イングリッシュ・エレクトリック ライトニング
イングリッシュ・エレクトリック
ライトニング
イングリッシュ・エレクトリック ライトニング (English Electric Lightning) は、イギリスのイングリッシュ・エレクトリック社が開発し、主にイギリス空軍で運用された双発ジェット戦闘機。1960年に同社の航空機部門は国策企業のBACに統合されたため、BAC ライトニングとも呼ばれる。
Lightning とは「稲妻」の意。
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開発経緯[編集]
第二次世界大戦の戦費支出で経済力が疲弊したイギリスでは、クレメント・アトリーの労働党政権下で軍事費抑制が図られた。一方、米ソはドイツから研究人員ごと入手した先進的航空技術に青天井の予算を付けて発展させたため、超音速機の開発でイギリスは米ソに大きく立遅れる結果を招来した。
1947年に軍需省から、将来戦闘機に転換可能な超音速研究機 ER.103 仕様案が公表されると、卓抜した高々度性能の爆撃・偵察機キャンベラで知られるテディ・ペッター (William Edward Willoughby "Teddy" Petter) 主任技師以下イングリッシュ・エレクトリック社のチームが、フェアリー社のデルタ 2 (FD-2) と共に呼応し、両機は実現に向けての基礎研究が開始された。
開発[編集]
イングリッシュ・エレクトリック社(以下、EE)はロイヤル・エアクラフト・エスタブリッシュメント (RAE) と協働して、ロールス・ロイス エイヴォンを今では珍しい縦置き双発とし、テーパー (Taper) の無い鋭後退角矩形薄翼、低位置の水平尾翼を持ち、高度3万フィートでマッハ 1.5を目指す斬新なコンセプトを纏め上げた[2]。
1948年12月に同様の外形を持つ無動力グライダーを製作し試験が行われた結果、1949年5月、ER.103 を元に超音速迎撃機化する計画案 F23/49 (1949会計年度戦闘機43号仕様書)が軍需省で承認され、P.1 の名で試作機の発注を受けたが、エイヴォンの実用化はサージング問題に直面し遅延していたため、一回り小さいアームストロング・シドレー サファイア Sa.5 を繋ぎに搭載する事になった。
P.1 計画着手時より、主に水平尾翼の取付位置を巡ってEE社と RAE との間で論争が巻き起こり(当時、イギリスには超音速風洞が存在しなかった)、T字尾翼案を主張する RAE は、競業社のショート・ブラザーズ社にダーウェント単発、固定脚の小型試験機ショート SB5を急造させ、飛行試験を敢行した。SB/5 は RAE 案に沿った後退角50度の主翼とT字尾翼で進空したが、ピッチアップ癖が顕著で、EE社案の正当性が実証された。SB/5 では3種の異なる主翼後退角がテストされた結果、原案通り60度が採用されたが、大仰角時の剥離流をコントロールするため外翼前縁にソーカットが新設された。
それと前後して、キャンベラ試作機の進空(1949年)を見届けたペッターはEE社を辞し、一族が経営するヘリコプター専業のウェストランド・エアクラフト社へ戻ってしまったため、P.1 の開発はフレデリック・ペイジ、後のブリティッシュ・エアロスペース社民間機事業部長が引き継ぐ事になったが、この間、高々度を高速で飛来するキャンベラを要撃可能な戦闘機が自国に無い状態が続いた。
試作機 P.1A 1号機 (WG760) は1954年5月にロールアウト、8月4日に初飛行し、水平飛行でマッハ1.2、緩降下でマッハ1.4をアフターバーナー(リヒート)無しのサファイアで記録する、素性の良さを示した。P.1A 2号機 (WG763) は最初からフェランティ社製火器管制装置、ADEN砲)、後のファイアストリーク であるDH ブルージェイ(Blue Jay) パッシブホーミング空対空ミサイルを備え、航続力不足を補うため胴体下部に着脱式増槽を付加して実用化試験に供された一方、1号機は待望のアフターバーナー付サファイアに換装され、超音速試験のフィードバックから数々の改良が施された。
推力6000kgと強力なエイヴォン 200R (RA.24) を搭載し、機首の空気取入口にレドーム兼用のショックコーンを設けた、戦闘機型増加試作機 P.1B は1957年4月4日に初飛行し、2年間に20機が製作され、1958年のファーンボロー国際航空ショーの場で「ライトニング」という名称が初めて公表された。一方、P.1 開発中の1956年10月6日、同じエイヴォン単発のライバル、フェアリー デルタ2(FD-2)は1811km/hの世界速度記録を樹立するが、P.1 との競争に破れ制式採用されずに終わった。FD-2 1号機 (WG774) は1960年以降 BAC 221 と改名され、オージー翼に改造されてコンコルド開発の基礎データ収集に充てられた。
P.1B 改め ライトニング F.1 は翌1959年から実戦配備が進められたが、マクミラン保守党政権のダンカン・サンディス国防相は有名な1957年の国防白書 (1957 Defence White Paper) に於いて、空軍の主力を有人機からミサイルに転換する大方針を打ち出し、ライトニング以外の軍用機は開発段階の如何に関わらず、原則として計画が中止されてしまった。このためライトニングはイギリスにおいて、「最後の有人戦闘機」と呼ばれ、以降、超音速戦闘機を単独で世に送り出していない。
