中国人民解放軍空軍

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中華人民共和国の軍事
中国人民解放軍軍徽
最高軍事指導機関
中央軍事委員会
中国共産党中央軍事委員会中華人民共和国中央軍事委員会
中国人民解放軍構成
中国人民解放軍 中国人民解放軍
陸軍 陸軍 海軍 海軍空軍 空軍
第二砲兵部隊戦略ミサイル部隊(第二砲兵)

政治委員 兵種 予備役 人武部
国防大学 軍事科学院 国防科技大学


People's Armed Police cap badge 2007.png中国人民武装警察部隊

中国民兵
駐特別行政区部隊
駐香港部隊 駐マカオ部隊
四総部
総参謀部  総政治部
総後勤部  総装備部
七大軍区・三大艦隊
瀋陽軍区 北京軍区 蘭州軍区
済南軍区 南京軍区 広州軍区
成都軍区
北海艦隊 東海艦隊 南海艦隊
階級制度
人民解放軍  武装警察
行政機関
国防部(国防省) 国防科工局
国家国防動員委員会 国家辺海防委員会
軍事思想と歴史
人民戦争理論 人海戦術
解放軍の歴史
ゲリラ 運動戦 超限戦
関連法規
国防法 兵役法
国防動員法 国防教育法 人民防空法
現役将校法 預備役軍官法
中国人民解放軍軍官軍銜條例 中国人民解放軍政治工作条例
中国人民解放軍空軍の旗

中国人民解放軍空軍(ちゅうごくじんみんかいほうぐんくうぐん)は、中華人民共和国空軍組織であり、人民解放軍の空軍部門である。

「人民解放空軍」と表記されることがあるが、「人民解放軍 空軍」が正式な組織名称である[1]

概要[編集]

1949年11月11日(現地時間)創立。

空軍の兵種は、主として航空兵、地上防空兵、レーダー兵、空挺兵、通信兵、電子対抗兵、技術偵察兵、化学兵器防護兵などから成る。総兵力33万人(空挺部隊3万5千人を含む)。

航空兵部隊は、作戦機約2,500機を有し、その構成は戦闘機は約1570機、攻撃機/爆撃機は約550機、輸送機は約300機となっている。また現代の航空戦に必須なAWACS機、電子戦機空中給油機も保有している。

これらの航空機を運用する部隊のほかに、地上から防空任務を担う部隊を持っている。地上防空兵は運用装備の違いにより高・中高度地対空ミサイルを運用する部隊、短射程地対空ミサイルを運用する部隊、高射機関砲を運用する部隊がある。高・中高度地対空ミサイルを運用する部隊は中央政府庁舎・放送局・通信施設・発電所・重要工場・貯油施設/ガスタンクなどの重要インフラを含む都市など大エリアの防空を任務とする。日本の航空自衛隊高射部隊と同じような役割を担っている。短距離地対空ミサイルを運用する部隊は主として基地防空を担い、空軍の所掌する航空施設やレーダーサイト、防空指揮所等を防空する。また低空侵入する航空機や、亜音速で低飛行する巡航ミサイルに対しては、高射機関砲の使用も有効な場合があり地上防空部隊の装備品となっている。

その他に外国の空軍と異なる中国空軍の特徴として、空挺部隊を指揮下に置いている事である。3個師団を有し、それらを束ねる第15空挺軍が空軍総司令部の直接の指揮下にある。空挺部隊の兵士は高度に訓練されており、特殊部隊としての能力を一部兵士は獲得している。

歴史[編集]

国共合作期[編集]

中華人民共和国建国以前の中国共産党は、空軍を創設することは叶わなかったものの、空軍力への関心を既に持っていた。

第一次国共合作期間の1924年6月16日、孫文は、コミンテルンの支援のもと広州黄埔軍官学校を設立した。同年9月には広東航校という航空学校を設立し、黄埔軍官学校卒業生からの選抜生徒を入学させ、航空要員の育成を始めた。中国共産党も数名を広東航校に入学させた。

1926年、中国共産党は党員であり広東航校の卒業生の常乾坤をソ連に派遣し、航空要員となるための教育訓練を受けさせた。常はその後、中国人民解放軍空軍の初代副司令員となった。中国共産党はその後1927年と1935年の2回に分け、選抜された27名の党員を航空要員育成を目的としてソ連に送り出した。

一方国内においても、日中戦争時の第二次国共合作期の1938年3月に、新疆軍閥盛世才の下へ、紅軍幹部等を選抜し43名を派遣し、航空要員の育成を図った。また国民党経営の航空学校にも引き続き共産党員を入学させた。国民党空軍兵士に対するリクルートも積極的に行われた。

この時期の中国共産党は、可能な限り党外のリソースを利用し、航空要員といったマンパワーを育成することを主眼としていた。

国共内戦期[編集]

日中戦争終了後の国共内戦期は、中国共産党は中国東北部(旧満州帝国)の日本軍の鹵穫機や航空用資材を手に入れ、1946年3月1日に中国共産党初の航空学校の東北民主連軍航空学校通化に設立した。その後同年5月に、内戦の激化により学校を牡丹江に移した。この学校には旧日本軍の士官と隊員が教官を務めるなど重要な位置を占めた。学校設立以後、本格的にパイロットや航空技術者の育成が行われた。

1947年7月の時点で、航空要員560名が養成され、内126名がパイロットとして養成された。彼らはその後に創設される空軍の礎となった。

空軍創設直前からの動き[編集]

国共内戦は、最終的に中国民衆(特に人口数の上で最大の無産階級)の支持を背景に所謂「人民戦争理論」に基づく「人海戦術」を採った共産党側が内戦の主導権を握り、圧倒的な勝利に終わった。国民党側の多くは寝返り残党は台湾に撤退した。

国民党の台湾撤退の動きは1949年初頭頃から始まっていた。共産党指導部は台湾奪取に向けて人民解放軍の編成の検討を行っていた。中国大陸と台湾の間には台湾海峡が横たわっていて、台湾攻略には海軍と空軍が是非とも必要との見解であった。1949年7月の毛沢東から周恩来への手紙には中国(共産側)が短期間で敵空軍(国民党空軍)を圧倒することは不可能であり、そのために旧ソ連軍に要員3~400人を選抜し、6~8ヵ月の教育を受けさせ、かつ100機前後の航空機を購入し、来年夏季には台湾奪取に備えたいという内容であった。1949年9月中国人民政治協商会議第1期全体会議で、毛沢東は強大な陸軍のみならず強大な海・空軍を保持する旨の発言を行った。

共産党指導部の動きと並行して、中央軍事委員会は1949年3月に東北民主連軍航空学校の教員から選抜し軍委航空局を設立した。この軍委航空局の役目は共産党の航空事業の全てを統合し指導を行いこととされ、空軍設立に備えた。中央軍事委員会は空軍司令部の設立を決定し、1949年10月25日に初代空軍司令員以下の人事を決定した。空軍司令部は1949年11月11日に正式に設立され、人民解放軍空軍が発足した。準備組織である軍委航空局は直ちに廃止された。

