京阪神

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索


京阪神のデータ
京阪神大都市圏
日本の旗 日本
面積 11,701 km²
総人口 19,341,976
1.5%都市圏)(2010年国勢調査
人口密度 1,484人/km²
(2010年国勢調査)
外観
Kyoto city1.jpg
京都
Nishi-Umeda.jpg
大阪
Port of Kobe02s4100.jpg
神戸
範囲[1]
Keihanshin.PNG

京阪神(けいはんしん)は、都市戸市の3市の総称、あるいは、これら3市を中心とした近畿地方の主要部を指す地域名称である。

概要[編集]

一般的に京阪神と言えば、京阪神大都市圏を指すことが比較的多い。しかし、場合によっては下記のような例も見られる。

総称としての「京阪神」[編集]

単純に三都市の名前から一文字ずつ取ったもので、「京阪神三大学京都大学大阪大学神戸大学)」など三都市に限った事象や施設を一つのグループとして表現する際に使用する。

「京阪神」の名称がつく企業[編集]

地域名称としての「京阪神」[編集]

  • 京都市、大阪市、神戸市、および、これら3市の衛星都市を合わせた都市圏を指す。近畿地方あるいは西日本の中心部。
  • 上記3市を中心として、近畿2府4県(三重県を除く近畿地方)の全府県庁所在地が集中している経済地域。各指標により範囲は異なるが、経済・文化的に相互依存関係が強い。近畿地方の主要部。

京阪神大都市圏[編集]

総務省では、大阪市・京都市・神戸市の3市を中心市とした1.5%都市圏(絶対都市圏)を京阪神大都市圏としている(2005年国勢調査)。範囲は、右上の図の紺色・青色・水色部分に相当し、大阪府全域、兵庫県南部、京都府南部、奈良県北部および南部の一部、滋賀県南部および北部の一部、和歌山県橋本市岩出市かつらぎ町九度山町三重県名張市に及び、人口は約1,864万人。日本では、首都圏(関東大都市圏)に次ぐ規模を誇っており、三大都市圏あるいは七大都市圏の一つとされる一方、世界10位前後の大都市圏である。(→世界の都市圏人口の順位)。GDP は2009年現在で世界第3位である[2]。この地域の業務・物販面などの第三次産業では、大阪市の都心が抜きん出ているため、同市の都心を中心とした都市圏を京阪神大都市圏と見なすこともある(→大阪を参照)。

一方、大阪市・京都市・神戸市の3市は、各々昼間人口比が1を超えているため、各々が中心市となって都市圏を形成しているとも考えられる。その立場に立った都市雇用圏(10%都市圏)では、大阪都市圏京都都市圏神戸都市圏と、別々に都市圏(相対都市圏)を設定している。 また、近代都市はその成長過程で工業を富の基盤とし、労働者を引き寄せて人口集中を実現する例が多い。日本でも高度経済成長期まで、大都市の都市部では第二次産業人口が最も多かった。この観点から、世界的には工業地帯に形成された人口密集地帯を1つの「都市」とする例が見られる。この伝統的な見方に沿う場合、大阪市・神戸市を中心とした阪神工業地帯を1つの都市(都市圏)とし、近代重化学工業を基盤としない京都市を中心とした都市圏は別に扱う。このように「阪神都市圏」と「京都都市圏」に分ける例は、国際連合Urban Agglomerationプライスウォーターハウスクーパース (PwC) 社の都市圏別 GDP[3]などに見られる。

大阪湾岸の人口密集地
府県別の昼間人口夜間人口(2010年国勢調査
府県 昼間人口 夜間人口 昼夜差
三重県 182.0万人 185.5万人 -3.5万人
滋賀県 136.3万人 141.1万人 -4.7万人
京都府 266.8万人 263.8万人 3.2万人
大阪府 928.1万人 886.5万人 41.5万人
兵庫県 534.8万人 558.8万人 -24.0万人
奈良県 126.0万人 140.1万人 -14.1万人
和歌山県 98.3万人 100.2万人 -1.9万人


歴史[編集]

京都・清水寺

古代には、奈良盆地天皇(大君)がその在所を置くことが多く(→日本の首都)、その場合には外港にあたる現在の堺市に向かう大津道丹比道などで両者は結ばれていた。他方、外交が重視される時期や、奈良盆地の既存勢力と距離を置きたい場合には、日本海-若狭湾-琵琶湖-淀川-大阪湾-瀬戸内海の内陸水系物流ルート沿いの琵琶湖南岸以南に都が置かれた。藤原京平城京平安京などの大規模な首都整備、豪族貴族の在地から首都への集住強制、納税や官人の往来のための官道整備(→日本の古代道路)などにより、畿内は日本の富が集中する経済地域となっていった。その後、公家武家寺家に権力が分散し、税の畿内集中が弱まることもあったが、室町幕府南朝が置かれたり、日明貿易により兵庫津が伸張して富を集めた。安土桃山時代に入ると織田信長豊臣秀吉が当地に拠点を築いて経済改革を行い、また、城普請に伴って大坂城城下町が形成され、そして特に秀吉が淀川の改修工事を命じた際に、文禄堤が建設されたことが大坂と京を結ぶ安定した交通路たる京街道に結実し[4]、これらの結果として経済発展が見られた。