実戦配備[編集]
ライトニングは第一線で使用されていたホーカー ハンター、グロスター ジャベリンのパイロットに歓迎されたが、マスメディアに注目されていたこともあって初期に受領した部隊は一種のお披露目を行わなければならなかった。
1960年12月14日、イギリス空軍の第56飛行隊がF.1Aの配備を開始し、1964年にライトニングを装備した防空部隊が編成され、防空部隊は侵入する高々度高速爆撃機に対処するため、たびたびスクランブル発進して要撃に向かった。イギリス本国だけでなく西ドイツやキプロス、シンガポールにも駐留し、防空任務に従事した。1970年を過ぎると低空を侵入する高速機も現われ始めたが、ライトニングは運動性を生かして防空任務を続けることができた。
ライトニングはメーカーとの協力体制が確立されておらず備品の調達難に悩まされ、整備自体も委託していたことから初期の稼働率は決して高くなく、空気抵抗削減のために胴体を絞り込んだことから機体内の燃料タンクが増設できなかった。また、主翼下面には主脚が格納されるためハードポイントが設置出来ず、幾度かの改良を経てもライトニングには航続力が短くて兵器搭載量に乏しいという欠点が付きまとった。
そういったことを勘案してもハンターやジャベリンにはない次世代的な照準器を装備し、マッハ 2.0の速度、レーダー性能など大きく飛躍を遂げた新鋭機であった。特に運動性が良好であったライトニングは同世代のF-104 スターファイターやミラージュ III等にも引けを取らない優れた戦闘機であり、局地防衛を重視しているライトニングの強力なエンジン推力は、後に配備されるF-15 イーグルやSu-27 フランカーに劣らない上昇力をもっていた。
その後[編集]
ライトニングは優れた戦闘機であったが、海外セールスは同時期の他国の戦闘機と比較するとあまり芳しくなく、わずかにサウジアラビアとクウェートが本機を導入したのみであった。
西ドイツ空軍に採用を働きかけた事もあったが、ライトニングはイギリス政府の支援を得られなかったことによりF-104 スターファイターに敗れてしまった。日本の航空自衛隊による「第2次 次期主力戦闘機導入計画(第2次F-X)」の候補機に名前が挙げられたこともあるが、あくまで「第1次調査」における予備候補の域を出ることはなかった。
イングリッシュ・エレクトリック社はエイヴォン Mk 210 ジェットエンジンを搭載して計器盤を一新したライトニング F.2を開発し、1961年7月11日に初飛行を実施。1962年12月にイギリス空軍は現行のライトニングと交代させるためF.2を受領した。
さらに、イングリッシュ・エレクトリック社は新型の攻撃システムを搭載し、ルックダウン・レーダー、慣性航法機器、ミサイルシステムの一新などを盛り込んだ発展型の開発を進め、「ライトニング F.3」として提案を行ったが、イギリス空軍はホーカー P.1154やBAC TSR-2など新型機の登場を期待しており、政府も予算を理由に採用することはなかった。結局、ライトニング F.3は新型機が登場するまでの間を埋めるための機体として、エンジンの換装といったF.2の小改良に留めて約70機が生産された。F.3に改良を加えた ライトニング F.6 は主翼上面に増槽を搭載するように改良されている。その後、P.1154やTSR-2がキャンセルされてしまうと、イギリスはF104 スターファイターの後継機であるパナヴィア トーネード ADVの国際共同開発に参加することになった。
20年以上もイギリスの防空を担当したライトニングだったが、ベトナム戦争では搭載量に優れたアメリカ軍の新型機が運用されており、ほぼ同時期から対地攻撃に向かないライトニングで編成する部隊はなくなった。イギリスのスエズ撤退(第二次中東戦争)にあわせてライトニングで編成されていた部隊が解散されたのを皮切りに、新部隊はSEPECAT ジャギュアの配備を開始した。1974年にライトニングの訓練部隊解散も始まり、第一線用の部隊はライトニングやジャギュアからブリティッシュ ファントムやトーネード ADVと交代していった。最後まで残っていた実戦部隊のうち第5飛行隊が1987年に解散、第11飛行隊も1988年に解散し、ライトニングは全機が退役した。
サウジアラビアに導入されたライトニングはイエメンとの紛争に投入され主に対地攻撃に使用された。
現在[いつ?]では南アフリカのケープタウンにあるサンダーシティ社で、複座型が遊覧飛行用として使用されている。
各種型[編集]
付与コードについては軍用機の命名規則 (イギリス)のマーク・ナンバーを参照。
- ライトニング P.1 - 試作型。無印のP.1と-A/Bとは機体側面形状等が異なる。
- P.1A - サファイア エンジンを搭載した試作型。機体下面に燃料タンクを増設。
- P.1B - P.1Aのエンジンをエイヴォン エンジンに変更した増加試作型。23機製造。
- ライトニング F.1 - P.1Bの量産型。19機製造。
