方面のキーマンからファイター・マフィアと呼ばれる少人数のグループが出現していた。その中の一人、ジョン・ボイドは自らのF-100による戦技教官としての経験を体系化し、それに熱力学を応用した「エネルギー機動性理論」を基にした判断によりF-Xの最初の提案要求(RFP)を却下し最終版に改定した[4]。
1967年8月にマクドネル・ダグラスおよびジェネラル・ダイナミクスの2社と、戦闘機に関する6ヶ月の概念作成契約を締結した。
モスクワ航空ショーの翌年の1968年9月に、アメリカ空軍は国内の航空機メーカー8社と研究契約を結びRFPを出した。RFPの主な内容は以下の通りであった。
- マッハ0.9、高度30,000フィートにおける高G機動で異常振動を生じない
- 上記空力特性を持つ翼を使い、広い飛行速度高度域で充分なエネルギー/運動能力を持つ
- 空中給油、または増槽のみで大陸間の長距離回送飛行が可能
- 搭載兵器は全任務に対して一人で操作可能
- 現実的な空対空戦闘を想定して4,000飛行時間の疲労寿命の安全係数を4として試験で証明する
- 最新の技術を利用した操縦席艤装を行い、特に近接格闘戦ではヘッドアップディスプレイを利用する
- 理論整備工数は1飛行時間あたり11.3人/時
- 構成機器の平均故障時間は上記整備工数内で対応
- 操縦席の視界は360°確保すること
- 主エンジンは機内設備のみで起動できること
- 機体構造、電気、油圧、操縦装置は戦闘状況下で無事に基地に帰投できる高度の生存性を持つ
- 対戦闘機戦闘装備状態の総重量は40,000ポンド(約18.1トン)級
- サブシステム、構成部品、装備品は少なくとも試作品による実証済みのものに限る
- 最大速度は高空においてマッハ2.5
- 自機よりも低高度の監視能力を持つ長距離パルス・ドップラー・レーダーを備える
これらに加え、試作競争は実施しないこととしていた。
1968年12月、提出された各社案を基にマクダネル・ダグラス、フェアチャイルド、ノースアメリカン・ロックウェルの3社を選出して、詳細提案のための6ヶ月の研究契約を結び、各社は期日通り設計案を提出した。フェアチャイルド社案は、胴体の両側の変形デルタの主翼の半幅にエンジンナセルを置き、二次元型空気取入口から排気口を一線上に配置した、双発一枚垂直尾翼の機体であった。ノースアメリカン・ロックウェル社案は、オージー翼を持つブレンデッドウィングボディ構成の胴体下に二次元型空気取入口を付けた、胴体内並列双発一枚垂直尾翼の機体だった。
これらに対しマクダネル・ダグラス社案の機体は、前縁45度というそれほど大きくない後退角を持つ、広い面積の主翼を持っていた。これは当時の超音速戦闘機には、まず採用されることのないものだった[5]。この時、マクドネル・ダグラス社は37,500ページにも及ぶ文書を提出、設計には大型計算機を用いて数千種類の機体形状を検討していた[6]。
- 原型機発注
1969年12月にアメリカ空軍は、マクダネル・ダグラス社と開発契約を結んだ。設計主任はジョージ・グラーフ、空力担当にはドン・マルバーンが就任した。また、セントルイスの工場では2基の空対空戦闘シミュレーターが開発され、研究に用いられた。本開発では900時間以上の設計改善が行われ、風洞実験では100種類以上の主翼形状の試験が行われた[6]。
F-4の戦訓も生かされた。双発でありながら、片方のエンジンの被弾後に両エンジンが停止したり、火災で墜落する事例が見られた[6]。このため、F-15ではエンジン間の縦通材とする等、エンジン周りにチタニウムを多用して耐熱性や強度を確保し、さらには消火システムを充実し、燃料タンク配置にも配慮が払われた[7]。
エンジンの開発はプラット・アンド・ホイットニーとゼネラル・エレクトリックの提案から、1970年3月にプラット・アンド・ホイットニーがF100ターボファンエンジンの開発契約を結んだ。初期推力試験は1972年3月末までに終了し、1年後には型式証明を取得するための試験を終了させた[7]。
レーダーはヒューズ社とウェスチングハウス社の提案から、1970年9月にヒューズ社のAPG-63レーダーを選定している[7]。
固定武装のM61A1機関砲には、当初フィルコ・フォード社で無薬莢式の弾薬を新規に開発し使用する予定であったが、不規則な弾道性能に対するフィルコ・フォード社からの開発期間の延長の申し入れを受け入れずに従来の弾薬を採用することとなった[7]。
1971年2月、アメリカ議会上院歳出委員会はF-14とF-15の比較検討を行い、F-14はF-15の任務をすべて果たせるが、F-15はF-14の任務をすべて果たすことはできないとF-15の劣性を指摘し、空軍・海軍共に同じ機種を採用すべきとの、F-111の教訓を省みない意見[要出典]が挙げられた。これに対し空軍は、F-14は艦隊防衛に特化した機体であり、F-15は機動性の高い制空戦闘機であると反論した。一方、アメリカ国防総省内部からはF-15を基本とした海軍型(艦上戦闘機)のF-15Nの検討を指示する動きもあった[7]。
開発にあたり当初12機、1972会計年度で8機の前生産型を発注し、それぞれ以下のような作業や試験が割り当てられた。
| F1 ( 1号機) | (71-0280) 性能領域の探求、運用特性、外部搭載物試験 |
| F2 ( 2号機) | エンジン試験 |
| F3 ( 3号機) | 電子装備開発、気流速度計測(これ以降の機体はAPG-63火器管制装置を搭載) |
| F4 ( 4号機) | 構造試験 |
| F5 ( 5号機) | 機関砲・兵装・兵装架射出試験(これ以降の機体はM61A1 ガトリング砲を搭載している) |
