杭州市

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中華人民共和国 浙江省 杭州市
西湖
西湖
簡称:
旧称:臨安
浙江省中の杭州市の位置
浙江省中の杭州市の位置
中心座標 30°15′0″N, 120°10′0″E
簡体字 杭州
繁体字 杭州
 Hángzhōuヘルプファイル
カタカナ転記 ハンヂョウ
杭州方言 ɦaŋtsei
国家 中華人民共和国
浙江
行政級別 副省級市
設立 約紀元前3200-紀元前2500年
市委書記 王国平
市長 蔡奇
面積
- 総面積 16,847 km²
- 市区 3718.8 km²
人口
- 総人口() 666 万人
- 人口密度 393 人/km²
- 市区人口() 401.59 万人
- 市区非農業人口({{{population_metro_as_of}}}) 263.67 万人
経済
- GDP(2008) 4781 億元
- 一人あたりGDP 70,832元
電話番号 0571
郵便番号 310000
ナンバープレート 浙A
行政区画代碼 330100
市樹 樟樹
市花 桂花
官方ウェブサイト http://www.hangzhou.gov.cn/
飛来峰
杭州中山公園

杭州市(こうしゅうし)は中華人民共和国浙江省省都副省級市)。淅江省の省人民政府の所在地。中国八大古都の一であり、国家歴史文化名城に指定されている。

隋代以降、江南運河の終着点として経済文化が発達し、「天に天堂あり、地に蘇杭あり」と謳われた。また、五代十国の時代、呉越国の都となり、南宋時代には事実上の首都、臨安府が置かれた。市中心部の西には西湖という湖があり多くの観光客が訪れる。


目次

[編集] 地理

杭州市は浙江省の北部にある。浙西中山丘陵の中部、浙北平原の中西部に位置し、山地丘陵がおよそ三分の二を占める。地勢は西南から東北へ向かってゆるやかに傾斜している。市域を富春江・銭塘江が貫流し、市の中心部は銭塘江の下流、京杭運河の南端に位置している。

かつて城壁に囲まれていた市の中心部の西側には、西湖という湖がある。西湖は西、南、北の三方を山に囲まれ、風光明媚な名勝として内外に知られている。

[編集] 歴史

杭州市内の余杭区には、新石器時代末期に栄えた良渚文化(前3300から前2200前後)の遺跡がある。

春秋時代には、初めに属し、後にに属した。東周の顕王35(前334)年、が越を滅ぼして以降は、楚に属した。

は銭唐県を置き、会稽郡に属した。南朝・の太清3(549)年、銭唐に臨江郡を設け、のちに廃止した。の禎明元(587)年、また銭唐県に銭唐郡を置いた。

の開皇9(589)年、銭唐郡を廃止して杭州を置いた。治所(行政府所在地)は余杭につくられた。杭州という名称はこの時はじまった。開皇10(590)年、州の治所を銭唐県に移した。大業3(607)年、杭州を改めて余杭郡とした。また、隋代に造られた大運河(江南河部分)の南端となった。唐代以降の大運河を用いた商業網の発展にともない、杭州の街も栄えていくことになる。の武徳4(621)年、また杭州を置き、「銭唐」が「唐」という国号と重なるため「銭塘」と改めた。天宝元(742)年、杭州をまた余杭郡に改め、乾元元(758)年、再び杭州に改めた。

五代十国の時に呉越の都となり西府と称した。呉越は杭州の城壁を拡大し、銭塘江の堤防を修復するなど水利を整備した。後梁の龍徳2(922)年、銭塘県から銭江県を分割し、治所は両県とも杭州の城郭内にあった。北宋の太平興国4(979)年、銭江県を仁和県とし、杭州は両浙路の治所となった。高宗は金の攻撃から南へと逃れ、南宋の建炎3(1129)年、杭州の治所を行宮とし、杭州を昇格させて臨安府とした。紹興8(1138)年、正式に臨安府を都とし、行在所と称した。また、紹興2(1132)年、両浙西路の治所となった。北宋の都であった開封が金に落とされると、民衆も多く新たな都の臨安へと逃れてきた。以降、南宋の都として文化・経済ともに大いに発展していった。大都市として栄えた臨安の姿は、呉自牧『夢粱録』に詳しい。また、元代の繁栄の有様は、マルコ・ポーロが「キンザイ=行在」として『東方見聞録』で記している。

