F-86 (戦闘機)

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F-86 セイバー

F86 sabre.jpg

F-86アメリカ合衆国ノースアメリカン社が開発したジェット戦闘機愛称セイバーSabre)である。

目次

概要 [編集]

1947年10月に初飛行した[2]後に生産国のアメリカ空軍をはじめ、1950年代以降に多くの西側諸国で正式採用された亜音速ジェット戦闘機である。第1世代ジェット戦闘機に分類される。

武装は当初機関砲のみであったが、後にミサイルサイドワインダー)が開発されるとその有効性を実証し(ミサイル万能論)、派生型も含めて9,860機が製造された。アメリカ空軍が1950年代初頭より主力戦闘機として最も重きを置いて配備を急いだ傑作機であったが、朝鮮戦争後にその戦訓を取り入れたセンチュリーシリーズを始めとする新鋭機が短期間で開発されると、急速に陳腐化していった[3]。だが、結果としてアメリカ国内で余剰となったF-86は日本イタリアフランスをはじめとする同盟国や友好国に、大量に供与されることになる[3]

1960年代に超音速戦闘機が多くの国で使われるようになった後も多くの国で使用され、1970年代には第三次印パ戦争に実戦参加した。その後も偵察機や練習機として多くの国で使用され、1993年2月ボリビア空軍機の退役[1]により、全機が退役した。現在では個人所有機が民間機として使用されている。

開発 [編集]

XP-86

第二次世界大戦末期の1944年にノースアメリカン社は、日本軍に対抗する艦上ジェット戦闘機案NA-134をアメリカ海軍に提案していた。これを受けて、1945年1月1日、アメリカ海軍は艦上ジェット戦闘機XFJ-1の開発を発注した。これは、P-51の主翼と尾翼をそのまま流用し、胴体のみジェットエンジン搭載の新設計のものに変えた機体である。この機体の開発を受けて、アメリカ陸軍航空軍は1945年5月23日にXFJ-1の陸上型XP-86の開発を発注した。

そんな最中の1945年6月に、ノース・アメリカン社は先月連合国に降伏したばかりのドイツ国内の占領地から後退翼に関するレポートといった[2]、大量の航空機の先進的実験データを得た。このデータを基にノースアメリカン社は開発中のXP-86の設計を変更し、高速戦闘機に必要な後退翼を装備させる必要があるとして、設計中の機体を後退翼機にする許可を求めた[2]。アメリカ陸軍はこれを了承し[2]、P-51から流用した主翼・尾翼に代えて新設計の後退翼を採用した。完成した試作機XP-86は、1947年10月1日に初飛行を行う。

予想以上の速度性能と、機体運用の実用面で特に問題がないと判断され、F-86の実用化は急速に進められた[4]。1949年にはA型が実戦部隊へ配備される[4]

この後、アメリカ陸軍航空軍はアメリカ陸軍から独立してアメリカ空軍となり、それに伴って使用する航空機の命名法が変更された。陸軍航空軍の戦闘機は追撃機と呼ばれ、追撃 (pursuit) の頭文字 P から始まる一連の番号が振られていたが、1948年6月から戦闘機 (fighter) の頭文字 F が与えられるようになった。そのため、P-86AはF-86Aと改称された。

特徴 [編集]

内部の様子

主翼は捕獲したドイツ軍機の開発研究データを参考に開発した低翼配置の後退翼であり、涙滴型のコックピットを持つ。ノーズ・インテイクであり、ノズルは機体末端に付けられている。

機銃はインテイク周辺に集中装備となっている。また、F-86A戦闘機のバッチ3(F-86A-5)以降では、レーダーを使用した火器管制システムが搭載され、射撃精度は飛躍的に向上した。

F-86A-5ではAPG-5測距レーダーによるA-1Bレーダー照準器、F-86A-6では改良型のA-1CMレーダー照準器が採用され、F-86A-7ではさらにAPG-30測距レーダーが導入された。このシステムはMA-2として整理され、F-86Eにおいても搭載された。またF-86Fにおいては、改良型のMA-3が採用された。

生産の途中で空力的に様々な改良を受けており、E型以降は全浮動式(オールフライングテイル)の水平尾翼を装備し、主翼についても境界制御型と前縁スラット型の2種がある。