| F6 ( 6号機) | 電子装備試験、及び飛行制御・ミサイル発射評価 |
| F7 ( 7号機) | 兵装、燃料、兵装架 |
| F8 ( 8号機) | 異常姿勢特に錐もみ特性、高迎角評価 |
| F9 ( 9号機) | 機体、エンジン適合評価 |
| F10 (10号機) | レーダー、電子装備の試験 |
| T1 (11号機) | 複座型評価。後にF-15S/MTDとなる |
| T2 (12号機) | 複座型。マクダネル・ダグラス社の飛行実演機。後にF-15Eの試作機となる。 |
| F11 (13号機) | 実用試験 |
| F12 (14号機) | コンフォーマル・フューエル・タンク装備機:実用試験 |
| F13 (15号機) | 実用試験 |
| F14 (16号機) | 気象環境試験。試験終了後にイスラエルに売却 |
| F15 (17号機) | 使用されず、イスラエルに売却 |
| F16 (18号機) | 実用試験、及び飛行実演後にイスラエルに売却 |
| F17 (19号機) | 「ストリークイーグル計画」に使用 |
| F18 (20号機) | 使用されず、イスラエルに売却 |
1972年6月26日に初号機がマクダネル・ダグラス社セントルイス工場で完成。同日、ロールアウトを記念した式典が行われた。
後日一旦分解され、C-5輸送機によりカリフォルニア州のエドワーズ空軍基地への搬入・再組み立てを受け、7月27日にモハーヴェ砂漠上空でマクドネル・ダグラス社チーフテストパイロットのアービン・L・バローズにより、約50分間の初飛行を実施した。1973年7月には飛行回数1,000回を数え、その間に最大速度マッハ2.5、最大到達高度18,290mを記録している。
2年余りに及ぶ原型機による試験・評価作業による修正は以下の細部変更に止まり、原設計の堅実さを証明することとなった。
- 主翼端後部の切り落とし
- 水平安定板へのドッグ・トゥースの追加
- エア・ブレーキの大型化とそれに伴う開度制限
特徴 [編集]
- 機体
- 外形はF-111やF-14の可変後退翼、F-16のブレンデッドウィングボディといった新機軸を採用することなく、MiG-25やA-5といった前例のある肩翼配置クリップトデルタ翼に双垂直尾翼と全浮動の水平尾翼を配置した堅実な構成となった。
- 主翼は基本翼形のキャンバーを翼付け根前縁を頂点とした円錐に合わせて翼端では翼形全体までも湾曲させるコニカルキャンバーを与えることで前縁フラップを省略し、単純フラップと補助翼のみを動翼とした簡素なものである。主翼付け根の膨らみは、ストレーキ類似の離着陸性能と運動性向上の効果を持つ。この主翼付け根の膨らみは機関砲の内蔵スペースともなり、また、後方へ延長されて尾翼の取り付け部となっている。
- 胴体上面キャノピー後方に大型のエアブレーキを装備し、ドラッグシュートを廃止している。このエアブレーキは、アルミニウム・ハニカムと炭素繊維複合材(グラファイト・エポキシ)を組み合わせた軽量構造になっている。水平尾翼と垂直尾翼はチタン、間にアルミニウム・ハニカム、表面をボロン繊維複合材を使用し、軽量かつ強固な構造となった。他にも、軽量化と耐熱性強化のためにエンジン回りや主翼取り付け部の円矩等の要所で構造重量の25%以上に及ぶチタン合金を使用しており、外形からは窺えないF-15の特徴となっている。
- 機体最上面に張り出す涙滴型の風防は、単座型と複座型で大差がない程の大きな空間により、抵抗を増やさず360度の視界を確保している。初期の機体では高温強度の高いポリカーボネートにアクリルを拡散蒸着した材質だったが、紫外線による劣化で曇りが出たため強化アクリルガラスに変更された。
- 操縦系統は操縦桿・フットバーと舵面の油圧サーボ・シリンダーを機械的な結合で接続し、方向舵及び水平尾翼とのリンクに並行してCAS(Computer Augumentation System)を追加して安定増強や操舵補正を行っており、機械的な結合が破損しても飛行を継続できるが、F-16のようなフライ・バイ・ワイヤを使用したCCVではない。
- 電子装備
- 火器管制システムは高性能のレーダー(APG-63/70シリーズ)を中心とした高度の自動化設計により、単座運用を実現している。APG-63レーダーの最大探知距離は小型戦闘機程度の投影面積である目標に対しては100マイルとされている。搭載のデータリンクを使用した早期警戒管制機(AWACS)との連携により高度な迎撃能力を発揮する。機密性が高く輸出を許可していなかったTEWS(Tactical Electronic Warfare System:戦術電子戦システム)は、AN/ALR-56レーダー警戒受信機、AN/ALQ-128電子戦警戒装置、AN/ALQ-135内蔵妨害装置、AN/ALE-45 チャフ・フレア放出器を統合し、自動化を進めたものである。
- エンジン
- プラット・アンド・ホイットニー社のF100ターボファンエンジンを2基搭載する。初期型のF100-PW-100でも1基当たり10,810kgの推力を発揮するため、最小飛行重量に近い状態であれば推力重量比は1を超え、エンジン推力だけで垂直上昇を持続できることになる。実用上の意味はないが、高機動下における急激な運動エネルギー損失の回復に活かせる十分な余剰推力を持つことを意味している。
- 胴体の左右にある二次元型空気取入口は、上方4度下方11度で可動し、内部の可動式斜板やバイパス口と協調動作して様々な姿勢及び速度において、適切にエンジンへ外気を導入する。