空軍創立後段階的に、6個の軍区司令部が設立された。1950年8月に東北軍区空軍司令部と華東軍区空軍司令部が、同年9月に中南軍区空軍司令部と西南軍区空軍司令部が、同年10月に華北軍区空軍司令部が、1951年12月に西北軍区空軍司令部が設立された。その後各軍区の名称変更が成され、司令部の設置されている都市名となった。(東北軍区→瀋陽軍区、華東軍区→南京軍区、中南軍区→武漢軍区、西南軍区→重慶軍区、華北軍区→北京軍区、西北軍区→蘭州軍区)また、軍区内に空軍司令部の他に指揮組織が設けられている所もあった。その指揮組織は福州済南成都の3都市に設けられた。

航空学校は空軍創立前は東北民主連軍航空学校の1校だけであったが、空軍創立時に他に6校開校し、中国人民解放軍第1~第7航空学校という名称となった。1953年末には7校から12校に増やされた。この時点で空軍は約6000名のパイロットと2万4000名のその他の航空要員を養成していた。航空要員に必要な人員は陸軍から大量に供給し、教員や装備の大部分はソ連軍の支援により成り立っていた。

朝鮮戦争期[編集]

1950年10月から1954年の初めまでに、空軍航空部隊は28個師団70個連隊が創設され、約3000機の航空機を保有するまでになっていた。 中華人民共和国(以降、中国と略す)は、朝鮮戦争朝鮮民主主義人民共和国(以降、北朝鮮と略す)側が劣勢に立たされ、戦線が限りなく鴨緑江に近づくと、このままでは国連軍が中朝国境を越えて中国側に攻め入ると危機感を持った。1950年10月末に実質的に中国人民解放軍である中国人民志願軍という形で北朝鮮側に立ち戦争に参加した。まず初めに中国陸軍部隊の人民志願軍が参戦し、1950年12月から中国空軍部隊の人民志願軍空軍が参戦した。

まず初めに、東北民主連軍航空学校で養成された第4航空師団の部隊を人民志願軍空軍に編入させた。その部隊は前線基地の安東飛行場に進出し、そこで戦闘訓練を行った。1951年1月20日に、人民志願軍空軍とアメリカ空軍の戦闘機同士の空中戦が初めて行われた。この空中戦で中国側のMiG-15 はアメリカ空軍の1機のF-84に損傷を与えた。また同月29日にも空中戦が行われ中国側は1機のF-84を撃墜をしたと中国側の記録に記されている。この撃墜は中国空軍史上初である。中国側のMiG-15はアメリカ空軍のB-29爆撃機を多数撃墜している。それまでは一貫して朝鮮半島ほぼ全域の制空権を握っていたアメリカ軍の自信は、中国人民志願軍空軍のMiG-15の登場に依って揺らぎ始めた。

しかし熟練パイロットの操縦する新型機F-86セイバーの登場により、アメリカ空軍が制空権を失う心配は杞憂であった事を証明した。F-86とMig-15の性能は、ほぼ同等であった。しかし操縦するパイロットの質は中国側が大きく劣っていて、訓練時間が少なく、実戦経験が不足していた。

中国人民志願軍の作戦機は、数参戦初期は650機、1951年中頃は1050機、1952年末までには1485機をソ連から獲得したとされる。朝鮮戦争の期間、人民義勇軍空軍の戦果は、中国側の発表とアメリカ側の発表が大きく食い違っている。中国側資料では中国側の損害は撃墜231機、損傷151機で、戦果は撃墜330機、損傷95機となっている。アメリカ側資料では国連軍側の戦果は撃墜976機、失った機体は1986機だがその内空中戦で失ったのは僅か147機となっている。

金門砲戦[編集]

1958年7月、国民党空軍の偵察機は金門島周辺の福建省の航空基地にMig-17Mig-19等の中国側の戦闘機が多数集められていることを察知した。周辺上空ではその中国側戦闘機が活発に飛行するようになった。同年7月29日、中国側の4機のMig-17が国民党空軍の数機のF-86セイバーを撃墜した。中国側は福建省に戦闘機を集中配備し、その圧倒的な数で金門島周辺の制空権を握った。その後8月23日に金門島の国民党軍の基地に向けて中国側の榴弾砲による激しい砲撃が始まった。この砲撃に連なる戦闘は金門砲戦と呼ばれている。翌24日に金門島上空では中国軍のミグと国民党軍のセイバーの間の空中戦が行われた。この戦闘で国民党のセイバー戦闘機が搭載する空対空ミサイルサイドワインダーミサイル)により中国側のMIG-17戦闘機が多数撃墜された。史上初めての空対空ミサイルによる撃墜記録であった。またこの時に、ミグ機に命中した不発ミサイルが回収されソ連の手に渡った。このミサイルはリバースエンジニアリングされ、R-3ミサイルが開発された。このミサイルは中国でライセンス生産されPL-2と呼ばれている。

60年代以降[編集]

中国人民解放軍空軍は、多くの面でソ連/ロシアの運用思想に基いて建設されており、そのため、運用する機体はいずれもソ連/ロシアの技術を元にして開発されたものである。従来は、質的な劣勢を量によって補っていると評されていたが、1960年代以降の中ソ対立によって新技術の提供が打ち切られたことから、これらをベースとして発展させた航空機の開発に転じた。現在は、ロシアとの関係改善や中国自身の経済発展などを背景に、ロシアからの完成機の購入およびライセンス生産、また国産の航空機に西側の技術を導入することによって、保有する航空機の質的向上を図っている。

戦闘機については、現時点でその数的主力は、中国がMiG-21を国産化したJ-7、およびこれをベースに開発した拡大改良版のJ-8II[2]、ライセンス生産も行われたSu-27、および輸入のSu-30などである。現在も設計が旧式な機体を更新するべくSu-27系列の機体や国産のJ-10戦闘機等の第4世代戦闘機の導入が第2世代戦闘機を1対1で代替するペースで進められている。また、空中早期警戒管制能力の整備を進めており、輸送戦力についても、長く使われたY-8の更新のため、Y-9による更新をはかる一方、より大型のIl-76MDの取得も進めている。その結果、人民解放軍空軍の質と量をあわせた数量的空軍力は、日本、韓国、在日在韓米軍をあわせたものに匹敵し、インドを含むアジアの空軍で最大であり、訓練時間の増大やAWACSの導入を含め、その急激な近代化がアジアの軍拡を誘発しているとされる[3][4]

2010年5月20日グアム島の米軍基地を爆撃できるだけの飛行性能を持つ、現有のH-6を改良した新型大型長距離爆撃機を開発していることが明らかになった。

組織[編集]

全空軍の中枢機関は、空軍司令部・空軍政治部・空軍連勤部・空軍装備部の4つの部門で構成され、空軍総部と呼ばれる。中央軍事委員会の執行機関である四総部と同様にその4部門は上下関係の無い互いが並列した組織である。

その下の組織として七個の軍区空軍が置かれる。それぞれの軍区空軍の管轄するエリアは七大軍区の大軍区と一致している。

平時には、空軍総部の司令部は、各軍区に展開する隷下部隊について、作戦運用、訓練、その他の管理運営上の問題について責任を有している。

戦時には、戦区司令部が臨時に設立され、1つ又は複数の大軍区内の陸軍・海軍・空軍が持つ全ての通常兵力を投入した統合作戦の指揮を行う。戦区司令部は、単独の大軍区司令部がそのままスライドして設立する場合と、複数の大軍区に跨って設立される場合があり、後者の場合は各大軍区の司令部を統合して一つの臨時の司令部が造られる。