沿革 [編集]

朝鮮戦争 [編集]

朝鮮戦争の最中、韓国の水原空軍基地に展開するF-86

F-86の名を上げたのは朝鮮戦争における活躍であった。国連軍が朝鮮戦争に参加した当初、金日成朝鮮人民軍は本格的な航空兵力を持たず、海軍艦載機グラマンF9F パンサー空軍リパブリックF-84GロッキードF-80 シューティングスターなどの直線翼を有するジェット戦闘機、果てには第二次世界大戦中に活躍したF-51DF4U コルセアが活躍出来る程であった。

しかし、中華人民共和国抗美援朝義勇軍が参戦すると、ソビエト連邦から大量に貸与された中国人民解放軍所属のMiG-15鴨緑江を越えて飛来するようになり、直線翼のジェット戦闘機では抗しきれないと判断したアメリカ空軍は急遽、F-86を投入し、朝鮮半島上空にて史上初の後退翼ジェット戦闘機同士の空中戦が繰り広げられた。

結果、投入から休戦までの約2年間に損失78機に対し、撃墜数約800機と言う、実に10対1の戦果を上げた[5]。その後、その優秀性と朝鮮戦争の終結に際して余在機が出たことからF-86は世界各国で採用された。

ミサイル空中戦の先駆 [編集]

空対空ミサイルが初めて実戦で使用され、撃墜を記録したのは1958年9月24日金門馬祖周辺の台湾海峡において行われた、中華民国空軍と中華人民共和国の人民解放軍との交戦(金門砲戦)とされている。

この戦闘において、中華民国空軍はアメリカから供与されたAIM-9 サイドワインダー空対空ミサイルを装備したF-86F戦闘機をもって人民解放軍のMiG-17F(またはJ-5)と交戦、11機を撃墜した。

各国への配備 [編集]

1950年代の西側同盟国空軍で多数が採用され[6]、アメリカ国外ではカナダやオーストラリア、日本などでライセンス生産が行われた。カナダとオーストラリアではエンジンを強化型に換装するなど独自の改良が施され、オリジナルとは別に輸出も行われた。

それでも後継の新鋭機の登場などから旧式化し、1980年代には概ね姿を消すことになる[2]

派生型 [編集]

