ストリーキング (パフォーマンス)

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ストリーキング英語 streaking、ストリートキングは誤り)とは公共の場を全裸で走り抜ける行為である。パフォーマンスの一環として行なわれるもので的な意図はなく、露出狂とは区別される。1973年から1974年にかけて流行した。

ハーバード対エール大学戦でのストリーキング(2006年)
日本におけるストリーキング(2007年)

解説[編集]

ストリーキングが流行の兆しを見せ始めたのは1973年頃からであるが、特に1974年4月にトゥイッケナムラグビー場イングランドフランスとの試合が行われている最中に、約53,000人の観客を面前にしてマイケル・オブライエン[要出典]という名の男が全裸で駆け抜けた事件がストリーキングの名を一躍有名にしたとされる。 彼を取り押さえた警察官が、とっさに彼の陰部を隠した帽子は、後にチャリティー・オークションで2,400ユーロ落札されたというエピソードが残っている。 この事件以降「ストリーキング」という言葉が「全裸で公共の場を駆け抜ける」という意味で使われだしたが、それ以前はストリーキングという言葉は「全力疾走(streak)する」という意味で用いられてきた。日本にもこの当時、上陸しマスコミを騒がせた。

ストリーキングは、裸体主義とは別物である。ストリーキングをする人々は、逮捕される危険を冒してまで行為におよび、大衆の目に晒されることを意図する点、裸体主義者が平穏な活動を好むことと対照的である。またストリーキングを行う人々は、性器を見せることのみを目的としているのではない点で、露出狂とは区別される。

ストリーキングの意図は、度胸試しや性癖など様々であるが、多くは自己顕示欲を根底にした集団的熱狂の流行であろう。実行される場所も多様である。最もよく見られるのは、多くの観客が集まった競技場などを全裸で走り抜ける行為である。

しかし、一部に誰もが寝静まった深夜など、より静かな場所で行為に及ぶ者もあり、また郊外の高速道路で、交通量の少ない早朝に行うことで満足を覚える者もいる。[要出典]そうした例では、自分の体を人に見せることを望んでいるわけではなく、普段は人が多くいるべき場所での、人出のない時間帯のストリーキング行為に、恐怖興奮が入り混じったような感覚を味わっていると想像される。

また、大胆なストリーキングを収めた動画がインターネット上で人気を集めている。そこには、世界中のストリーキング愛好家たちが集まるサイトがあり、情報交換や体験談を語り合う場となっている。

クリケットの会場で女性が行うケースが多く見られる。これは「紳士のスポーツ」といわれるほど、ほぼ男性が独占する競技のあり方に対する抗議の意味がある。

アメリカでは、第46回アカデミー賞デヴィッド・ニーヴンがプレゼンターとして舞台に立ったとき、その後ろをロバート・オペルという男性が舞台を裸で横切り、その様子が放映されてしまった。

日本国内においては、1974年3月11日沖縄県那覇市キャンプ・フォスター内のハイスクールの校内で行なわれたのが初で、同月12日に広島市繁華街で行なわれたのが日本人としては第1号になる。以後、同月15日に東京六本木、16日に東京の銀座に登場した[1]。 1980年5月26日には後楽園球場の日本ハム対近鉄戦において6回裏に突如ライトスタンドの観客席から全裸の男がスタンド内へ侵入しそのままレフトスタンド方向へ走り始めた。この試合には4万5千人の観客が来ており観客席はこの突然の出来事で大騒ぎになったという。

1981年には東京の原宿表参道に女性のストリーキングが現れ、『週刊新潮1981年3月26日号が報道写真という名目で当時解禁されていなかった陰毛を修正せず、グラビアページに「罰金二万円ナリ原宿春一番」のタイトルで掲載。70万部が即日完売し、警察庁から新潮社に警告が発せられる出来事があった[2][3]

有名人では1974年に俳優の石丸謙二郎原宿で行ったというものがある。[4]また、あのねのねの二人が『あのねのねのオールナイトニッポン』の生放送前にこれを行い、ニッポン放送局舎の周りを走ったという話もある[5]

アメリカの大学で行われるストリーキング行事[編集]

膨大な数のアメリカ合衆国大学生たちによって行われてきたストリーキングの記録の中で、最も古いのは、1804年に現在のワシントン・アンド・リー大学の3年生ジョージ・ウイリアム・クランプが、バージニア州レキシントンの大学キャンパスを全裸で疾走し逮捕されたものである。クランプは大学で留年することになったが、後にアメリカの国会議員チリ駐在大使を務めた。

1973年 12月タイム誌は、ストリーキングを「ロサンゼルス界隈の大学生を虜にしつつある流行」と評した。またその記事に対して、「ここだけの話、実は、過去20年間、ストリーキングは、ノートルダム大学の大学警察を悩まし続けてきていたのです。さらに、ノートルダム大学のストリーキングのグループが、1972年に行われたストリーキング・オリンピックを提案したのです」という情報提供がなされた。