の至元15(1278)年、臨安府を改めて杭州路とし、至正26(1366)年、朱元璋は杭州路を改めて府とし、浙江行省治所とした。の洪武9(1376)年、浙江布政使司となった。は杭州府とし、浙江省の治所とした。杭州は、明清時代も織物業や茶葉の生産などによって栄え、蘇州と並ぶ江南の大都市であった。西湖の周りには多くの寺院や道観、別荘や庭園が集まり、多くの文人墨客が訪れた。さらに、霊隱寺などの著名な寺廟へは、参拝のために多くの民衆も近隣の地域からやって来た。しかしながら、アヘン戦争(1840-1842年)をきっかけとして、上海が成長をはじめると、他の都市と同様、杭州もかつての繁栄を失っていった。さらに、19世紀半ばの太平天国の乱で打撃を受け、多くの歴史的建造物と文化財とが消失した。

中華民国の民国3(1914)年、銭塘道を置き、銭塘と仁和を合併して杭県とし、浙江道尹が杭県に駐留し、浙江の省会(省都)とした。民国16(1927)年、道を廃し、杭県の城区、西湖、会堡、湖墅、皋塘、江干の六区を分けて杭州市を置き、市と県は省の直轄とした。中華人民共和国の1949年、杭州市は省轄市(地級)と省会となった。1958年、寧波専区の蕭山県と建徳専区の富陽県を分けて杭州市に入れた。同年、杭県を廃止し、杭州市と建徳専区の余杭県に分割した。間もなく余杭県も廃止し、臨安県に入った。1960年、嘉興専区の臨安県と金華専区の桐廬県を杭州に入れ、1961年、杭州市の郊外と臨安県の一部分にまた余杭県を置き、杭州市に属させた。1963年金華専区の建徳県、淳安県を杭州に入れた。1996年西湖区の西興鎮、浦沿鎮、長河鎮を分割して浜江区とした。2001年蕭山市、余杭市を改めて区とした。

[編集] 行政区画

[編集] 交通

  • 鉄道

鉄道の駅には、杭州駅(城站)、杭州東駅がある。主要な路線には、滬杭(滬は上海市の略称)、浙灨(灨は江西省の略称)、杭甬(甬は浙江省寧波市の略称)、宣杭(宣は安徽省宣城市の略称)などがある。

  • 道路

主要な高速道路に滬杭甬高速公路(上海-杭州-寧波)がある。

  • 水路

江南運河(京杭運河の長江以南部分)、浙東運河(杭甬運河)、銭塘江等が水運に使われている。

  • 航空

国際空港として蕭山区杭州蕭山国際空港(2000年12月30日開港)がある。

[編集] 経済

中国では経済成長が著しい都市であり、現在一人当たりGDPは8063ドルであるが、2008年度杭州(上海)経済合作相談会で「杭州の努力目標は2009年に一人当たりGDPは1万ドルを突破、2015年に2万ドルを超えることだ」と発表していた。2011年に戸籍人口を基準に一人当たりGDPは1万ドルを突破する目標を提出したが、実際、この目標は2009年に実現する見込みがあるという。[1]

[編集] 観光地

 南宋初期、金との戦いに活躍し、徹底抗戦を主張した岳飛の墓がある。

[編集] 特産・名菜

[編集] 教育

[編集] 文化施設

  • 西冷印社
  • 杭州碑林
  • 浙江博物館
  • 杭州植物園
  • 中国茶葉博物館
  • 南宋官窯博物館
  • 良渚文化博物館
  • 霊隠寺
  • 飛来峰
  • 胡雪巌故居

[編集] 交通

[編集] 友好・姉妹都市

[編集] 出身者

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

[編集] 外部リンク