F-86A
F-86C(YF-93)
F-86D
セイバードッグの愛称は機首の形状から名付けられた
カリフォルニア州サンタローザで、屋外に展示されているRF-86F
TF-86F
F-86H
CA-27 セイバー Mk.32
機首にある砲門の数が米国製と異なるのがわかる
空母フォレスタル艦上のFJ-3 フューリー
XP-86
試作機。3機製造。ノースアメリカン・モデルNA-140。
ちなみにパイロットのジョージ・ウェルチが、1947年10月1日に、チャック・イェーガーに先駆けて音速を突破したと主張しており、信憑性が高いとされる。ただし仮にこれが事実としても、急降下による加速によるものであり、F-86の系列機は超音速機の範疇には含められない。
F-86A
旧称P-86A。エンジンはJ47-GE-13(推力 23.4kN)を搭載。554機製造。
DF-86A
無人標的機。
RF-86A
偵察機型、F-86Aより改装。11機改装。
F-86B
A型を改良、大型タイヤと燃料タンクを装備する型。188機発注も計画中止。
F-86C
空気取り入れ口を側面に移してNACA型インテークにするなど機体を大幅に改造。後にYF-93Aに名称変更。「侵攻戦闘機計画(penetration fighter)」の競合(XP-88XF-90)に参加したものの不採用。試作機2機製造。
YF-86D
全天候戦闘機型の試作機。開発当初はYF-95Aの名称であったが、朝鮮戦争による財政悪化のため、F-86の派生型として採用に至る。2機製造。
F-86D
全天候戦闘機型。F-86を名乗るものの、A型までとは外見から性能まで異なり、部品の共通率も20パーセントにとどまる。その外見から「セイバードッグ」と呼ばれている。2,504機製造。
大きな特徴は、E-4 レーダー火器管制システムを備えたために飛び出して鼻のように見えるレドーム、ほかのF-86よりもさらに鋭角に後退した翼などである。レーダー搭載ジェット戦闘機としては初の単座機であり、操縦もレーダー操作もひとりで行わねばならず「手が3本必要」とパイロットを嘆かせた。
性能面では、エンジンにアフターバーナーを備えて速度を増している。この機体は当時、脅威を増しつつあったソ連爆撃機を迎撃するため開発され、主武装は「マイティマウス(en)」24連式空対空ロケット弾(無誘導)のみとなっている。このロケット弾は自機と高速で交差する爆撃機の撃墜を目的とし、機体のFCSが計算した唯一のタイミングに一斉発射される[7]。なお、フィアット社が開発したG.91は本機の図面を参考に開発された。
F-86K
D型の火器管制システムを軍事機密上の理由から簡易型のMG-4に、武装を空対空ロケット弾ではなく20mm機関砲4門に変更した輸出向け。イタリアやドイツなど主にNATO諸国で使用された。ノースアメリカン社で120機、フィアット社で221機製造。
F-86L
D型の改良型。データリンクなどを始めとする電子装置の改良、主翼の改良などを行った。981機改造。
F-86E
全遊動水平安定尾翼を導入した型。456機製造。E-1、E-5、E-10、E-15のサブタイプがある。アメリカ空軍は朝鮮戦争の影響により、カナディア社製セイバーMk.2をE-6型として60機購入した。
F-86E(M)
イギリス空軍を始めとするNATO向け機体。
QF-86E
カナダ空軍向けのセイバーMk.5を標的機に改造した型。
F-86F
エンジンをJ47-GE-27(推力 26.3kN)に強化し、「6-3翼」を導入した型。「6-3翼」とは、主翼の前縁を6インチ、翼端を3インチ延長し、前縁スラットを廃止、境界翼としたものである。F-1、F-2、F-10、F-15、F-20、F-25、F-26、F-30、F-40といったサブタイプがあり、F-2型のみ機銃が20mm機関砲4門に変更されている。1,800機以上が生産され、三菱重工でもライセンス生産された。
QF-86F
航空自衛隊より返却されたF-86Fをアメリカ海軍向けの標的機に改造したもの。50機改造。
RF-86F
F-86F-30を偵察機に改造した型。航空自衛隊でも18機が同様の改造を受けたが、仕様が異なる(後述)。
TF-86F
複座練習機型。F-30型より1機、F-35型より1機改造。計画中止により不採用。
F-86G
D型にJ47-GE-33エンジンを搭載したもの。406機が生産されたが、後にD-60型に改名された。
YF-86H
戦闘爆撃機型の試作機。エンジンの強化や燃料タンク容量の増加などが行われた。2機製造。
F-86H
戦闘爆撃機型。エンジンはJ73-GE-3(推力 41.14kN)を使用。473機製造。低高度爆撃システム(LABS)や核爆弾投下システムの搭載が行われた。H-1、H-5、H-10のサブタイプが存在し、H-5型から機銃が20mm機関砲4門に変更されている。
QF-86H
H型の無人標的機型。29機が改造され、アメリカ海軍で使われた。
F-86J
F-86A-5-NAにアブロ・カナダ社製のオレンダエンジンを搭載したもの。カナダ空軍向け。計画中止により不採用。
セイバー Mk.2
カナダカナディア社製。E-1型相当。290機製造。
セイバー Mk.4
カナディア社製。E-10型相当のイギリス向け。438機製造。
セイバー Mk.5
カナディア社製。エンジンをオレンダ10(推力 28.91kN)に強化し、「6-3翼」を導入した。370機製造。
セイバー Mk.6
カナディア社製。エンジンをオレンダ14(推力 32.35kN)に強化し、主翼に前縁スラットを追加。655機製造。
CA-27
オーストラリアのCAC社製。エンジンはロールス・ロイス製のエイヴォンを搭載し、機銃は30mm機関砲2門に変更。「エイヴォンセイバー」の通称で呼ばれた。Mk.30、Mk.31、Mk.32のサブタイプがあり、112機製造。
FJ フューリー(F-1)
アメリカ海軍向けの艦載機。正確に言うとFJ-2〜4までがF-86の派生型である。FJ-1はF-86の採用に先立ってアメリカ海軍に採用された戦闘機である(詳細は上記・開発の欄を参照)が、低性能のため実戦機としては使用されず、練習機として使用された。後に改良されたF-86が空軍において素晴らしい性能を発揮したのを見て、海軍もほぼ同じ機体をFJ-2/3として採用し、さらに海軍独自の改修を加えたFJ-4が開発された。1962年命名規則改正でF-1に呼称変更。
その他
ユーゴスラビアにおいてF-86Dを偵察任務に改造した独自の機種が開発された。なお、同国は社会主義国でありながら独特の中立政策を採ったため、1950年代にF-86やF-84、T-33などを米国から供与された経緯を持つ。