江戸時代には、上述の内陸水系物流ルート上の大坂上方)に、海路では西廻海運菱垣廻船樽廻船が繋がり、陸路では五街道などが整備されて、近江商人が日本各地に分散して上方を日本の物資の集散地および金融の中心地へと変えた。大坂には各蔵屋敷が集まり、世界初の商品先物取引所たる堂島米会所が置かれ、遠隔地取引での為替手形も用いられるようになり、大坂は「天下の台所」として日本経済の中心地となった。京は富裕層向けを初めとした高付加価値商品生産地、すなわち工業都市として発展し、製品・職人が日本各地へと流れ、付随して京文化の影響を各地に与えた。 明治時代は幕末の開国により外国人居留地がおかれた神戸が国際貿易港として発展し、同じく川口居留地がおかれた大阪、そして京都も次第に都市の近代化が進んでいった。「天下の台所」と呼ばれた経済都市の大阪は健在であったが、江戸期以来参勤交代で富裕層の集住に成功して大消費地となった江戸が、東京となって中央集権体制を確立し、税と外貿で富を更に集めるようになった。しかし明治27年に勃発した日清戦争を契機に、大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれる日本最大の商工業都市に発展し、神戸は東洋最大の港湾都市へ飛躍するなど、再び日本における文化・経済の中心地となった(阪神間モダニズムも参照)。さらに大正12年関東大震災後には関東からの移住者が多数あり、文化・経済の更なる興隆を見た。

昭和10年代、日中戦争から第二次世界大戦へ突入していく中で近衛文麿政権により戦時体制が作られ、様々な業種が国家の統制管理に置かれる状況となって、京阪神や他の地域の企業が統合されて東京に本社を置くことになったり、京阪神から東京へ企業や財閥資本家の移動が相次いだ。戦後の高度経済成長期には、阪神工業地帯などでの工場・事業所の新設や拡張などで、製造業生産高が増大していくが、東京一極集中による東京への本社や事業所の移転はその後も継続している。さらに工場などの生産拠点も、昭和60年代以降は円高による海外への移転が相次いでいる(「産業空洞化」も参照)。

一方、研究設備や研究成果、教授陣が充実している大学や、関西文化学術研究都市神戸医療産業都市構想を初めとした産学官連携研究施設が集積しており、経済面の環境が縮小している訳ではない。PwC社のリポートでは、阪神地区の GDP が世界の都市圏の7位、マスターカード社のリポートでは、世界のビジネス都市としての環境の評価で19位を格付けされるなど[5]、世界的には未だ巨大な経済圏である。

地域[編集]

地理[編集]

大きな都市圏を形成している京阪神ではあるが、かなり起伏の富んだ地形が広がっている。主に大阪平野を中心に、播磨平野京都盆地奈良盆地近江盆地に広がっている。この点で、起伏の少ない関東平野を中心として放射状に広がっている東京圏と比べると、生駒山地六甲山地などの山地を挟んで都市が広がっている京阪神と大きく異なっている。

京都から望む比叡山
地形
気候
気象予報などの地方区分では、近畿中部に分類される。主に平野部では瀬戸内海式気候、京都府南部・滋賀県南部・奈良県北部・三重県伊賀地方・伊賀地方などの内陸部は内陸性気候に属する。 また阪神地域では六甲山から六甲颪、滋賀県湖西地域では比良山から比良颪が吹き荒れる。
また都市地域に広く覆われていることからヒートアイランド現象がみられ、冬の冷え込みの弱さや夏の猛暑がもたらされ、その現象によって気候修飾を受ける。

郊外化[編集]

六甲山地掬星台からの景色

京阪神では、アメリカ合衆国の例に倣ったインターアーバン(都市間電車)路線の建設が盛んとなった。阪神電気鉄道本線1905年開業)を嚆矢とし、続く箕面有馬電気軌道(後の阪急宝塚本線1910年開業)、阪神急行電鉄神戸本線1920年開業)ほかの各線の開通は、神戸・北摂の未開拓な後背地であった近郊農村地帯への着目のきっかけとなり、快適な住環境創造を目的とする郊外住宅地の開発が、鉄道沿線である風光明媚な六甲山南斜面、いわゆる阪神間において進められた(阪神間モダニズム)。また、1934年の京阪神緩行線の開業によって、郊外の宅地化がさらに進んでいった。