- 持続時間制限を受けない最高速度はマッハ2.3であり、マッハ2.3を超え公称最高速度の2.5まではエンジン吸入空気温度その他の制限から1分間に制限されている。
- なおF-15Aでも高度10,000ft~45,000ft格闘戦時基準重量の33,000lb前後ならば、戦闘時推力により僅かながらマッハ1.0を超える速度での飛行が可能である。
- F-15のエンジンノズルにアイリス板が取り付けられていないのは、当初搭載してもすぐに落ちてしまうのが原因であった。そのためいまだ多くの機体はアイリス板を取り付けてない機体が多い。
- 武装
- F-15の武装はベトナム戦争の戦訓より固定装備とした右翼の付根前縁にある、装弾数940発のM61A1機関砲「バルカン」を始め、主翼下の2か所のパイロンの両側のサイドレールに計4発のAIM-9 サイドワインダー、胴体下面4か所のランチャーに計4発のAIM-7 スパローとなっている。
- M61A1 バルカン砲の940発という装弾数はF-4に比べて約50%増加しており、一秒間の射撃を14回行うことができる。機関砲の射線は空中戦用途を主として、機体の基準線から2度上に向けている。
- スパローのセミアクティブホーミング方式は目標への電波照射を母機から行うため、誘導部が簡単で小型軽量になる代わり、命中まで母機の運動を制約するという欠点を持つ。このため、半導体技術の進歩により誘導部の小型化を果たしたアメリカ軍のAIM-120 AMRAAM[8]や航空自衛隊の99式空対空誘導弾といった、アクティブホーミングミサイルの運用能力がF-15に追加されている。
- この他にも、各国向けの仕様の変更や使用武装の追加など様々な更新を制式採用以後も受けている。
- 対空戦闘に特化しているとの誤解もあるが、開発当初からMk-82、Mk-84汎用爆弾及びそれらから派生した各種誘導爆弾等を搭載可能である。火器管制装置の空対地モードはHUD表示により、対地射撃、(自動)投弾、投弾後の4Gプルアップを支援する[9]。
- 拡張性
- 約40年も前に設計された機体ながらも、将来の発展のための余裕を持たせた当初設計により、新型ミサイル対応、エンジンの換装、特にAWACSや早期警戒機を中核としたC4Iシステムの高度化に対応するための電子装備の更新による近代化改修に対応することで、ロシアのSu-27、国際共同開発のユーロファイター タイフーン、フランスのラファール等の新鋭機に伍して第一線での任務遂行能力を維持している。
ストリーク・イーグル [編集]
F-15の性能を示す一例として「ストリーク・イーグル」がある。これは1975年当時の上昇時間記録に対して、F-15原型機の内の1機を使用して更新を狙ったアメリカ空軍による企画[10]である。名称中のstreakには本来の「電光石火の」という意味とともに、機体塗装を剥がしてしまった改装から、当時流行した裸で人前を走り回る「ストリーキング」をかけている。これは記録更新機自体の名称にもなった。
1962年に行われたアメリカ海軍の「プロジェクト・ハイジャンプ」においてF-4は3,000、6,000、9,000、12,000、15,000、20,000、25,000、30,000mの8高度までの到達記録を更新した。 それに対して1973年にソビエト連邦はMiG-25の特殊改造機(Ye-266)により、20,000から30,000mまでの3つの記録を更新していた。本計画は国際機関の公認する上昇記録を、ソビエト連邦やアメリカ海軍から奪取することでアメリカ空軍の持つF-15の優位を誇示する狙いがあった。
原型5号機と19号機から約360kg軽い19号機を選び、レーダー・緊急用フック・機関砲など不要な装備品を取り外し、さらに塗装までも剥がして徹底的な軽量化を図った。ただし、特別な推力装置の追加といった改修・改造は施していない。計測は1975年の1月16日から2月1日にかけてノースダコタ州グランド・フォークス空軍基地で空軍のロジャー・スミス少佐、W・R・マクファーレン少佐、デイブ・ピーターソン少佐の操縦により行われた。その結果、以下の様に8つの上昇記録をすべて更新した。機体の改修に要したコストは210万ドルだった。
| 到達高度 | 従来記録[秒] | プロジェクト記録[秒] |
|---|---|---|
| 3,000m | 34.52 | 25.57 |
| 6,000m | 48.787 | 39.33 |
| 9,000m | 61.629 | 48.86 |
| 12,000m | 77.156 | 59.38 |
| 15,000m | 114.50 | 77.02 |
| 20,000m | 169.80 | 122.94 |
| 25,000m | 192.60 | 161.02 |
| 30,000m | 243.86 | 207.80 |
ソビエト連邦はこの記録更新に対して、同年5月にMiG-25の特殊改造機E-266Mにより25,000mを154秒、30,000mを189秒と更新しており、現在ではSu-27/P-42が3,000mから15,000mまでの記録を更新しているため、F-15は20,000mの記録のみ保持している。
アメリカ空軍での運用 [編集]
- 概要
- 1976年にバージニア州ラングレー空軍基地の第1戦術戦闘航空団がF-15Aを受領し、初の実戦部隊となる。以降、旧式化したF-4戦闘機と置き換える形でアメリカ国内の部隊や在日アメリカ空軍、在欧アメリカ空軍の部隊へ配備が行われた。
- 当初はF-15が制空戦闘機の役割を担う予定だったが、高価な機体であるためにアメリカ軍でも十分な数を調達し切れず、安価なF-16を開発して大量に配備する「Hi Lo Mix(ハイローミックス)」運用となっている[11]。この体制は、後継機種であるF-22とF-35にも引き継がれる。
