エネルギー保存の法則

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エネルギー保存の法則(エネルギーほぞんのほうそく、the law of the conservation of energy)とは、『ある孤立の中のエネルギーの総量は変化しない』とする(と主張する)法則である。エネルギー保存またはエネルギー保存則ともいう。熱力学第一法則(ねつりきがくだいいちほうそく)と表現されることもある。

目次

概説 [編集]

いわゆる保存則の一つである。

昔から、「この世界(宇宙)では何かが保たれているはずだ」といった類の主張はなされていた。

デカルトライプニッツが、それぞれの仕方でこれを主張し、それぞれの支持者によって議論が長年に渡り行われた。

19世紀の中ごろ、マイヤージュールヘルムホルツらによって、「力学的、熱、科学、電気、光などのエネルギーは、それぞれの形態に移り変わるが、エネルギーの総和は変化しない(保存される)」と主張された[1]

20世紀にアインシュタインによって、質量とエネルギーの等価性という考え方が提唱され、別の形での保存が主張されたが、その有効性や有効範囲については、疑問視されることも多かった。

現在では《エネルギー保存の法則》は、しばしば「最も基本的な物理法則の一つ」と考えられている。多くの物理学者が、自然はこの法則にしたがっているはずだ、と信じているのである。

デカルト、ライプニッツ [編集]

デカルト(1596 - 1650)は、『哲学の原理』において、宇宙においては quantitas motus(運動の量)の総和が保たれている、と主張した。

Deum esse primariam motus causam: et eandem semper motus quantitatem in niverso conservare.

Principia philosophiae, Pars secunda, 36(デカルト『哲学の原理』第二章 36)

デカルトが主張した《quantitas motus》(運動の量)という概念は、現代で言うところの運動量といくらか似てはいる概念ではあるが、厳密には異なっている概念である[2]。デカルトは「質量」という概念を持っていなかった[2]。また、現代の物理学では運動の方向が変われば速度が変わったとするが、デカルトは速さだけを重視し、向きが変わることについては考慮していなかった[2]。したがって、このデカルトの概念《quantitas motus》を現代風に「運動量」と表現してよいのかどうか疑わしい。

デカルトの50年ほど後に生まれたライプニッツ(1646 - 1716)は、運動の量というのを初めて数式で表現してみようと試みたが、デカルトとは異なってmv 2 の総和が保存されている、と主張した。ライプニッツはこの量を《vis viva》(活力)と呼んだ。このvis vivaという概念は、釣り合いなどの場面で想定される動きとしては見えないvis mortua(潜在的な力)と対比しつつ置かれた概念である。

デカルトの考え方を支持する人々と、ライプニッツの考え方を支持する人々で議論が起きるようになった。これを「活力論争」という。議論は延々と長年に渡って続いた。18世紀半ばになって、ラグランジュダランベールらが、両概念を明確化を試み、それらを区別したことによって、ようやく論争は沈静化した。

トマス・ヤング [編集]

「vis viva」(活力)という用語で表現されていた、この“活動”に関する概念を、1807年に初めてトマス・ヤングが、ギリシア語のenergeia エネルゲイアという用語を基にして造った「energy」という語を用いて呼んだ。ギリシャ語のenergeiaというのは語の構成としてはen + ergonであり、ergonというのは「仕事」という意味である。enは「~の状態」。よって「仕事をしている状態」といったような意味である。アリストテレスの哲学用語では、ものがもつ《可能態》の中から現実化された《現実態》が「エネルゲイア」である。つまり、「energy」という用語を用いている背景には、眼には見えない《活力》が具体的なこと(仕事)に変化したのだ、という発想がある。

ヤングがenergyという用語を用いたからといって、それが人々にすぐに用いられるようになったわけでもなく、人々の間に定着するようになったのは、あくまで後のことである。vis viva相当の概念は、19世紀半ばでもしばしば、英語圏では「force」と呼ばれていたし、ドイツ語圏では「Kraft」と呼ばれていた。

19世紀前半のドイツ自然哲学 [編集]

19世紀前半のドイツの自然哲学では、“破壊されることもなく、形態が様々に変換する根源的な何か”を「Kraft」(力)という用語で呼んでいた。この自然哲学の概念は、現在の《エネルギー保存則》という概念の成立に大きな影響を与えている。

マイヤー、ジュール、ヘルムホルツ [編集]