軍区空軍司令部で指揮を採る司令員政治委員は、同時に大軍区の副司令員と副政治委員を兼務している。戦時に戦区が一つの大軍区のみで構成される場合には、大軍区内の陸軍部隊や海軍部隊のと共に実施される統合作戦共同作戦を戦区司令部に於いて指揮する。

空軍の兵種は、主として航空兵、地上防空兵、レーダー兵、空挺兵、通信兵、電子対抗兵、技術偵察兵、化学兵器防護兵などから成る。

ある一つの軍区空軍を抜き出して俯瞰するとその指揮系統は航空兵の場合は以下のようになっている。

戦区司令部
 
 
 
 
指揮所
 
師団
 
航空連隊
 
航空大隊
 
航空中隊
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
軍区空軍司令部
 
 
 
 
空軍司令部
 
 
 
 
基地
 
旅団
 
航空大隊
 
航空中隊
 
 
 
 
 

最も基本的な戦術単位となる航空連隊では、基本的に同一機種で構成されている。その上の師団では戦闘、攻撃、爆撃、輸送など任務別に分けられている。またごく最近では、指揮所と航空兵師団を統合した部隊単位の「基地」が創設された。隷下には旅団が設置されている。旅団の隷下には航空大隊が設置されている。この「基地」という名称であるが、中国では軍用の航空機を運用する滑走路を有した施設のことを「軍機場」(直訳すれば「軍飛行場」)と呼び「基地」という名称を用いないので、この語句を使用しても混乱は生じない。

また中等飛行訓練を司る飛行学院がハルビン石家庄西安に3個設けられている。各飛行学院隷下には旅団が設けられている。

防空兵部隊は、ロシアから最新式の地対空ミサイルを輸入し運用するとともに、リバースエンジニアリングを行い国産化した地対空ミサイルも運用している。防空兵部隊の総要員は予備役も含めた空軍全体の半分を占めているといわれる。防空兵部隊は、地対空ミサイルと高射砲を両方運用する防空混成師団、地対空ミサイルのみ運用する防空ミサイル師団や防空ミサイル旅団がある。

レーダー運用兵部隊は、国境線や沿岸から幾分内陸側に入った周囲よりも高い山頂や尾根に建設されたレーダーサイトを運用し、中国の領空に接近する非友軍非民間航空機を捜索発見する。指揮所にいったん情報が集められ脅威レベルを判断し、必要に応じて航空機部隊や防空部隊に下達される。また近年になって独自に開発しているミサイル防衛システムの一構成要素を担う高性能の弾道ミサイル防衛用早期警戒レーダーも試験的に運用している模様である。

レーダー運用兵は、レーダー運用連隊が最大の部隊規模であったが、最近では旅団規模の運用部隊も組織されるようになったといわれる。

中国では西側と異なり空挺兵が空軍に属し、1個空挺軍が空軍司令部直轄で置かれている。空挺軍は3個師団を主力とし、ヘリコプター大隊や輸送機連隊などの支援機部隊も隷下にしている。空挺部隊は歩兵ばかりでなく空挺戦車などの大型装備も運用できるレベルにあり、火力や機動力が近年増している。


瀋陽軍区


北京軍区

  • 北空/空10軍司令部 北京市昌平区沙河鎮基地
  • 大同指揮所 山西省大同市
  • 第7航空師団(戦闘機師団)師団司令部所在地:張家口基地
  • 第15航空師団(戦闘/攻撃機師団)師団司令部所在地:懐仁基地
  • 第24航空師団(戦闘機師団)師団司令部所在地:楊村基地
  • 第34航空師団(輸送機師団)師団司令部所在地:西郊基地
  • 石家荘飛行学院
  • 第4飛行学院
    • 第1航空連隊 河北省石家荘市元氏基地 CJ-6
    • 第2航空連隊 河北省石家荘市藁城基地 CJ-6
  • 第6飛行学院
    • 第1航空連隊 河北省保定市涿州基地 CJ-6
  • 警戒管制(レーダー運用)部隊
    • 第2レーダー旅団
    • 第9レーダー旅団
    • 第10レーダー旅団
    • 第2レーダー訓練連隊
    • 通信連隊
  • 防空(SAM/高射機関砲)部隊
    • 第5防空ミサイル師団
    • 第6防空ミサイル師団
    • 第7防空混成師団


蘭州軍区


済南軍区

南京軍区


広州軍区


成都軍区


航空大学飛行教官訓練基地


飛行試験訓練センター


飛行基礎訓練基地 


第15空挺軍(空軍司令部直轄)司令部:孝感基地

装備[編集]

航空機[編集]

戦闘機[編集]

Commissioning Period of PLAAF Fighters in History.png
本図の各世代に該当する機種は、上の歴代戦闘機の就役期間図における機種の分類方法と完全に一致する.

J-6 (殲撃六型)

1961年よりライセンス生産されたMiG-19SJ-6 (殲撃六型)と呼称され、これによって人民解放軍空軍は初めて超音速戦闘機を手にした。しかしJ-6の生産中に中ソ関係が悪化したため、その生産には困難が伴ったと伝えられている。その後、全天候型のMiG-19PFおよびMiG-19PMのライセンス生産が試みられたが、いずれも失敗した。

その一方で、中国はJ-6系列に独自の改良を施した機体を開発し、高高度昼間戦闘機であるJ-6Iが1966年に、その改良型であるJ-6IIおよびJ-6IIIが1969年に初飛行している。しかしこれに続いて開発された全天候戦闘機であるJ-6IVの開発は難航し、最終的には中止された。

その後も全天候型の開発は難航し、その完成は1976年のJ-6Aを待たねばならなかった。J-6の主な派生型としては、対地攻撃機Q-5がある。4000機近くが生産されて空海軍で使用されていたが現在では全て退役している。退役後に、無人攻撃機に改修する計画が報道されたことがある。


J-7 (殲撃七型)

MiG-19に続いて、中国はマッハ2級の戦闘機であるMiG-21の生産を望んだが、中ソ関係の悪化のためにそれは困難であった。しかし1961年、ソ連はMiG-21FおよびツマンスキーR-11Fエンジン、AA-2空対空ミサイルの中国への供与を承認した。これはおそらく自らのリーダーシップを誇示しようとしたソ連のパフォーマンスであったと考えられているが、機体の引渡しののち対立はさらに激化し、最終的にMiG-21関連の資料は引き渡されなかった。

このため、中国はMiG-21をリバース・エンジニアリングによって解析することによって、その中国版であるJ-7 (殲撃七型)を開発し、1966年に初飛行させた。その後、J-7の国産量産型であるJ-7Iが開発され、1976年に初飛行した。しかしこれは性能的に不足であったため、運用は限られたものでしかなかった。J-7Iは1990年代前半には退役したが、退役機の少数は無人標的機に改造された。

