開封市

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中華人民共和国 河南省 開封市
時計回りに上から: 清明上河園の夜景、清明上河園にある張択端像、開宝寺瑠璃塔、開封府城
時計回りに上から: 清明上河園の夜景、清明上河園にある張択端像、開宝寺瑠璃塔、開封府
河南省中の開封市の位置
河南省中の開封市の位置
簡体字 开封
繁体字 開封
拼音 Kāifēng
カタカナ転記 カイフォン
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
河南
行政級別 地級市
面積
総面積 6,444 km²
市区 359 km²
人口
総人口(2013) 527 万人
市区人口(2013) 90 万人
経済
電話番号 0378
郵便番号 475000
行政区画代碼 410200
公式ウェブサイト http://www.kaifeng.gov.cn/

開封市(かいほうし、中国語:开封市、英語:Kaifeng)は中華人民共和国河南省東部に位置する地級市。中国でも最も歴史が古い都市の一つであり、北宋の首都であった。11世紀から12世紀にかけて世界最大級の都市であった[1]

歴史[編集]

開封(宋の名:東京)の名の由来は春秋時代に遡り、当時この地方を支配していた荘公が現在の開封の近くに城を築き、そこに啓封と名づけた事から始まる。後に前漢景帝(劉啓)を避諱して、同義の開の字に改められた。

戦国時代にはの領域であり、大梁と名づけられて首都となった。しかしの攻撃で落城した際に、都市も荒廃した。

前漢の時代に武帝の弟・梁王・劉武が封じられたこともあったが、後漢から三国時代にかけての時期には郊外の陳留陳留郡郡治と位置づけられるなど、さほど重要視される都市ではなかった。東魏時代には梁州、北周時代には汴州(べんしゅう)と呼ばれた。

代になり、大運河が開通すると一気にこの都市の重要性は高まり、南からやってくる物資の大集積地として栄えた。

その後の末期に首都長安は荒廃し、それに代わってこの都市が全中国の中心地となり、唐から簒奪した朱全忠はここを首都として後梁を建てた。その後の五代政権も後唐を除いて全てこの地を首都とし、後周により汴州(べんしゅう、汴はさんずいに卞)と改称された。

清院本清明上河図
清明上河図(12世紀)

その後周より禅譲を受けた趙匡胤により建てられた宋は東京開封府と称して、ここを首都とした。開封府は拡張され、3重の城壁が都市を取り囲んだ。大運河の一部も引き込まれ、水運によって米を始めとした大量の物資が江南地方より運び込まれ、開封には国中の物資が集まるようになり、ここにおいて開封は空前の繁栄期を迎えることとなる。交通の障害となる区画同士の壁は取り払われ、庶民の夜間通行も許可され、空いている土地には必ず屋台が立ち並び大道芸、講談などが行われ、昼夜を問わず飲食店には人々が集い、酒や茶を飲んだ。上流階級や更にはペットにまで食事を配達する事業も存在した。その繁栄振りは『東京夢華録』・『清明上河図』に記されている。

北方のが開封を占領し南宋と対峙すると、首都の座を失うとともに南北分断によって大運河も荒廃し、3重の城壁のうち外の2つは放棄される。モンゴル帝国により攻められて領土の大半を奪われた金は、この地に遷都して抵抗を続けたが、程なく滅ぼされた。金とでは首都は北京(中都・大都)に置かれ、開封はあくまで河南の中心地に留まる。また元が中国を統一すると、杭州と大都を短絡する形で大運河が再建され、開封は新たな大運河から外れた。明代には周王府が置かれ壮麗な建築物があったが黄河の大氾濫により土中に没した。清朝に周王府の跡に龍亭が建てられた。

その後のでも変わらず河南省の省都とされたが、中華人民共和国が誕生すると省都の地位を鄭州に奪われた。現在の開封は観光地として栄えている。

現在の都市の下には明代の都市が眠っており、その下には宋代の都市があり、全部で6層が積み重なっていると2004年2月に発表された。このようなことになっているのは黄河がたびたび氾濫したゆえである。

行政区画[編集]

開封市は5市区、5県を管轄する。

年表[編集]

開封市(第1次)[編集]

  • 1949年10月1日 - 中華人民共和国河南省開封市が発足。一区から七区までの区が成立。(7区)
  • 1950年3月9日 (5区)
    • 一区が二区・四区に分割編入。
    • 五区が一区に改称。
    • 六区・七区が合併し、郊区が発足。
  • 1953年5月18日 - 二区・四区の各一部が合併し、回族区が発足。(6区)
  • 1955年11月26日 (5区)
  • 1956年5月4日 - 郊区が鼓楼区・竜亭区・回族区・南関区に分割編入。(4区)
  • 1958年12月8日 - 開封市が開封専区に編入。