19世紀の中ごろ、ロバート・マイヤーと、ジュールヘルムホルツの三名が、それぞれ独立して《エネルギー保存則》という考え方に辿りついた[1]

ロバート・マイヤーは、ドイツの医者で、船医としてジャワに行った時に熱量とエネルギーとの関係を考察するようになった。船が熱帯を航海すると水夫らの静脈血液の赤みが増すことに気付き、気温が上昇したことで体温維持のために酸素が使われる量が減るのだ、と解釈した。そして1842年、ジュールによる論文よりも数年先行して《熱》と《仕事》の関係に関する論文 Bemerkung uber die Krafte der unbelebten Natur (「無生物界の力についての所見」、化学年報『リービッヒ・アナーレン』収録)を発表した。

19世紀の「熱力学第一法則」 [編集]

ジュール(1818 - 1889)は重りをある高さまで持ち上げて落とすことで上記の装置の撹拌翼を回転させ、水に摩擦熱を与えることによる温度変化を調べた。その結果仕事は等価なものである、と考えられるようになり、《エネルギー保存則》の成立へとつながった

熱力学では、

dU = δQ - δW
(dUは閉じた系の内部エネルギー変化、δQは系が外部から加えられた熱量、δWは系が外部にした《仕事》

といった形で表現され、熱力学第一法則とよばれる。

《熱》も《仕事》も同じエネルギーの一種であり、エネルギー収支(増減)がすなわち内部エネルギー変化である、と主張する法則である。加えられた熱量の分だけ内部エネルギーが増加し、外界に対して行った仕事の分だけ内部エネルギーは減少する、と想定されている。また、何もエネルギー源のないところからひとりでにエネルギーが生まれることはなく、逆に発生したエネルギーが消滅することもない、と想定されている。

なお、19世紀には、質量についても(エネルギー同様に)質量保存の法則を持つとされた。質量とエネルギーはそれぞれ別に保存則が成り立っている、と考えられていたのである。


古典力学における力学的エネルギー保存則と運動量保存則 [編集]

古典力学における力学的エネルギー保存の法則は、「位置エネルギー運動エネルギーの和は一定である」と主張するものである[3]

なお、運動量保存の法則では完全弾性衝突以外の衝突の前後で、物体の運動エネルギーは保存されない、とされる。これは衝突(非弾性衝突)の瞬間に運動エネルギーが音もしくは熱エネルギーに変化したり、物体自体を変形させる仕事に消費されてしまうからである、と説明され、物体が失ったエネルギーは外界に拡散した、と考えられている。

20世紀のアインシュタインの提案・主張 [編集]

1905年のアインシュタインは、Annus Mirabilis papersの一つの"Ist die Trägheit eines Körpers von seinem Energieinhalt abhängig?"[注 1]という論文において、質量とエネルギーが交換可能なのではないか、という提案を行った[4]。これをきっかけとして、物理学が大きく変容していくことになった。《エネルギー》や《物質》という概念自体が大きく変わっていくことになったのである。

特殊相対性理論においては、質量エネルギーと交換可能で、E=mc²という式の関係が成り立っている、と主張された。質量はエネルギーの一つの形態である、「質量とも相互変換するエネルギーというものの総和が保存されている」と主張されることになった。

他の物理学の様々な主張同様に、このアインシュタインの主張も最初はなかなか受け入れられなかったり疑問視されることが多かったが、やがて原子核反応や電子対創生などの実験において成立していることが確認されると、アインシュタインの考えが次第に受け入れられるようになっていった。

なおそれに伴って、「質量保存則は(厳密に言えば)成り立っていない」と考えられるようになった。特に、原子核反応を扱う場合においては、質量のエネルギーへの変換は無視できないほど大きく、質量は保存されていない、として計算するようになっている[注 2]

ただし、この法則を一応受け入れるとしても、一体どの程度まで受け入れてよいのかということについては見解はバラバラであった。例外はないのか? 例外はあるのか? ということについては、物理学者らの見解はバラバラであったのである。例えば、β崩壊についても《エネルギー保存則》が成立していない事例だと考える物理学者も多かった。