その後、J-7Iの改良型としてJ-7IIが1978年に初飛行し、これがJ-7系列の本格量産型となった。その発展型として、1984年には西側の技術を導入して改良したJ-7IIAが、1985年にはエンジンや兵装搭載力を強化したJ-7IIH(のちのJ-7H)が初飛行した。また、J-7II系列の輸出型としては、F-7B、F-7M、F-7Pがある。

1980年代より、設計に抜本的な改正を加えた新世代のJ-7が出現した。1990年に初飛行したJ-7Eはダブルデルタ翼を装備し、より強力なエンジンを搭載したほか、アビオニクスも強化されている。2002年にはJ-7Eをさらに発展させたJ-7Gが登場した。J-7Gは、イスラエルのEL/M2001をベースとしたKLJ-6Eパルス・ドップラー・レーダーを搭載しており、より優れたアビオニクスを搭載している。

J-7系列の機体は合計で500機以上、おそらく700機が就役中と考えられており、数的には人民解放軍空軍の主力機と言ってよい。今後は順次J-10などによって代替されるものと考えられている。


J-8 (殲撃八型)

1960年代、中国は上記のJ-7の整備を続けていたが、J-7はベースとなったMiG-21に対して性能的に優れておらず、全天候能力にも欠けていた上、高高度を高速で侵攻してくる爆撃機に対する対処能力の点で問題があった。しかし中ソ対立の中でソ連からの技術供与は期待できず、中国はJ-7を拡大・双発化することで、より大型で強力な戦闘機を開発することにした。

この計画は、中国にとって初めての独力での戦闘機開発の試みであり、これによって開発されたのがJ-8 (殲撃八型)であった。本機の試作機は1969年には初飛行に成功していたが、文化大革命の影響から量産に至ったのは1979年であった。

しかし当時の中国の技術力では本機に搭載するレーダーFCSを開発できず、全天候性能の付与に失敗した上、昼間戦闘機としての性能はJ-7に劣っていた。このため、本機の生産は少数に留まり、J-8E型への改修を経て2011年には退役した。


J-8II (殲撃八型II)

J-8Iは204型モノパルス・レーダーなどを装備したが、依然として性能的には不足であり、大規模な改設計を行なったJ-8II (殲撃八型II)の開発が行なわれた。

J-8IIでは、空気取り入れ口を胴体左右両脇に配置することでレドームの大型化を可能にし、ここに208型モノパルス・レーダーなどより強力なアビオニクスを搭載した。またエンジンもより強力なWP-13AIIに換装され、操縦システムも改良されたものの、視程外戦闘能力は保有しない。その後、さらにアビオニクスを強化したJ-8BおよびJ-8C、空中受油能力を付与したJ-8Dが開発されたが、いずれも視程外戦闘能力の保有には至らなかった。

2000年に初飛行したJ-8Fは本格的な多用途戦闘機となっており、JL-10ないし1492式と見られる新型レーダーを装備し、PL-12やR-77といったアクティヴ・レーダー・ホーミングの中距離空対空ミサイルの運用を可能にすることで視程外戦闘能力を獲得したほか、ロシア製のAS-17対艦ミサイルも運用可能となっている。


J-10 (殲撃十型)

J-7、J-8系列はいずれもロシアのMiG-21をベースとしており、その将来的な発展性には限界があった。これらを代替するため、まったくの新設計の国産戦闘機として開発されたのがJ-10 (殲撃十型)である。本機の開発には、イスラエルがかつて開発していたラビのノウハウが導入されたと広く信じられており、機体の特徴もそれを強く示唆している。

本機は、人民解放軍空軍が現在導入を進めているSu-27系列の機体と混合運用(ハイ・ロー・ミックス)を行うものと考えられている。本機の原型機は1996年に初飛行したが、この機体が搭載する国産の渦扇10英語版(WS-10)エンジンは推力不足であった。ロシア製のAL-31Fエンジンを搭載した量産先行型は2003年より配備が開始された。

現状では200-300機程度が配備されていると推定されている。


J-11 (殲撃十一型)

90年代に入って、中国は次世代の戦闘機として当時のロシア空軍の主力機であるSu-27の採用を決定し、1992年に20機のSu-27SKおよび6機の複座練習型のSu-27UBKの購入を契約した。その後93年には単座型16機および複座型6機を契約、95年までにSu-27SK 36機およびSu-27UBK 12機が納入された。そして96年にはSu-27SKのライセンス生産契約を結び、これをJ-11 (殲撃十一型)と称した。

200機以上を生産する計画だったが、J-11の生産は96機で終了した。さらに99年には28機のSu-27UBKが契約され、Su-27系列の合計で172機が調達されている。近年、J-11の改良型J-11Bの生産が開始されたと考えられている。J-11Bには国産のフェイズド・アレイ・レーダーが装備されており、少数の配備が確認されている。

なお同機については、ロシア側からライセンス契約に違反している旨の指摘がなされたが、その後の中露の交渉でロシアがSu-27/30のライセンス権を完全移譲する代わりに違法コピーの疑いがある行為を中国側が停止するという提案がなされている。[1] [2]


Su-30MKK

Su-27/J-11の後、調達は改良されたマルチロール型Su-30MKKに移行したが、これのライセンス生産は行なわれず、全機が輸入となっている。1999年に38機、2001年にさらに38機が購入され、計76機が配備された。また2002年には海軍航空隊向けに24機が導入された。2008年にはロシア側が中国のSu-27/30シリーズのアビオニクスのアップグレードを行う事が決まった[5]


爆撃機・攻撃機[編集]

Q-5 (強撃五型)

J-6の派生型として開発された、現在の主力攻撃機である。胴体内に爆弾倉を設け、空気取り込み口を機体両脇に移し、機首部にレドームを配置している。1965年に初飛行した。攻撃機部隊にはJH-7Aの配備が開始されており、本機は順次代替されていくと考えられる。


JH-7 (殲轟七型)

老朽化したH-5及びQ-5を代替するため、1974年より人民解放軍空軍および海軍は新型の攻撃機の開発を開始した。空軍の要求と海軍の要求に応じた計画が推進されたが、前者は80年に放棄された。

海軍の要求に基いた試作機は88年に完成し、90年代初頭より配備が開始された。これを改良したJH-7Aが2004年に実用化されており、空軍はこれを150機調達する予定である。

本機はレーザー誘導爆弾、YJ-91 (ミサイル)対レーダーミサイル、対艦ミサイルYJ-8 (ミサイル)及び対地型YJ-85巡航ミサイルの運用能力を有しており、攻撃能力についてはSu-27系列の機体よりも優れている部分もあると考えられている。


H-5 (轟炸五型)

第二次大戦後まもなくソ連で開発された戦術爆撃機であるIl-28 (航空機)は、社会主義陣営に広く輸出され、中国もその例外ではなかった。中国は本機のライセンス生産を計画したが、1960年代における中ソ関係の悪化のためにこれは実現しなかった。

中国はリバース・エンジニアリングによって本機を解析してコピーし、1963年より生産を開始した。中国において本機はH-5 (轟炸五型)と呼称されている。練習型HJ-5、偵察型H-5R(もしくはHZ-5)などの派生型が開発され、また海軍型には雷撃能力が備えられた。

中国は本機を90年代後半までにほぼ退役させた。


H-6 (轟炸六型)