運用国 [編集]

F-86 Operators.png
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アルゼンチンの旗 アルゼンチン
1960年よりF-86F 28機を運用する。フォークランド紛争の際は既に予備兵器となっていたが、現役に復帰した。しかし、戦闘には参加していない。その後、1986年に全機が退役する。[要出典]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イギリスの旗 イギリス
ホーカー ハンターが配備されるまでの繋ぎとして、セイバーMk.4を428機取得。
イタリアの旗 イタリア
F-86Kとカナディア社のMk.4を導入。
イラク王国の旗 イラク
イラン帝国の旗 イラン
エチオピアの旗 エチオピア
1960年よりエチオピア空軍がF-86Fを運用する。
オーストラリアの旗 オーストラリア
カナダの旗 カナダ
韓国の旗 韓国
1955年よりアメリカで製造されたF-86F及びRF-86Fを取得し、大韓民国空軍にて122機が運用された。
ギリシャの旗 ギリシャ
コロンビアの旗 コロンビア
アメリカ空軍の余剰となったF-86F、及びカナディア社製Mk.6を運用。
サウジアラビアの旗 サウジアラビア
スペインの旗 スペイン
アメリカで製造されたF-86F 270機を運用。1972年退役。
タイの旗 タイ
1962年より40機のF-86Fを運用する。
中華民国の旗 中華民国
台湾岡山空軍官校にて展示されるF-86
1950~60年代中華民国空軍の主力戦闘機としてF-86Fを320機、RF-86Fを7機、F-86Dを18機運用した。1977年に全機が退役。
チュニジアの旗 チュニジア
1969年にアメリカ空軍の中古機(F-86F)を導入。
西ドイツの旗 西ドイツ
西ドイツ空軍がF-86Kとカナディア社製機を運用。
タイの旗 タイ
トルコの旗 トルコ
ノルウェーの旗 ノルウェー
1957年から1958年にかけてF-86Fを取得し、ノルウェー空軍にて運用する。
パキスタンの旗 パキスタン
1950年代にアメリカから供与を受ける。第二次/第三次印パ戦争においてインド空軍ハンターナットとの空中戦を繰り広げ、撃墜も経験している。供給元のアメリカが禁輸措置を取ったため、イランが取得した機体を同国がパキスタンに転売する形でカナデア製セイバーを導入するなど戦力維持に努めた。しかし、後継機としてミラージュIIIJ-6が導入された事もあって1980年代には飛行不能になり、退役した。
バングラデシュの旗 バングラデシュ
第三次印パ戦争で、バングラデッシュ空軍が旧東パキスタンに配備していたパキスタンのF-86を鹵獲。旧ソ連からMiG-21が供与されるまで、独自に再生して使用した。
フィリピンの旗 フィリピン
フィリピン空軍が1957年に50機のF-86Fの運用を開始する。1970年代前半頃退役。
ベネズエラの旗 ベネズエラ
ペルーの旗 ペルー
1955年にアメリカで製造されたF-86Fを導入し、1979年に全機が退役する。
ベルギーの旗 ベルギー
F-86Fを運用。
ボリビアの旗 ボリビア
ベネズエラ空軍の中古機(F-86F)を取得し、運用した。1993年に退役。
マレーシアの旗 マレーシア
1969年に旧オーストラリア空軍機(CAC社製)を無償提供された。
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
インドネシアの旗 インドネシア
1973年に旧オーストラリア空軍機(CAC社製)を無償提供された。
ミャンマーの旗 ミャンマー
パキスタン空軍の中古機を1970年代に購入するが、資金不足やスペアパーツの不足で1980年代には退役したという。
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア

日本での運用 [編集]

概要
航空自衛隊浜松広報館で展示されるブルーインパルス仕様機
日本においては、航空自衛隊の主力戦闘機としてF-86Fを435機、全天候型戦闘機としてF-86Dを122機配備した。航空自衛隊が運用したF-86Fは、主翼前縁に自動スラットを装備し、両翼端を12インチ延長した6-3ウイングと呼ばれる主翼を持つF-86F-40が主力だった。F-86Fのうち18機は偵察機RF-86Fに改造された。自衛隊での正式な愛称は旭光(きょっこう)。
ブルーインパルスの初代機体でもあり、東京オリンピックにて大空に五輪旗を描いたことでも有名で、長く活躍したことから「ハチロク」と呼ばれて親しまれた。
導入経緯
1954年の航空自衛隊の発足に際し、アメリカの相互防衛協力関係強化を目的に相互安全保障法(MSA)に基づく相互防衛援助計画(MDAP)を開始する[8]T-6練習機C-46輸送機などの第1次供与に続き、F-86FやT-33ジェット練習機を日本国内での航空機組み立てを決定する[8]。F-86Fが選ばれたのは、極東の資本主義圏の最先端にいた日本が、共産軍の空からの侵攻を最も警戒していたためであった[8]
国産化はT-33が79機にF-86Fが70機とし、それぞれ川崎航空機新三菱重工が担当することが決定する[8]。だが、当時のF-86Fの価格は約1億5000万円とされ、約7億円という当時の防衛庁に割り振られた年度航空機購入予算では賄えるわけもなく、すべてMSA援助に頼ることとなった[8]。1955年6月に日米両国政府間で交渉が行われ、同年8月6日に防衛庁長官が新三菱重工に70機のノックダウン生産の内示書が手渡された[8]
第1次生産分(ノックダウン生産)70機の製造は1956年3月11日に新三菱重工第5工場でスタートし、1号機は予定より早く完成し、8月9日に初飛行を成功させている。その後、第2次生産分で110機、第3次生産分で120機が製造された[9]
また、上記の生産機分が揃うまでの処置として、アメリカ軍のF-86Fの供与も開始された[3]。第1陣は築城基地にて9機が引き渡され、1956年には更に171機が供与される[3]。ちなみにこれら供与された機体は主翼の形状が異なるなど、規格や仕様が同一でなく問題も多かったとされる(後述)[3]
機体
航空自衛隊では3種のF-86を運用した。
F-86F
展示されるF-86F-40「旭光」
1954年昭和29年)に誕生した航空自衛隊の主力戦闘機として、翌1955年(昭和31年)にF-86F-25/-30が28機[3]、F-86F-40が152機の計180機のF-86Fが米空軍から供与された。
続いて「小麦資金」[3]を財源とし、同年から1957年(昭和32年)まで三菱重工業にてF-86F-40を70機ノックダウン生産、続いて国産品を使用したライセンス生産第2次生産分で110機、ほぼ全ての部品を国産化した第3次生産分(生産できない部品は米国の無償援助)で120機、1961年(昭和36年)までに総勢480機が配備された。この「小麦資金」は、戦後の食糧不足の際にアメリカ側が有償提供した小麦の対価をアメリカ政府が日本円で累積保有していたもので、1953年(昭和28年)5月に航空機の生産を援助するためにこの資金を使用する用意があることが日本側に伝えられ、F-86F製造のために36億円が使用された[3]。また「小麦資金」はT-33 210機分の調達費用としても使用されている[3]
一方で、機数を急激に増やしたためパイロットや整備員の育成が追いつかずにいた[10]。このため供与された機体の内の40機が、使用されずに木更津基地に格納された[10]。だが、これが防衛費の無駄であると問題となり、1952年(昭和27年)2月から1964年(昭和39年)にまでに使われずにいた計45機を米国へ返還したため、航空自衛隊はF-86Fを計435機運用する形となった[10]。-25/30仕様の機体は後に三菱によって-40仕様に改修されるが、内18機はRF-86Fへの改造に際して-40仕様に改修されている[3](後述)。