陳留専区[編集]

開封地区[編集]

  • 1955年1月17日 - 鄭州専区が開封専区に改称。(13県)
  • 1957年5月31日 - 陳留県開封県に編入。(12県)
  • 1958年4月2日 - 滎陽県鞏県の各一部が合併し、鄭州市上街区となる。(12県)
  • 1958年12月5日 (1市21県)
  • 1958年12月8日 - 開封市を編入。開封市が県級市に降格。(2市21県)
  • 1959年10月1日 - 開封県が開封市に編入。(2市20県)
  • 1960年1月7日 - 通許県尉氏県に編入。(2市19県)
  • 1960年8月15日 (2市17県)
    • 商丘県が商丘市に編入。
    • 寧陵県が睢県に編入。
  • 1961年10月5日 (2市20県)
    • 開封市の一部が分立し、開封県が発足。
    • 商丘市の一部が分立し、商丘県が発足。
    • 睢県の一部が分立し、寧陵県が発足。
  • 1961年12月19日 (1市11県)
    • 商丘市・商丘県・寧陵県・淮陽県・太康県・永城県・睢県・虞城県・鹿邑県・鄲城県・項城県・柘城県・沈丘県・民権県・夏邑県が商丘専区に編入。
    • 鄭州市鞏県滎陽県密県登封県新鄭県を編入。
  • 1961年12月25日 - 開封市が地級市の開封市に昇格。(11県)
  • 1962年10月20日 - 尉氏県の一部が分立し、通許県が発足。(12県)
  • 1963年3月23日 - 東明県山東省菏沢専区に編入。(11県)
  • 1969年3月15日 - 開封専区が開封地区に改称。(11県)
  • 1971年11月8日 (9県)
    • 滎陽県が鄭州市に編入。
    • 開封県が開封市に編入。
  • 1977年3月 - 開封市開封県を編入。(10県)
  • 1977年10月28日 - 蘭考県商丘地区に編入。(9県)
  • 1980年8月18日 - 商丘地区蘭考県を編入。(10県)
  • 1982年8月13日 - 密県の一部が分立し、鄭州市新密区となる。(10県)
  • 1983年9月1日
    • 鞏県・新鄭県・密県・登封県・中牟県鄭州市に編入。
    • 開封県・蘭考県・尉氏県・通許県・杞県開封市に編入。

開封市(第2次)[編集]

  • 1961年12月25日 - 開封専区開封市が地級市の開封市に昇格。南関区鼓楼区竜亭区順河回族区郊区が成立。(5区)
  • 1968年 (5区)
  • 1971年11月8日 - 開封地区開封県を編入。(5区1県)
  • 1972年5月20日 (5区1県)
  • 1977年3月 - 開封県が開封地区に編入。(5区)
  • 1980年8月19日 - 順河区が順河回族区に改称。(5区)
  • 1983年9月1日 - 開封地区開封県蘭考県尉氏県通許県杞県を編入。(5区5県)
  • 2005年5月30日 (5区5県)
    • 郊区の一部が竜亭区・順河回族区・鼓楼区に分割編入。
    • 南関区・開封県の各一部が鼓楼区に編入。
    • 南関区の残部・郊区の一部が合併し、禹王台区が発足。
    • 郊区の残部および竜亭区・鼓楼区・開封県の各一部が合併し、金明区が発足。
  • 2014年9月 (5区4県)
    • 開封県が区制施行し、祥符区が発足。
    • 竜亭区・金明区が合併し、竜亭区が発足。

観光名所[編集]

鉄塔
  • 鉄塔(1049年に建立された仏塔。元は開宝寺という寺院の舎利塔であったが、寺は崩壊し、この塔だけが残っている。)
  • 山陝甘会館(清代に商人たちの同郷組合の建物として建てられた)
  • 延慶観(元代に作られた道観道教の寺院))
  • 繁塔(974年に建立された仏塔。天清寺と言う寺院の舎利塔として建てられ、現在は塔のみが残っている。)
  • 北宋東京城遺跡
  • 開封城壁(現存するのは清の時代に造ったもの。さほど完全ではないが古い開封の市内区を一周に11.4km残っている。
  • 龍亭(代に建てられた宮殿)
  • 大相国寺(555年建立)
  • 禹王台(王を称えて作られた廟)
  • 宋都御街(宋代の商店街を再現して作られた町)
  • 清明上河園(『清明上河図』に描かれた街並みを再現したテーマパーク)
  • 包公祠(宋代の著名な役人・包拯を祭ったもの)
  • 礬楼(宋代のものを再現した店)
  • 岳飛廟(南宋の武将岳飛を祭ったもの)
  • 興国寺塔
  • 張良墓(張良の墓)
  • 鹿台崗遺跡

姉妹都市[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Largest Cities Through History