- 当時、要撃機として運用されていたF-106戦闘機の老朽化が進み、その後継としてアメリカ海軍のF-14と採用を争った。しかし、従来のアメリカ空軍がソ連のアメリカ本土攻撃能力を過剰に警戒していた事の反動から、要撃機の配備は優先課題とはみなされず、結果としてどちらにも決定されないまま立ち消えとなった。結局はF-106が戦術航空軍団から退役するに伴い、なし崩し的に既に配備されていたF-15が要撃任務を引き継ぐ恰好になった。また1980年代には空軍州兵へのF-15の配備も行われ、F-16とともに要撃任務を引き継いだ[12]。
- 最終的なアメリカ空軍のF-15A/B/C/D購入数は911機であった。現在は派生型のF-15Eや、後継機であるF-22の調達により数を減らしている。2009年10月には、最後のF-15A/Bがオレゴン空軍州兵から退役した。米軍のウェブサイトによれば、2012年5月現在の全軍(空軍州兵を含めた)のF-15C/Dの保有数は249機となっている。
- 部隊配備
- アメリカ空軍はまず、1974年11月14日にアリゾナ州にあるルーク空軍基地の第58戦術戦闘訓練航空団に複座型の量産一号機を配備し、以降も優先的にこの部隊へ配備を進めた。この部隊では後に編成される部隊の中核要員として、ベトナム戦争の従軍経験のあるF-4やF-104の飛行経験が豊富な操縦士を主体に機種転換訓練を実施した。
- 1976年1月9日にバージニア州ラングレー空軍基地の第1戦術戦闘航空団が、F-15Aと機種転換訓練を終えた操縦士の編入により最初の実戦部隊となった。以降はアメリカ国内のF-4部隊の更新が続き、1979年までにニューメキシコ州ホロマン空軍基地の第49戦術戦闘航空団、フロリダ州エグリン基地の第33戦術戦闘航空団がF-15A/Bの受領を開始した。
- また、1980年からは生産がF-15C/Dに切り替わり、F-4およびA/B型を並行して更新することとなった。C/D型は1988年までに、ホロマン空軍基地の第49戦術戦闘航空団を除くF-15を運用するすべての実戦部隊に配備された。余剰となったF-15A/Bは第58戦術戦闘訓練航空団の後身である第405戦術訓練航空団や、新たに編成されたフロリダ州ティンダル空軍基地の第325戦術訓練航空団へ配備された。また、アメリカ空軍の予備部隊とも言える米空軍州兵(Air National Guard)や、2005年には第65アグレッサー飛行隊へ余剰となったF-15の配備も行われている。
- アメリカ本土以外での最初の配備は、1977年1月5日から西ドイツ西部のビットブルク空軍基地駐留の第36戦術戦闘航空団へ行われ、F-15A/Bの約80機、3個飛行隊が編成され、ワルシャワ条約機構軍攻撃機の迎撃の任務に就いた[13]。1980年からは順次F-15C/Dへと更新されている。
- 次は1978年9月に、オランダのソエステルベル基地第32戦術戦闘飛行隊に配備された。アムステルダムに近いこの基地が選ばれたのは、ワルシャワ機構軍が西ドイツに侵攻する場合、ソビエト軍の長距離爆撃機が北海やバルト海から侵入すると予想されていたためである。
- 1985年には、アイスランドの第57戦闘迎撃飛行隊に配備されたF-4と入れ替えが行われた。この部隊もソビエト軍長距離爆撃機の迎撃任務を主としていた。尚、同飛行隊はF-15C/Dを運用する飛行隊の中で唯一、コンフォーマル・フューエル・タンクを常に装着して運用を行っていた。
- 極東では1979年に日本の嘉手納空軍基地に所属する第18戦術戦闘航空団の老朽化したF-4の交替機としてF-15C/Dを順次配備し、1980年8月に3個飛行隊すべての更新を完了した。
- 冷戦の終結以降は旧東側、現在では北大西洋条約機構(NATO)の一員となっているルーマニアのコスタンツァ基地など、多くのNATO軍基地にF-15が展開している。
- また2010年のハワイ空軍州兵(第154航空団第199戦闘飛行隊)でのF-15運用終了後、F-22の戦力化までモンタナ空軍州兵のF-15がハワイに派遣される。[14]
- 退役と後継機
- 一方で、後継機のF-22などの配備およびF-35への配備準備に伴い更新が進められている。
- まず、フロリダ州ティンダル空軍基地の転換訓練飛行隊へのF-22配備が2002年から行われた。次に2005年にラングレー空軍基地の第1戦闘航空団に編成されているF-15の3個飛行隊のうち、2個飛行隊がF-22に更新された。その後アラスカ州エルメンドルフ空軍基地とニューメキシコ州ホロマン空軍基地、ハワイ州ヒッカム空軍基地への更新・配備が行われている。2009年にはフロリダ州エグリン空軍基地に編成されていた2個飛行隊が所属のF-15を全て手放し、アメリカ空軍初のF-35訓練部隊となるべく準備を始めた。
- なお、米2010年度には多くのF-15C/D飛行隊が運用を終了し、現役の実戦部隊では在日米軍と在欧米軍に残るのみとなった。乗員の教育も今後は空軍州兵部隊にて行われることになる。
-
- フロリダ空軍州兵(ジャクソンビル国際空港) - 第125戦闘航空団第159戦闘飛行隊
- マサチューセッツ空軍州兵(バーンズ空港) - 第104戦闘航空団第131戦闘飛行隊
- モンタナ空軍州兵(グレートフォールズ国際空港) - 第120戦闘航空団第186戦闘飛行隊
- オレゴン空軍州兵(ポートランド国際空港) - 第142戦闘航空団第123戦闘飛行隊 - 第173戦闘航空団第114戦闘飛行隊