1955年(昭和30年)12月1日に航空自衛隊は、パイロット・整備員の育成と供与された機体が揃ってきたことから、浜松基地にF-86Fを装備するパイロット育成を第一任務とした、航空自衛隊初の航空団である「航空団」(後の第1航空団)の編成が行われた[10]。同時に浜松基地では、ジェット機運用のための整備工事が進められた[10]。翌1956年(昭和31年)1月10日、供与機による訓練が行われていた築城基地にて第1飛行隊が新編され、同年8月24日に浜松基地へ移駐となる。8月25日には第2飛行隊も新編され、同年9月より国産F-86Fの引き渡し[10]が開始された。10月11日には浜松基地にて第2航空団と隷下の第3飛行隊が組織される[10]
その後、1961年(昭和36年)までに第4、第5、第6、第7、第8、第9、第10飛行隊が編成された。
RF-86F
F-104J/DJの導入によって余剰となるF-86Fのうち、-25/-30の中から18機が写真偵察機のRF-86Fに改造され、1961年(昭和36年)11月6日から1962年(昭和37年)3月にかけて引き渡された。
計画自体は1953年まで遡り、当時アメリカ軍立川基地兵站部に勤務する日本人技師チームに、F-86Fをベースとした写真偵察機の製作「ヘイメーカー計画」の設計を命じた[11]。その後、1960年に偵察機を欲していた航空自衛隊に、この「ヘイメーカー計画」の設計図がもたらされたのが始まりとなる[11]。ただ、偵察機自体は以前から考えられていたものだが、資金面の問題から新造機の導入ではなく、現存機の改造という形になった[12]。三菱重工小牧南工場にて、仕様等の違いから使用されずにいた初期供与機のF-86F 18機と整備教材用1機の計19機が「RF-86F」へと改造された[11]。オリジナルのRF-86は主翼が-30仕様であり、この初期供与機も-30仕様の機体だったが、航空自衛隊では偵察機への改造に際して-40仕様に改修している。なお、機首部分にある銃口部は機関砲を撤去したため、威嚇用ダミーとなった[13]
カメラは長焦点40インチの「K-22」を2台と、短焦点6インチの「K-17」の2種類を搭載する[13]。主翼付け根付近左右にK-22の涙滴状フェアリングが、機首下部にK-17の四角いフェアリングが備わる[13]。また、それぞれにカメラレンズのための窓とシャッターが設置されている[13]
1961年12月に偵察航空隊第501飛行隊へ配備が行われた[12]RF-4Eの導入により異機種運用となったが、後に航空総隊司令部飛行隊に配置替えとなる[12]。その航空総隊司令部飛行隊所属機も1979年10月に退役となり、全機のRF-86Fが退役した[12]
F-86D
北海道、秩父別町で展示されるF-86D
日本が初めて得た全天候戦闘機型のF-86Dは1958年(昭和33年)から供与が始まり、1958年8月1日に第101飛行隊を編成後、1962年までに第102、第103、第105飛行隊の計4個飛行隊[14][15]が編成、計122機(内24機は部品取用[15])が配備された。配備された122機のほとんどが、F-102への機材変更で不要になった在日米軍の中古機体を供与されたものであった。
電子機器に使用された真空管は湿度の高い日本で故障を繰り返し、航空自衛隊へのF-104配備や部品の枯渇による稼働率低下もあって、F-86Dを配備していた部隊は徐々に姿を消していった。最後まで残った第101飛行隊も1967年(昭和42年)1月に解散し、F-86Dの運用は10年にも満たない短い期間に留まることとなった[15]。ただ、本機の運用実績から、全天候戦闘機運用のノウハウを得る事ができたため、航空自衛隊にとっては極めて意義が高かったと言える。
退役
1962年(昭和37年)から後継の主力戦闘機F-104Jが配備後は、F-86F飛行隊の解散が始まり、支援戦闘機として、要撃戦闘機としてのF-104Jの補完と、能力不足ながらロケット弾や爆弾を用いた対艦攻撃の任務についた。しかし、国産のF-1の配備が始まり、1977年(昭和52年)10月1日に第3飛行隊が、1980年(昭和55年)2月29日に第8飛行隊が、11月13日に第6飛行隊がF-1に機種転換をしたことにより、実戦部隊からは退いた。旧F-86F部隊のうち、支援戦闘機部隊となった第3・第6・第8飛行隊以外はすべて解隊された。
最後までF-86Fを運用していた入間基地の総隊司令部飛行隊では、1982年(昭和57年)3月15日に引退セレモニーを実施し、全機退役した。