ただしそのような状況の中で、1932年パウリとフェルミが、多くの科学者・物理学者と逆の方向の発想で、β崩壊の事例でも(半ば強引に)仮に《エネルギー保存則》が成立していると仮定して計算してみたところ、中性の微子が存在しているだろう、と予想することができた。彼らはそれの存在を主張したものの具体的な物証は無く、長らく認められなかったが、1956年になり実験によってその微子(ニュートリノ)が確認された。この出来事によって、有効範囲については疑問視されることも多かったものの、とりあえず《エネルギー保存則》が成り立っていると仮定してみることが、科学的発見につながるひとつのガイド(指針)やヒントにもなり得るということが、次第に人々に広く知られるようになった。

現在では《エネルギー保存の法則》は、しばしば「最も基本的な物理法則の一つ」と考えられている。多くの物理学者が、(絶対的な証明があるわけではないのだが)疑いもせず、自然は常にこの法則にしたがっているはずだ、と信じているのである。[要出典]


量子力学におけるエネルギー保存則 [編集]

量子力学においてもエネルギー保存則は厳密に成立すると考えられている。量子力学ではあらゆる物理量に対応するエルミート作用素が存在するが、エネルギーに対してはハミルトニアン作用素\hat{H}が対応している。外部系との相互作用がない孤立系を考えると、\hat{H}のシュレーディンガー演算子には露わな時間依存性がない。したがってハミルトニアンに対するハイゼンベルグ方程式

\partial_t \hat{H}(t)=\frac{i}{\hbar}[\hat{H}(t),\hat{H}(t)]=0

から自明に孤立系のエネルギーが保存することが導かれる。

時間とエネルギーの不確定性関係のために短時間ではエネルギー保存則が破れるという記述もあるが、それは摂動論における自由ハミルトニアン部分の保存則の破れにすぎず、相互作用項まで加えた全エネルギーは常に厳密に保存する(詳しくは不確定性原理のページを参照)。

エネルギーの「量」と「質」 [編集]

《エネルギー保存の法則》が成立したと仮定し、宇宙がエネルギーの総量が一定の閉鎖系[要検証 ]仮定すると、"質"の良い(エントロピーの小さい)エネルギーは時間とともに減少していくことになる。エントロピーは局所的には増加も減少もするが、宇宙全体としては常に増加している(→熱力学第二法則)。エントロピーの増加はエネルギーの"質"(そのエネルギーからどれだけ仕事を得られるか)の低下を意味し、宇宙に存在する全てのエネルギーは最終的にはもはや外部に対して何ら仕事をすることができない均一な熱エネルギーとなる(熱的死)。[要出典]

[要出典]エネルギー問題におけるエネルギーの有限性は、"質"の良いエネルギー、すなわち「エントロピーの小さいエネルギー」の存在量を問題としている。人類(および他のあらゆる存在)は、質の良いエネルギーを質の悪い(エントロピーの大きい)エネルギーに転換する過程で仕事を得ているが、エネルギーの仕事への変換効率はエネルギーの質が低くなるほど原理的に低下し、エネルギーを消費していく(仕事に転換していく)と世界はそれだけ「熱的死」に近づいていく。

なお、当然のことながら「《エネルギー保存の法則》が成り立つ」ということは「(有用な)エネルギーはいくら使ってもなくならない」という意味ではない(第二種永久機関の否定)。《エネルギー保存の法則》は、エネルギー問題においては直接的には第一種永久機関の否定という面でかかわりを持つ。

脚注 [編集]

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  1. ^ このドイツ語を英語に翻訳すると、"Does the inertia of a body depend upon its energy-content?" となる。
  2. ^ 厳密には成立してはいないが、ごく平凡な古典力学的な状況設定や、ごく平凡な化学反応においては、質量の増減は無視できるほど小さく、おおむね成立しているかのように扱っても特には問題ないので、現在でも“質量保存則”は様々な計算をするための道具として用いられている。

出典 [編集]

  1. ^ a b 朝永振一郎 『物理学読本』 (第2版) みすず書房、1981年、78頁。ISBN 4-622-02503-5 
  2. ^ a b c Daniel Garber (1992). “Descartes' Physics”. In John Cottingham. The Cambridge Companion to Descartes. Cambridge University Press. pp. 310–319. ISBN 0-521-36696-8. http://www.cup.es/us/catalogue/catalogue.asp?isbn=9780521366960. 
  3. ^ 朝永振一郎 『物理学読本』 (第2版) みすず書房、1981年、74頁。ISBN 4-622-02503-5 
  4. ^ Einstein, A. (1905), "Ist die Trägheit eines Körpers von seinem Energieinhalt abhängig?", Annalen der Physik 18: 639–643

関連項目 [編集]