1974年3月7日、1549人が参加するという最大規模のストリーキングが敢行された。その場所はジョージア大学である。この記録に続くのは、コロラド大学ボールダー校で1200人が参加したストリーキング、そして、メリーランド大学では、1974年3月に553人の裸の学生が3マイルに渡ってストリーキングを行った。最近では、南カリフォルニア大学で508人がストリーキング行為に及んだ。さらに1974年、アースキン大学では、全学生の1/4に当たる600人の学生がストリーキングをやり遂げ、「最高の参加率を誇るストリーキング」を名乗った。

期末試験の最終日前夜、ハーバード大学では、学部生たちによる「産声(Primal Scream)」が行われる。学生は男女を問わず服を脱ぎ、ハーバードヤードを2周する。2学期制のハーバード大学では、この行事が年2回開催されるわけだが、その1回は極寒を誇るニューイングランド地方の冬に行われることになる。参加者の中にはケープマスクを身につけるものもいるが、性器は丸出しのままである。ストリーキングが行われる周辺は見物者で埋め尽くされ、開始前には楽隊の演奏が群集を盛り上げる。

プリンストン大学にも、長いストリーキングの伝統が存在してきた。1970年に起こったストリーキング事件は、悪ふざけの手段として行動に移されただけであったのだが、やがてそれが2年生たちの伝統行事になっていき、行事の決まりがまとめられるまでに至った。1990年代までにその伝統が廃れてくるのと同時に、大学本部もその伝統に対して寛容ではなくなっていった。そして1999年の末に、理事会は行事の参加を禁じた。理由はそれが危険であること、そして外部の人間の関与が大きすぎるということであった。1983年シカゴ大学のストリーキングは、学生たちが冬の憂鬱な気分を振り払うために、冬季学園祭に行われる年に1度の伝統行事となった。この行事には、参加者を越える見物人が集まる。

1986年ミシガン大学の「裸の1マイル(Naked Mile)」では、授業の最終日に、大学構内の道を約1マイルにわたる集団ストリーキングを実施した。1990年終わりには最盛期を迎え、500~800人の学生が参加していた。しかしながら法律の施行や、見物人が増加し、ビデオ撮影の横行などにより、2001年の参加者は24人にまで落ち込んだ。

カリフォルニア大学サンタクルーズ校では、「最初の雨(First Rain)」という名で知られている秋の伝統行事が行われている。例年10月頃、秋になって最初の雨の日に、ポーターカレッジの学生が大学構内を裸で走り抜ける行事である。

ダートマス大学には、ストリーキングに関連する2つの挑戦がある。レッドヤード・チャレンジとブルーライト・チャレンジである。前者はコネチカット川を裸で泳ぎ、橋を裸で渡って帰って来る挑戦である。後者は裸のままで大学にあるすべての緊急電話の警報機のボタンを押してくる挑戦である。現在大学には、「木曜の夜にストリーキングをする会」が存在しており、様々な行事や色々な場所でストリーキングを行っている。

バージニア大学では、学生たちが裸のままで校庭にある「円形の建物」の階段から「740歩の芝生」を駆け下り、ホメロスの像の臀部キスをした後、再び芝生を駆け上がり、ようやく服を取り戻すという伝統行事が行われている。1996年には、警察がこの行事に対して厳重な取締りを行ったことに対する抗議運動としての「集団ストリーキング」が敢行された。

スワースモア大学での男女ラグビーチームは、セメスター毎に「金のために走れ(Dash for Cash)」という名で知られている資金集めの行事を開催する。そこでは、部員たちは大学本部がある建物の中を裸で走りぬける。そのとき、見物人たちは金を持ってくることになっている。部員たちは見物人の前を走り抜ける際に、その手の中にある金を掴み取る。この行事のために「金を持ってこい。じゃなければ、おまえは変質者だ」という大規模な宣伝が展開されているわけだが、この行事の見物人は、偶然そこに居合わせたということになっている。

モナシュ大学は、大酒飲み大会が開催される週である「緑週間」にストリーキングが行われることで知られている。2004年、「チームナイン」と「ビアパイレーツ」のメンバーが「ヌーダミッド」を披露した。それは裸で組体操ピラミッドを完成させ、最上段の人間がホースからビールを飲むという荒業に挑戦した。しかし、ピラミッドはすぐに崩壊してしまった。

関連項目[編集]

脚注・出典[編集]

  1. ^ 米川明彦編著『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』三省堂2002年、222-223頁。
  2. ^ 松浦総三『スキャンダラスな時代 80年代の週刊誌を斬る』幸洋出版、1982年、101頁
  3. ^ 岡留安則編著『200万雑誌 フォーカスの内幕』KKベストブック、1984年、50頁、149頁
  4. ^ 石丸謙二郎オフィシャルブログ2009年4月30日「ストリーキング」[1]}
  5. ^ 2008年1月4日放送『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン 40周年記念スペシャル』の中で、この話が紹介された。