また第二次世界大戦前後から阪神地域以外でも、阪急電鉄京都本線京阪電鉄京阪本線を中心とした京阪地域や、近鉄奈良線を中心とした阪奈地域、南海本線南海高野線を中心とした泉州、南河内地域でも積極的に行われていくようになった。とりわけ京阪神では私鉄が多くの路線を敷設して、鉄道会社が中心となって、沿線開発が進んでいった。

昭和末期から平成期に入る頃になると、通勤圏が遠方ギリギリにまで拡大する傾向が目立っている。例えば、兵庫県の篠山や京都府の園部(現・南丹市)、奈良県の大淀、三重県の青山(現・伊賀市)、滋賀県の近江八幡高島、和歌山県の橋本までも拡大し、兵庫府民奈良府民滋賀府民三重府民和歌山府民という俗語も登場した。その後は、都心回帰の傾向から通勤圏の拡大は弱まっている。

経済・学術[編集]

関西文化学術研究都市
国立国会図書館関西館
播磨科学公園都市・SPring-8

経済[編集]

研究機関[編集]

京阪神には以下の研究都市が存在する。詳細については、リンク先を参照。


交通[編集]

現在の京阪神は五畿七道では畿内に相当し、日本の中では他の地域に先駆けて古くから交通が発達していた。こうした交通網の発達は、明治以降鉄道建設や道路整備により、京阪神を一体の地域としての性格を強めることに大きな影響を与えた。ただし、起伏のある地形や京都・大阪・神戸それぞれが都市としての核であることから、首都圏のように東京を中心として環状に交通網が延びているわけではないが、それぞれの核都市を中心に同心円状に拡がっている。

鉄道[編集]

京阪神三都市間には複数の鉄道会社が路線を敷設しており、サービスや沿線開発においてJRと私鉄、また私鉄同士による熾烈な競合区間となっている。

主な鉄道[編集]

JR東海
JR線(アーバンネットワーク


その他の主な私鉄・公営鉄道路線

京阪神周辺の競合区間[編集]

京都 - 大阪間

過去には近鉄京都駅 - 近鉄難波駅(現・大阪難波駅)を乗り換えなしで結ぶ特急があったが、1992年に廃止された(→近鉄特急を参照)。

大阪 - 神戸間

大阪 - 宝塚間

大阪 - 奈良間

大阪 - 高田・橿原間

大阪 - 関西空港・和歌山間

京都 - 大津間

京都 - 奈良間

神戸 - 姫路間

競合区間の路線図

競合意識が薄れた区間[編集]

大阪 - 堺間

大阪 - 河内長野・泉北ニュータウン

京都 - 宇治間

京都 - 大津間

道路[編集]

阪神地域における阪神高速と周辺有料道路
高速道路
国道
京都 - 大阪間
主要道路として、名神高速道路国道1号線、北部では国道171号線がある。慢性化した国道1号線の混雑緩和のため、第二京阪道路が建設された。
大阪 - 神戸間
主要道路として、阪神高速3号神戸線5号湾岸線国道2号線国道43号線がある。また、北側の迂回路として、中国自動車道や阪神高速7号北神戸線もある。
京都 - 神戸間
主要道路として、名神高速道路(西宮IC以西は阪神高速3号神戸線)と国道171号線西宮 - 神戸は国道2号と重複)がある。
大阪 - 奈良間
主要道路として、西名阪自動車道阪奈道路第二阪奈有料道路がある。北和では国道163号線が、西和では国道25号線が、中南和では南阪奈道路がある。
京都 - 奈良間
主要道路として、国道24号線京奈道路がある。
大阪 - 和歌山間
主要道路として、阪和自動車道、阪神高速4号湾岸線、国道26号線第二阪和国道)などがある。このほか、国道480号線父鬼街道)や大阪府道・和歌山県道62号泉佐野打田線粉河街道)、国道310号線371号線高野街道)など、大阪 - 和歌山を結ぶ自動車道は多岐に渡る。

[編集]

神戸港

主に四つある港湾をまとめたスーパー中枢港湾には「阪神港」という名称がある。


空港[編集]

関西国際空港


脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 2005年国勢調査における京阪神大都市圏の範囲。紺は中心市、青は 10% 都市圏、水色は 1.5% 都市圏を示す。
  2. ^ World’s Largest Metropolitan Regions by LRP2009年3月、トロント大学により公表
  3. ^ PwC社による都市圏別GDP (PDF) 。このレポートでは「京都都市圏」と「阪神都市圏」は別々の都市圏とされている。「阪神都市圏」の GDP は世界7位。
  4. ^ 文禄堤と京街道 - 淀川資料館
  5. ^ Worldwide Centers of Commerce Index (PDF) - マスターカード・ワールドワイドによる世界ビジネス都市ランキング 08年6月11日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]