- F.1A - 空中給油装置を付加した改修型。28機製造。
- ライトニング F.2 - エイヴォン 210R エンジンを搭載した型。44機製造+2機改装。
- F.2A - F.2にF.6相当の主翼と垂直尾翼を組み合わせ、胴体下部燃料タンク取り付けの改装を行った改良型。31機改装。
- F.52 - F.2のサウジアラビア仕様。英空軍中古機5機買取。
- ライトニング F.3 - エイヴォン 301 エンジン搭載。機関砲除去。レーダー改装とレッドトップ空対空ミサイル運用能力追加、垂直尾翼大型化など。
- F.3A - 胴体下部燃料タンク大型化による燃料容量増加。改良型主翼の採用。F.6のテスト機的な存在。16機製造。
- ライトニング F.6 - 主翼上に大型増槽が装備可能。機関砲再装備。39機が新規製造。F.3A全機とF.3のうち7機が改修。
- F.53 - F.6のサウジアラビア仕様。主翼外側下部に一箇所ずつハードポイントを装備し、68 mm 19連装ロケット弾ポッド4基 または 1,000ポンド (450 kg) 爆弾2発が装備可能。レーダー改装。33機製造。
- F.53K - F.6のクウェート仕様。F.53に相当。12機製造。
- ライトニング T.4 - F.1Aを基にした並列複座の練習機型。試作2機、製造20機。
- T.54 - T.4のサウジアラビア仕様。英空軍中古機2機買取。
- ライトニング T.5 - F.3の並列複座練習機型。22機製造。
- T.55 - T.5のサウジアラビア仕様。T.5の機体にF.6の主翼と腹部燃料タンクを取り付け。6機製造。
- T.55K - T.5のクウェート仕様。T.55に相当。2機製造。
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ライトニング P.1A マンチェスター科学技術博物館の展示機
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ライトニング F.1A(XM215)。第111飛行隊の所属機(1961年の撮影)
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ライトニング F.2A イングランド、ノッティンガムシャー州バルダートン(Balderton)郊外のスクラップヤードに展示されていた機体[3]。
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ドラッグシュートを展開して着陸する、第11飛行隊のライトニング F.3(XP702)。1980年の撮影
-
ライトニング F.6(XS899)第5飛行隊の所属機。1992年の撮影
性能諸元 (F.6)[編集]
出典: Air Vectors[5].
諸元
- 乗員: 1名
- 全長: 16.84 m (55 ft 3 in)
- 全高: 5.97 m (19 ft 7 in)
- 翼幅: 10.61 m(34 ft 10 in)
- 空虚重量: 12,719 kg (28,040 lb)
- 最大離陸重量: 18,915 kg (41,700 lb)
- 動力: ロールス・ロイス エイヴォン 301R ターボジェットエンジン
- ドライ推力: 58.86 kN (13,220 lbf) × 2
- アフターバーナー使用時推力: 72.77 kN (16,360 lbf) × 2
性能
- 最大速度: 高々度においてマッハ 2.27 (1,500 mph, 2,415 km/h)
- 戦闘行動半径: 1,287 km (800 海里)
- フェリー飛行時航続距離: 2,500 km (1,560 海里)
- 実用上昇限度: 18,000 m (60,000 ft)
- 上昇率: 255 m/s (50,000ft/min)
- 推力重量比: 0.63
- 最大翼面荷重: 428.6 kg/m2 (87.9 lb/ft2)
武装
- * 固定武装
- 胴体下部燃料タンク前部にADEN 30mm機関砲 2門(砲弾120発)
- オプション兵装:前部胴体兵装パックに以下のいずれか1種類を追加装備可能。
脚注・出典[編集]
- ^ ファーンボロの第92飛行隊所属。特徴的な前縁二重後退角と大型化された腹部増槽、外側引込脚が分かる(1964年の撮影)。
- ^ デルタ翼の空力的に意義の薄いとされる内縁部をカットしたもので、図らずも後の標準たるクリップド・デルタ翼の始祖になったと評価されている。離着陸時にデルタ翼機のような大仰角を強いないが、翼内燃料タンクスペースは減じられる。構造上は通常の後退翼に同じ。
- ^ 画像は1992年に撮影されたもので、現在では破損が進んでいる
- ^ 同機は1972年12月14日、空中火災で北海に墜落、喪失された。
- ^ Goebel, Greg. Air Vectors. The English Electric (BAC) Lightning. 最終更新2005年10月1日。
- 参考資料:「ワールド・エアクラフト」デアゴスティーニ ジャパン, "World Air Power Journal"