- ルイジアナ空軍州兵(ニューオルリンズ海軍基地) - 第159戦闘航空団第122戦闘飛行隊
- F-15 ASAT
- この実験では、SDI計画の発表以前の1979年からボート社に発注されていた二段式の試作型攻撃破壊ミサイル「ASAT」を使用した。弾頭部はその形状から「フライング・トマト・キャン」と呼ばれた。空中発射実験は1984年1月12日に、実際に軌道上の目標に対する発射実験は1985年9月13日に行われた。
- これらは計画の大幅な見直しで実験が中断され、「ASAT」とパッケージ化されアメリカ西部海岸防空の為に編成された第318迎撃戦闘飛行隊も解散した。また、計画の一部はMD計画に引き継がれている。
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- イラクは1月15日の撤退期限を無視。このため多国籍軍は、1月17日「砂漠の嵐」作戦(Operation Desert Storm)を発動させる。同日の早朝、イラク領内の爆撃のためにF-15EやF-111などの護衛として4機のF-15Cが出撃した。イラク上空を警戒中の早期警戒管制機E-3が所属不明機の機影を捉えて連絡、F-15はIFF(敵味方識別装置)での識別後、AIM-7Fを発射。パイロットのテイト大尉がアメリカ空軍のF-15による最初の撃墜を記録することとなった。この撃墜は湾岸戦争での最初の撃墜記録ともなっている。同日、この撃墜を含め3機のMiG-29と3機のミラージュF1の撃墜が確認されている。
- 以降の作戦期間中、アメリカ空軍所属のF-15(E型を除く)は38機のイラク軍機を撃墜し、自軍機の被害はゼロだった。撃墜した38機のうちの約六割がAIM-7による撃墜である。
- 近代化改修
- 現在までに、アメリカ空軍のF-15はMSIP-1及びMSIP-2と呼ばれる近代化改修を行った。
- MSIP-1
- F-15A/Bに対して段階的に行われた近代化改修。レーダーをAPG-63 (V) 1へ、エンジンをF100-PW-220へ交換し、あわせて電子戦機器の近代化を行った。改修対象外となった多くの機体はモスボールされている。これらについて一時ボーイング社が東欧諸国へC/D相当に改修した上での売却を計画していた。
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- ゴールデンイーグル
- 現在進行中の近代化改修で、APG-63(V)1レーダーからAPG-63(V)3 AESAレーダーへの変更とIRSTセンサーの搭載を行う。
- 21世紀を迎えて
- 冷戦構造下の1980年代において、F-15の後継機の開発を目的とした「先進戦術戦闘機計画」により、アメリカ空軍は既にステルス戦闘機F-22の開発に着手していた。しかし、ソ連崩壊による冷戦の終結で、1996年末より運用を開始するはずだったF-22の開発・配備計画は先送りとなり、アメリカ空軍に配備されていたF-15は、なおも主力戦闘機であり続けることになった。このため、前述の近代化・延命改修が施され、AIM-120やAIM-9Xなどの新型ミサイル、JHMCSなどの新型機器の運用能力が追加された。なお、米軍が推進したのは現用機材の改修による近代化だったが、2000年にボーイングから公表された資料によると、既存機のF-15C+改修よりもF-15C+新造機導入の方がコストが安い[17]とされている。
- こうして、第4世代ジェット戦闘機の中でも初期に出現した機体ながら諸外国の戦闘機と十分渡り合える性能を維持し続け、2025年を目処に現用の442機のF-15C/Dを全機退役させる予定だった。ところが、2007年11月2日に発生したF-15Cの空中崩壊事故を受けて保有する全機を検査した結果、ロンジェロンと呼ばれる機体の構成部品の厚さが規格よりも薄く強度不足である事が判明し、空軍の保有するA~D型機の約40%がそれに該当するとされた。しかし、2008年アメリカ合衆国大統領選挙で、バラク・オバマが大統領に当選したことにより政策転換でF-22の生産ラインの閉鎖が決定、安全が確認された機体から機体寿命を8,000時間から10,000時間に引き上げるなどの延命措置が行われている。
世界のF-15 [編集]
当初は高価な戦闘機だったため、アメリカ政府はF-15の輸出による機体単価の低減と外貨獲得を目論み、国防上のリスクの低い友好国への積極的なセールスを実施した。ただし結果としてその高価格がネックとなり、諸外国での採用例は少ない。
最初の提案先は、パーレビ王政時代のイランだった。アメリカと比較的良好な関係にあった当時のイランは(イランの歴史も参照)、ソ連軍の偵察機による度々の領空侵犯への対策として新型戦闘機の導入を計画した。マクダネル・ダグラス社は過去にイランに対してF-4の輸出実績があったため、同じく候補に挙げられていたF-14と競争して売り込みを行った。しかし、イランはF-15の対空火器に加えてAIM-54「フェニックス」を運用できるF-14を1973年に選定した。しかしながら、同時期に提案していたイスラエルとサウジアラビアではF-15を採用している。
1970年代末には先進国に対する売り込みを図ったが、比較検討を実施したオーストラリアやカナダでは価格を理由にF/A-18を採用するなど実績に乏しかった。唯一、日本の航空自衛隊は1976年12月に次期主力戦闘機として採用し、ライセンス生産を行った。
結局、イスラエル・日本・サウジアラビアの3か国での採用に終わった基本型は米軍向けや日本でのライセンス生産を含めても1,233機で2007年に生産を完了した[18]。