スペック(F-86F-40) [編集]

F-86F Sabre afg-041110-019.jpg
  • 全幅:11.3 m
  • 全長:11.4 m
  • 全高:4.5 m
  • 主翼面積:26.7 m²
  • 最大離陸重量:6,300 kg
  • エンジン:J47-GE-27
  • 推力:26.3 kN
  • 最高速度:570 knot (1,105 km/h)
  • 実用上昇限度:14,330 m
  • 航続距離:2,454 km
  • 固定武装:12.7 mm M2機銃 6門
  • 爆弾:最大 900 kg
  • 乗員:1名

登場作品 [編集]

映画
  • 『潤滑油』
潤滑油を解説した科学映画。後半にF-86Dのエンジンと離陸シーンを用いて解説している。
朝鮮戦争を舞台にF-86装備の飛行隊の活躍を描く。アメリカ空軍による実機を使用した空戦シーンを見ることが出来る。なお、この作品で敵役のMiG-15に扮するのはF-84Fである。
防衛隊の戦闘機として登場し、ゴジラに対してミサイル攻撃を行った[17]。この後の昭和東宝特撮映画でも、防衛隊(防衛軍=自衛隊)の航空兵力として登場。『空の大怪獣ラドン』と『モスラ』では、機首部の実物大大道具も用いられた。大半はF-86Fだが、一部F-86Dも実写映像で登場する。
また、「ウルトラシリーズ」や「昭和ガメラシリーズ」においても、航空自衛隊防衛隊防衛軍)の主力戦闘機として、F-104JF-4戦闘機と共に、幾多の怪獣を迎撃した。『ゴジラ対メガロ』ではF-86Fのラジコンも武器として用いられている。
航空自衛隊浜松基地を舞台にした映画。公開当時(1964年)の航空自衛隊の主力要撃機であった。
東京オリンピック開会式にて、航空自衛隊ブルーインパルス機が五輪マークを描く。高速で飛び去る機体が一瞬だけ映るのみだが、モデリングは細部まで再現されている。
テレビ
松竹制作の変身ヒーロー特撮テレビ作品。あけぼの町を防衛する戦闘機として登場した。
小説
ミスターパープルにより轟天(メッサーシュミット Me262の改良型)に対抗するためアメリカ軍に作られたジェット機(多少の改造があり実際より格闘戦に強い機体となっている。

脚注 [編集]

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  1. ^ a b 1993年の航空を参照。
  2. ^ a b c d e 世界のジェット戦闘機FILE P14
  3. ^ a b c d e f g h i j 丸[MARU] 2010年12月号P72
  4. ^ a b 世界のジェット戦闘機FILE P15
  5. ^ 1990年代半ばに4:1であったと修正。ソ連資料では損失の比が2対1にまで小さくなっている
  6. ^ 世界のジェット戦闘機FILE P17
  7. ^ 『月刊モデルアート』2003年12月号p30
  8. ^ a b c d e f 丸[MARU] 2010年12月号P70
  9. ^ 丸[MARU] 2010年12月号P71
  10. ^ a b c d e f g 丸[MARU] 2010年12月号P73
  11. ^ a b c 『月刊モデルアート』2003年12月号p22
  12. ^ a b c d 『月刊モデルアート』2003年12月号p24
  13. ^ a b c d 『月刊モデルアート』2003年12月号p23
  14. ^ 第104飛行隊が存在しないのは、F-104Jとの混同を避けるため
  15. ^ a b c 『月刊モデルアート』2003年12月号p29
  16. ^ 垂直尾翼には04-8176と書かれているが、胴体左側に書かれている表示から、実際には84-8111号機だと分かる。
  17. ^ 航空自衛隊へのF-86Fの供与が始まったのが1955年からであるから、一足早い登場となった。

参考文献 [編集]

関連項目 [編集]