1950年代前半にソ連で開発された戦略爆撃機であるTu-16 (航空機)は、1958年より中国に導入された。また中国は本機のライセンス生産を行い、68年より生産を開始した。

中国において本機はH-6 (轟炸六型)と呼称されている。H-6の当初の目的は核兵器の運用であったが、弾道ミサイルの発達によってこの役割は縮小された。ちょうどソ連本国のTu-16がそうであったように、中国のH-6はその長大な航続距離と大きな搭載量を生かし、巡航ミサイル対艦ミサイルの発射母機、機雷投下機やHY-6空中給油機などとして数々の派生型が生産されている。

1990年代までに各型合わせて少なくとも150機が生産され、現在およそ120機程度が運用状態にあると考えられている。


輸送機[編集]

Y-7 (运-7)

オランダフォッカー社のフォッカー F27の影響を受けてソ連で開発された小型の双発戦術輸送機が、An-24 (航空機)である。

中国が本機にもとづいて開発した旅客機がY-7 (运-7)であったが、エンジンの推力不足から開発は難航し、開発の完了は1982年になった。しかしその設計は既に陳腐化していたことから、改良型として、80年代後半にはY-7-100型が、93年にはY-7-200A型が開発された。

また、軍用の貨物型はAn-24の発展型であるAn-26をベースに開発が進められ、Y-7Hとして90年代前半より就役した。また、Y-7-200B型をベースに開発されたと考えられる旅客型であるY-7Gも就役中であり、両型あわせて20機以上を運用していると考えられている。


Y-8 (运-8)

人民解放軍空軍の輸送戦力の主力をなすY-8 (运-8)は、ターボプロップエンジンを4発に配した戦術輸送機で、ソ連のAn-12をコピーした機体である。オリジナルの機体との識別点は機首部にあり、Y-8はより長く尖ってガラス部が増積された機首を採用している。

中国は1966年から68年にかけて12機の機体をソ連より輸入し、これをリバース・エンジニアリングにより解析した。これにもとづいて設計されたY-8の初号機は1974年に初飛行した。Y-8の最大搭載量は20トンで、96名の武装兵を収容できるほか、82名の空挺隊員を降下させることができる。

また、Y-8の初期型はAn-12と同様に23mm連装機関砲を装備しているが、後期の生産型では撤去されている。また、Y-8は多数の派生型の母機となっている。


Y-9 (运-9)

人民解放軍空軍において長く使用されたY-8だが、原型機の初飛行が1957年とあって、陳腐化が進んでいた。このため、2001年よりY-8X計画として代替計画が開始された。2005年にはY-9計画と改称された本機は、拡張された貨物搭載能力と強化されたエンジンを備え、アビオニクスも更新される。最大搭載量は30トンとなり、132名の武装した空挺隊員を収容可能である。


Il-76MD

1990年代初頭より、中国は初の大型輸送機としてロシアのIl-76の導入を推進した。1991年には最初の3機が到着し、92年には7機が追加された。98年には、中国は14機のIl-76を保有しており、2005年にはさらに34機の発注が行なわれた。しかしこの発注分の引渡しは主としてコスト面の問題により遅延していると伝えられている。

中国が導入しているIl-76MD型は40トンの貨物を搭載可能であり、190名の武装兵ないし3両の軽装甲車輌を輸送できる。これは人民解放軍空軍が従来保有していたいかなる輸送機よりも強力な輸送能力である。


空中給油機[編集]

HY-6 (轟油六型)

Tu-16の中国国産型であるH-6を給油機に改造したのがHY-6 (轟油六型)である。汎用性の高いTu-16を給油機に改造する流れはソ連と同様であるが、給油方式はオリジナルのTu-16Zのそれとは違い、一般的なプローブ・アンド・ドローグ方式を採用し、同時に2機の空中給油を行なう事が出来る。


Il-78

中国はIl-76をベースに開発された空中給油機であるIl-78も導入予定である。人民解放軍空軍には既に空中給油機としてHY-6があったが、人民解放軍が導入しつつあるSu-27系列の機体とは規格が合わないため、別途に導入することとなった。


早期警戒管制機[編集]

KJ-2000 (空警二千型)

中国の防空能力において大きな欠点とみなされていたのが空中早期警戒能力の欠如である。これを改善するため、中国は1994年よりイスラエルおよびロシアとの協議を開始した。

このときの計画では、ロシアのA-50早期警戒管制機の機体にイスラエル製のファルコン・レーダーシステムを搭載することになっていた。しかし外国からの政治的な圧力によって、ファルコン・レーダーシステムの搭載は行われず、機体のみが中国に引き渡された。中国はこの機体に搭載する国産のレーダーシステムの開発を推進し、これを搭載した機体は2003年に初飛行した。

現在までに4機の存在が確認されている。KJ-2000は固定型のフェイズド・アレイ・レーダーを三面に配したトライアンギュラー・レドームを搭載しており、最大探知距離は200-400km程度と推測されている。


KJ-200 (空警二百型)

上記のように中国は早期警戒能力の獲得のため外国機の導入を模索していたが、それと並行して、1990年代後半より、自国での開発計画を開始した。これによって開発されたのがKJ-200 (空警二百型)であり、西側の情報機関にはY-8 バランス・ビームと命名された。

母体となったのは、中国軍の主力輸送機であるY-8で、この機体背面に棒状のレーダーを搭載しており、これがバランス・ビーム (平均台)というあだ名の由来となった。このレーダーはスウェーデンのエリアイ・レーダーに類似しているが、二面のアンテナで全周をカバーできる。原型機は2001年に初飛行し、その後Y-8の改良型をベースとした機体が2005年に初飛行した。

その一方で、中国はY-8をベースとした第二の早期警戒機の開発を行なっており、その計画は2005年に公表された。先行する二つの計画が固定型のフェイズド・アレイ・レーダーを使用していたのとは対照的に、本機は従来どおりの回転型ロート・ドームを装備している。このことから、日本や欧米などではY-8 ロートドームと通称されることが多い。


地対空ミサイル[編集]

長距離地対空ミサイル[編集]

S-300PMU(SA-10C「グランブルC」)

ソ連のアルマズ中央設計局(現アルマズ科学生産合同)が開発し、アメリカのパトリオットミサイルと同様のミサイル誘導方式(TVM方式)を採用した長距離地対空ミサイルシステムである。同時多目標交戦能力を持った、中・高高度長距離地対空ミサイルシステムのS-300Pを原型としている。その改良型S-300PSの輸出型がS-300PMUである。低空侵入するジェット航空機や巡航ミサイルの迎撃にも対応できる幅広い迎撃可能高度を持っている。弾道ミサイル迎撃能力は無い。ミサイル弾体の5V55RUDは単段式固体燃料ロケットモーターである。ミサイル弾体は円筒形のキャニスタ1本につき1基収められ4本のキャニスタが2段2列に束ねられて寝かされた状態で車両に搭載される。ミサイル打上げ時は4本のキャニスターごと垂直に起こされコールドローンチされる。中国向けS-300PMUシステムのミサイル運搬発射車両は5P85TEセミトレーラー式TELである。 高・中高度目標捜索・追尾用に3次元レーダー36D6ティンシールドが、低高度目標捜索・追尾用に2次元レーダー76N6クラムシェルが用いられる。ティンシールドは、127目標を探知し32目標を同時追尾できる。クラムシェルは、300目標を探知することができる。ミサイル追尾・誘導レーダーとしてパッシブ・フェーズドアレイ型の5N63SフラップリッドBが用いられ、12目標を同時追跡し6目標を同時攻撃できる能力がある。54K6E指揮通信車輌の車内で射撃指揮統制が行われる。迎撃可能高度は0.025km~25kmで、最大射程は90km程度とされている。