これら採用各国空軍においては、現在でも第一線に配備されており、今後も長く運用される見通しである。また、各国において近代化改修の計画・実施が行われている。
イスラエル [編集]
- 概要
- イスラエル航空宇宙軍は第四次中東戦争におけるF-4「ファントム」の多大な消耗を受けて、早急な戦力回復を図りF-15を導入した。1975年に最初の導入計画を立案し、原型機を含むF-15A/Bを25機発注する。以降段階的に発注を行い、総計でA/B型を44機とC/D型27機の71機を保有する。
- ピースフォックス
- 古くはフランスから軍用機を調達していたイスラエルが、第三次中東戦争後の、フランスによるイスラエルに対する武器輸出の禁止を受け、アメリカから軍用機の供給を図ることとなった。その結果1969年よりF-4EやA-4「スカイホーク」を調達している。しかし、ヨム・キプール戦争(第四次中東戦争)における当時の主力戦闘機F-4Eの多大な損耗(27機喪失)により、早急に戦力の回復が必要となったため、1974年から次期主力戦闘機の選定を開始。翌年に、ほぼ無競争でF-15の導入を決定した。イスラエル空軍は1975年5月に25機のF-15A/Bを発注する。アメリカ側ではこの計画を「ピースフォックスI」と呼んだ。国情からイスラエルは配備を急いだため、アメリカ空軍は保有の原型機16、17、18、20号機を量産型に改修して1976年5月に引き渡している。
- 以後、残りの21機を1976年末に引き渡され(ピースフォックスII)、イスラエルは初のF-15A/Bによる部隊「第133飛行隊」を編成した。その後もF-15C/Dタイプを1978年(ピースフォックスIII)と1989年(ピースフォックスIV)までに導入し、合計でF-15A/Bバズ(38機/6機)、F-15C/Dアケフ(16機/11機)の71機を導入した。なお、1994年からF-15Eのイスラエル仕様である「F-15I」の導入を開始している(ピースフォックスV、詳細はF-15E (航空機)を参照)。
- 機体
- 国産の対空ミサイルパイソン3の運用能力を追加した。アメリカからの輸出時点では核兵器搭載能力を削除している。TEWSの輸出を認められなかったために、「AN/ALQ-119 (V) ジャミングポッド」「エルタAL/L-8202ジャミングポッド」「AN/ALQ-132フレアポッド」を装備している。
- イスラエル空軍は長らく使用していた独自のデザート迷彩をF-15に施したが、近年ではアメリカ空軍や航空自衛隊のような制空迷彩へと変更している。
- 近代化改修 パス2000 (バズメショパー)
- 1995年開始されたF-15近代化改修プログラムBaz-2000により、INS/GPS航法装置、機内ジャミング発生装置の装備、AIM-120対応及びイスラエル国産ミサイル ダービー、パイソン4、5への対応、DASHヘルメットキューイングシステムの装備、セントラルコンピュータの換装及びF-15E相当のグラスコクピット化を行っている。
- 実戦投入
日本 [編集]
- 三菱重工業が航空自衛隊向けF-15C/DであるF-15J/DJのノックダウン生産・ライセンス生産を行った。日本仕様であるF-15Jは165機、DJは48機が製造され、航空自衛隊では現在201機を保有・運用している。
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詳細は「F-15J (航空機)」を参照
サウジアラビア [編集]
- 概要
- サウジアラビア空軍は長くイギリス製戦闘機、及びイギリス型の部隊編成を行っていた。当時は35機のBAC 167 ストライクマスターや42機のBACライトニングを保有していたが、1977年にライトニングの後継機選定を発表した。最終的にはF-14とF-15の一騎討ちとなり、迎撃戦闘機であるライトニングの後継機に、艦載機であるF-14よりは制空戦闘機であるF-15が適切であるとしてF-15の導入を決定した。導入はアメリカ側で「ピースサンI(Peace Sun I)」と呼ぶ有償軍事援助計画で行われた、
- 発注した機体はC型が47機にD型が15機の計62機だったが、エジプト・イスラエル平和条約の合意(キャンプ・デービッド合意)を背景としたイスラエル周辺諸国の軍事的圧力の低下を目指し、サウジアラビアも保有する戦闘機の総数に60機の制限を受け、C型46機、D型16機に変更された。発注分から余った2機はマクドネル・ダグラス社が保管し、事故等での消耗分の補充にあてることとなった。引き渡しは1981年から行われ、アラビア半島の西岸に展開する第6飛行隊や東岸のペルシャ湾に面するダーランのキング・アダブル・アジズ基地の第13飛行隊、南部のカミス・ムシャイト空軍基地の飛行隊の計3個の飛行隊に配備され、同年9月より運用を開始している。その後湾岸危機に伴い機数制限が撤回されると、急遽在欧アメリカ空軍の在庫から24機の引き渡しを受け、1991年にはF-15の生産ラインの閉鎖を目前に、定数を維持するため新造機12機が引き渡された。
- 1995年からは湾岸戦争中に自国内の空軍基地をアメリカ軍に提供した見返りとしてF-15Eの購入を要請した結果、サウジアラビア向けのF-15Sを調達している。
- 機体
- 輸出に際してイスラエル同様にある程度の能力の縮小を受けた。またサウジアラビア側が希望したコンフォーマル・フューエル・タンクの調達数には制限が設けられ、かつ保有数も上記のように当初は60機との制約を受けた。しかし最終的にはC型67機、D型31機の合計98機を保有するに至っている。
- 配備基地
