J-8 (航空機)

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J-8(殲撃八型、Jian-8、-8)

J-8 fighter.jpg

  • 用途戦闘機
  • 設計者:第601航空機設計所
  • 製造者:瀋陽航空廠(SAF)
  • 運用者中華人民共和国の旗 中華人民共和国空軍海軍
  • 初飛行:1969年7月5日(プロトタイプ)
  • 生産数:140機
  • 生産開始:1979年
  • 運用開始:1980年
  • 退役:2011年

J-8(殲撃八型、Jian-8、-8)は、中華人民共和国戦闘機NATOコードネームは「フィンバックA」(Finback-A)。

概要[編集]

MiG-21を国産した戦闘機であるJ-7の拡大発展型で、瀋陽の第601航空機設計所によって設計、瀋陽航空廠(SAF:Shenyang Aircraft Factory、現在の瀋陽飛機工業集団(SAC))によって製造された。

機体を拡大することで双発化し搭載機関砲を30mmに変更、さらに搭載機器の近代化などが図られ、一線級の全天候戦闘機を目指して開発が進められた。J-7をそのまま大型化してエンジンを1基増やしただけの機体外形でありながら、開発段階で基礎的技術力の不足が顕在化し、搭載する電子機器の開発遅延もあって計画は大幅に遅れた。配備時点で既に旧式化しており全天候性能すら有していなかった。そのため、近代化と大幅な改設計が行われた。前者が、1981年に初飛行した近代化型のJ-8Iであり、後者がJ-8IIである。

J-8開発中も継続されたJ-7の性能向上とJ-8IIの完成により、生産は少数に留まり、1987年に打ち切られた。生産された少数のJ-8は、近代化型のJ-8Eに改修され、さらに一部が偵察型のJZ-8(J-8R)に改修されている。J-8Eは2007年には退役の方針が打ち出されていたが、2011年に至り退役した[1]

開発の経緯[編集]

MiG-21殲撃7型として生産にこぎ着けた中国であったが、それ以降の戦闘機については旧ソ連との関係悪化から、自国で独自開発しなければならなくなった。こうして作られたのが殲撃8型で、1964年5月に殲撃7型を基にした高々度高速戦闘機研究が提示され、5月17日に開発作業が指示された。その殲撃8型の目標能力は、

  • 最大速度マッハ2.2
  • 最大高度20,000m以上
  • 最大上昇率毎秒200m
  • 標準航続距離は1,500kmで最大航続距離は2,000km
  • 長距離捜索レーダーの装備

などであった。実際の作業着手は1965年9月で、1969年7月5日には試作機が初飛行してる[2]

ただこの試作機による飛行試験では、超音速飛行時の振動、機体外板の温度上昇、エンジンの空中停止など、多くの問題点が明らかになった。さらに文化大革命の影響もあって、開発作業は大幅に停滞することとなった[2]

それらを乗り越えて1980年5月に生産型殲撃8型Iが完成したものの、6月25日の地上走行試験でエンジン火災を起こし、殲撃8型Iの初飛行は遅れて、1981年4月24日に進空した。ただこの時点でも、搭載電子機器の開発は遅れており、レーダーなどすべて完成したのは1984年11月のことだったという。このレーダーは中国が独自開発したSR-4である[2]

スペック(J-8I)[編集]

J-8IとJ-8II(右)
  • 翼幅:9.34 m
  • 全長:21.52 m
  • 全高:5.4 m
  • エンジン:渦噴7Aターボジェットエンジン 2基
  • 最高速度:マッハ 2.2 (2340 km/h)
  • 実用飛行上限高度:20,500 m
  • 乗員:1名
  • 固定武装:23 mm機関砲 2門
  • 武装:PL-2、爆弾、ロケット弾、増槽

派生型[編集]

J-8
最初の量産型。昼間戦闘機。
J-8I
全天候型にして、量産型。23mm機関砲に変更。
J-8E
J-8Iの近代化型、電子機器を更新。既存機の改修。
JZ-8
J-8R、既存機の改修により製造された偵察型。
J-8ACT
フライ・バイ・ワイヤ試験機。
J-8II
改設計型。

脚注[編集]

  1. ^ 航空ファン2012年1月号p137
  2. ^ a b c 青木謙知 『戦闘機年鑑』 『Jwings』特別編集、イカロス出版、2013年3月、2013-2014年度版。ISBN 978-4-86320-703-5

外部リンク[編集]