杭州市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 中華人民共和国 浙江省 杭州市 | |
| 西湖 | |
| 簡称:杭 | |
| 旧称:臨安 | |
| 浙江省中の杭州市の位置 | |
| 中心座標 | |
| 簡体字 | 杭州 |
| 繁体字 | 杭州 |
|---|---|
| 拼音 | |
| カタカナ転記 | ハンヂョウ |
| 杭州方言 | ɦaŋtsei |
| 国家 | 中華人民共和国 |
| 省 | 浙江 |
| 行政級別 | 副省級市 |
| 設立 | 約紀元前3200-紀元前2500年 |
| 市委書記 | 王国平 |
| 市長 | 蔡奇 |
| 面積 | |
| - 総面積 | 16,847 km² |
| - 市区 | 3718.8 km² |
| 人口 | |
| - 総人口() | 666 万人 |
| - 人口密度 | 393 人/km² |
| - 市区人口() | 401.59 万人 |
| - 市区非農業人口({{{population_metro_as_of}}}) | 263.67 万人 |
| 経済 | |
| - GDP(2008) | 4781 億元 |
| - 一人あたりGDP | 70,832元 |
| 電話番号 | 0571 |
| 郵便番号 | 310000 |
| ナンバープレート | 浙A |
| 行政区画代碼 | 330100 |
| 市樹 | 樟樹 |
| 市花 | 桂花 |
| 官方ウェブサイト: http://www.hangzhou.gov.cn/ | |
杭州市(こうしゅうし)は中華人民共和国浙江省の省都(副省級市)。淅江省の省人民政府の所在地。中国八大古都の一であり、国家歴史文化名城に指定されている。
隋代以降、江南運河の終着点として経済文化が発達し、「天に天堂あり、地に蘇杭あり」と謳われた。また、五代十国の時代、呉越国の都となり、南宋時代には事実上の首都、臨安府が置かれた。市中心部の西には西湖という湖があり多くの観光客が訪れる。
目次 |
[編集] 地理
杭州市は浙江省の北部にある。浙西中山丘陵の中部、浙北平原の中西部に位置し、山地丘陵がおよそ三分の二を占める。地勢は西南から東北へ向かってゆるやかに傾斜している。市域を富春江・銭塘江が貫流し、市の中心部は銭塘江の下流、京杭運河の南端に位置している。
かつて城壁に囲まれていた市の中心部の西側には、西湖という湖がある。西湖は西、南、北の三方を山に囲まれ、風光明媚な名勝として内外に知られている。
[編集] 歴史
杭州市内の余杭区には、新石器時代末期に栄えた良渚文化(前3300から前2200前後)の遺跡がある。
春秋時代には、初め越に属し、後に呉に属した。東周の顕王35(前334)年、楚が越を滅ぼして以降は、楚に属した。
秦は銭唐県を置き、会稽郡に属した。南朝・梁の太清3(549)年、銭唐に臨江郡を設け、のちに廃止した。陳の禎明元(587)年、また銭唐県に銭唐郡を置いた。
隋の開皇9(589)年、銭唐郡を廃止して杭州を置いた。治所(行政府所在地)は余杭につくられた。杭州という名称はこの時はじまった。開皇10(590)年、州の治所を銭唐県に移した。大業3(607)年、杭州を改めて余杭郡とした。また、隋代に造られた大運河(江南河部分)の南端となった。唐代以降の大運河を用いた商業網の発展にともない、杭州の街も栄えていくことになる。唐の武徳4(621)年、また杭州を置き、「銭唐」が「唐」という国号と重なるため「銭塘」と改めた。天宝元(742)年、杭州をまた余杭郡に改め、乾元元(758)年、再び杭州に改めた。
五代十国の時に呉越の都となり西府と称した。呉越は杭州の城壁を拡大し、銭塘江の堤防を修復するなど水利を整備した。後梁の龍徳2(922)年、銭塘県から銭江県を分割し、治所は両県とも杭州の城郭内にあった。北宋の太平興国4(979)年、銭江県を仁和県とし、杭州は両浙路の治所となった。高宗は金の攻撃から南へと逃れ、南宋の建炎3(1129)年、杭州の治所を行宮とし、杭州を昇格させて臨安府とした。紹興8(1138)年、正式に臨安府を都とし、行在所と称した。また、紹興2(1132)年、両浙西路の治所となった。北宋の都であった開封が金に落とされると、民衆も多く新たな都の臨安へと逃れてきた。以降、南宋の都として文化・経済ともに大いに発展していった。大都市として栄えた臨安の姿は、呉自牧『夢粱録』に詳しい。また、元代の繁栄の有様は、マルコ・ポーロが「キンザイ=行在」として『東方見聞録』で記している。
