裸足

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裸足跣足(はだし)とは履物をはかないこと、またはその状態ののこと。素足とも。靴を履かずに(靴下ストッキングは着用している状態で)外に出ることを「裸足」と呼ぶこともあるが、ここでは足に何も身に着けていない場合の裸足を説明する。

日本文化・風習としての裸足[編集]

日本では、家の入り口で履物を脱ぐ習慣から、裸足で家の外に出ることは汚いこととされる。しかし、農村では田植えなど裸足での作業もあるため、帰宅時に足をきれいに洗えばよいと考える人もいる。裸足で外出することは現代においては田植え期の水田周辺や海水浴場などでないかぎり奇異にみられる傾向があるが、これは明治期に西洋文化および西洋医学(破傷風予防など)の考え方が流入して以降の傾向である。足の裏でじかに自然を感じようとする「大地をはだしで歩く会」が結成されたこともある。(参考文献:千趣会「COOK」1980年1月号)

現代では「裸足であること」も一種のファッションとしてみられており、足の爪へのネイルケアや足にミサンガを巻く(=長い靴下は履けない)ことが流行ったり、素足に履く凝ったデザインのサンダル(鼻緒付きのビーチサンダルトングサンダル、足にサンダルの台を貼り付けるヌードサンダルなど)や靴を履いた時に裸足にみえるようなスニーカーソックスが売られたりしている。また、素足に下駄イグサ草履を履くことが流行している。足が涼しく、足を開放したいという点から素足が注目され、また、鼻緒への人気が高まっていることも影響している。また、Cocco鬼束ちひろのように、ステージ上で裸足で歌う歌手の存在の影響もある。子供の場合はなるべく裸足で生活させる主義の人も多い。素足・裸足で足を自然な状態にする発想のはだし教育が影響しているとされる。素足になれると足の自由さに気づく場合が多い。[要出典]

裸足の子供は自然児のイメージでみられるため、たくましさや自由奔放の象徴という印象を持つ。テレビアニメアルプスの少女ハイジ』の主役・ハイジの場合、原作では靴を履いているのにアニメでは裸足の設定である。逆に、野性児の印象でみられることもあるので、制服を採用している学校で、暑い日に裸足でいたりすると処罰されることもある。小学校の場合、靴を履く学校で裸足で生活しようとすると、靴下・靴を履くよう注意される場合、自由にさせる場合、それぞれである。[要出典]

裸体になることに準じて、裸足になることは神聖であるとされる場合もある。神社境内での参拝方法としてお百度参りがある。脱帽と同じように、裸足で参ることで神を崇めるという理由である[1]。アジアの寺院に入る場合は入り口で履物を脱ぎ裸足になるよう求められる場所もある。これも神聖な場所には裸足で入るとの考えである。神事として護摩焚きの火の上を裸足で渡る火渡りが各地で行なわれる。

諸外国での裸足の扱い[編集]

ヨーロッパ[編集]

オセアニアオーストラリアニュージーランドなどでは裸足で外出することは普通で、繁華街ショッピングセンターなどでも普通に裸足で歩いている子供が多い。ところが、これらの2国の国民のルーツの過半を占めるヨーロッパイギリスでは、裸足はエロティックなイメージでみられてきた歴史があり、女性が男性の前で裸足になることは性的な関係を許しているとみられることもあった。

アジア・アフリカ[編集]

裸足で過ごす貧困層の子供

アジアアフリカでは近年まで裸足で生活することが多く、日本でも多くみられた。 特に、貧困層や恵まれない国ではそのものの入手が難しく、特に、子供のおいてはその影響をうけやすい。日本では漫画『はだしのゲン』に代表されるように、第二次世界大戦前・戦時中は物資の供給が少なく、また、空襲などによる焼失により靴や靴下を履く庶民は稀であった。そのため、子供に限った話ではなく、女性なども裸足で過ごすことが多かった。日本に限らず、戦争などで被害を受けた地域の住人は裸足で逃げていたり過ごしていることが多く、多くの写真でも確認ができる(朝鮮戦争ベトナム戦争がその代表ともいえる)。現在も貧困に苦しむ一部のアジアアフリカなどでは裸足で過ごす子供や女性が多く見られる。かれらの足の裏はなどによって深く汚れており、水で洗っても汚れが落ちないほどである。[要出典]ザンビアカッパーベルト州マサイティ郡は寄生虫の感染率がたかいが、貧困で靴がかえずにほとんどの子供は裸足での生活を余儀なくされ、足からの感染の危険にさらされている。日本のNGOジョイセフはつかわれなくなった靴を寄付する運動をおこなっている[2]

スポーツ・競技としての裸足[編集]

日本における伝統的なスポーツはその多くが裸足で行なうものである。これは裸足が神聖さをもつこと、武器を持っていないという表示(履物が武器になる可能性もある)、素足草履下駄を履く文化であったこと、動きやすいことが理由として考えられる。実際、相撲で足を踏ん張るためには裸足でなければ効果は薄く、また、土俵は神聖な場所として履物には決まりがあったり、履物自体許されない場合が多い。基本的には「地に足をつける」という歴史がある国といえる。[要出典]運動会においても、「足を踏ん張る」という意味から、騎馬戦などの動きの激しい種目や組体操などのマスゲームも裸足で行うことがある。また、これは参加者が上下に重なった場合に靴でケガをすることを防ぐためという理由もある。一方、「速く走れる」ということを理由として裸足で短距離走に参加する生徒がいるが、足に負担が掛かり、ケガの元となりやすいので否定的な教師は多い。その生徒が普段重い靴、不安定な形状の靴を履いていた場合は裸足で速く走れる可能性はあるが、大抵は足の痛さで相殺されてしまうようである。しかし、はだし教育を経験しているなど裸足で走ることになれている場合は、むしろ足が自由で足裏の刺激が心地よく、健康によい働きをしているという見方もある。どちらにしろ、裸足でよいタイムを出すにはコースの整備と本人の「慣れ」が必要である。[要出典]

脚注[編集]

  1. ^ 嘉門安雄 (1972-04-25). “裸体”. 世界大百科事典. 31 (1972年 ed.). 平凡社. pp. 301. 
  2. ^ ザンビアの子どもたちに靴を贈る”. ジョイセフ. 2010年2月10日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]