中国空軍は1991年にS-300PMUシステムを2個大隊分、ロシアに発注した。1993年にこの2個大隊分(8組)のS-300PMUシステムを受け取った。これには32台の5P85TEセミトレーラー式TELが含まれていた。予備の分も含めて計256~384発の5V55Uミサイルが含まれていた。これらのSAMシステムは北京軍区空軍に配備された。


S-300PMU1(SA-20A「ガーゴイルA」)

S-300PMU1は、原型S-300Pの改良型S-300PMの輸出型である。使用されるミサイル弾体は、5V55RUDから48N6の輸出型48N6Eに変更され、ミサイル速度が幾分か速くなり射程が延長された。迎撃目標の弾道ミサイルの弾頭の再突入速度が2.8 km/秒以下という条件付の非常に限定的な弾道ミサイル迎撃能力を持っている。中国に輸出されたS-300PMU1のミサイル運搬発射車両は、8輪駆動トラックにミサイルキャニスタ―が積載された5P85SE/DEといった全地形移動用TELである。弾道ミサイル目標捜索・追尾用レーダーとして大面積のパッシブ型フェイズドアレイ3次元レーダー64N6Eビッグバードがミサイルシステムに加わった。また航空機・巡航ミサイル目標捜索・追尾用として従来の高・中高度目標捜索・追尾用に3次元レーダー36D6ティンシールドと低高度目標捜索・追尾用に2次元レーダー76N6クラムシェルが引き続き使用される。ミサイル追尾・誘導レーダー30N6EフラップリッドBの能力は向上して、低RCSの目標にも対応可能とされる。12目標を同時に追跡し、6目標にミサイルを同時に誘導できる能力がある。またシステム全体も自動化が進められた。迎撃可能高度は0.025km~27kmで、最大射程は対航空機又は巡航ミサイル対処の時は150km程度、対弾道ミサイル対処の時では40km程度、迎撃可能目標速度は6450km/h程度とされている。システムを構成する装備は以下となる。ミサイル4基を積む5P85が最大8台、弾道ミサイル目標捜索・追尾用3次元レーダー64N6Eビックバード1基、高・中高度航空機目標捜索・追尾用3次元レーダー36D6ティンシールドが1基、低高度目標捜索・追尾用2次元レーダー76N6クラムシェルが1基、ミサイル追尾・誘導レーダー30N6E1フラップリッドBが1基、射撃管制用指揮通信車輌54K6Eが1台で、1組のシステムとなる。

中国空軍は1994年にロシアから2個大隊分(8組)のS-300PMU1を購入する契約を結んだ。この分のミサイルシステムは、90年代後半に受け取った。これには32台の5P85SE/DE・8輪駆動自走式TELが含まれた。また新しく開発された196発の48N6Eミサイルが含まれていた。その後2001年に追加のS-300PMU1が2個大隊分(8組)発注され、それには32台の自走式TELと198発の48N6Eミサイルも含まれていた。これらのミサイルシステムは台湾海峡沿岸の福建省仙游県に配備された。

その後、中国はロシアからS-300PMU1のライセンス生産の許可を得て、HQ-10(紅旗10)としてライセンス生産を行っている。


S-300PMU2(SA-20B「ガーゴイルB」)

S-300PMU1の進化型である。新たに改良されたミサイル48N6E2が使用可能になり交戦距離と交戦可能高度の範囲が拡大した。ミサイル追尾・誘導用レーダーが、30N6E2フラップリッドBにアップグレードされ、100目標を同時追跡し36目標を同時攻撃する能力を持ち、同時多目標交戦能力が大幅に向上した。弾道ミサイル目標捜索・追尾用レーダーは64N6E2ビッグバードにアップグレードした。通常の航空機や巡航ミサイルの捜索・追尾用レーダーは、従来の36D6ティンシールドや76N6クラムシェルを共に代替し96L6Eチーズボードが新たに開発され導入された。この捜索・追尾レーダーは全高度で捜索でき、300目標を同時探知できる。従来のS-300PMU、S-300PMU1にも対応可能である。また射撃管制用指揮通信車輌が54K6E2に変更された。新たな指揮通信車輌は、ミサイル誘導・照射レーダー5N62VEスクエアペアと接続することにより、S-300PMU2以外の従来のミサイルシステムS-300PMUやS-300PMU1やS-200VEに目標情報を中継することができる。S-300PMU2は、ミサイル48N6E46N6E2の両者とも対応可能である。S-300PMU2は、S-300PMU1と同様に弾道ミサイル対処能力がある。46N6E2ミサイルが対航空機又は巡航ミサイル対処の時の迎撃可能高度は0.01km~27kmで射程は200km程に向上している。対弾道ミサイル対処の時の射程は、S-300PMU1と同様の40km程度とされる。

中国空軍は2003年にロシアに対し4個大隊分のS-300PMU2を購入する契約をした。この中には64台の5P85SE2/DE2全地形対応自走式TELが含まれ、256発の改良型48N6E2ミサイルが含まれていた。最初の2個大隊分は2007年に受領し、残りの2個大隊分は2008年に受領する見込みであったが、その後この2個大隊分が受領されたか否かは確認されていない。

2008年の終わりまでに中国空軍はトータルでS-300ファミリーのTELを160台取得し、10個地対空ミサイル大隊(S-300ミサイルシステム40組)が運用可能となるという予測をしている。TELの内訳は、S-300PMUが32台、S-300PMU1が64台、S-300PMU2が64台となるとしている。取得するミサイル数は予備も含めてトータルで1000基は下らないとしている[6]。 中国政府は、S-300ファミリーがトータルで何組、自国に輸出されたのかは、公式には発表していない。SIPRIによれば空軍と海軍をまとめてS-300PMU/1/2は過去10年間で合計22組が輸入されその内20組が空軍に渡ったとされる。


HQ-9(紅旗9)

HQ-9(輸出名FD-2000)は、これまで中国が開発をしてきたHQ-12等多くの中距離地対空ミサイルと一線を画す長距離地対空ミサイルシステムである。限定的な弾道ミサイル迎撃能力を持つ。中国が独自に開発を始めたが、開発は困難を極め、途中からロシアから輸入したS-300PMUシリーズの技術(垂直発射システムやコールドローンチシステムやS-300PMUに使われたミサイルモーター技術等)を採り入れ、完成にこぎつけた。そのためTELの外観は非常にS-300PMUシリーズに似ている。ミサイル本体の外観もS-300PMUシリーズのものと非常によく似ている。しかし大きく異なる点もあり、ミサイルの誘導方式は、S-300PMUのTVM方式を用いず、中間誘導に慣性誘導指令誘導を用い、終末誘導にアクティブ・レーダー・ホーミングを行う。アメリカの空対空ミサイルAIM-120 AMRAAMに採用されている誘導技術であり、日本の03式中距離地対空誘導弾と同様の誘導方法である。