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- キング・アダブル・アジス空軍基地 - 第13飛行隊
- プリンス・ファハド空軍基地 - 第6飛行隊
- カミス・ムシャイト空軍基地
- 実戦参加
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- イラン・イラク戦争中の1984年6月5日に、サウジアラビア領空に接近したイラン空軍のF-4をアメリカ空軍の早期警戒管制機がレーダーに捉えた。ペルシャ湾を航行するイラク行きタンカーへの攻撃を意図するものと判断したサウジアラビア空軍は、2機のF-15を差し向ける。2機のF-15はF-4が進路変更の意思がないとしてスパローにより2機を撃墜し、これがサウジアラビア所属F-15の初戦果となった。その1時間後には10を超すイラク軍機の接近をレーダーが捉えたため、サウジアラビア空軍はそれに匹敵する数のF-15を緊急出撃させた。最終的には30以上の目標をレーダーが捉えたが、イラク軍機が突如反転したため戦闘は回避された。結果的にアメリカにおける主力戦闘機F-15が、その前の主力戦闘機のF-4を葬り去るという興味深い戦闘だったといえる。
- 湾岸戦争では「砂漠の嵐作戦」に参加したF-15が、イラク領内でイラク空軍のミラージュF1を2機撃墜した。湾岸戦争において、アメリカ空軍以外で唯一の空対空撃墜となった。
形式 [編集]
基本型 [編集]
- F-15A
- F-15B(旧称TF-15A)
- F-15Aの複座量産型。1972年から1979年までに61機製造[19]。機種転換訓練用だが実戦にも対応。内蔵電子妨害装置を省略し、内部燃料タンクを小型化して後部座席を設置。操縦システムは前席後席それぞれに連動した系統を持ち、後席からの操縦も可能。ただし、計器盤は備わっているものの、レーダーやエンジン始動関連のパネル、兵装操作パネルなどは後席に無い。
- F-15C
- 生産第4040号機以降となるPEP2000(Production Eagle Package 2000)適用機。1979年から1985年までに483機製造[19]。外見上はF-15Aと大差はない。もっとも多く生産されたタイプであり、アメリカ国内及び在日米軍・在欧米軍と多くの部隊で配備・運用された。
- アメリカ空軍は、F-15A/Bの実用テスト期間中に燃料と兵装のバランスを最適化するという評価法を適用した結果より燃料搭載量の増強を要求した。特に機内燃料については2,000ポンド(約1,100リットル)の増加により、撃墜可能性と戦闘行動半径が約二倍になるとしている。その対策案がPEP2000で、機内燃料の増加とコンフォーマル・パレット搭載のための内部配管の追加、重量増対策としてのタイヤとブレーキの強化を行うものである。
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FASTパックについてはコンフォーマル・フューエル・タンクも参照
- PEP2000自体での採用は見送られたが、マクドネル・ダグラス社が自主開発したFASTパックと呼ばれるコンフォーマル・パレットは2基で6.43立方メートルの使用可能容積を持ち、増槽とした場合はドロップタンク2.5本となる約5,680リットルの燃料を収納する。着脱は約15分の地上作業で済むが空中投棄はできない。クリーン状態の抵抗を1とするドラッグ係数はマッハ0.9以下ではフィレット類似の整流効果により1を下回り、そこからマッハ1.1前後での1.15まで漸増した後は横這いとなる。ドロップタンクのマッハ0.8からマッハ1.0直前まで急増した後マッハ1.2までは減少し横這いとなる特性と比べると巡航性能への寄与は大きいといえる。しかし、F-15Cでは機内燃料量がドロップタンク3本分を超え、進出にドロップタンク、対戦闘機戦闘と帰還に機内燃料を使用できることとなった。このため十分な燃料の確保ができるとし、空中投棄できないコンフォーマル・フューエル・タンクの実戦での運用回数は少ないという[20]。
- F-15D
- F-15Cの複座量産型。1979年から1985年までに92機製造[19]。B型同様教育・訓練用だが実戦にも対応。FAST PACK搭載能力を持つ。
- F-15J
- 日本国内の民間企業によりノックダウンおよびライセンスで生産されたF-15Cベースの空自専用仕様。1981年から1998年までの期間に165機製造。C型をベースとしているが、FAST PACKは非採用。
- F-15DJ
- F-15Jの複座型。1981年から1999年までにノックダウンおよびライセンスでの日本国内メーカーによる生産で48機製造。(ただし初期の12機は輸入)。
- RF-15
- F-15の偵察機型。プロトタイプF-15E(複座型原型2号機:71-0291)の機体を改修したデモンストレーター。偵察用のFAST PACKを装備する。
派生型 [編集]
- F-15E
- 複座型をベースとした戦闘爆撃機。複座型原型2号機の機体を改修しデモンストレーターとし、制式採用にあたり軽量化と構造強化のためにチタニウムを多用し機体の約60%を再設計した。愛称はストライクイーグル。1986年の初飛行後2004年までに236機製造され、F-15Eをベースとした輸出型や派生型F-15SEもある。
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詳細は「F-15E (航空機)」を参照
- F-15 S/MTD, F-15ACTIVE, F-15IFCS
- 複座型原型1号機をベースとした実験機。