元の至元15(1278)年、臨安府を改めて杭州路とし、至正26(1366)年、朱元璋は杭州路を改めて府とし、浙江行省治所とした。明の洪武9(1376)年、浙江布政使司となった。清は杭州府とし、浙江省の治所とした。杭州は、明清時代も織物業や茶葉の生産などによって栄え、蘇州と並ぶ江南の大都市であった。西湖の周りには多くの寺院や道観、別荘や庭園が集まり、多くの文人墨客が訪れた。さらに、霊隱寺などの著名な寺廟へは、参拝のために多くの民衆も近隣の地域からやって来た。しかしながら、アヘン戦争(1840-1842年)をきっかけとして、上海が成長をはじめると、他の都市と同様、杭州もかつての繁栄を失っていった。さらに、19世紀半ばの太平天国の乱で打撃を受け、多くの歴史的建造物と文化財とが消失した。
中華民国の民国3(1914)年、銭塘道を置き、銭塘と仁和を合併して杭県とし、浙江道尹が杭県に駐留し、浙江の省会(省都)とした。民国16(1927)年、道を廃し、杭県の城区、西湖、会堡、湖墅、皋塘、江干の六区を分けて杭州市を置き、市と県は省の直轄とした。中華人民共和国の1949年、杭州市は省轄市(地級)と省会となった。1958年、寧波専区の蕭山県と建徳専区の富陽県を分けて杭州市に入れた。同年、杭県を廃止し、杭州市と建徳専区の余杭県に分割した。間もなく余杭県も廃止し、臨安県に入った。1960年、嘉興専区の臨安県と金華専区の桐廬県を杭州に入れ、1961年、杭州市の郊外と臨安県の一部分にまた余杭県を置き、杭州市に属させた。1963年金華専区の建徳県、淳安県を杭州に入れた。1996年西湖区の西興鎮、浦沿鎮、長河鎮を分割して浜江区とした。2001年蕭山市、余杭市を改めて区とした。
[編集] 行政区画
- 上城区(18平方キロ、31万人)
- 下城区(31平方キロ、33万人)
- 拱墅区(88平方キロ、29万人)
- 西湖区(263平方キロ、53万人)
- 江干区(210平方キロ、38万人)
- 浜江区(73平方キロ、12.5万人)
- 余杭区(1222平方キロ、80万人)
- 蕭山区(1163平方キロ、115.7万人)
- 富陽市(1808平方キロ、62.4万人)
- 建徳市(2364平方キロ、51万人)
- 臨安市(3124平方キロ、51.5万人)
- 桐廬県(1780平方キロ、39万人)
- 淳安県(4452平方キロ、45万人)
[編集] 交通
- 鉄道
鉄道の駅には、杭州駅(城站)、杭州東駅がある。主要な路線には、滬杭(滬は上海市の略称)、浙灨(灨は江西省の略称)、杭甬(甬は浙江省寧波市の略称)、宣杭(宣は安徽省宣城市の略称)などがある。
- 道路
主要な高速道路に滬杭甬高速公路(上海-杭州-寧波)がある。
- 水路
江南運河(京杭運河の長江以南部分)、浙東運河(杭甬運河)、銭塘江等が水運に使われている。
- 航空
国際空港として蕭山区に杭州蕭山国際空港(2000年12月30日開港)がある。
[編集] 経済
中国では経済成長が著しい都市であり、現在一人当たりGDPは8063ドルであるが、2008年度杭州(上海)経済合作相談会で「杭州の努力目標は2009年に一人当たりGDPは1万ドルを突破、2015年に2万ドルを超えることだ」と発表していた。2011年に戸籍人口を基準に一人当たりGDPは1万ドルを突破する目標を提出したが、実際、この目標は2009年に実現する見込みがあるという。[1]
[編集] 観光地
南宋初期、金との戦いに活躍し、徹底抗戦を主張した岳飛の墓がある。
[編集] 特産・名菜
[編集] 教育
- 浙江大学
- 浙江工業大学
- 浙江工業大学之江学院
- 浙江工商大学
- 浙江理工大学
- 浙江財経学院
- 浙江科技学院
- 浙江中医学院
- 浙江メディア学院
- 杭州電子科技大学
- 杭州師範学院
- 中国計量学院
- 中国美術学院
- 杭州高級中学
[編集] 文化施設
- 西冷印社
- 杭州碑林
- 浙江博物館
- 杭州植物園
- 中国茶葉博物館
- 南宋官窯博物館
- 良渚文化博物館
- 霊隠寺
- 飛来峰
- 胡雪巌故居
[編集] 交通
[編集] 友好・姉妹都市
リーズ(イングランド)
松江市(日本島根県)
上尾市(日本埼玉県)
西宮市(日本兵庫県)
狭山市(日本埼玉県)
福井市(日本福井県)
向日市(日本京都府)
岐阜市(日本岐阜県)
ボストン(アメリカ合衆国マサチューセッツ州)
オビエド(スペインアストゥリアス州)
江東区(大韓民国ソウル特別市)
[編集] 出身者
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||