またHQ-9は派生型としてミサイルのシーカー部をパッシブ・レーダー・シーカーに変更した、対AWACS機/AEW機/電子戦機ミサイルFT-2000がある。

HQ-9を構成する装置として、S-300PMUシリーズの30N6Eとよく似ているフェイズドアレイ式のミサイル追尾・誘導レーダーHT-233が用いられている。HT-233は、100の目標を同時に追尾でき、6目標に6機のミサイルを同時に誘導でき、3目標にミサイルを2機ずつ誘導することもできると考えられている。

目標捜索・追尾レーダーは、305A式305B式/YLC-2V120式の3種類ある。305A式は中・高高度を捜索追尾し、低高度を捜索追尾する120式と組み合わせて運用する。この両者は305B式の1基で置き換えることが可能である。

HQ-9ミサイルシステムの性能は、対航空機対処の場合は射程が7km~125km、迎撃可能高度は25m~27kmとしている。対亜音速巡航ミサイル対処の場合は射程が7km~15km、迎撃可能高度は25m以上としている。対弾道ミサイル対処の場合は射程は7km~25km、迎撃可能高度は2km~15kmとしている。弾道ミサイルの迎撃可能な弾頭の再突入速度は不明であるが、ミサイルの機動性がS-300PMU1の48N6Eと同程度とすれば、ほぼ同じの2.8 km/秒以下と予測される。しかし誘導方式が大きく異なるので迎撃可能な弾頭速度が大きく異なる事も考えられる。対超音速空対地攻撃ミサイル対処の場合は射程は7km~50km、迎撃可能高度は1km~18kmとしている。 ミサイルシステムの構成の一例を列挙すると、自走式コマンドポストTWS-312が1台、ミサイル展開地調査用の偵察車EQ-2050HMMWVが1台、ミサイル追尾・誘導レーダーHT-233を積む車両TAS-5380が1台、目標捜索・追尾レーダー305B式/YLC-2Vを積む車両ND1260が1台、自走式TEL:TAS-5380が最大8台、ミサイル運搬車が1台、移動ディーゼル発電機、電力変換装置、電力ケーブル等となる。

2008年末時点で、HQ-9のTELは64台配備され、8~16組のHQ-9システムを組織できるとしている。したがって1個大隊がミサイルシステム4組分で組織されると仮定すると2個大隊から4個大隊が組織できることになる。


HQ-15(紅旗15)

HQ-15は、中国が自らS-300PMU1のライセンス生産品HQ-10をアップグレードしたものである。したがって、HQ-15はS-300PMU1のアップグレード版であるS-300PMU2のライセンス製品ではない。中国が行った改良点は、ミサイルの射程を伸ばしたことである。HQ-10の最大射程は、対航空機・巡航ミサイル対処の場合150kmであるのに対し、改良版HQ-15は、200kmとなっている。台湾系新聞Shijie Ribaoによれば、約70%が中国製造の部品で残りの30%はロシア側製造の部品であり国産化率は約7割であるとしている。アビオニクス部分に大きなアップグレードがあったという情報を得ていない。したがってアップグレードはミサイル本体が主で、同時多目標攻撃の能力はS-300PMU1のものと変わらないものと考えられる。また、対弾道ミサイル対処時の迎撃可能な弾頭落下速度は、HQ-15のミサイルの最大射程が同等のS-300PMU2のミサイル46N6E2の性能とほぼ同等と予測される。対航空機又は巡航ミサイル対処の時の迎撃可能高度は0.025km~27km、射程は200km程度と予測される。対弾道ミサイル対処の時の射程は、HQ-10(S-300PMU1)の40kmと同程度と推定される。


中距離地対空ミサイル[編集]

S-75(SA-2「ガイドライン」)

ソ連のラボーチキン設計局(現ラボーチキン科学生産合同)により開発された、高空侵入する敵作戦機(爆撃機/偵察機等)を迎撃することを目的とする高高度用地対空ミサイルシステムである。したがって低空侵入する航空機に対する防空には適していない。1957年からソ連軍に配備され始めた。21世紀初頭の軍事先進国で導入されているパトリオットS-300の様なエリアディフェンス型ミサイルと比べると、限られた小エリアの高高度域までしか対処できない。また対戦略爆撃機を想定しているので、ミサイルの機動性は無くほぼ直線的な軌道しかとれない。また液体燃料を使用するので即応性に欠け、その燃料の酸化剤赤煙硝酸といった毒性の強いものであり取扱いに注意を要する。誘導方式は電波指令誘導方式である。ミサイル追尾・誘導レーダーとしてSバンドのSNR-75ファンソンと目標捜索レーダーとしてVHFバンドのP-12スプーンレストが使われる。初期量産型の射程は8km~30km、射高は3km~25kmである。

中国空軍では1958年にソ連からS-75が6組だけ輸入され、3個地対空ミサイル大隊が整備された。その後、フルシチョフ時代の中ソ対立の時代を迎えソ連製兵器の輸入がストップする。中国はすでに輸入していたS-75をリバースエンジニアリングしてHQ-1(紅旗1)として生産を始めた。だがその生産数はわずかであった。


HQ-2(紅旗2)

中国は1966年には、HQ-1を改良し、電子妨害対策を施したHQ-2(紅旗2)の生産を始めた。その後段階的に改良を続け、1970年代にはHQ-2A、1980年代にはHQ-2B、90年代には最終バージョンのHQ-9Jが導入された。HQ-2では、ファンソンレーダーをもとに2種類の目標追尾・ミサイル誘導レーダー、SJ-202ジンスリングA2FA(B)ジンスリングBが開発された。またミサイルの液体燃料エンジンが改良され対G性能が向上し弾頭の重量が増加した。HQ-2Bからは、ミサイルランチャーが自走式のWXZ204トラックランチャーに変わり、機動性が増し生残存性が増した。指令通信の秘匿性が増し対ジャミング性能が向上した。また最近、パッシブ・フェイズド・アレイ式の目標追尾・ミサイル誘導レーダーH-200が開発された。旧式化したHQ-2システムに適用され、HQ-2の交戦能力の向上に貢献するだろうと考えられている。このレーダーは周波数ホッピング技術により対ジャミング性が大幅に向上していると考えられている。その性能は、同時精密追尾が3、同時監視が3、同時に6機のミサイルを誘導する能力がある。

中国空軍ではこのS-75系列の地対空ミサイルは、S-300シリーズを導入する以前では、初期の設計が50年代と古びたシステムではあるが、高高度に対処できる最も重要で数的にも主要な地対空ミサイルであった。最近のアメリカ政府の分析では、現在残っているミサイルシステムは60組で、ミサイルランチャー(ランチャー1台にミサイルが1基搭載)は400台あると予想されている。

中国ではHQ-2を含めたS-75系列の戦歴が幾つかある。1959年に北京市郊外上空で偵察飛行を行っていた台湾のキャンベラ偵察機を撃墜した。1962年には、蘭州市郊外の核施設の偵察を行い帰投中の台湾人操縦のU-2江西省上空で撃墜した。その他にも数機のU-2を撃墜している。