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詳細は「F-15 S/MTD (航空機)」を参照
- F-15N[21]
- 1970年代初期に提出された海軍(艦上戦闘機)型F-15。AIM-54の運用能力や主翼の折りたたみ機構、着艦フックなどを有する。F-14が飛行試験段階にあったことで、構想のみに終わる。愛称は「Sea Eagle」。
仕様 [編集]
- F-15C
- 乗員: 1名(B/D/DJ型は2名)
- 全長: 19.43 m
- 全幅: 13.05 m
- 全高: 5.63 m
- 翼面積: 56.5 m2(C)
- 空虚重量: 12,973 kg
- 最大離陸重量: 30,845 kg
- 発動機: F100-PW-220ターボファンエンジン (A/B:10,640 kgf)× 2
- 最大速度: M2.5
- 巡航速度: M0.9
- 航続距離: 3,450 km(フェリー)、 4,630 km(増槽)以上、5,750km(CFT装着)以上
- 実用上昇限度: 19,800m (65,000ft)
兵装 [編集]
- F-15C
- 固定武装
- M61A1 20mmバルカン砲 ×1(装弾数:940発)
- ※以下、2,5,8ステーション(増槽搭載用)あたりの搭載数を記載。
- CBU-24B/B×4
- CBU-42/A×3
- CBU-49/A×4
- CBU-57B/B×4
- CBU-58/B×4
- CBU-2471/B×4
- Mk-20ロックアイ×4
脚注 [編集]
- ^ 訓練中の事故で片翼を根本から失ったイスラエル空軍のF-15が無事帰還した話は、この機体の極めて高い基本性能を示すエピソードとして有名である
- ^ 2005年現在、米・イスラエル両国は実戦における空中戦での被撃墜はゼロとしているが、複数の交戦相手国はF-15の撃墜を主張し、ソビエト連邦も交戦当事者ではないものの、戦地に派遣したオブザーバーによりMiG-23などの自国製戦闘機が数機のF-15を撃墜したとしており、ロシアなどでは現在でもこれを「事実」としている。
- ^ この際、台湾のF-86が中国のエース・パイロット王自重操縦のMiG-17をサイドワインダーで撃墜したことは良く知られている。
- ^ それでも不十分と考えた彼らはF-X以降も活動を続け、LWF(Low Weight Fighter:軽量戦闘機)計画としてF-16およびYF-17(F/A-18の原型)を実現した。
- ^ 当時の完成予想図では尾部下面にF-16やSu-27の様なフィンを備え、風防形状も現状のものと異なっていた。
- ^ a b c 「丸[MARU]」2008年3月号p91
- ^ a b c d e 「丸[MARU]」2008年3月号p92
- ^ 冒頭の写真にもあるように、AMRAAMは主翼下パイロン側面装備のサイドレールへの搭載可。
- ^ 1985年にイスラエル航空宇宙軍所属のF-15 8機がパレスチナ解放機構のテロによる民間人3名の殺害に対する報復としてチュニジアのチュニスに所在したPLO本部を誘導爆弾を使用して爆撃した例がある→木の脚作戦を参照
- ^ マクダネル・ダグラス・ダグラス社もこの計画を強く推進した。
- ^ F-16はアメリカ空軍・海軍合わせて2,244機が調達されたが、F-15は911機に止まる。
- ^ F-16の場合は要撃機として運用するにあたり、スパローの運用能力を追加する改造が行われたが、F-15は適合性取得のための追加は行われていない。
- ^ ワルシャワ条約機構軍の侵攻の際に出来るだけ打撃を受けないようにという配慮から国境からできるだけ遠いこの基地が選ばれた。
- ^ JWings2010年11月号P94
- ^ 「軍事研究」2010年11月号p214
- ^ 一部の部隊では、アクティブ・フェーズドアレイレーダーである APG-63(V)2 AESAへと変更された
- ^ 『航空ファン』558号、文林堂、1999年、163-164頁
- ^ なお、派生型のE型については、むしろその後登場した新型戦闘機との比較(特にアメリカ空軍における後継機のF-22)では相対的に低価格とみなされ、各国に盛んに売り込まれ、採用例も多くなった。
- ^ a b c d Davies 2002
- ^ 派生型のF-15Eでは戦闘爆撃機として長距離任務が主となるので、より多くの燃料搭載と巡行域での抵抗軽減の利点を認めてコンフォーマル・フューエル・タンクを標準で装備する。
- ^ Nは海軍(Navy)の意
参考文献 [編集]
- ミリタリー・イラストレイテッド25「F-15イーグル」ワールドフォトプレス編:ISBN 4-334-71198-7
- 月刊『JWings』2007年5月号 イカロス出版
- 丸[MARU] 2008年3月号p84~p95 潮書房
- Lorell, Mark A (1995). Troubled partnership: a history of U.S.-Japan collaboration on the FS-X fighter. Piscataway, New Jersey: Transaction Publishers. ISBN 978-0833023056.
登場作品 [編集]
詳細は「F-15に関連する作品の一覧」を参照
関連項目 [編集]
- 戦闘機一覧
- 第4世代ジェット戦闘機
- F-22 …F-15の後継機とされる戦闘機
外部リンク [編集]
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