HQ-12(紅旗12)

HQ-12は、HQ-2の後継として、1980年代中頃から開発が始まった中距離地対空ミサイルシステムである。開発は中国江南航天工業集団公司が行った。ミサイル弾体のKS-1A(凱山1甲)ミサイルは、単段の固体ロケットモーターにより推進する。ミサイルのレイアウトはスタンダードミサイル初期型RIM-66 SM-1/2MRに似ている。ランチャーは、レール式でミサイル自体は外部に露出しており6輪トラックの荷台に2基並列に装備されている。ミサイルの安定翼は、アメリカのホークミサイルと比べ幅の狭い形となっている。 ミサイル誘導方式は、HQ-2と同様の無線指令誘導を用いている。ミサイル誘導レーダーとして新たに開発されたフェーズドアレー式のH-200「多機能レーダー」が採用され、定置に固定されての運用のほか、トレーラーに積載され牽引移動運用も可能である。フェーズドアレー化により、対ジャミング性が改善している。ミサイル誘導レーダーとして、H-200型の代わりにHT-233又はSJ-231フェーズドアレーレーダーも運用することができる。 大出力の捜索レーダーの、JY-11/JY-11BYLC-18JYL-1等をシステムに組み入れる事も可能である。しかしH-200自身が目標捜索・目標追跡・敵味方識別・ミサイル追跡・ミサイル誘導データ通信が可能な多機能レーダーなのでH-200単独でシステムが運用できる。

このミサイルシステム1組の構成の例を挙げると以下となる。多機能レーダーを積載したトレーラー1台、2連装ミサイル発射車両6台、指揮管制車両1台、予備ミサイル搭載車3台(合計12発)、電源車が1台、その他整備支援車両等で構成される。

ミサイルシステムの性能は、最少RCS面積が2㎡、最大目標飛行速度は750m/sとしている。最小射程は7kmで、最大射程は目標が320m/sより遅い場合は50km、目標が420m/sより遅い場合は42km、目標が720m/sより遅い場合は38kmとしている。迎撃可能高度は0.3km~27kmとしている。同時交戦能力は、同時に3目標の正確な追尾、同時に3目標の監視、同時に6基のミサイルの誘導ができるとしている。


短距離地対空ミサイル[編集]

HQ-61A(紅旗61甲)

HQ-61シリーズは中国が独自開発した最初の低高度用地対空ミサイル・システムであり、陸海空各軍で運用されている。陸軍および空軍で運用される派生型はHQ-61A(紅旗61甲)であり、海軍の艦艇に搭載される派生型はHQ-61B(紅旗61乙)である。空軍が初めて導入したS-75系列のミサイルは高空用であり、低空飛行する目標に対しては役に立たなかった。このため中・低高度用の地対空ミサイルが必要となり中国は独自に開発を始めたが、開発は困難を極めた。そのため既に実現されている外国の中・低高度ミサイルを手本に開発を進めることとした。その手本はアメリカのスパロー空対空ミサイルであった。このためミサイル燃料は固体ロケットモーターとし、誘導方式は中間誘導は指令誘導、終末誘導はスパローと同様のセミアクティブレーダーホーミングとした。しかし入手できるのは公開情報に限られたため、ブラックボックス化し易いアビオニクス系の技術を入手することは困難であった。開発は遅々として進まず、最終的にはイタリアのアスピーデ艦対空ミサイルからの技術導入により艦載型のHQ-61Bが先に完成にこぎ着けた。その後HQ-61Bのアビオニクス技術を得てHQ-61Aは完成を見た。1980年代に配備が始まった。

外観はアメリカのスパローミサイルに似ているが若干大きく重い。ミサイルランチャーは露出レール式で上下角は操作可能である。6輪トラックに2基並列に設置される。目標捜索レーダーとしてUHF波を使う571式レーダー(ソ連のP-15フラットフェースのコピー)を用いる。目標追尾・イルミネーターは、XバンドCW波を目標に照射する艦載用の341式ライスランプ又はC/XバンドCW波を使用する342式フォグランプイルミネーターを元に小型化した物を使用していると推定される。

ミサイルの性能は、初期のシースパローRIM-7Eミサイルとほぼ同等で最大速度はマッハ3、射程範囲は2.5km~10km、迎撃可能高度は0.050km~8kmと推定されている。


HQ-64(紅旗64)

HQ-64(輸出名LY-60/猟鷹60)は、上海学院の宇宙航空技術部で開発された、イタリアのセレニア社(現MBDA社)のアスピーデMk1のコピー品であり、大元を辿ればアメリカのシースパローに行き着く。

ミサイルの誘導方式は、セミアクティブホーミングである。捜索レーダーによって探知された目標に向けて、イルミネーターが追尾しつつ電波を照射する。捜索レーダーとしてSバンドを使用する2次元レーダーを用いている。目標追尾・イルミネーターとして、オフセット式パラボラアンテナが、専用のトラックの箱型荷台トップにマウントされている。このイルミネーターはXバンドCW波を目標に照射し、その反射波をミサイルのシーカーが受信する。ミサイルランチャーは、4連装の箱型のキャニスターが6輪トラックの荷台に載せられキャニスタ―1個にミサイルが1基ずつ収められている。捜索レーダー、イルミネーター、ミサイルランチャーの具体的名称は明らかになっていない。

このミサイルシステム1組の構成の例を挙げると以下となる。捜索レーダーを載せた6輪トラックが1台、イルミネーターを載せた6輪トラックが3台、4連装のミサイルランチャーを乗せた6輪トラックが6台、電源車が1台、その他ミサイル補給車、整備支援車両等で編制される。前の世代のHQ-61Aに比べ、システム全体がコンパクトになっている。

性能は、弾頭重量が35kg、射程範囲が1.3km~20km、迎撃可能高度が0.015km~5kmとしている。また交戦能力に関しては、低空飛行航空機、巡航ミサイルに対応可能であり、捜索レーダーは同時に40機探知し同時に12機追尾できる能力を持つ。またイルミネーター3台を使用してミサイルを3基同時に誘導できるとしている。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 英語では「 People's Liberation Army Air Force」と表記され、「PLAAF」と略号される。
  2. ^ J-7の原型機であるMiG-21の初飛行は1955年、J-8試作機の初飛行は1969年である。
  3. ^ http://www.nids.go.jp/publication/commentary/pdf/commentary016.pdf
  4. ^ http://www.nids.go.jp/publication/commentary/pdf/commentary017.pdf
  5. ^ http://mil.news.sina.com.cn/p/2008-06-02/0743503490.html
  6. ^ アメリカ国防総省中国の軍事力報告書2008年版

参考文献[編集]

  • 田岡俊次『日本を囲む軍事力の構図』中経出版, 2003. ISBN 4-8061-1872-9
  • 田岡俊次『北朝鮮・中国はどれだけ恐いか』 朝日新聞社, 2007. ISBN 4022731364
  • 石川潤一「中国最新軍用機事情」」『航空ファン』2007年4月号(通巻第652集)、50-57頁
  • 岡部いさく「中国空軍戦闘機の系譜」『航空ファン』2007年4月号(通巻第652集)、58-63頁

外部リンク[編集]